ブランカ・デ・ナポレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ブランカ・デ・ナポレス
Blanca de Nápoles
アラゴン王妃
MSC Blanca d'Anjou.png
出生 1280年
死去 1310年10月14日
バルセロナ
埋葬  
タラゴナ、サンタス・クレウス修道院
配偶者 アラゴンハイメ2世
子女 本文参照
父親 ナポリカルロ2世
母親 マリア・ドゥンゲリア
宗教 ローマ・カトリック
テンプレートを表示

ブランカ・デ・ナポレス(Blanca de Nápoles, 1280年 - 1310年10月14日)は、アラゴンハイメ2世の2番目の王妃。ナポリカルロ2世と王妃マリアの娘。イタリア語名はビアンカ・ディ・ナポリ(Bianca di Napoli)またはビアンカ・ダンジョ(Bianca d'Angiò)。兄にナポリ王ロベルトがいる。

生涯[編集]

1295年にハイメ2世と結婚した。当時ハイメはシチリア王も兼ねていたが、翌1296年に弟フェデリーコ2世が代わってシチリア王位についた[1]。1297年にはブランカの兄ロベルトがハイメの妹ビオランテ(ヨランダ)[2]、1302年にはブランカの妹エレオノーラがフェデリーコ2世とそれぞれ結婚している[3]

ブランカとハイメ2世との間には10人の子が生まれた。

  • ハイメ(1296年 - 1334年)
  • アルフォンソ4世(1299年 - 1336年) - アラゴン王
  • マリア(1299年 - 1316年)
  • コンスタンサ(1300年 - 1327年) - カスティーリャ王族のペニャフィエル公フアン・マヌエルと結婚。
  • フアン(1304年 - 1334年)
  • イサベル(1305年 - 1330年) - ローマ王フリードリヒ3世と結婚。
  • ペドロ(1305年 - 1381年)
  • ブランカ(1307年 - 1348年)
  • ラモン・ベレンゲル(1308年 - 1364年)
  • ビオランテ(1310年 - 1353年)

脚注[編集]

  1. ^ クアトリーリオ、p. 70
  2. ^ クアトリーリオ、p. 71
  3. ^ Louda & Maclagan, p. 93

参考文献[編集]

  • ジュゼッペ・クアトリーリオ 『シチリアの千年』 新評論、1997年
  • Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.