ミハイル・アルツィバーシェフ
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ミハイル・ペトローヴィチ・アルツィバーシェフ | |
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誕生 |
1878年11月5日/ユリウス暦10月24日![]() |
死没 |
1927年3月3日(48歳没)![]() |
職業 | 小説家、劇作家、脚本家 |
言語 | ロシア語 |
活動期間 | 1894年 - 1927年 |
文学活動 | 近代主義 |
代表作 |
『ランデの死』(1904年) 『サーニン』(1907年) 『最後の一線』(1911年) |
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ミハイル・ペトローヴィチ・アルツィバーシェフ(Михаил Петрович Арцыбашев、 1878年11月5日/ユリウス暦10月24日 - 1927年3月3日)は、19世紀後半から20世紀前半のロシア文壇を代表する作家である。タデウシュ・コシチュシュコの曾孫にあたる人物でもある。
近代主義小説の代表的作品で、性欲賛美をした『サーニン』やその続編となる、自殺賛美をした『最後の一線』が有名である。
特に『サーニン』は当時の若い世代を中心に一世風靡し、「サーニズム」という言葉まで生んだ。
また、筒井康隆が少年時代の愛読書のひとつに挙げている。
黒澤明はその自伝で、兄の丙午が『最後の一線』を「世界最高の文学だ」と推奨して何時も手元に置き、27歳で自殺した、と書いている。
おもなビブリオグラフィ[編集]
- 『ランデの死』 «Смерть Ланде» : 1904年
- 『人間の波』 «Человеческая волна » : 1905年
- 『サーニン』 «Санин» : 1907年
- 『最後の一線』 «У последней черты» : 1910年-1912年