マリヤ・ユーディナ
マリヤ・ヴェニアミノヴナ・ユーディナ | |
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![]() マリヤ・ユーディナ(1922年撮影) | |
基本情報 | |
生誕 | 1899年9月9日 |
出身地 |
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死没 | 1970年11月19日(71歳没) |
学歴 | ペトログラード音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
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マリヤ・ヴェニアミノヴナ・ユーディナ(またはマリア・ユージナ、ロシア語: Мари́я Вениами́новна Ю́дина)(Maria (もしくは Mariya) Veniaminovna Yudina, 1899年9月9日(ユリウス暦8月28日) - 1970年11月19日 モスクワ)は、ロシアのピアニスト。
経歴[編集]
1899年、ロシア帝国ヴィテプスク県(現プスコフ州)ネヴェリにユダヤ人の家庭に生まれる(1919年5月に洗礼を受けている)。この県はユダヤ教徒居住区の一部であったが、ベラルーシ南部のネヴェリではない。父のヴェニアミン・ガヴリロヴィチは医者で、労働英雄であった。幼いころから広く音楽に関心があり、最初にピアノを学んだのは6歳の時であった。
1912年にペトログラード音楽院に入学し、ピアノをアンナ・エシポワのクラスで学ぶ。その後、フェリックス・ブルメンフェリト、アナトリー・ドロズドフ、レオニード・ニコラーエフについて広く様々な学科を学んだ。1917年の二月革命のあと、1918年に一時休学したが、1921年に同音楽院を卒業した。同級生にドミートリイ・ショスタコーヴィチやヴラディーミル・ソフロニツキーがいた。そののち1921年に卒業の際、ソフロニツキーとともに金メダルの成績を残した。
その後、同院で教職に就き、1923年には教授となる。また、ペトログラード大学で古典を学ぶ。専らバッハやベートーヴェンの解釈で名を残すが、親友ショスタコーヴィチのほかにヒンデミットや新ウィーン楽派の作品など、東西の同時代の音楽も擁護した。バッハのゴルトベルク変奏曲の各変奏にテクストを書き残すなど、彼女にとっては宗教と音楽は一体の存在であった。このような姿勢や、ユダヤ人でありながら公然と正教を信仰し、クリューエフ、マンデリシュターム夫妻を援助するなどの反体制的言動が仇となり、教育活動や演奏活動を禁じられたことは一度や二度ではなかった。しかしスターリンのお気に入りのピアニストであり続け、ユーディナの弾くモーツァルトを聴いて涙を流すこともあったほどだった。
1970年に死去。葬儀ではリヒテルがラフマニノフを演奏した。
ユーディナの演奏は、超絶技巧と精神性、精悍なまでの力強さ、そして知性と精神力が特徴的である。1998年以来「マリア・ユーディナ国際ピアノコンクール」が開催されている。
音源[編集]
- Maria Yudina plays Mozart Fantasia in D minor K397
- Maria Yudina plays Mozart Rondo in A-minor, K. 511
- Maria Yudina plays Bach Chromatic Fantasia & Fugue
- Maria Yudina plays Brahms Sontata No. 3, Op. 5 (3/4)
- Maria Yudina plays Mussorgsky Pictures at an Exhibition 1/4
- Maria Yudina plays Medtner: Sonata Triad Op. 11 Part 3/3
脚注[編集]
参考文献[編集]
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- カテリーナ・クラーク/マイケル・ホルクイスト共著(川端香男里/鈴木晶共訳)『ミハイール・バフチーンの世界』せりか書房、1990年