伊予鉄道モハ50形電車

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伊予鉄道モハ50形電車
モハ50形61号
モハ50形61号
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流600V
最高運転速度 40 km/h
車両定員 80人(座席26人)[3]
車両重量 15.88t [2]
全長 11,950 [1] mm
全幅 2,430 [4] mm
全高 4170 [5] mm
台車 新扶桑金属KS-40J(51-53)
住友金属KS-40J(54-58・70-78)
FS-78(59-61)
ナニワ工機 NK-21A(62-69)
NK-12(1001-1003)
主電動機 三菱電機 MB-336LR2
MB-336LR4(51-61)
主電動機出力 50kW×2
駆動方式 釣掛式
制御装置 間接手動加速抵抗制御
(電磁空気単位スイッチ式)
三菱電機HL-72-6DA(62-78)
HL-72-6D(改)(1001-1003)
日本車輛製造NC-579+NCH-452-RUD(改)(51-61)
制動装置 SM-3形直通空気ブレーキ
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車内の様子

伊予鉄道モハ50形電車(いよてつどうモハ50がたでんしゃ)は、伊予鉄道に在籍する軌道線電車である。

概要[編集]

1951年から1965年にかけてナニワ工機(現アルナ車両)と帝國車輛工業で製造された。モハ2100形増備により代替廃車が進行しているが、依然として軌道線用車両の主力である。

自社発注車は、製造年によって2つのタイプに分けることができる。他社から譲り受け、本形式に編入した車両もあったが、現在では他社譲受車は全廃された。

ワンマン化は、アルナ工機と自社古町工場で1970年から1972年にかけて行われた。また、冷房化改造は自社古町工場で1981年から1984年にかけて行われた。

自社発注車・前期形(51 - 61)[編集]

すべてナニワ工機の製造で半鋼製車体で深い屋根の重厚な外観を持ち古い工法で製造されている。これは新造計画の時、車輛製造メーカーで引き受け手が無く運輸省の紹介でナニワ工機で新造されることになり、ちょうどナニワ工機で製造されていた京都市電800形866-880号の車体を伊予鉄仕様に設計変更して51-55が造られ、56以降は同じくナニワ工機で造られていた広島電鉄500形電車と同じ前中扉仕様で造られた[6]。 製造当初は直接制御方式(KR-8)だったが、1979年に京都市電から廃車となった2600形の制御器を購入し、間接非自動制御に改造された。また電動機も50kWのものに取り替えられた。


51 - 53[編集]

1951年製。伊予鉄道軌道線初のボギー車。

集電装置は製造当初ポールだったが、1953年にビューゲル、1966年に現行のZパンタに変更された。客用扉は製造当初は前後端に配置されていたが、1969年に前中扉に改められた。51号は刑事ドラマ「あぶない刑事」TV一作目第13話「追跡」で柴田恭兵扮する大下刑事が犯人が乗った電車を追いかけて飛び乗るシーンのロケ撮影で使用されている[7]。51,52,54号は冷房装置が三菱CU77からCU77CTに交換されている。

54 - 55[編集]

1953年製。51 - 53と同型だが、製造当初からビューゲルが搭載されていた。51 - 53と同様に集電装置のZパンタ化、客用扉位置の変更が実施されている。

56 - 58[編集]

1954年製。製造当初から前中扉で、客用窓は上段をHゴム支持固定窓、下段を上昇窓としたいわゆる「バス窓」となった。51 - 55と同様、集電装置のZパンタ化が実施されている。

56は2100形増備に伴い2005年度に廃車となり、57・58のみ現存する。

59 - 61[編集]

1957年製。台車は当時最新のコロ軸受け付き防音防振台車のFS78を採用した。また、前面窓は中央の窓が左右の窓に比べてやや横幅の広い窓となっている。他の50系と比べると数字が一回り太い。また60だけ数字が銀色になっている。

自社発注車・後期形(62 - 78)[編集]

62 - 69はナニワ工機(現・アルナ車両)で、70 - 78は帝國車輛で製造された。前面窓が鉄道線用の600系と同じデザインに変更され、屋根の浅い軽快なスタイルで、軽量構造を採用している。製造当初からすべて間接非自動制御方式で、Zパンタ、50kW電動機を装備した。

62 - 64[編集]

1960年(昭和35年)に3両が製造された。当時のバス車体で主流となっていたモノコック構造を取り入れた軽量車体で、側面にリベットと補強用のリブがある。自重は12.96 tとなっている(51 - 61は15.88 t)。また、このグループのみ前扉が2枚引き戸である。

2100形増備により62を最後として2005年(平成17年)3月までに3両とも廃車。これにより、2枚引き戸車は全廃された。

65 - 69[編集]

1962年に5両が製造された。車体の構造は62 - 64と変わらないが、前扉が1枚引き戸になった。

65は2100形増備により2003年度に廃車。66 - 69が現存する。

なお69号は、2015年に新塗装化されている。

70 - 78[編集]

1964年に70 - 73の4両が、1965年に74 - 78の5両が製造された。車体の形態は65 - 68と変わらないが、工法が従来の工法へ戻ったためリベット・リブがなくなり、車体重量も62 - 69より1トン増加し13.96tとなった。

製造当初は帝國車輛製コイルバネ台車TB-57を履いていたが、保守に手が掛かることから、1974年に名古屋市電1550系廃車発生品の住友金属工業製のKS-40J台車を購入し、交換された。78号は冷房装置が三菱CU77からCU77CTに交換されている。


68号 71号
68号
71号
新塗装化された69号
(2016年1月2日撮影)

他社局からの譲受車[編集]

1001 - 1003[編集]

里帰りした1001の写真。塗装が変更され、前照灯が前面窓下に再移設された

元は呉市電1000形で、呉市電廃止前の1967年に譲渡を受けた。伊予鉄道の軌道線で唯一セルフラップ式(ブレーキハンドルの位置とブレーキ力が無段階に比例する)の制動装置が使われていた。車体は自社発注車の62 - 64とほぼ同形(ただし台車は別形式)であるが、1001 - 1003の方が1959年製造と先に登場している。また、譲渡前の外観はどちらかと言えば、同型のモハ50形よりも東京都電2500形に似ている。

2001年に、1003が事故で廃車されたのを皮切りに廃車が始まり、2004年3月1日に最後まで残っていた1001が引退した。1001は呉市に返還され、前照灯の位置や塗装などを呉市電仕様に戻すなどの復元工事がなされたのち、7月に呉ポートピアパークに保存された。

  • 1001:2004年3月1日廃車→呉市に返還
  • 1002:2002年3月廃車
  • 1003:2001年10月に事故で廃車

81[編集]

和歌山県内に保存されている本車と同型の南海321型322号

南海電気鉄道和歌山軌道線の321形324号で、1971年に譲渡を受けた。1両だけだったこと、他車に比べて車体長は長く、車体幅がほかの車両より狭いことなどから使い勝手も悪く、2000形の投入後は予備車となった。

ワンマン化および暖房設置工事は実施されたが、冷房設置が困難だったため、直接制御、38kW電動機、非冷房のまま、1987年に廃車された。

なお、81の廃車体は1993年まで存在した。

参考文献[編集]

  • 小松和紀(1994)「伊予鉄道市内線」、『鉄道ピクトリアル』No. 593、1994年7月増刊号、鉄道図書刊行会

脚注[編集]

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  1. ^ 51 - 55の全長。56 - 61は12000mm、62 - 78は11500mm。
  2. ^ 51 - 61。62 - 69は12.9t、70 - 78は13.9t。
  3. ^ 51 - 55。56 - 64は30人、65 - 78は24人。
  4. ^ 51 - 61の全幅。62 - 78は2346mm。
  5. ^ 51 - 53の全高。54 - 55は4176mm、56 - 61は4171mm、62 - 78は3800mm。
  6. ^ 出典・関西鉄道研究会「関西の鉄道」№22 1990新春号62-65頁
  7. ^ 『あぶない刑事 全事件簿 DVDマガジン』Vol.6(講談社)