神岡区
![]() |
別称: 新広 | |
![]() | |
地理 | |
---|---|
![]() | |
位置 |
北緯24°16' 東経120°39' |
面積: | 35.0445 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 神岡區 |
日本語読み: |
しんこう かみおか[1] (慣用読み) |
拼音: | Shéngāng |
通用拼音: | - |
注音符号: | ㄕㄣˊ ㄍㄤ |
片仮名転写: | シャンガン |
台湾語: |
Sîn-kong Sîn-kóng Sin-kóng |
客家語: | Sṳ̀n-kông |
行政 | |
行政区分: | 市轄区 |
上位行政区画: | 台中市 |
下位行政区画: | 16里292鄰 |
神岡区長: | 王基成 |
公式サイト: | 神岡区公所 |
情報 | |
総人口: | 65,210 人(2016年1月) |
世帯数: | 18,915 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 429 |
市外局番: | 04 |
神岡区の木: | - |
神岡区の花: | - |
神岡区の鳥: | - |
神岡区(シェンガン/しんこう/かみおか-く)は、台湾台中市の市轄区。
地理[編集]
神岡区は台中盆地の北端に位置し,大肚山台地の東辺、大甲渓の南岸,台中市の北西端に位置する。東は豊原区と、西は清水区と、南は大雅区及び潭子区と、北は大甲渓を隔てて后里区と接している。東西約9.01km、南北約7.61km。
大肚山台地上に位置するため地勢はやや高く、最高海抜は207.2m、最低海抜は110mとなっており、東西に比べ中央部が窪んでいる地形である。地質は台中盆地北端の大甲渓の沖積扇となっており第四紀沖積層により構成されている。台地の沖積層以外は大部分は砂礫と粘土の混合地層となっている。
気候は亜熱帯気候に属し、温度は年間を通して差が少ない。年間平均気温は22.3℃、年間降水量は1,800mm~2,000mmである。4月から6月にかけてが雨季となっており、8月から9月にかけては台風の影響を受けることが多い。
歴史[編集]
漢人による神岡区開発は主に広東出身者によって開発されたことから、「新闢された広大平原」の意味で旧称を「新広荘」と称した。その後「新広」と「神岡」の発音が類似していることから、後に入植した福建系住民の間で混同され、後に「神岡」の地名が用いられたと考えられている。
鄭成功統治時代、神岡は天興州に属し、その後清による統治が開始されると、1684年、一府三県を設置し、諸羅県に帰属した。1723年に諸羅県が分割され彰化県が設置されると、彰化県の管轄下に置かれ、猫霧東梀東堡岸裡社と改称され、俗称を「阿河巴荘」と言った。雍正末年になると、広東籍の張達京、張承祖などが台湾に移住し、この地で大規模な開発を行った。この時形成されたのは、社口(万興庄)、北庄、浮圳(紅圳頭)などが開発された。道光22年になると神岡に初めて「荘」が設置され、泉州人が多数入植し集落を形成した。1887年に台湾省が設置されると、台中地区には台湾県が設置され、それに帰属した。日本による統治が開始されると、神岡地区は「神岡」、「社口」、「三角仔」の3区に分割されたが、1920年の地方制度實施で「神岡庄」として台中州豊原郡神岡庄と改変された。戦後に「神岡郷」と改称されたが、2010年12月25日より、台中県市合併につき、「神岡区」となり、現在に至っている。
経済[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
行政区[編集]
里 |
---|
神岡里、北庄里、庄前里、庄後里、圳前里、山皮里、圳堵里、新庄里、社口里、大社里、岸裡里、三角里、社南里、渓洲里、神洲里、豊洲里 |
歴代区長[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
教育[編集]

高級中学[編集]
国民中学[編集]
国民小学[編集]
交通[編集]
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
高速道路 | 高速道路1号 (台湾) | 豊原IC 台中JCT |
国道 | 国4号 台中環状線 | 神岡IC 台中JCT |
省道 | 台10線 |
観光[編集]
出典[編集]
- ^ 「州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、位置、管轄區域」大正九年八月十日、臺灣總督府令第四十七號
関連項目[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |