伊藤辰哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤 辰哉(いとう たつや、1976年12月21日 - )は、1990年代後半から2000年代前半にかけて活躍した日本の陸上競技選手。1997年に初めて20秒台をマークした。2002年アジア選手権200m代表。群馬県出身。

チーム遍歴[編集]

経歴[編集]

  • 順天堂大学に入学後、一躍日本のトップ選手に成長。卒業後は富士通に入社。伊東浩司土江寛裕ら稀代の名スプリンターと親交を結ぶ。
  • 2000年 第84回日本選手権で200mに20秒93の好記録をマークし石塚英樹福長正彦に次ぐ3位に入る。全日本実業団対抗選手権でも21秒09で3位。
  • 2001年 実業団・学生対抗で100mに10秒35(+1.2)で優勝。大会最優秀選手に選出される。また、全日本実業団選手権では、土江寛裕らと組んだ4×100mRで優勝。
  • 2002年 南部忠平記念で200mに出場、20秒90の大会新をマークするが、末續慎吾に敗れ準優勝。第36回織田幹雄記念では200mに出場し、Morne NAGEL(南アフリカ)、徐自宙(中国)に次ぐ3位に入る、タイムは21秒14。
  • 同年、第86回日本選手権で200mに出場、21秒10の好記録をマークするが、宮崎久に敗れ準優勝。日本選手権リレーでは4×100mリレーに土江寛裕・伊藤辰哉・藤本俊之河邉崇雄のオーダーで臨み39秒44をマークし準優勝。
  • 2003年 第87回日本選手権200mで20秒72をマークし、パリ世界陸上の参加標準記録B(20秒75)を突破した。しかし、国内での代表選考に漏れ出場できず。
  • 2004年 第88回日本選手権で200mに出場、予選で2+2のところに高橋和裕と宮崎久と同じ組になり、21秒31をマークしたものの決勝に進出することができなかった。

関連文献[編集]

  • 「月刊陸上競技」1998年11月号
  • 「月刊陸上競技」1999年3月号