大正生命保険

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大正生命保険株式会社(たいしょうせいめいほけん)は、かつて存在した生命保険事業を営む会社である。1913年(大正2年)4月に設立され、2000年(平成12年)8月に金融庁より業務停止命令を受け破綻した。
保険契約は2001年(平成13年)3月31日にあざみ生命保険に包括移転されたが、1年後の2002年4月に大和生命保険相互会社と合併、大和生命保険株式会社になった。

沿革[ソースを編集]

1913年(大正2年)4月に設立。1948年(昭和23年)には日本教育生命保険を合併。養老保険などの貯蓄性商品を中心に主に営業職員チャネルで保険商品を販売していたが、戦前からの流れを汲む生命保険会社としては、最も小さな生命保険会社であった。ピーク時(1996年3月末)の総資産は、2,380億円と最大手の日本生命保険の0.6%の規模に過ぎなかった。
2000年(平成12年)8月28日に「資産運用に係る業務の運営が著しく不適切であること等」を理由に、主務省である金融庁より一部業務停止命令を受け実質的に破綻。破綻時の債務超過額は約365億円、破綻直前の決算期(2000年3月末)の総資産は約2,044億円、契約者数は約22万人。

破綻原因[ソースを編集]

  • 当社は規模は小さいながらも、長年に渡り地道に経営を重ねていた。しかしながら、1997年(平成9年)4月に日産生命保険が破綻し、保険業界に対する不安が高まったことから、解約が増加し、併せて低金利による逆ザヤ負担から急速に経営が悪化した。
  • 破綻前年の1999年(平成11年)8月に金融監督庁が立ち入り検査を実施したところ、1999年3月末時点で43億円の債務超過状態に陥っていることが判明。これに伴い2000年2月に早期に資本を充実させるべく早期是正措置が発動された。
  • 当社は早急な自己資本充実策の策定が求められ、新たな資本提供者を探していたところ、当時三洋投信委託(三洋証券の投信子会社、現:プラザアセットマネジメント)や上毛撚糸(現:価値開発)、日刊投資新聞社などを傘下に収めていた、古倉義彦率いる投資会社クレアモントキャピタルが名乗りを上げた。
  • クレアモントキャピタルは、約100億円の外国債へ当社が投資することを条件に、第三者割当増資45億円を引き受け、これにより2000年3月末での債務超過を回避。同時に古倉とその配下の山口隆志が当社の取締役に就任し、実質的に支配を開始。
  • 6月には金融監督庁より、この投資の問題点を指摘されたことから、買い戻すも、すぐに約85億円のCD(譲渡性預金)を購入。
  • しかしながら、このCDが実態を伴わないものであったとして、2000年8月28日東京地検特捜部は古倉義彦及び山口隆志を当社から85億円を騙し取った特別背任容疑で逮捕。同時に、金融庁は「資産運用に係る業務の運営が著しく不適切であること等」として当社に業務停止命令を発令した。

なお、破綻後も一部地域の営業所及び支社があったビルにはかつての大正生命の名称が残っている。

金融行政の問題点[ソースを編集]

  • 当社の破綻に際しては、当時の金融行政の問題点が以下のように指摘された。
1.親会社(実質支配会社)への監督権欠如
  • 当時の保険業法では、保険会社そのものに対しての定めしかなく、実質支配会社に対する監督や、不適切な株主に支配権が移ることを防ぐことができなかった。クレアモントキャピタルはそれまでにも、数多くの問題を引き起こしていたにも拘わらず、行政は経営権が移ることを阻止できなかった。
2.監督措置のディスクロージャーについて
  • 当社に対しては、2月に早期是正措置、6月と8月に業務改善命令が発令されていたにも拘わらず、それが公表されなかった結果、その間の新規契約の募集も進んだことから、被害が拡がったとの指摘がなされている。

破綻処理[ソースを編集]

  • 当時、更生特例法(金融機関等の更生手続の特例等に関する法律)が改正された直後であり、保険会社への適用も可能ではあったが、当社の破綻原因が詐欺による資産損失という特殊なものであったことから、保険業法に基づく破綻処理が行われた(保険管理人三澤博公認会計士小杉晃弁護士)。当社の破綻以降の保険会社の破綻には更生特例法に基づく手続きが取られている。
  • 金融庁より、生命保険協会の他、弁護士及び公認会計士の2名が保険管理人に指名され、破綻処理策が計画されることになった。
  • 当社の契約については、大和生命保険ソフトバンク・ファイナンス(現・ソフトバンクテレコム)と組んで名乗りを上げ、両社の合弁会社であるあざみ生命保険が引き受けることになった。
  • 契約移転に際しては、債務超過の穴埋めとして、のれん代で償却できない262億円を保険契約者保護機構より資金援助を受けた。また、契約者の持分である責任準備金を原則10%カットし、逆ざやを縮小させるため既契約の予定利率を一律1%に引き下げると共に10年以内の解約に対しては解約返戻金を最大15%削減する規定が盛り込まれた。

年表[ソースを編集]

  • 1913年(大正2年)4月 - 金光庸夫によって設立
  • 1948年(昭和23年)9月 - 日本教育生命保険を合併
  • 2000年(平成12年)3月 - クレアモントキャピタルと資本提携し実質的な傘下に入る
  • 2000年(平成12年)8月28日 - 業務停止命令を受け破綻
  • 2001年(平成13年)3月31日 - 既契約をあざみ生命保険に移転→2002年4月に大和生命保険相互会社と合併、大和生命保険株式会社になった。