亀井眞樹

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亀井 眞樹(かめい まさき、1961年11月12日 - )は、日本医師統合医療評論家臨床思想家[1]神奈川県横浜市出身。

概歴[編集]

1987年東京大学医学部医学科卒。東京大学大学院医学系研究科単位取得。日本神経学会認定神経内科専門医。

代々木公園診療所の設立[編集]

1992年、大学院在学中に代々木公園診療所を設立[2]

東京都立墨東病院救命救急センターでの経験をもとに、精度の高いプライマリ・ケア実現のために、短時間で確定診断に至るためのミニマムな構成として全身CTなどをビル診に装備。当時としては革新的な発想であったため、日経ヘルスビジネスの取材を受けた。

独創的な漢方医学の基礎理論を構築し、全国で医師・一般向けに講演[編集]

東京大学医学部の学生だった頃から、当時中国最後の正統な武術家として朝日新聞などに取り上げられた太極拳家・馮志強について太極拳の源流となる陳氏太極拳を学んでいたことから、自然と漢方医学に関心を持つに至った。

黄帝内経」「傷寒論」などの中国医学の原典に直接あたりつつ、白川静の「字源」「字統」などを参考に、独創的な漢方医学の基礎理論を構築。

現代医学しか学んだことのない医師であっても、短時間で漢方医学の意義や本質を抵抗なく理解することができる講義を通して、1994年から数年間にわたり、医師向け漢方医学セミナー・薬剤師向け漢方医学セミナー・一般向けの講演などを通して、普及啓蒙に精力的に取り組んだ。

なかでもツムラが主催あるいは協賛する医師向けセミナー、薬剤師セミナーでは、全国各地で講演した。

太極拳については、のちに馮志強の正式弟子となり、陳氏太極拳19世伝人、陳氏心意混元太極拳2世伝人となっており、師より「修錬身心健康太極功夫協會」という武術館名を授かっている。

「いのち輝かそう大賞 – いのちの万葉集事業」を創始[編集]

2006年、漢方医学の講演で縁のあった医療用漢方製剤のトップブランド・メーカーであるツムラから、生薬からの新薬創出を視野に入れた健康食品事業部門の営業譲渡を受け、健康生活企業・株式会社Jハーブを設立[3]

同年、がん難病に罹患すること、その家族になることが現実にはどのようなことなのかということについて、当時社会に充分な情報リソースがないことに対し、がんや難病の方、それを支える方々の体験手記を広く集め、広く共有する「いのち輝かそう大賞 – いのちの万葉集事業」を創始[4]。朝日新聞に取り上げられた。

朝日新聞」「現場からの医療改革推進協議会」「統合医療を推進する議員連盟」「高野山真言宗金剛峯寺」などの後援を得て、株式会社Jハーブ主催で「第1回 いのち輝かそう大賞朗読授賞式」を開催。以後4回開催されている。 「言の葉は、がんの薬草。」というキャッチコピーは、親交のあったコピーライターの故・眞木準の作品。

出版された「いのち輝かそう – いのちの万葉集 ①」の巻頭言は、名文として有名で、医と健康のフリーマガジン「ロハス・メディカル」、医療ガバナンス学会「MRIC」などで取り上げらた。

人物[編集]

  • 実母を東京大学医学部在学中に子宮頸癌で亡くし、最初に受けた臨床講義が実母のCPC(Clinical-Pathological Conference)であったことはよく知られている[3]
  • また、歯科医を志していた弟が交通事故死している。
  • 兵庫県神戸灘高出身。在学中、ジャーナリストで神奈川県知事黒岩祐治が創設した灘高演劇部が廃部になるところを再興。
  • 母方は、仙台伊達藩着座という地位から御料理番家老となった氏家雲蔵の直系。

著書[編集]

TV出演[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 越後長岡応援団”. 長岡市. 2012年3月10日閲覧。
  2. ^ 会員一覧”. ENJIN01文化戦略意義. 2012年3月10日閲覧。
  3. ^ a b もっといい日”. 週刊がん (2006年7月14日). 2012年3月10日閲覧。
  4. ^ 亀井眞樹(2007)「いのち輝かそう - いのちの万葉集①」p.10

外部リンク[編集]