呉日慶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
呉日慶
各種表記
クォック・グー Ngô Nhật Khánh
漢字チュノム 吳日慶
北部発音: ゴ・ニャット・カイン
音読み ご にちけい
テンプレートを表示

呉 日慶(ご にちけい[1]、ゴ・ニャット・カイン、ベトナム語: Ngô Nhật Khánh / 吳日慶、生年不詳 - 太平10年(979年))は、ベトナム十二使君の一人。呉安王ベトナム語: Ngô An vương / 吳安王[1][2]呉覧公ベトナム語: Ngô Lãm Công / 吳覽公[3]と称された。

生涯[編集]

呉朝の王族の出身で、唐林(現在のソンタイ)を拠点とした[3][4]丁部領の攻撃を受けて屈服し、母の黄氏が丁部領の妻に[2]、妹が丁璉の妻となり[1]、自らの妻に丁部領の娘の仏金公主ベトナム語版を迎えた[4]。しかし不満を抱いていた呉日慶は妻子を捨ててチャンパに走った[4]

太平10年(979年)に丁部領が暗殺されて黎桓が実権を掌握したことを聞いた[4]呉日慶は、チャンパ王パラメーシュヴァラヴァルマン1世に反攻のための出兵を要請し、丁朝の都の華閭英語版へ向けて出撃した[4]。しかし大を経て小康(現在のニンビン省イエンモー県中国語版[2]に差し掛かったところでチャンパの船団は嵐に遭い、呉日慶も沈没した多くの軍船と運命を共にした[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c 『東洋歴史大辞典』上巻、池内宏矢野仁一橋本増吉編、臨川書店1986年10月1日(原著1937年)、縮刷復刻版、282頁。ISBN 978-4653014690
  2. ^ a b c 『欽定越史通鑑綱目』正編巻之一 丁紀
  3. ^ a b ベトナム史略』 第1巻 第3部 第1章 呉氏
  4. ^ a b c d e f 大越史記全書』本紀巻之一 丁紀 廃帝