ランゴラン

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Langolen
Blason ville fr Langolen (Finistère).svg
Langolen.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏Blason region fr Bretagne.svg
(département) フィニステール県Blason Finistère 29.svg
(arrondissement) カンペール郡
小郡 (canton) ブリエック小郡
INSEEコード 29110
郵便番号 29510
市長任期 ディディエ・ロワニャン
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du pays Glazik
人口動態
人口 884人
2011年
人口密度 52人/km2
住民の呼称 Langolinois, Langolinoise
地理
座標 北緯48度04分04秒 西経3度54分41秒 / 北緯48.067778度 西経3.911389度 / 48.067778; -3.911389座標: 北緯48度04分04秒 西経3度54分41秒 / 北緯48.067778度 西経3.911389度 / 48.067778; -3.911389
標高 平均:m
最低:70m
最高:208 m
面積 17km2
Langolenの位置(フランス内)
Langolen
Langolen
公式サイト Site de la commune
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ランゴランLangolen)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

歴史[編集]

アンシャン・レジーム時代のランゴランはブリエック教区の小教区で、ブリエック教区からの独立が小教区民で目立つようになった。1492年、小教区民たちはもはや、求められている教区教会のミサに出席しないと主張した。

1796年春、ル・パージュ・ド・バル(fr、王党派士官)は、カレにて不満分子を結集させ、フィニステールにおける暴動を拡大させようとした。脱走兵を名乗る強制徴収人はランゴラン、コレ、トレグレズ、ルアンラズといった田舎を歩き回り、結集する準備をしろと、警告と脅迫を行い既婚男性すら徴兵した[1]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2011年
833 773 692 641 648 684 775 884

参照元:1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡[編集]

  • シャトー・ド・トロアネと庭園 - 2001年11月9日、デクレにより歴史文化財に登録された。1988年からボードゥアン・ド・ピモダンが個人所有しており、夏季には予約制で一般公開を行う[5]。現在の城館は17世紀からのもので、南側と東側のファサードは1880年に修繕された。外観も同じ頃建設されている。ランドスケープ庭園は、ビュレール兄弟によって1872年につくられた[6]。20世紀初頭、このシャトーをピエール・ポール・ド・ラ・グランディエール提督が所有していたことがある。

脚注[編集]