ワナ・マウン・ルイン
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ワナ・マウン・ルイン ဝဏ္ဏမောင်လွင် | |
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生年月日 | 1952年5月30日(72歳) |
出生地 | ビルマ連邦、モン州、タトン |
出身校 |
ミャンマー国軍士官学校 ダゴン第1基礎教育高等学校 |
前職 | 軍人 |
現職 | 政治家 |
所属政党 | 連邦団結発展党(2010年 ‐ 2016年) |
称号 | 大佐 |
配偶者 | リン・リン・ティン |
子女 |
ティン・ティツァル・ルイン リン・マーラー・ルイン リン・ミン・アウン・ルイン |
親族 | マウン・ルイン(父) |
内閣 | ミン・アウン・フライン |
在任期間 |
2011年3月30日 - 2016年3月30日 2021年2月1日 - 2023年2月1日 |
大統領 |
テイン・セイン ミンスエ |
在任期間 | 2007年 - 2011年3月30日 |
国家平和発展評議会議長 | タン・シュエ |
ウ・ワナ・マウン・ルイン[1](ビルマ語: ဦးဝဏ္ဏမောင်လွင် U Wunna Maung Lwin、英語: Wunna Maung Lwin、1952年5月30日[2] - )は、ミャンマーの軍人、政治家、外交官。2011年3月から2016年3月および2021年2月から2023年2月まで、外務大臣を務めた。
誕生
[編集]ワナ・マウン・ルインはモン州タトンで生まれた。彼の父マウン・ルイン中佐は、ビルマ社会主義計画党政権下の1969年から1970年にかけて外務大臣であった[3]。
経歴
[編集]1971年、ミャンマー国軍士官学校(DSA)16期生として卒業。1971年から1998年にかけて、国軍で長らく軍人として奉公した。退役後は、1998年7月から2000年9月まで国境省局長を務めた後、2000年に外交畑に転じる[2]。
2000年から2001年にかけて在イスラエル大使、2001年から2004年にかけて在フランス大使、2004年から2007年にかけて在ベルギー大使兼欧州連合(EU)大使、2007年から2011年にかけて在ジュネーブ国連大使を歴任した[2]。
軍人出身の大統領が執政するテイン・セイン政権およびミン・アウン・フライン政権で外務大臣[4]。
出典・脚注
[編集]- Wai Moe (13 July 2011). “Wunna Maung Lwin: Military Commander to Foreign Minister”. The Irrawaddy 21 August 2011閲覧。
- ^ 「ウ」(ビルマ語: ဦး U)は年配の男性に付ける敬称なので、ミャンマー国外では省略されることも多い。
- ^ a b c “Cabinet Ministers”. Alternative Asean Network on Burma 12 February 2014閲覧。
- ^ Zay Thu (27 August 2014). “ဒီမိုကရေစီ အစိုးရတွင်လည်း မဆလလူကြီးများ၏ သားသမီးများသာ ရာထူးကြီးများ ရယူထား” (Burmese). Tomorrow 9 July 2015閲覧。
- ^ ミャンマー軍、旧軍政から閣僚指名 実務重視アピールか: 日本経済新聞
公職 | ||
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先代 アウンサンスーチー |
ミャンマー外務大臣 2021年 - 2023年 |
次代 タンスエ |
先代 ニャン・ウィン |
ミャンマー外務大臣 2011年 - 2016年 |
次代 アウンサンスーチー |
先代 リン・ミャイン |
在ベルギーミャンマー大使 2004年 - 2007年 |
次代 タウン・トゥン |
先代 リン・ミャイン |
在フランスミャンマー大使 2001年 - 2004年 |
次代 ソウ・フラ・ミン |