ヘネラル・ベルグラノ (巡洋艦)

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Belgrano Ushuaia.jpg
艦歴
起工: 1935年4月15日USSフェニックスとして)
進水: 1938年3月13日(USSフェニックスとして)
就役: 1951年10月(アメリカ海軍から購入)
戦没: 1982年5月2日
性能諸元
排水量: 基準:9,575トン、満載:12,242トン
全長: 185m
全幅: 18.9m
吃水: 5.9m
機関: 水管罐8基 100,000馬力
蒸気タービン4基, 4軸推進
最大速: 32.5ノット
乗員: 士官、兵員1,138 名
兵装: 152 mm砲 15門,
127 mm砲 8門,
シーキャットSAM連装発射機 2門,
50口径機銃 8門
艦載機: ヘリコプター 2機

ヘネラル・ベルグラノARA General Belgrano)は、アルゼンチン海軍巡洋艦

概要[編集]

USSフェニックス[編集]

1938年3月にアメリカニュージャージー州にあるニューヨーク造船会社でブルックリン級軽巡洋艦フェニックス (USS Phoenix) として建造されアメリカ海軍に納入された。その後日本海軍による真珠湾攻撃を生き延びて太平洋戦争期間中活躍し、大戦終結後の1946年7月にアメリカ海軍を退役した。

アルゼンチン海軍へ[編集]

1951年10月にアルゼンチン海軍が購入し、ファン・ペロン大統領により「ディエシシエテ・デ・オクトゥブレ(10月17日)」 (ARA Diecisiete de Octubre) と命名された。命名の由来となった10月17日は国家の記念日ではなくペロン大統領が属する正義党(俗にペロン党ともいう)の記念日だったため、クーデターによるペロン大統領の追放後、1816年に行われたアルゼンチン独立戦争時の英雄であり、アルゼンチンの国旗の制定者であるマヌエル・ベルグラーノ将軍の名を取って「ヘネラル・ベルグラノ(ベルグラノ将軍)」と改名された。

撃沈[編集]

空母ベインティシンコ・デ・マヨを除けばアルゼンチン海軍一の大艦であり、その後もアルゼンチン海軍の主力と位置づけられたが、さすがに旧式化は否めず、実用艦というよりは海軍の象徴的存在であった。

1982年マルビナス諸島フォークランド諸島)領有権をめぐりアルゼンチンとイギリスの間に勃発したフォークランド戦争に派遣されたが、5月2日イギリス海軍チャーチル級原子力潜水艦コンカラー」(HMS Conqueror)から魚雷攻撃を受けた。コンカラーの発射したMk8魚雷3発のうち2発がヘネラル・ベルグラノに命中し、1発目は艦首を吹き飛ばした。2発目は左舷後方の機関室で爆発して多数の死者を出した。2発目の魚雷で電気系統が故障したため排水もままならず、攻撃を受けてから20分後にはエクトール・E・ボンソ艦長が総員退去命令を下し、ヘネラル・ベルグラノは沈没した。乗員321名と乗艦していた民間人2名が死亡し、772名がアルゼンチン海軍と近隣を航行していたチリ海軍の船艇によって救助された。

ヘネラル・ベルグラノの沈没により、アルゼンチン海軍の士気は急激に低下したと伝えられる。戦争中のイギリス軍の艦艇の損失はアルゼンチン軍のそれを大きく上回ったものの、結果的にアルゼンチン軍は6月15日に戦闘を停止した。

ヘネラル・ベルグラノの沈没では、アルゼンチン海軍の323人が死亡したが、これはフォークランド紛争におけるアルゼンチン側の戦死者649人の半数近くを占める[1]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 世界の艦船 増刊第36集 アメリカ巡洋艦史」(海人社)、1993年
  • 「世界の艦船 増刊第57集 第2次大戦のアメリカ巡洋艦」(海人社)、2001年
  • 「世界の艦船 2010年1月増刊号 近代巡洋艦史」(海人社)