ルイス・デ・カモンイス

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ルイス・デ・カモンイス
Luís de Camões
誕生 ルイス・ヴァス・デ・カモンイス
(Luís Vaz de Camões)
1524年
死没 1580年6月10日
ポルトガルの旗 ポルトガルリスボン
職業 軍人詩人
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
文学活動 古典主義
代表作ウズ・ルジアダス
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ルイス・ヴァス・デ・カモンイスLuís Vaz de Camões1524年頃 - 1580年6月10日)は、ポルトガル史上最大の詩人とされる人物である。その作品はホメーロスヴェルギリウスダンテなどの古典詩人と比較される。

かつてポルトガルで発行されていた500エスクード紙幣に肖像が印刷されていた。

経歴[編集]

彼の生涯を伝える資料は多くないが、ポルトガル王家につながる一族の人間として1524年頃に生まれたと推定されている。ドミニコ会イエズス会で教育を受け、コインブラ大学でも聴講したとされ、古典文学やギリシア語ラテン語スペイン語などを学んだ。

1549年に初の海外軍役としてアフリカ北西部の植民都市セウタに赴いたが、ムーア人との戦闘で右眼の視力を失った。ポルトガルの首都リスボンに帰還後、傷害事件で投獄されたが、海外での軍務などと引き換えに釈放された。

カモンイスは1553年インドにある植民地ゴアに向かい、戦闘に参加しながら現地の慣習や歴史を学んだ。軍務終了後にはマカオの士官として勤務し、同地で彼の代表作になる『ウズ・ルジアダス』(Os Lusíadas)の執筆を本格的に始めた。1558年に帰国を開始したカモンイスはメコン川河口付近で難破し、中国人の愛人を失った。しかし『ウズ・ルジアダス』の原稿は守り、その内容はこの難破によってさらに強化された。

1570年、カモンイスはリスボンに戻り、『ウズ・ルジアダス』を出版した。その後セバスティアン1世から少額の年金を受けたが、1578年にはその王がアルカセル・キビールの戦いで敗死した悲報を聞いた。カモンイスが「全ての者は、私は我が親愛なる祖国の一員としてではなく、その滅亡と共に死んだ事を甘受したという事実を見る事になる」と書いた時、隣国のスペイン軍がリスボンに迫っていた。カモンイスはポルトガルがスペインと同君連合を組み、事実上支配下に入った1580年、56歳でこの世を去った。

1988年にカモンイスのポルトガル語文学への貢献を讃え、ポルトガルとブラジル両政府共同でカモンイス賞が創設された。

作品[編集]

彼は多くの叙情詩戯曲を残したが、1550年から執筆して1571年に公刊、1572年に改訂した叙事詩『ウズ・ルジアダス』が最も有名である。カモンイスはこの中でヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓を称賛し、大航海時代で繁栄を極めたポルトガル黄金時代の航海者達を格調高くうたった[1]

叙事詩[編集]

脚本[編集]

その他[編集]

  • 1572 - A Morte de D. Inês (encontra-se esse episódio nos Lusíadas).

脚注[編集]

  1. ^ a b The Lusiads”. World Digital Library (1800-1882). 2013年9月1日閲覧。

関連項目[編集]