土屋忠直

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土屋 忠直
Tsuchiya Tadanao.jpg
土屋忠直像(円覚寺蔵)
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正10年(1582年[1]
死没 慶長17年3月24日1612年4月24日
改名 惣蔵(幼名)→忠直
別名 平三郎(通称)
戒名 円覚寺殿琴窓静閑大居士
墓所 千葉県君津市久留里小市部の円覚寺
官位 従五位下、民部少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康秀忠
上総久留里藩
氏族 土屋氏
父母 父:土屋昌恒、母:岡部元信の娘
正室:森川氏俊の娘
利直数直之直

土屋 忠直(つちや ただなお)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。上総久留里藩の初代藩主。

生涯[編集]

天正10年(1582年)、「片手千人斬り」で有名な武田氏の家臣・土屋昌恒の長男として生まれる。父は忠直が生まれた年に天目山の戦い武田勝頼に殉じた。

忠直は母に連れられて駿河国清見寺に逃亡したが、やがて徳川家康の召し出しを受けて家臣となり、徳川秀忠の小姓として仕えるようになる。のちに秀忠の「忠」の字を与えられて、忠直と名乗る。

天正19年(1591年)、相模において3000石を与えられた。慶長7年(1602年)には上総久留里藩主となり、2万石を与えられた。慶長17年(1612年)3月24日に死去した。享年31。跡を長男の利直が継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 生年は天正5年(1577年)や天正6年(1578年)という説もある。