助川弘之

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助川 弘之(すけがわ ひろゆき、1928年3月22日 - 2013年9月8日)は、日本政治家実業家教育者医学者医師市民運動家環境保護運動家介護老人施設運営者、医療事業者。霞ケ浦の再生を考える会会長でいのちの水・霞ヶ浦を守る市民ネットワーク代表。元筑波メディカルセンター病院理事長[1]。元茨城県土浦市長(4期)、元茨城県公安委員長。旭日小綬章受章者。

概要[編集]

医師の子として、茨城県土浦市敷島町(現在の土浦市桜町)で生まれた。その後、東京大空襲に遭遇したが生き延びる。東京慈恵会医科大学医学部を卒業し、医師免許を取得。長じて政治を志し、箱根宏の死亡に伴う1987年の茨城県土浦市長選挙に立候補し初当選。以後、1991年・1995年・1999年の市長選にも当選し、4選を果たした。2003年の市長選挙には不出馬。

ほかに、土浦ライオンズクラブ会長、土浦市医師会裁定委員、学校法人筑波研究学園理事、筑波メディカルセンター病院理事長、茨城県公安委員会委員長、土浦市教育委員長、一般国道6号牛久土浦バイパス道路緑化検討委員会委員、日本医師会員、介護老人保健施設豊浦施設長、土浦市相撲連盟顧問、土浦市・千代田町霞ヶ浦町新治村任意合併協議会長などの要職を歴任した。

晩年も土浦市に住み、霞ケ浦の再生を考える会に会長に就任して霞ヶ浦の保護を訴え続けた。2013年、旭日小綬章を受章。同年9月8日、すい頭部がんによる衰弱のため85歳で死去[2]。土浦市は準市葬(土浦市民会館)で助川を弔った。葬儀委員長は土浦市長・中川清

脚注[編集]

  1. ^ メディカルワークバンク
  2. ^ 訃報:助川弘之さん 85歳=前土浦市長 /茨城 毎日新聞 2013年9月11日