嘉定 (南宋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

嘉定(かてい)は、中国南宋寧宗の治世に使用された元号。1208年 - 1224年。

西暦等との対照表[編集]

嘉定 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年
西暦 1208年 1209年 1210年 1211年 1212年 1213年 1214年 1215年 1216年 1217年
干支 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥 丙子 丁丑
泰和8 大安 大安2 大安3 崇慶 崇慶2
至寧
貞祐
貞祐2 貞祐3 貞祐4 貞祐5
興定
西夏 応天3 応天4 皇建 皇建2
光定
光定2 光定3 光定4 光定5 光定6 光定7
嘉定 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年  
西暦 1218年 1219年 1220年 1221年 1222年 1223年 1224年
干支 戊寅 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未 甲申
興定2 興定3 興定4 興定5 元光 元光2 正大
西夏 光定8 光定9 光定10 光定11 光定12 乾定 乾定2

出来事[編集]

  • 開禧3年
  • 嘉定元年
  • 嘉定2年
  • 嘉定3年
    • 正月15日:群盗を招諭する詔勅が出る。
    • 4月6日:李元礪の率いる蛮寇が南雄州を急襲する。
    • 5月18日:沿海諸州に海賊の取締を促す。
    • 12月12日:羅世伝が李元礪を捕らえて投降する。
  • 嘉定4年
    • 2月2日:李元礪を誅す。
    • 6月7日:金に派遣された南宋の使者がモンゴルの侵寇に会って還る。
    • 9月12日叙州の蛮寇が辺境を侵す。
    • 9月26日:羅世伝の殺害により黒風峒の反乱が平定される。
    • 10月26日:金の混乱に備え、江淮・京湖・四川の防御を厳重にする。
  • 嘉定5年
  • 嘉定6年
  • 嘉定7年
    • 正月元日:四川の宋軍が金の境内に入って秦州を攻めたが、敗退する。
    • 2月12日:黎州の青羌が投降する。
    • 5月:金が開封へ遷都する。
    • 6月24日:嘉定府に辺丁を置いて諸蛮に備える。
    • 7月:西夏の使者が四川に来て金を挟撃することを議論したが、答えない。
    • 7月27日真徳秀の上奏により金に対する歳幣支給の停止を決める。
  • 嘉定8年
    • 3月17日:南宋が金に和議の維持を条件付で歳幣の減額を求めたが、金はこれを拒否する。
    • 5月:モンゴルが中都を攻め落し、そこに行省を置く。
  • 嘉定9年
    • 正月:馬軍司水軍が設置される。
    • 4月15日:秦州の流民10万人が帰順を請じたが、四川制置使により断られる。
  • 嘉定10年
  • 嘉定11年
    • 正月10日山東の盗賊の李全が帰順して来る。
    • 3月17日:宋軍が大散関を奪還し、金軍を追撃して大破する。
    • 12月:金が和議を求めて来たが、南宋はこれを拒否する。金は南侵を再開する。
  • 嘉定12年
  • 嘉定13年
    • 正月:淮北に入った宋軍が勝てずに還る。金軍が樊城を攻めたが、宋の守備軍により撃退される。
    • 5月1日:雅州の蛮夷が投降する。
    • 8月15日:南宋と西夏が金を挟撃することに約する。
    • 10月:南宋・西夏連合軍が鞏州を攻めたが、戦果なしに還る。
  • 嘉定14年
    • 2月:鄂州の五関と漢陽軍が金軍により侵される。
    • 4月14日:北還中の金軍が李全の迎撃を受けて敗退する。
    • 5月22日:『慶元寛恤詔令』が再び公布される。
    • 6月21日臨安岳飛廟堂が建てられる。
    • 7月5日:モンゴルに使行した南宋の使者が「恭膺天命の宝」を得い、これを寧宗に捧げる。
  • 嘉定15年
    • 正月元日:御宝を受ける礼が行われる。
    • 4月:金軍が淮南に再侵する。
    • 5月15日:宋軍が淮水から退却中の金軍を迎撃して大勝する。
  • 嘉定16年
  • 嘉定17年
    • 6月:金が南宋に対する侵攻を止める。
    • 8月3日:寧宗が崩ずる。史弥遠が皇子の趙竑を廃する。
    • 11月25日理宗の即位により翌年から「宝慶」へ踰年改元の詔が下る。

他の王朝[編集]

関連項目[編集]


前の元号
開禧
中国の元号
南宋
次の元号
宝慶