レイ・ブラウン
| レイ・ブラウン Ray Brown | |
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レイ・ブラウン(1961年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Raymond Matthew Brown |
| 生誕 |
1926年10月13日 |
| 死没 |
2002年7月2日(75歳没) |
| ジャンル | ジャズ |
| 職業 | ベーシスト |
| 担当楽器 | ダブルベース、チェロ |
| レーベル | ヴァーヴ、パブロ、コンコード、テラーク |
| 共同作業者 | エラ・フィッツジェラルド、オスカー・ピーターソン、L.A.フォア、スーパー・ベース |
レイ・ブラウン(Ray Brown、1926年10月13日 - 2002年7月2日[1])は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれのベース奏者であり、スウィング期、ビバップ期のジャズミュージシャン。
来歴
[編集]ブラウンはプツバーグに生まれ、子どものころからピアノのレッスンを受けていたが、やがてベースに転向した。[2] 1946年にニューヨークに移り、ディジー・ガレスピーのバンドに加入。同年には、初のリーダー・アルバムを発表。
1947年に著名なボーカリストであったエラ・フィッツジェラルドと結婚。エラの義理の姉妹の子を養子に、レイ・ブラウン・ジュニアと名付け養育したが1952年に離婚した。[3]
モダン・ジャズ・カルテット(1952年)の録音、オスカー・ピーターソン・トリオでの活躍、ソニー・ロリンズのアルバム『ウェイ・アウト・ウエスト』への参加、デューク・エリントンとの共演など、その的確な演奏は多くの人に親しまれた。また、リーダー・アルバムも数多く発表しており、エルヴィン・ジョーンズと共演した『サムシング・フォー・レスター』(1977年)などが知られる。
1974年から1982年まで、ブラウンはギタリストのローリンド・アルメイダ、サックス奏者でフルート奏者のバド・シャンク、ドラマーのシェリー・マン(1977年以降はジェフ・ハミルトンに交代)とともに、L.A.フォアとして一連のアルバムを演奏し、録音した[4]。
1990年代後半には、複数のベーシストが共演する異色のバンド、スーパー・ベースを結成。クリスチャン・マクブライドと、ブラウンの弟子であるジョン・クレイトンを加えたベース3本の迫力ある演奏が話題となった。
レイ・ブラウンは、2002年7月公演に出かけていたインディアナポリスのホテルで死去した。75歳没。
最晩年までゲイリー・カーに弓弾きの手ほどきを受けるなど、精力的な音楽家であった。
ディスコグラフィ
[編集]As leader/co-leader
[編集]- New Sounds in Modern Music (Savoy Records, 1946)
- Bass Hit! (Verve Records, 1957) – rec. 1956
- This Is Ray Brown]] (ポリグラム, 1958)
- Jazz Cello (Verve, 1960)
- Ray Brown with the All-Star Big Band (Verve, 1962)
脚注
[編集]- ^ Ray Brown American musician Encyclopædia Britannica
- ^ “Ray Brown Jazz Profile”. 2025年10月6日閲覧。
- ^ “Ella Fitzgerald, the Voice of Jazz, Dies at 79” 2025年10月7日閲覧。
{{cite news}}: 不明な引数| newspaper=は無視されます。 (説明)⚠ - ^ Yanow, Scott. "The L.A. 4" (Web site allmusic)
関連項目
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