三条公俊
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| 時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
|---|---|
| 生誕 | 建久5年(1194年) |
| 死没 | 建長3年(1251年)以降 |
| 改名 | 公俊→真空(法名) |
| 別名 | 知足院、入道公俊卿 |
| 官位 | 従二位、非参議 |
| 主君 | 土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
| 氏族 | 三条家 |
| 父母 | 父:三条実房、母:藤原経宗の娘 |
| 兄弟 | 公房、姉小路公宣、正親町三条公氏、公兼、公俊、覚実、公円、覚教、公恵、公深、公豪、公誉、徳大寺公継室、女御代 |
| 妻 | 藤原親能の娘 |
| 子 | 実清、公為、実為、実仲、公秀、俊誉、女子、阿古ら |
三条 公俊(さんじょう きんとし、建久5年〈1194年〉 - 建長3〈1251年〉以降)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。左大臣・三条実房の四男(五男)。官位は従二位・非参議。
経歴
[編集]正治2年(1200年)叙爵。元久2年(1205年)左近衛少将となり、下野権介、加賀介を経て、建暦2年(1212年)左近衛中将に任ぜられる。建暦3年(1213年)正四位下に昇叙。
建保6年(1218年)従三位に叙せられ、公卿に列する。承久4年(1222年)正三位、寛元2年(1244年)従二位と昇進するも、公卿に列した後は散位続きで官職とは無縁だった。
官歴
[編集]『公卿補任』による
- 正治2年(1200年) 正月5日:叙爵(従五位下、式子内親王当年御給)
- 建仁2年(1202年) 正月12日:侍従。11月19日:従五位上(宜秋門院御給)
- 元久2年(1205年) 正月5日:正五位下。8月9日:左近衛少将
- 元久3年(1206年) 正月13日:備前権介
- 承元元年(1207年) 正月5日:従四位下
- 建暦元年(1211年) 正月5日:従四位上(陰明門院去年御即位御給)。正月18日:加賀介
- 建暦2年(1212年) 正月13日:左近衛中将
- 建暦3年(1213年) 正月13日:備前権介。4月26日:正四位下(修明門院御給)
- 建保6年(1218年) 正月5日:従三位(去左中将)
- 貞応元年(1222年) 正月20日:正三位(朝観行幸)
- 仁治4年(1243年) 某月某日:従二位
- 建長3年(1251年) 9月23日:出家(所労)