コンテンツにスキップ

Osaka Shion Wind Orchestra

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。なびお (会話 | 投稿記録) による 2012年5月18日 (金) 15:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

大阪市音楽団(おおさかしおんがくだん、Osaka Municipal Symphonic Band)は、日本プロ吹奏楽団。略称は市音(しおん)。

概要

大日本帝国陸軍第4師団軍楽隊を前身として、1923年(大正12年)に誕生した[1]日本で最も長い歴史と伝統を誇るプロの交響吹奏楽団である。大阪市が市の直営事業(大阪市教育委員会事務局生涯学習部所轄)として運営しており、日本で唯一地方自治体が所管する専門吹奏楽団である。

団員は全員が「音楽士」の肩書きを持つ大阪市の専門職員(地方公務員)として採用され、公務として演奏活動に従事している[注 1]。主な活動は大阪市の公式行事での演奏の他、定期演奏会、市内の園児・児童を対象とした鑑賞会での演奏を行っている。また、外部からの依頼演奏として、選抜高等学校野球大会入場行進曲の録音(出場校に記念品として配布されるCD音源の作成)、全日本吹奏楽コンクール課題曲音源(参考演奏)の録音・録画、大相撲春場所千秋楽での式典演奏を請け負うほか、大阪市立中学校、高等学校および特別支援学校(中等部・高等部)を対象とした吹奏楽部の指導、自主制作CD「ニュー・ウィンド・レパートリー」の発売などを行い、吹奏楽の裾野の拡大に努めている。東京佼成ウインドオーケストラシエナ・ウインド・オーケストラと並ぶ、国内トップレベルの吹奏楽団との評価もある[2]

団員の給与を含めた団の運営費の大半が大阪市からの支出であることから、市政改革の一環として楽団の存廃が取りざたされている(詳細後述)。

歴史

第4師団軍楽隊

  • 1888年2月28日 大阪鎮台に第三軍楽隊の配属が決定。
  • 1888年3月6日 楽長以下51人編成の軍楽隊が着任。
  • 1888年 軍制の改編により大阪鎮台は廃止され、第4師団となる。
  • 1923年3月25日 軍縮により第4師団軍楽隊廃隊。天王寺音楽堂にて告別演奏会を行う。

大阪市音楽隊

  • 1923年6月1日 第4師団軍楽隊の元隊員有志により大阪市音楽隊として創立。当時は会員制として運営し、大阪市の支出する補助金と演奏依頼による収入により経営していた。
  • 1934年4月1日 大阪市直営となり、団員は全員大阪市職員となる。

大阪市音楽団

宮川彬良と大阪市音楽団

2010年にアーティスティック・ディレクターに就任した宮川彬良とは、1997年になみはや国体で用いられた楽曲「メドレーマーチ“Oh!Namihaya”」「グランドオペラなみはやの夢」を手掛けたことから交流が生まれ、2006年からは全曲が宮川彬良のオリジナル曲と彼のアレンジによるブラスエンターテイメントショー「宮川彬良&大阪市音楽Dahhhhn!」を開催している。

2007年6月24日7月1日には宮川と共にテレビ朝日系の音楽番組『題名のない音楽会21』に「宮川彬良&大阪市音楽Dahhhhn!」として出演、司会の久保田直子テレビ朝日アナウンサー)曰く「人を楽しませる明るさ溢れる」演奏を披露した[3]

隊長・団長・音楽監督

2代目の勝部までは「隊長」、以降は「団長」。6代目の龍城以降は音楽監督を兼務している。

  • 初代:林亘(1923年 - 1945年)
  • 2代:勝部藤五郎(1945年 - 1947年)
  • 3代:辻井市太郎(1947年 - 1978年)
  • 4代:永野慶作(1978年 - 1985年)
  • 5代:木村吉宏(1985年 - 1998年)※1998年4月 - 2002年3月:名誉指揮者
  • 6代:龍城弘人(1998年 - 2001年)
  • 7代:辻野宏一(2001年 - 時期不明)
  • 8代:竹原明(時期不明)
  • 9代:島貫利博(時期不明 - 2012年3月)
  • 10代:辻浩二(2012年4月1日 - )

指揮者

存廃問題

前述の通り大阪市音楽団は大阪市が直営事業として運営している音楽団であり、人件費や赤字分を大阪市が公費から支出している。大阪市の平成22年度決算によれば、人件費を除いた楽団運営のための歳出額約9,100万円のうち、入場料収入などで補えるのは約4,800万円で、差額の4,300万円と団員44人分の人件費約3億8,700万円を加えた約4億3,000万円を大阪市が負担しているという[4](ただし、これについては、大阪市音楽団条例(昭和25年4月1日条例第33号)および大阪市音楽団規則(昭和32年4月1日大阪市教育委員会規則第4号)により音楽団の活動に大阪市教育委員会の承認が必要であることに加え、出演料が最大でも1回あたり1時間63,000円・2時間94,500円という、40人規模のプロの楽団としては異例の破格値に押さえられているという事情もある)。

このような状況を受け、大阪市の橋下徹市長は、2012年1月19日の大阪市議会決算特別委員会で、「(大阪市が音楽団を)直に抱えていく必要はない」と発言、直営方式を見直す方針を表明する[4]。また、その翌日、報道陣に対し「(大阪市音楽団のあり方について)一から考える。存続の結論ありきでは考えない」と発言、楽団解散の可能性をも示唆した[5]。これを受けて、大阪市は同年4月5日に発表した市の施策・事業の見直し試案で、大阪市音楽団を2013年度に廃止する方針を明らかにした[6] 。この試案では楽団員(音楽士)の処遇について「配置転換先を検討する必要がある」との内容が示されていたが、同日行われた橋下市長の記者会見では「(専門職である音楽士が)単純に事務職に配置転換するのは、これからの時代、通用しない。仕事がないなら、分限(免職)だ」「分限(免職)になる前に自分たちでお客さんを探し、メシを食っていけばいい」と発言し、楽団が市直営事業でなくなった場合には楽団員(音楽士)を配置転換せず、地方公務員法第28条第4項(「職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合」による職員の降格または免職)を適用して分限免職としたい意向を表明した[1]

市側の楽団解散の意向について、楽団側は「経営の視点だけで見直されると、存続は難しい」と困惑している[1]。また、前田憲男ボブ佐久間宮川彬良の3人は、人件費を含めた楽団の運営費約4億円について「40数人の団員を維持していくには驚くほど安い金額」と指摘、「これほど実力ある音楽団が大阪にあることを行政や市民は分かっていないのではないか。一度つぶれたら、あの豊かな音は戻らない。残しておかなければ後で大変なことになる」と楽団の存続を訴えている[2]

音楽団の存廃問題を受け、2012年5月5日には宮川彬良と大阪市音楽団「友の会」との共同主催によりコンサート「Go!Go!市音! 大阪市音をほめる会」が約3,000人の観客を集めて大阪城音楽堂で開催された[7]。当日は指揮者の佐渡裕大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部顧問・名誉教諭の丸谷明夫がスペシャルゲストとして応援に駆け付け、大阪市音楽団との共演時のエピソードや80年以上に渡る大きな社会貢献度等を市民に訴えた。このコンサートは大阪市民からの寄付金と宮川彬良の出資によって実現し、入場無料、楽員達は全員有志による出演として、公費を一切使わずに開催された。

存続に対する最終的な方針は2012年6月に示される予定である。

関連項目

脚注

  1. ^ 一部の警察音楽隊消防音楽隊自衛隊音楽隊の隊員も公務として演奏活動に従事している(音楽活動を本務とする)が、いずれも基本的には通常の警察官消防吏員自衛官あるいは一般事務職員として採用された上で入隊しており、音楽活動のためだけに採用されるケースは皆無に近い。

出典

  1. ^ a b c 橋下市長、市音楽団員の配転認めず「分限免職」”. 読売新聞 (2012年4月5日). 2012年4月13日閲覧。
  2. ^ a b 【激動!橋下維新】直営見直しに「待った!」 市音を守って 有名作曲家ら3人が訴え - MSN産経west 2012年2月24日
  3. ^ 題名のない音楽会21 『久保田アナの題名日記』:アキラさんの大発見!シリーズ(1)~吹奏楽の魅力~(2007/6/24放送) - テレビ朝日アナウンサーズ・久保田直子バックナンバーより
  4. ^ a b 【激動!橋下維新】橋下市長 市音楽団の直営見直しへ - MSN産経west2012年1月19日
  5. ^ 橋下市長、音楽団解散を示唆…財源は習い事券に - 読売新聞2012年1月20日
  6. ^ 見直し対象とする主な施策・事業(その3) (PDF) -大阪市市政改革室2012年4月5日
  7. ^ ガンバレ「市音」コンサート 大阪市政改革で存続の危機 - MSN産経ニュース2012年5月5日
  8. ^ 京都市交響楽団楽員採用試験受験案内 (PDF) - 京都市交響楽団2012年4月2日

外部リンク