啓示
啓示(けいじ、 古希: Aποκάλυψις、羅: revelatio、英: revelation)とは、神または超越的な存在より、真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることをいう。天啓、神示ともいわれる。啓示によって真理が開示され、それによって信仰が成立する宗教を、「啓示宗教」と呼ぶ。
啓示宗教
[編集]キリスト教は自ら啓示宗教(revealed religion)であるとする。それによれば、神自身が行為と言葉において自身を啓示しなければ、人間は神について何も知ることができない。また、人間は神をあるがままに認識することができない。そこで、神が自身の存在と性質、計画と意思について明らかにし、知識を伝達する限りにおいて、人間は神を知ることができる。自然や良心において知ることができる神知識や善悪の知識を一般啓示、特に人間の救済についての啓示を特別啓示という。特別啓示の範囲についての理解は教派によって幅があるが、一般に聖書が特別啓示であるとされる。具体的に聖書に現れる啓示の範囲については言語霊感と思想霊感などがあり、表され方としては機械霊感や有機霊感など理解の幅がある。
方法
[編集]言語的啓示
[編集]ユダヤ=キリスト教の主張によれば、彼等は啓示を「神の言葉」を通じて啓示を受け取った。このように、啓示が言語的方法によってなされ得る。これらの宗教はいずれも、自らを「啓示宗教」と理解し、その啓示が本質的に言語的形態をとると主張する。すなわち、神は歴史の中で語り(羅: locutio Dei)、その語られた言葉が人間の言語において保存・伝達される。
以下、聖書を『新共同訳』より引用する。
ユダヤ教(旧約聖書)における例として、
- 申命記 18:18
- エレミヤ書 1:9
- 出エジプト記 20章(十戒)
がある。ここで啓示は視覚的な幻像(ヴィジョン)ではなく、「語られた言葉」として成立している。ラビ的伝統では、シナイの啓示は成文化された律法(תּוֹרָה)として確定し、「口伝の律法」(תּוֹרָה שֶׁבְּעַל־פֶּה)もまた言語的伝達に属する[1][2]。
キリスト教では、啓示は単なる命題ではなく、「言(ロゴス)の受肉」として理解される。聖書には、
- ヨハネ福音書 1:1:「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
- ヨハネ福音書 1:14:「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」
- ヘブライ書 1:1-2:「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 2この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」
とある。キリストは「神の言葉」そのものであり、啓示は人格(ペルソナ)的でありつつ、福音書という言語的証言において保存される。トマス・アクィナスは、聖なる教え(sacra doctrina)は、啓示された諸命題(の結合)として表現されるとする[3]。カール・バルトは、啓示は「神の語り(Gottes Wort)」として三重形態(啓示・聖書・宣教)を持つと主張する[4]。
非言語的啓示
[編集]薬物
[編集]インドに伝わるヴェーダという聖典も、ソーマという神酒を飲んで、啓示を受けて書かれたと伝えられている。ソーマはおそらく、ベニテングタケなどから幻覚を伴う物質を抽出したものと考えられ[5]、古代の啓示は、薬物を使用することもあった[注釈 1]。また、アーリア人がインドに侵入してからは、ベニテングタケなどを入手することが困難となり、ソーマのかわりに苦行や瞑想などによって、啓示を得ようとしたと考えられる[要出典]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ ゲルハルト・フォン・ラート『旧約聖書神学I』第2章。
- ↑ Moshe Weinfeld: Deuteronomy and the Deuteronomic School. 1972. pp. 190–210.
- ↑ 『神学大全』第一巻第一問第一解答。
- ↑ Karl Barth, Kirchliche Dogmatik I/1.
- ↑ G.C.エインズワース、小川眞訳 『キノコ・カビの研究史』p202 京都大学学術出版会、2010年10月20日発行、ISBN 978-4-87698-935-5
- ↑ 山本昌木「古代インドにおける植物病害と菌類について」『日本植物病理学会報』第51巻第3号、1985年、251頁。
- ↑ John Brough (1971). “Soma and "Amanita muscaria"”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies, University of London 34 (2): 331-362.