史弥遠

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史 弥遠(し びえん、隆興2年(1164年) - 紹定6年10月24日1233年11月27日))は、南宋中期の重臣。第2代皇帝・孝宗時代に宰相を務めた史浩の子。明州鄞県(浙江省寧波市)の出身。

概要[編集]

南宋の第4代皇帝寧宗の代には礼部侍郎の地位にあり、南宋の政治を取り仕切る実力者の一人であった。

1206年、当時の南宋の宰相・韓侂冑との和睦条約である乾道条約を破棄して金に侵攻した(開禧用兵)が、章宗の迎撃に遭って大敗する。すると史弥遠は和平派と結託して、韓侂冑を殺害して主戦派を抑え込んだ上で金と和睦した。そして1208年には宰相に就任し、独裁権を握った。

寧宗の死後は理宗を擁立して、自身が没する1233年まで独裁権を握り続けた。史弥遠の治世の年間に、南宋の民衆は重税による圧政に苦しめられ、文治主義が重んじられて軍事力が低下するという、南宋滅亡の遠因が作られた時代でもあった。