フェリックス・ハウスドルフ

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Felix Hausdorff
人物情報
生誕 1868年11月8日
ヴロツワフ, ドイツ
死没 1942年1月26日(1942-01-26)(73歳)
ボン, ドイツ
国籍 ドイツ
出身校 ライプツィヒ大学
学問
研究分野 数学
研究機関 ボン大学, グライフスヴァルト大学
博士課程
指導教員
ハインリヒ・ブランズ(Heinrich Bruns)
アドルフ・マイヤー
博士課程
指導学生
カール・ベーゲル(Karl Bögel)
フランツ・ホーレンバッハ(Franz Hallenbach)
グスタフ・スタインバッハ(Gustav Steinbach)
主な業績 ハウスドルフ次元
ハウスドルフ測度
プロジェクト:人物伝
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フェリックス・ハウスドルフ(Felix Hausdorff, 1869年11月8日-1942年1月26日)は、ドイツ数学者

位相空間などの研究に貢献した。ボン大学グライフスヴァルト大学の教授を務めた。ハウスドルフはユダヤ人であったため、ナチス政権がドイツを支配していた1942年に強制収容所に送られることが決定され、妻や義理の妹と共に自殺した。

出生[編集]

フェリックス・ハウスドルフ(Ferix Hausdorff)は、プロシア領ブレスァウ(現 ポーランドのヴロツワフ(Wrocław))で、裕福なユダヤ人の商人の家に生まれた。 彼は、ライプチヒで育った。家族は敬虔な信者であったが、ハウスドルフは強い不可知論者となった。彼は音楽に興味を持ち、作曲を学んだ。しかし、ライプチヒ、フライベルクで大学で学ぶ間に、天文学に転向した。 1985年、ハウスドルフは博士号を取得し、一年間の兵役の後、二年間、天文台付きの数学者として働いた。彼は天文台で、教職の資格を得た。 彼の最初の論文は、注目を集めなかった。 1899年、医師の娘、シャルロッテ・シュミットと結婚した。彼女は、ルター派の信徒であり、彼女との間に一女が生まれた。

数学者への転向[編集]

ハウスドルフの関心は数学に移った。彼は、条件付き確率、保険数学への応用などの論文を発表した。そして彼の関心は、集合論と位相空間論に移り、これが長い間の研究課題となった。 ハウスドルフは、集合論の初歩を教え、後に大きな体系となる集合論の研究を始めた。 1901年、教授に就任したが、あからさまな反ユダヤ的な風潮のため、出世のコースを辿ることは出来なかった。ハウスドルフは文学的サークル、芸術的なサークルに積極的に参加した。

作家として[編集]

パウル・モングレ(Paul Mongré)という筆名で、哲学的な研究書、詩、二冊の小説、上流階級のしきたりを風刺した演劇を出版した。第一次大戦後の辞典では、彼を著名な数学者、作家と記している。彼はアマチュアとして研究と教育を行っており、教育に奉ずることは、金銭的には不要であった。しかし、ライプチヒは快適ではなく、将来の科学におけるキャリアパスが必要と悟り、1910年に、ボンで教授職を得、1913年にバルト海沿岸のグライフスヴァルト(Greifswald)で教授職を得た。

集合論の基礎、Hausdorffのパラドックス[編集]

1914年に「集合論の基礎」(Felix Hausdorff,”Grundzüge der Mengenlehre” ,Leipzig(1914))を出版し、これが集合論の標準的な書物となる。この書の496ページ以下が、「ハウスドルフのパラドックス」にあてられている。この結果は、後に「バナッハ-タルスキのパラドックス」の証明に援用された。 グライフスヴァルトは、孤立した地であり、ハウスドルフが唯一の数学者であった。第一次大戦後、彼の研究は解析学に注がれる。1914年の、位相空間の次元(Hausdorff次元)、点集合の外測度(Hausdorff測度)に関する研究は、後のフラクタル幾何に重要な役割を果たす。 1921年、ボンに移る。1923年には、彼は公理的確率論に、自身の測度論を適用する。ハウスドルフの論文と著作は明快さとエレガントな所が特徴的であり、辛辣だが穏和な性格は周囲の人たちに親しまれた。1920年代、1923年代に「集合論の基礎」の、第二版、第三版を出版した。

晩年[編集]

ハウスドルフは1935年に退官した。ドイツのナチズムの台頭する中、彼は出国することを快しとしなかった。同僚や学生がドイツを離れ、あるいは戦死する中、彼はボンに止まった。 1942年、ユダヤ人収容所への送致が決まると、ハウスドルフは妻、妻の妹と共に自殺した。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Felix Hausdorff,”Grundzüge der Mengenlehre” ,Leipzig(1914)
  • A.MacFarland et. al(Editors), "Alfred Tarski,Early Work in Poland - Geometry and Teaching"(Birkhäuser)