優佳良織工芸館
優佳良織工芸館 | |
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施設情報 | |
専門分野 | 染織工芸品(優佳良織) |
建物設計 | 信建築設計事務所[1] |
延床面積 | 約5,200m2 |
開館 | 1980年5月 |
所在地 |
〒070-8028 北海道旭川市南が丘3丁目1-1 |
位置 | 北緯43度46分19秒 東経142度18分30秒 / 北緯43.77194度 東経142.30833度 |
プロジェクト:GLAM |
優佳良織工芸館(ゆうからおりこうげいかん、英:Yukara Ori Craft Museum[2])は、北海道旭川市の北海道伝統美術工芸村にあった工芸館。北海道の染織工芸品「優佳良織(ゆうからおり)」を展示していた。2016年12月に閉館となったが、後述のように再活用の動きがある[3]。
歴史
[編集]開設
[編集]国際染織美術館、雪の美術館とともに、北海道伝統美術工芸村の一部として運営されていた。1980年、染織工法を確立した木内綾により開館。同時に、それまでカタカナ表記だった「ユーカラ織」から漢字表記へと変更した。漢字の命名は棟方志功によるもの[4]。
敷地面積は約85,000平方メートル、建物面積は約5,200平方メートル。館内は冬の雪をイメージした白土の壁、内部の木材も各展示室ごとに同一種の天然木で揃えられた[1]。
1階には、テーマ展示・和の展示・洋の展示・インテリア展示・制作工程展示の5つに分けられ、2階には研究センターなど各種研究施設も併設されていた[1]。
施設売却
[編集]運営会社である「北海道伝統美術工芸村」が債務超過に陥り、2016年12月1日に長期休館することとなった[5]。2016年12月12日、北海道伝統美術工芸村は旭川地方裁判所から破産開始決定を受けた[6]。
優佳良織の生産が途絶えると危惧されたが、休館後の2018年5月には元職員が旭川市内に「優佳良織工房」を設立し、元織子職員2名とともに生産を再開している[7]。
一方、施設については、2020年3月時点では旭川市内の財団法人が運営再開を前提に施設取得を検討していたものの、7月末には不動産取得税や施設の改修費用などの条件が折り合わず断念し、施設取得に関心を示す他の事業者も無い事から、施設存続に向けた動きは白紙化されたと報じられた[8][9]。
2021年8月18日、ツルハホールディングス、ツルハ、エスデー建設の3企業が雪の美術館、優佳良織工芸館、国際染織美術館の3施設を共同取得することになった[10]。2022年2月に正式に売買契約が結ばれたが、ツルハは「立地条件からドラッグストア開業は難しい」として、優佳良織の伝統を生かした形での集客を前提に施設を運営する企業を探す方針を明らかにしている[11]。
脚注
[編集]- ^ a b c 朝日新聞社 2000, pp. 78–79.
- ^ 北海道伝統美術工芸村.
- ^ “未来の旭川 模型で提言 市内の元教諭2人主催 市庁舎や工芸館の活用策も”. 北海道新聞. 2023年8月2日閲覧。
- ^ 木内 1989, p. 220.
- ^ トラベルビジョン 2016.
- ^ “北海道伝統美術工芸村”. 東京商工リサーチ. 2021年8月19日閲覧。
- ^ “伝統工芸"優佳良織"に挑む新人職人に密着”. 北海道放送、今日ドキッ!. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “優佳良織買収するエーコー財団”. 月刊北海道経済. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “優佳良織工芸館など、旭川の財団が取得断念 3施設存続、白紙に 市と条件折り合わず公売の可能性も”. 北海道新聞. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “旭川の雪の美術館など3観光施設 3社が共同取得の方針”. NHK札幌放送局. 2021年8月19日閲覧。
- ^ 伝統継承に安堵広がる 優佳良織工芸館など3施設ツルハなど取得 旭川市に支援策求める声 - 北海道新聞・2022年2月11日
参考文献
[編集]- “北海道伝統美術工芸村 リーフレット” (JPG). 北海道伝統美術工芸村. 2016年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月25日閲覧。
- 木内綾 (1989). 染め織りの記. 北海道新聞社. ISBN 4893635441
- 優佳良織・木内綾作品集 ―北国の四季を織る― 図録. 朝日新聞社文化企画局 大阪企画部. (2000)
- “北海道伝統美術工芸村が破産申請、負債11億円”. トラベルビジョン. (2016年12月13日)