倉敷市交通局

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倉敷市交通局(くらしきしこうつうきょく、英語:Kurashiki City Transportation Bureau)は、かつて岡山県倉敷市が運営していた鉄道乗合バスを主とする地方公営企業である[1][2]

沿革[編集]

倉敷市交通局は1952年昭和27年)4月1日に発足[1][2]三菱重工業の関連会社であった水島工業都市開発から鉄道・バスの両事業を譲受して運行開始。本社は水島青葉町、バス営業所は現在の水島清掃工場(倉敷市水島川崎通1丁目1−4)、鉄道車庫は水島港湾合同庁舎の北、鉄道高架が横切る現在のボートパーク(水島福崎町5)にあった。

発足前から鉄道における旅客営業は赤字で、水島臨海工業地帯に立地する事業所が増え、日本国有鉄道国鉄)に付随した貨物需要は増加し、貨物営業の黒字を旅客営業の赤字に補填する状態が長引き、倉敷市単体では設備投資が困難になった。倉敷市・岡山県・国鉄の三者出資による第三セクター臨海鉄道事業者である水島臨海鉄道1970年(昭和45年)4月1日に事業を譲渡する形を採り、それでも当局が開設した廃止代替バスが混雑したこともあり、1972年(昭和47年)9月17日から水島臨海鉄道が自ら旅客営業を再開された経緯を持つ。

バス事業は倉敷市営バスとして運行を続けていたが、モータリゼーションの進展で利用者が減り、公営であったため合理化が進まないうえに赤字経営となり、1989年平成元年)3月31日乗合バス事業は両備バス(現・両備ホールディングス)と下津井電鉄貸切バス事業は下津井電鉄(現・下電観光バス)と野村交通に引き継がれ解散した[1][2][3]

年表[編集]

略称[編集]

略称として、倉敷市営倉敷交通局などと呼ばれた。

鉄道部門は略称として、倉敷市交通局鉄道倉敷市鉄道倉敷市営鉄道市営鉄道倉敷鉄道、などと呼ばれていた。

バス部門は略称として、倉敷市営バス倉敷市バス、あるいは単に市営バス市バスなどと呼ばれていた。

鉄道事業[編集]

現在の水島臨海鉄道水島本線にあたる倉敷市駅 - 水島港駅間、水島駅 - 川鉄前駅間、西埠頭線にあたる水島港駅 - 西埠頭駅間、港東線にあたる水島駅 - 日鉱前駅間を運営していた。なお、倉敷市営当時は倉敷市駅 - 水島港駅 - 西埠頭駅間が本線であった。詳細は各路線記事を参照されたい。

バス事業[編集]

倉敷市営バスの路線バスは、主に同市内の倉敷地域水島地域を営業エリアとしていた。

廃止時の路線[編集]

1989年時点のバス路線

1960年代の路線[編集]

1968年当時のバス路線[4]

  • 水島線:倉敷駅前 - 中島口 - 小溝 - 江長十字路 - 水島駅前・ガス会社前・水島港・三菱東門・連島町・三菱石油前・日本鉱業前・広江団地・川鉄南門・フェリー前・西埠頭・関東電化
  • 浅原線:倉敷駅前 - 幸町 - 立石 - 浅原大教会前
  • 三田線:倉敷駅前 - 幸町 - 立石 - 三田
  • 中庄線:倉敷駅前 - 幸町 - 黒崎 - 鳥羽 - 徳芳中 - 東栗坂
  • 藤戸線:倉敷駅前 - 中央病院(現倉敷中央病院前)- 有城 - 粒江 - 藤戸口
  • 市役所前[注釈 1] - 中島口 - 小溝 - 江長十字路 - 西岡崎・ガス会社前・三菱東門・三菱石油前・関東電化
  • 市役所出張所[注釈 2] - 日鉱前
  • 市役所出張所 - 関東電化
  • 水島駅前 - 広江団地
  • 日鉱前 - 広江団地

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ (現大原美術館[要説明]
  2. ^ (現水島支所前)

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 倉敷市営バスについて、概要や変遷について知りたい。 倉敷市立中央図書館国立国会図書館レファレンス協同データベース、2007年11月7日、2023年2月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e 倉敷市交通局『市営バスの記録』倉敷市、1989年発行。
  3. ^ a b バス・ジャパン』No.12「特集:ダブルデッカー'89/さようなら倉敷市営バス」BJエディターズ/星雲社、1989年4月1日。ISBN 4-7952-7767-2
  4. ^ 竹下昌三 編『〔倉敷市交通局〕局史』倉敷市交通局発行、1969年9月。

参考文献[編集]

  • 竹下昌三 編『〔倉敷市交通局〕局史』倉敷市交通局発行、1969年9月。
  • 倉敷市交通局 編『市営バスの記録』倉敷市交通局発行、1989年。
  • バス・ジャパン』No.12「特集:ダブルデッカー'89/さようなら倉敷市営バス」BJエディターズ/星雲社、1989年4月1日。ISBN 4-7952-7767-2