后里区

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台中市の旗 台中市 后里区
別称: 内埔
地理
位置 北緯24°18'
東経120°42'
面積: 58.9439 km²
各種表記
繁体字: 后里
日本語読み: こうり
拼音: hòulǐ
通用拼音: hòulǐ
注音符号: ㄏㄡˋ ㄌㄧˇ
片仮名転写: ホウリー
台湾語: Aū-lí
客家語: Heu-lî
行政
行政区分: 市轄区
上位行政区画: 台中市の旗 台中市
下位行政区画: 18里265鄰
后里区長: 張大春(代理)
公式サイト: 后里区公所
情報
総人口: 54,313 人(2016年1月)
世帯数: 15,710 戸(2016年1月)
郵便番号: 421
市外局番: 04
后里区の木: -
后里区の花: -
后里区の鳥: -
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后里馬場
毘盧禅寺

后里区(ホウリー/こうり-く)は、台中市市轄区

地理[編集]

后里区は台中市の北に位置し、北は大安渓を隔てて苗栗県と、南は大甲渓を隔てて神岡区及び豊原区と、西は月眉山に連なり外埔区と、東は埤頭山を隔てて東勢区と接している。区総面積の80%は台地であり、残り20%は丘陵地帯となっている。地形は東北部が海抜300mと高くなっており、南西に向かって下り傾斜となり最低地点は海抜120mである。

歴史[編集]

后里は古称を「内埔」と称した。元来は拍宰海族(Pazeh)岸裡旧社の居住地であった。后里の地名の由来は初期に入植した漢人集落が原住民の麻薯旧社の背後に位置したことから「后里」と命名されたとされている。清初には后里地区は諸羅県に属していたが、1731年に淡水庁、1887年には苗栗県へと所属が変更された。日本による統治が始まると、1898年に台中県大甲弁務署苗栗三堡に改編され、更に1920年には台中州豊原郡内埔庄と改められた。戦後の1950年に台中県内埔郷と改められたが、屏東県内埔郷と同名であったことから、1955年に后里郷と改称され、2010年12月25日より台中県市の合併・直轄市昇格により后里区となり、現在に至る。

経済[編集]

行政区[編集]

中和里、仁里里、月眉里、公館里、太平里、后里里、眉山里、厚里里、泰安里、墩北里、墩西里、墩東里、墩南里、義里里、義徳里、広福里、聯合里、旧社里

歴代区長[編集]

氏名 任期

教育[編集]

高級中学[編集]

国民中学[編集]

国民小学[編集]

特殊学校[編集]

交通[編集]

旧泰安駅
種別 路線名称 その他
鉄道 台中線 后里駅 泰安駅
高速道路 中山高速道路 后里IC
省道 台13線

観光[編集]

張連昌サクソフォーン博物館

関連項目[編集]