フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (ザクセン=ヴァイマル公)
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フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 Friedrich Wilhelm I. | |
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ザクセン=ヴァイマル公 | |
在位 | 1573年3月2日 - 1602年7月7日 |
出生 |
1562年4月26日 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル |
死去 |
1602年7月7日(40歳没) 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル |
配偶者 | ゾフィー・フォン・ヴュルテンベルク |
アンナ・マリア・フォン・プファルツ=ノイブルク | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン公ヨハン・ヴィルヘルム |
母親 | ドロテア・ズザンナ・フォン・デア・プファルツ |
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(Friedrich Wilhelm I., 1562年4月26日 - 1602年7月7日)は、ザクセン=ヴァイマル公(在位:1573年 - 1602年)。ザクセン公ヨハン・ヴィルヘルムとプファルツ選帝侯フリードリヒ3世の娘ドロテア・ズザンナの長男。
人物
[編集]幼少で即位したため、ザクセン選帝侯アウグストの後見を受けた。1586年に親政を始め、1591年にザクセン選帝侯クリスティアン1世が亡くなり、子のクリスティアン2世が幼いため、その摂政を1601年まで務めた後、翌1602年に死去した。
2人の息子ヨハン・フィリップとフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は幼少であり、弟ヨハンが即位したが、1605年にヨハンが亡くなると、ヨハン・フィリップとフリードリヒ・ヴィルヘルム2世、ヨハンの息子たちに領土が分割され、ザクセン=ヴァイマル公国は更に縮小される事態となった。
子女
[編集]1583年、ヴュルテンベルク公クリストフの娘ゾフィーと結婚、6人の子を儲けた。
- ドロテア・マリア(1584年 - 1586年)
- ヨハン・ヴィルヘルム(1585年 - 1587年)
- フリードリヒ(1586年 - 1587年)
- ドロテア・ゾフィー(1587年 - 1645年) - 修道女
- アンナ・マリア(1589年 - 1626年)
- 死産(1590年)
1591年、プファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒの娘アンナ・マリアと再婚、6人の子を儲けた。
- ヨハン・フィリップ(1597年 - 1639年) - ザクセン=アルテンブルク公(1603年 – 1639年)
- アンナ・ゾフィー(1598年 - 1641年) - エールス公カレル・ベジフと結婚。
- フリードリヒ(1599年 - 1625年)
- ヨハン・ヴィルヘルム(1600年 - 1632年)
- ドロテア(1601年 - 1675年) - ザクセン=アイゼナハ公アルブレヒトと結婚。
- フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(1603年 - 1669年) - ザクセン=アルテンブルク公(1639年 – 1669年)
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