ヴィタ・サックヴィル=ウェスト
ヴィタ・サックヴィル=ウェスト(The Hon Victoria Mary Sackville-West, Lady Nicolson, CH, 1892年3月9日 - 1962年6月2日)は、イギリスの詩人・作家。のちの労働党の下院議員サー・ハロルド・ニコルソンは夫。
生い立ち
[編集]ケントのサックヴィル家の館、ノール・ハウスで生まれる。父は第3代サックヴィル男爵ライオネル。本名はヴィクトリアであるが、彼女は一生をヴィタの名前で通した。長身で細身の、中性的な容姿をしていた。
1913年、外交官のハロルド・ニコルソンと結婚した。2人は息子を2人もうけた。結婚当初からオープンマリッジを選択し、ブルームズベリー・グループの芸術家たちのように、夫や妻以外の恋人をもつことには寛容だった。ヴィタの初恋の相手が女性だったということにもあらわれているが、彼女は両性愛の傾向があった。また、夫のハロルドも男性の恋人をもったという。
ヴァイオレット・ケッペル=トレフューシス
[編集]2人が出会ったのは、まだヴィタが12歳、ヴァイオレット10歳の頃だった(ヴァイオレットの母はイギリス国王エドワード7世の公妾アリス・ケッペルだった)。2人は同じ学校に通い、10代の間恋愛関係にあった。互いに結婚して夫を持つと疎遠になっていたが、1918年、ヴィタの子育てが一段落した頃、2人はフランスへ駆け落ちした。ヴィタは男性の服装で家族の目をくらましたという。2人の関係は、ヴィタがハロルドとの夫婦関係を清算する気がなく、ヴァイオレットがヴィタをハロルドと共有することに我慢ならなかったことから、終わりを迎えた。2人はそれからも連絡を取り続けていたが、元の関係に戻ることはなかった。
ヴィタの小説 "Challenge" は2人の関係を元に書かれている。
ヴァージニア・ウルフ
[編集]1920年代の終わりに、ヴァージニア・ウルフとの恋愛が始まった。ウルフの小説『オーランドー』は、ヴィタとサックヴィル家の歴史をモデルに書かれた。後にヴィタの息子ナイジェルが「文学における、最も長く魅力的な恋文」と評するこの作品は、2人の関係がなければ誕生しなかったといわれる。
1931年に、ヴィタがジャーナリストのイヴリン・アイアンズに心を移したことで、ウルフとの関係は終わった。
「第5章「火口と火打石」―ヴァージニア・ウルフとヴィタ・サックヴィル=ウェスト」-『カップルをめぐる13の物語(上) 創造性とパートナーシップ』(ホイットニー・チャドウィック/イザベル・ド・クールティヴロン編、野中邦子・桃井緑美子訳、平凡社、1996年)に詳しい。
夫との生活
[編集]ヴィタはハロルドと親密な関係をずっと保ち続けた。第二次世界大戦中、彼の外交官としての活動のため長期に不在があっても、ほとんど毎日文通しあっていた。イギリスに彼が戻れば、ヴィタと暮らしていたのである。1930年代にケントのシシングハースト・カースルを買って移り住み、ヴィタは自邸の庭を造るのに夢中になった。この美しい庭園は、シシングハースト・カースル・ガーデンとして知られ、イギリスのナショナル・トラストに現在管理されている。
戦後
[編集]1946年、文学上の貢献により、コンパニオン・オブ・オナーになった。同年、『オブザーバー』紙で週1回 "In Your Garden" というコラムを執筆した。1948年、ヴィタはナショナル・トラストの発起人の一人となった。
ヴィタとハロルドが暮らしたロンドンの家には、現在ブルー・プラークが掲げられている。
作品
[編集]- The Land (1927年) 詩
- Challenge (1923年) 小説
- The Edwardians (1930年) 小説
日本語訳
[編集]関連文献
[編集]- ナイジェル・ニコルソン『ある結婚の肖像 ヴィタ・サックヴィル=ウェストの告白』
- (栗原知代・八木谷涼子訳、平凡社〈20世紀メモリアル〉、1992年) ISBN 978-4582373233
- ナイジェル・ニコルソン『ヴァージニア・ウルフ』(市川緑訳、岩波書店〈ペンギン評伝双書〉、2002年)
- 各・息子のナイジェルによる伝記。
- 菊池真理『英国の白いバラ ヴィタの肖像』(幻冬舎ルネッサンス、2008年)。伝記