加藤みどり (小説家)

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加藤みどり
ペンネーム 加藤 みどり
誕生 高仲 きくよ
1888年8月31日
長野県上伊那郡赤穂村
死没 (1922-05-01) 1922年5月1日(33歳没)
東京府北豊島郡高田町
職業 小説家
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 赤穂尋常小学校高等科卒業
ジャンル 小説評論
代表作 『執着』(1912年)
『呪ひ』(1913年)
『卜者の言葉』(1914年)
配偶者 加藤朝鳥
子供 水城、なつき、葵
所属 青鞜社東京日日新聞社
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加藤 みどり(かとう みどり、1888年明治21年)8月31日 - 1922年大正11年)5月1日)は、明治・大正期の小説家。本名はきくよ[1]。月刊誌「青鞜」の社員であった。

生涯[編集]

1888年(明治21年)8月31日長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)にて、医師の父・高仲泰一と、母・久与の間に、長女として生れる。1899年(明治32年)12月11日、母・久与が病死(享年32歳)。幼い4人の弟妹たちの世話を、11歳のきくよがすることとなった[2]

文学に憧れ始めたのは小学校4年か5年の頃のことで、受持ちの教師の作った狂歌のようなものを面白く思い、家にあった本の物語や和歌を読み耽った。その後、「新小説」「早稲田文学」「明星」などの文芸雑誌や、与謝野晶子島崎藤村などを愛読した[2]

1906年(明治39年)2月、東京の学校に進学した弟妹の世話をするため上京。一軒家を借りて「高仲商店」を営む傍ら、徳田秋声に師事し、小説を書き始める。1907年(明治40年)1月には、「女子文壇」に小説「愛の花」が掲載されたほか、同年6月に創刊された河井酔茗主宰の「詩人」社友となる。「詩人」の誌友には早稲田大学英文科の学生であった加藤朝鳥(本名・信正)がおり、みどり20歳の頃、巻紙3間の長い恋文を送られ求婚される[1]

1909年(明治42年)、仲人役を朝鳥と同郷の生田長江に依頼して、大学を卒業した朝鳥と結婚(戸籍上では明治43年7月5日)。翌年9月1日には長男・水城が誕生する[2]

1911年(明治44年)、大阪新報に新聞記者の職を得た朝鳥と共に大阪へ転居。その後間もなく「青鞜」の発刊を知り、岩野清子岩野泡鳴の妻)の紹介で、社員として創刊に参加(平塚らいてうの自伝より)。1巻4号に「高窓の下」を発表したのを初めとして、5年間に渡り、12篇の小説、4篇の感想を寄稿した[1]

大阪時代から朝鳥と共に演劇活動に熱中し、女優として舞台に立つようになっていた。1913年(大正2年)4月にはイェイツの詩劇「幻の海」の主演として、女王デクトラを演じた。11月、近代劇協会の機関誌「近代」の編集を引き受けた朝鳥と共に東京へ戻り、青鞜社ではみどり帰京歓迎会が開かれる。12月2日からは「鷺城新聞」に小説「呪ひ」の掲載も始め、翌年1月12日までに全41回連載した[1]

一方で、演劇雑誌「近代」は1号で廃刊となる。職を失った夫に代り、みどりは1914年(大正3年)3月、東京日日新聞社に入社。探訪記者として働く傍ら、「青鞜」への小説の寄稿も続けたが、体調を崩し秋頃には退社した[2]

1916年(大正5年)には、石丸梧平主宰の家庭雑誌「団欒」に小説「漂浪の児」を連載する[3]。翌1917年(大正6年)12月からは「世界新聞」に小説「咲く花」の連載を始めるが、翌1918年大正7年)、2月10日の57回目で中絶。11日、長女・葵が誕生する。1919年(大正8年)11月、15日から21日まで、読売新聞の婦人欄におとぎばなし「ブラ公と茶目さん」を連載した[1]

1920年(大正9年)9月、放浪生活に憧れた朝鳥は爪哇日報主筆としてジャワ島へ出立、みどりは子供2人と共に鳥取県東伯郡社村大字不入岡の朝鳥の実家に滞在。しかし10月、子宮癌を発病。子を残して郷里へ帰り、みどりの父・泰一は、治る見込みのないことを幾度も朝鳥へ書き送った[4]

1921年(大正10年)8月10日頃、朝鳥は帰国。みどりは朝鳥に付き添われて上京し、浅草区小島町楽山堂病院に入院した。のち、死期が近いと聞かされた朝鳥は、病院ではなく家で死なせたいと、高田町に借りた家へみどりを移した[4]

1922年(大正11年)5月1日、死去[1]。33歳であった。

著書[編集]

これまでに、みどりの著作が単独で出版されたことはない。但し1912年(明治45年)4月に「青鞜」に発表された「執着」が、1913年大正2年)に青鞜社編「青鞜小説集」(東雲堂)に収められ、以来、度々再刊されている。

  • 青鞜社編「青鞜小説集」(1913年、東雲堂)「執着」を収録。
  • 青鞜社編「青鞜小説集(叢書『青鞜』の女たち・第7巻)」(1986年、不二出版)「執着」を収録。東雲堂版の復刻。
  • 尾形明子編「『新編』日本女性文学全集(第4巻)」(菁柿堂、2012年)「執着」を収録。2012年、六花出版より復刻。
  • 青鞜社編「青鞜小説集(講談社文芸文庫)」(2014年、講談社)「執着」を収録。不二出版版を底本とする。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f らいてう研究会編「『青鞜』人物事典 ―110人の群像―」(2001年、大修館書店
  2. ^ a b c d 岩田ななつ「『青鞜』における作家と文学」(2001年)
  3. ^ 宮﨑尚子, 「石丸梧平主宰の家庭雑誌『団欒』に関する調査⑥」『尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編』 2017巻 49号 2017年 p.01-08, 尚絅大学研究紀要編集部会, doi:10.24577/seia.2017.49_01 - 現存する「団欒」は18冊しか確認されておらず、「漂浪の児」の全貌も不明。
  4. ^ a b 岩田ななつ「青鞜の女 加藤みどり」(1993年、青弓社