多久市立東原庠舎西渓校
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多久市立東原庠舎西渓校 | |
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北緯33度15分37.7秒 東経130度05分20.9秒 / 北緯33.260472度 東経130.089139度座標: 北緯33度15分37.7秒 東経130度05分20.9秒 / 北緯33.260472度 東経130.089139度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 多久市 |
併合学校 |
多久市立西渓中学校 多久市立西渓小学校 |
校訓 | 進取・敬愛・錬成 |
設立年月日 | 2013年(平成25年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C241220400030 |
所在地 | 〒846-0031 |
佐賀県多久市多久町1784番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
多久市立東原庠舎西渓校(たくしりつ とうげんしょうしゃせいけいこう)は、佐賀県多久市多久町にある公立の小中一貫義務教育学校。
概要
[編集]- 歴史
- 2013年(平成25年)の多久市内の小中学校再編により、市西部に位置する小学校2校(西部・中部)を統合した上で「多久市立西渓小学校」とし、「多久市立西渓中学校」との小中一貫校となる。その後、校種変更により、2017年(平成29年)に義務教育学校「東原庠舎西渓校」として改めて開校した[1]。
- 校訓
- 「進取・敬愛・錬成」
- 校章
- 中央に「西」の文字を置いている。
- 特色
- 『4・3・2制』を採る[1]。
- 校名の由来
- 「東原庠舎」の呼称は、佐賀藩多久邑領主多久茂文が元禄12年(1699年)現在の多久町東の原に設置した郷学(教育機関)に由来する。多久市立の小中学校はすべて義務教育学校となっており、校名がすべて「多久市立東原庠舎」で始まっている(中央校・東部校・西渓校)。
- 学区
- 多久町、西多久町の全域[2]。学区が広範囲のためスクールバスを運行しており、通学距離が1 - 6年生は2km、7 - 9年生は6km以上が対象[1]。
歴史
[編集]- 旧・中部小学校、中部中学校
- 1874年(明治7年)5月 - 「知新小学校」が創立。間もなく「多久小学校」に改称。
- 1876年(明治9年)4月 - 寄宿舎が完成。
- 1884年(明治17年)- 「高等多久小学校」に改称。
- 1885年(明治18年)12月 - 「上等多久小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)10月 - 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常多久小学校」に改称。「高等多久小学校」を併置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、多久村が発足。
- 1891年(明治24年)4月 - 「多久尋常高等小学校」に改称。中多久分教場を設置。
- 1892年(明治25年)- 高等科を廃止し、「多久尋常小学校」に改称。中多久分教場を廃止。
- 1894年(明治27年)2月 - 多久村西多久村組合立多久高等小学校が設立される。
- 1895年(明治28年)6月 - 幼稚科が設置される。
- 1904年(明治37年)4月 - 多久村西多久村組合立多久高等小学校が廃止されたため、高等科を併置の上、「多久尋常高等小学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「多久村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 町村合併により多久市が発足。これにより、「多久市立中部小学校」・「多久市立中部中学校」に改称。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 統合により、多久市立中部中学校が閉校。19年の歴史に幕を閉じる。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 統合により、多久市立中部小学校が閉校。139年の歴史に幕を閉じる。
- 旧・西部小学校、西部中学校
- 1874年(明治7年)12月 - 「八龍小学校」が創立。
- 1884年(明治17年)- 「公立中等板屋小学校」に改称。
- 1887年(明治20年) - 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常盈成小学校」に改称。「高等盈成小学校」を併置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西多久村が発足。
- 1894年(明治27年)2月 - 多久村西多久村組合立多久高等小学校が設立されたため、高等科を廃止の上、「盈成尋常小学校」に改称。
- 1901年(明治34年)- 「西多久尋常小学校」に改称。
- 1904年(明治37年)4月 - 多久村西多久村組合立多久高等小学校が廃止されたため、高等科を併置の上、「西多久尋常高等小学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「西多久村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 西多久村国民学校の初等科が新制小学校に改組され、「西多久村立西多久小学校」に改称。
- 西多久村国民学校の高等科が青年学校普通科とともに、新制中学校「西多久村立西多久中学校」に改組される。当初小学校に併置される。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 町村合併により多久市が発足。これにより、「多久市立西部小学校」・「多久市立西部中学校」に改称。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 統合により、多久市立西部中学校が閉校。19年の歴史に幕を閉じる。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 統合により、多久市立西部小学校が閉校。139年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地(西部小学校) - 〒846-0041 佐賀県多久市西多久町大字板屋7782番地2(北緯33度15分47.3秒 東経130度03分30.2秒 / 北緯33.263139度 東経130.058389度)
- 跡地の活用 - 西多久多目的運動広場
- 西渓中学校
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 多久市立中部中学校と多久市立西部中学校が統合の上、「多久市立西渓中学校」が開校。
- 小中一貫校(西渓小学校・西渓中学校)
- 2013年(平成25年)4月1日 - 多久市内の7小学校を再編。そのうちの2校(中部・西部)を統合し「多久市立西渓小学校」開校。多久市立西渓中学校との小中一貫校[1]。小中併せた通称として「東原庠舎西渓校」の名も用いた。
- 義務教育学校
- 2017年(平成29年)4月1日 - 校種変更により、義務教育学校「多久市立東原庠舎西渓校」(現校名)開校[1]。
交通アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 武雄・多久線「本多久」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道24号武雄多久線・佐賀県道25号多久若木線 「市立病院前」交差点
周辺
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 多久市立東原庠舎東部校、2022年6月16日閲覧
- ^ 市内義務教育学校の通学区域 - 多久市ウェブサイト
参考資料
[編集]- 「小城郡史」(小城郡教育会, 1934年(昭和9年)出版)
- 「多久の歴史」(多久市, 1964年(昭和39年)出版)
外部リンク
[編集]- 多久市立東原庠舎西渓校ホームページ
- 多久市立東原庠舎西渓校 - 多久市ホームページ