加藤明実

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加藤明実
Katō Akizane.jpg
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代
生誕 嘉永元年3月1日1848年4月4日
死没 明治39年(1906年11月29日
改名 安之助(幼名)→明実→桂斎(法号)
別名 孫太郎(通称)
戒名 明亮院
墓所 京都府京都市東山区五条坂の大谷墓地
官位 従五位下、能登守、正三位子爵
幕府 江戸幕府
近江水口藩主→水口藩知事
氏族 加藤氏
父母 父:加藤明邦、養父:加藤明軌
兄弟 明軌明実稲葉正凝
正室:加藤泰幹の娘
継室:有馬頼咸の娘)
継々室:董子南部信順の娘)
克明(長男)
特記
事項
名は「あけみ」ともいわれる

加藤 明実(かとう あきざね)は、近江水口藩の第9代(最後)の藩主。水口藩加藤家13代。

生涯[編集]

嘉永元年(1848年)3月1日、第9代藩主・加藤明邦の七男として江戸で生まれる。文久3年(1863年)12月29日に兄で第10代藩主の明軌養子となる。元治2年(1865年)3月15日、将軍徳川家茂に拝謁する。同年12月28日、従五位下能登守に叙任する。慶応2年(1866年)2月29日に養父明軌の隠居により、家督を継いで第11代藩主となった。慶応3年3月28日、泉涌寺の警備を命じられる。

第2次長州征伐では京都警備を務めた。慶応4年(1868年)1月からの戊辰戦争では官軍に与した。同年1月27日、新政府から近江国内の川越藩領及び三上藩領の管理を命じられる。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で水口藩知事に任じられ、明治4年(1871年)の廃藩置県で知藩事職を免官されて東京へ移った。明治17年(1884年)7月7日の華族令で翌日に子爵に叙せられる。

明治39年(1906年)11月29日、東京で死去。享年59。

栄典[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『官報』第308号、1884年7月9日。
  2. ^ 『官報』第7024号「叙任及辞令」1906年11月27日。


先代:
加藤明軌
加藤氏歴代当主
1866年 - 1906年
次代:
加藤克明
日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
水口加藤家初代
1884年 - 1906年
次代:
加藤克明