五藤為浄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五藤吉兵衛から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
五藤為浄
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文22年(1553年
死没 天正11年3月3日1583年4月24日
別名 通称:吉兵衛
墓所 高知県安芸市安芸城横にある安芸川北横山墓地
主君 山内一豊
氏族 五藤氏
父母 父:五藤浄基
兄弟 為浄為重
堀江の娘[1]

五藤 為浄(ごとう ためきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将山内氏の家臣。

略歴[編集]

天文22年(1553年)、五藤浄基の子として尾張国葉栗郡黒田[2]で誕生。

五藤氏は父・浄基の頃から山内氏に仕え、為浄も当主・山内一豊に従い刀根坂の戦い等に転戦する。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの前哨戦である伊勢国亀山城攻撃の際、主君・一豊の城内一番乗りを助けるが、討死した。享年31と伝わる。

その後、弟・為重は山内家の家老となり、山内一豊が土佐国に入国をした際には、安芸土居を与えられて周辺を支配した。その後も五藤氏は幕末まで代々山内氏の家老を勤めている。

脚注[編集]

  1. ^ 越前朝倉氏娘。堀江景忠等と同じ住所であったとの記載あり。
  2. ^ 愛知県一宮市黒田。

登場作品[編集]

関連項目[編集]