モンテフィアスコーネ

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モンテフィアスコーネ
Montefiascone
モンテフィアスコーネの風景
モンテフィアスコーネの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
ラツィオ州の旗 ラツィオ
Blank.png ヴィテルボ
CAP(郵便番号) 01027
市外局番 0761
ISTATコード 056036
識別コード F499
分離集落 Le Coste, Le Grazie, Le Mosse, Zepponami
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 13,394 [1](2012-01-01)
人口密度 127.9 人/km2
文化
住民の呼称 montefiasconesi
守護聖人 Santa Margherita d'Antiochia
祝祭日 7月20日
地理
座標 北緯42度32分25秒 東経12度2分13秒 / 北緯42.54028度 東経12.03694度 / 42.54028; 12.03694座標: 北緯42度32分25秒 東経12度2分13秒 / 北緯42.54028度 東経12.03694度 / 42.54028; 12.03694
標高 590 (220 - 633)[2] m
面積 104.75 [3] km2
モンテフィアスコーネの位置(イタリア内)
モンテフィアスコーネ
モンテフィアスコーネの位置
ヴィテルボ県におけるコムーネの領域
ヴィテルボ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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モンテフィアスコーネイタリア語: Montefiascone)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県にある都市で、その周辺地域を含む人口約1万3000人の基礎自治体コムーネ)。

ボルセーナ湖を望む丘の上に位置する市街は長い歴史を持ち、司教座聖堂ドゥオーモ)を擁する。中世以来すぐれたワインの生産でも知られており、D.O.C.ワイン(原産地統制を受けたイタリアワイン)「エスト! エスト!! エスト!!! ディ・モンテフィアスコーネ」の産地である。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ヴィテルボ県北部に所在するコムーネである。ボルセーナ湖南東の丘の上に位置するモンテフィアスコーネの街は、県都ヴィテルボの北北西約15km、チヴィタヴェッキアの北北東約53km、ペルージャの南南西約70km、首都ローマの北北西約79kmに位置する。

隣接コムーネ[編集]

歴史[編集]

モンテフィアスコーネ大聖堂

この都市の地名は、Mons Faliscorumファリスキ人英語版の山)に由来しており、のちにエトルリアの支配下に入った。この都市には、ファヌム・ヴォルトゥムナエ英語版と呼ばれるエトルリアの神殿があったと考えられている。ローマ帝国のもとで、この祭典はウォルシニー英語版付近において執り行われていた。

モンテフィアスコーネの名を記した最古の文書は853年のもので、このとき都市はトスカナ司教に属していた。1058年には教皇ステファヌス10世が、1074年には教皇グレゴリウス7世が、それぞれ訪れている。

1093年には、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が城塞を包囲した。1185年には皇帝フリードリヒ1世が訪れており、この城塞の重要性が確認できる。その後の2世紀にわたり、モンファルコーネは教皇領となり、その全盛期を迎えた。城はしばしば教皇の御座所となり、拡張と装飾が加えられた。14世紀のアヴィニョン捕囚の時代には、この城は教皇使節アルボルノス枢機卿 (Gil Álvarez Carrillo de Albornozの居城であった。

しかしながら、1462年の教皇ピウス2世の時代には、すでに城は荒廃した状態になっていた。1657年の疫病や、1697年の地震は、荒廃に拍車をかけた。

1870年、教皇領の編入により、この都市はイタリア王国の一部となった。第二次世界大戦中の1944年5月には、連合軍の爆撃により被害を受けている。

社会[編集]

人口[編集]

人口推移[編集]

人口推移
人口 ±%
1871 7,231 —    
1881 7,389 +2.2%
1901 9,371 +26.8%
1911 9,971 +6.4%
1921 10,336 +3.7%
1931 10,864 +5.1%
1936 11,277 +3.8%
1951 11,563 +2.5%
1961 12,054 +4.2%
1971 11,819 −1.9%
1981 12,508 +5.8%
1991 12,656 +1.2%
2001 12,653 −0.0%
2011 13,388 +5.8%

文化・観光[編集]

モンテフィアスコーネの大聖堂
モンテフィアスコーネの大聖堂 (Montefiascone Cathedralは、建築家ミケーレ・サンミケーリ(1484年-1559年)の初期の作品のひとつである。聖マルゲリータにささげられたこの聖堂は1330年に破壊され、300年にわたって再建工事が続けられた。1670年には火災の被害に遭い、工事はさらに10年延びることとなった。現在の内装は、1893年に補修されたものである。

交通[編集]

道路[編集]

国道

脚注[編集]

外部リンク[編集]