ヨージェフ・アティッラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Flag of Hungary.svg この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にアティッラ・ヨージェフと表記することもあります。
ヨージェフ・アティッラ
Attila József 2005 Hungarian stamp.jpg
生誕 (1905-04-11) 1905年4月11日
ブダペスト
死没 (1938-12-03) 1938年12月3日(満33歳没)
バラトンサールソー

ヨージェフ・アティッラ (József Attila, 1905年4月11日1937年12月3日)は、ハンガリー詩人。ヨージェフ・アッティラとも表記される。

生涯[編集]

1905年にハンガリーのブダペストで生まれる。父は石鹸工房の労働者、母は農家出身であり、のちにブダペストで洗濯女になった。3歳で父が蒸発。14歳の時に母は死去[1]。高校在学中、17歳で初の詩集『A szépség koldusa』を発表する。高校卒業後、セゲド大学に入学[2]。1925年に2作目の詩集『Nem én kiáltok』を発表するが、一部の詩の内容から大学を除籍される。その後、ウィーンに行き、それから1926年から1927年までパリに滞在、ソルボンヌで学ぶ。フランス文学を耽読し、特にフランソワ・ヴィヨンの詩に惹かれ、ハンガリー語に翻訳した。また、ヘーゲルマルクスを読み、影響を受ける。ハンガリーに帰国後、3作目の詩集『Nincsen apám se anyám』を発表した。1930年、ハンガリー共産党に入党するが、1934年に党を除籍される。文芸誌『Szép Szó』を旗揚げするが、いつしか精神疾患にかかり、病院で精神科医から治療を受ける。1936年に最後の詩集『Nagyon fáj』を発表。1937年、ハンガリーのバラトン湖近くの村バラトンサールソーで鉄道の線路上に飛び込み自殺。

邦訳[編集]

  • 『ヨージェフ・アティッラ詩集』、(原田清美訳、未知谷、2015年)

出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ József Attila (1905-1937)”. 2016年8月12日閲覧。
  2. ^ JÓZSEF ATTILA”. 2016年8月12日閲覧。

外部リンク[編集]