内藤政璟
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 天明5年10月17日(1785年11月18日) |
死没 | 天保7年8月23日(1836年10月3日) |
墓所 | 神奈川県鎌倉市の光明寺 |
官位 | 従五位下播磨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 陸奥湯長谷藩主 |
氏族 | 水野氏(忠元流)→内藤氏 |
父母 |
水野忠鼎 内藤政偏 |
兄弟 |
水野忠光、正国、水野忠方、水野忠寛、 米倉昌俊、政璟、石川総師正室、 水野貞利正室、大岡忠正正室、水野忠純室 |
妻 | 内藤政為娘 |
子 | 政民、朔 |
内藤 政璟(ないとう まさあきら)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。陸奥国湯長谷藩9代藩主。官位は従五位下・播磨守。
略歴
[編集]天明5年(1785年)10月17日、肥前国唐津藩主・水野忠鼎の十男として誕生。寛政11年(1799年)に8代藩主・内藤政偏が若死にしたため、養子として跡を継いだ。同時に叙任している。しかし藩政においては文政3年(1820年)に水害、翌文政4年(1821年)には旱魃と多難を極めた。このような中で文政7年(1824年)8月23日、家督を養子・政民に譲って隠居した。
系譜
[編集]父母
正室
- 内藤政為の娘
養子