パイパー PA-28

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PA-28

パイパー PA-28-236 ダコタ

パイパー PA-28-236 ダコタ

1976年製PA-28-151

PA-28 チェロキー(PA-28 Cherokee)は、飛行訓練、エアタクシー、自家用機などを目的として設計された軽飛行機のファミリーで、パイパー・エアクラフトが製造している[1]

PA-28 ファミリーは、すべて、全金属製・非与圧・低翼・前輪式の単発レシプロ機である。ドアは副操縦士の側に一つあり、主翼を踏んで乗り込む[1][2]

最初のPA-28は、1960年連邦航空局から型式証明を取得したが、このシリーズは現在でも生産されている。現在製造中のモデルはアロー(Arrow)とアーチャー(Archer)である。アーチャーは、2009年に一度生産中止になったが、新しくパイパーを買収したインプリミス英語版の資本によって、2010年から再生産を始めた[3][4][5]

PA-28 シリーズと競合するのは、セスナ 172グラマン・アメリカン AA-5英語版ビーチクラフト マスケティアなどである[6]

パイパーは、チェロキー・ファミリー内にいくつかの派生型を作ってきたが、これには140 - 300馬力 (100 - 220 kW)のエンジン・ターボチャージャーの有無・固定式または引込式の降着装置・固定ピッチプロペラまたは定速プロペラ英語版・座席を追加して6人乗りとするための胴体延長などが含まれる。6人乗りの派生型は一般的にはPA-32と呼ばれている。PA-32の初期の型は「チェロキー・シックス」として知られ、サラトガと呼ばれた後期の型は2009年まで生産されていた[1][7]

開発[編集]

チェロキーを発表したとき、パイパーの単発全金属飛行機の主力はPA-24 コマンチ英語版だったが、これはより大型で、引込式の着陸脚と定速プロペラを装備していた。Karl Bergey [8]Fred WeickJohn Thorpは、チェロキーを、セスナ 172に対抗できるように製造および部品のコストを下げた、コマンチの安価な代替機として設計した。ただし、その後、チェロキーのいくつかは、引込脚と定速プロペラを装備した。

チェロキーとコマンチは、並行して製造され、異なる市場区分に十年以上供給された。これは、PA-32R英語版に置き換えられる形で、コマンチの製造が1972年に終了するまで続いた[1]

PA-28 チェロキー[編集]

Singapore Youth Flying ClubのライブラリのPA-28-161 ウォーリアII。今でも世界中で基礎飛行訓練に使われている
フロートのついたPA-28-180
1966年製PA-28-140
PA-28R-200 チェロキー・アローの着陸脚の格納扉。これは、この引込脚モデルを見分ける特徴である
PA-28RT-201 チェロキー・アローIV。T字尾翼が特徴的である
記録を樹立したイギリス人パイロットPolly Vacherによる彼女のPA-28-236 ダコタの飛行。この機体は1994年製造

オリジナルのチェロキーは、チェロキー150とチェロキー160(PA-28-150とPA-28-160)で、1961年に製造が開始された(異なる場合もあるが、モデル番号は馬力を表している)[1]

1962年パイパーは180馬力 (130 kW)のライカミング O-360英語版を搭載したチェロキー180(PA-28-180)を追加した。追加された出力によって、(乗客の重量と燃料の量にもよるが)4席すべてに乗機した状態でも実用的な飛行ができるようになった。このモデルはいまでも中古市場で人気がある[1]1968年、操縦席が改良され、エンジンの制御が「プッシュ-プル」式からレバーになった。加えて、三番目の窓が両側に追加され、現在の製品に見られるような現代的な外観になった[9]

パイパーは、ラインの拡大を続けた。1963年、よりパワフルなチェロキー235(PA-28-235)を発表した。これは、積載量の面でセスナ 182に対して有利な対抗機となった。チェロキー235は、ライカミング O-540の出力を235馬力 (175 kW)に下げたエンジンと、最終的にチェロキー・シックスにも使われた長い主翼を装備した。両方の翼端にはそれぞれ17米ガロン (64 L)のチップタンクが取り付けられ、チェロキー235が携行できる燃料は合計84米ガロン (320 L)になった[1]1973年、後席の足元を広げるために胴体が延長され、スタビレーターの面積も拡大された。また、販売名が「235」からチャージャーに変更され、1974年に再度変更されてパスファインダーとなった。パスファインダーの生産は1977年まで続き、1978年モデルは存在しない。1979年、パイパーはこの機体にテーパー翼を与え、名称をまた変更してダコタとした[要出典]

1964年、パイパーは、チェロキー140(PA-28-140)をラインの最下位として発表した。これは、練習用に設計され、最初は2名しか運べなかった[1]。 PA-28-140のエンジンは発表後すぐに改良され、150馬力 (110 kW)を発生するようになったが、名称は-140のままとされた。

1967年、パイパーは、PA-28R-180 チェロキー・アローを発表した。この機体は、定速プロペラと引込脚、それに180馬力 (130 kW)のライカミング IO-360-B1E エンジンを装備していた。ライカミング IO-360-C1Cを搭載して200馬力 (150 kW)とした派生型は、PA-28R-200と名付けられ、1969年からオプションとして提供された。180馬力 (130 kW)のモデルは1971年に販売が中止された[10]。アローを発表すると同時に、パイパーは、チェロキー150とチェロキー160を生産中止とした[1][11][12]

1972年、後席の足元を広げるために胴体を5インチ (13 cm)延長したアローIIが発表された[10]

1977年、パイパーは、以前のPA-28-181で低速時の扱いを改善することに成功したセミテーパー翼と長いスタビレーターを装備した、アローIII(PA-28R-101)を発表した。また、燃料タンクも容量が50 - 77米ガロン (190 - 290 L)に拡大された[12]

ターボチャージャーを装備した最初のモデルであるPA-28R-201Tも、1977年に発表された。この機体は、Rajayのターボチャージャー付き6気筒エンジンであるコンチネンタル TSIO-360-Fを装備していた。オプションとして、3翔プロペラが選択できた[10]

1979年、アローは、当時パイパーの他の機体で共通して使われていたT字尾翼に変更され、PA-28RT-201 アローIVとなった[12]

1971年、パイパーは、チェロキー140のチェロキー・クルーザー2+2と呼ばれる派生型を発売した。140という名称のままだったが、実際には150馬力 (110 kW)で、主として4座バージョンとして出荷された。1973年、チェロキー180はチェロキー・チャレンジャーと名付けられ、胴体を少し延長し主翼の幅を増したチェロキー235は、チャージャーと名付けられた[1]。1974年、パイパーはチェロキーのモデルのいくつかの販売名を変更し、残っていたクルーザー2+2(140)は単にクルーザー、チャレンジャーはアーチャー(PA-28-181)、チャージャー(235)はパスファインダーとした[11]

パイパーは、チェロキー150を1974年に再発表し、名前をチェロキー・ウォーリア(PA-28-151)に変更して、アーチャーの延長された胴体と、新しいセミテーパー翼を与えた[1][11]

1977年、パイパーは、クルーザー(140)とパスファインダー(235)の製造を中止したが、新しい235馬力 (175 kW)のダコタ(PA-28-236)を発表した。これは、チェロキー235、チャージャー、および、パスファインダーをもとにしていたが、新しいセミテーパー翼をもっていた[11]

PA-28-201T ターボ・ダコタは、PA-28-236の発表に続いて1979年に発表された。この機体は基本的に固定脚のアローIIIと同じで、200馬力 (150 kW)を発揮するターボ付きのコンチネンタル TSIO-360-FB エンジンを搭載していた。この機体はあまりよく売れず、1980年に製造が中止された[13]

1978年、パイパーは、ウォーリアを改良して160馬力 (120 kW)のPA-28-161とし、名前をチェロキー・ウォーリアIIとした。ホイール・フェアリングは、空力的に改良された。1982年7月以降に製造されたウォーリアIIの後期のモデルは、総重量が2,440ポンド (1,110 kg)に増加し、有効積載量は900ポンド (410 kg)を超えた。同機はグラスコックピットを装備したウォーリアIIIとなり、練習機として販売された[14][15]

PA-32[編集]

1965年パイパーは、PA-28を延長して、チェロキー・シックスを開発し、PA-32と名付けた。この機体は、延長された胴体と、1名の操縦士と5人の乗客のための座席を持っていた[11]

ブラジル、アルゼンチン、チリにおける生産[編集]

PA-28sは、ブラジルエンブラエルでEMB-711A/EMB-711C Corisco(PA-28R-200)、EMB-711B(PA-28R-201)/EMB-711T(PA-28RT-201)/EMB-711ST Corisco Turbo(PA-28RT-201T)、そして、EMB-712 Tupi(PA-28-181)としてライセンス生産された。アルゼンチンでは、サンフアンChincul SACAIFI英語版で製造された。Chincul S. A.は、1972年-1995年の間に、チェロキー・アーチャー、ダコタ、アロー、そして、ターボアローを含む960機を製造した[16]。PA-28-236 ダコタは、チリ空軍の整備航空団(のちにENAER英語版になった)でもライセンス生産された。1982年9月までに、20機のダコタがチリで組み立てられた[17]

ニュー・パイパー・エアクラフト[編集]

もとのパイパー・エアクラフト社は、1991年に破産を宣告された。1995年、ニュー・パイパー・エアクラフト社が作られ、2008年に再び名前をパイパー・エアクラフトに変更した。 この会社が現在生産している派生型は、180馬力 (130 kW)のアーチャーLXとTX、および、200馬力 (150 kW)のアローである[18]

設計[編集]

主翼[編集]

もともと、すべてのチェロキーは、矩形翼、つまり、平面系が長方形の翼をもっていた。よく「Hershey Bar wing」と呼ばれたが、これは、凸面のある長方形のチョコレート・バーに似ていたからである。

1974年のウォーリアーで、パイパーは、初めて NACA 652-415 プロファイルのセミテーパー翼に変更し、また、翼幅を2-フート (0.61 m)長くした。翼弦は、主翼の付け根から中ほどまで一定だが、そこから翼端まで、前縁が後方に向かって絞られていく。チェロキーのどちらの主翼も、付け根に角度がついている。つまり、主翼前縁は機体に近づくように少し前方に角度がついており、直角ではない。

同じ出力を持つ異なった翼型のチェロキーの、離陸距離、巡航速度、および、着陸距離は、資料によれば非常に近く、後期のテーパー翼のモデルにみられるいくつかの違いは、主翼の設計より、むしろ、より良いフェアリングとシールに起因すると考えられている。矩形翼はテーパー翼と大差なく、ほかの方法の方がより良い結果が得られる。パイパー・チェロキーの設計者John Thorpは、「テーパー翼は外側から失速を起こしやすく、こうなるとエルロンの効率が下がり、ロールオフからスピンに陥る危険性が増える。」と言っている[19]

加えて、Peter Garrisonは以下のように説明している: 「翼端失速を防ぐには、テーパー翼の外側の部分に、より多くの上反角をつける、前縁を拡大するか下げる、固定式あるいは自動式の前縁スロット(英語版)またはスラットを装備する、また、最も一般的には"ねじり下げ"を行うという方法がある。このような修正を行うと、いずれにしても抵抗が増加し、テーパー翼の恩恵を帳消しにしてしまう[19]。」

フライト・コントロール[編集]

チェロキー・ファミリーには、伝統的なフライト・コントロールが用いられている。水平尾翼は、アンチサーボ・タブ(アンチバランス・タブ)を備えたスタビレーターである。アンチサーボ・タブは、スタビレーターと同じ向きに動くので、スタビレーターがトリム位置を外れるように動くと、ピッチ制御が重くなる。フラップは最大40°展開できるが、セスナ 172のフラップよりもかなり小さく、効率が悪い。短距離離陸、または不整地からの離陸の場合、通常はフラップを25°にする。エルロン、フラップ、スタビレーター、および、スタビレーター・トリムは、すべてケーブルとプーリーでコントロールされる[20]

すべてのチェロキーの操縦席には、操縦桿(control stick)ではなく操縦輪(control yoke)と、ラダーペダルがある[20]。 フラップは、操縦士が前席の間にあるジョンソン・バー英語版を使って手動で操作する。0°ならば床と水平であり、これを引き上げて10°、25°、および40°の位置を選択することができる[20]

初期のチェロキーは、スタビレーター・トリム(正確にはアンチサーボ・タブ)の調整に、頭上のクランクを使っていたが、その後、前席の間のフラップ・バーのすぐ後ろにあるトリム・ホイールを使うようになった[20]

すべてのチェロキーには、操縦士側の計器盤の下にブレーキ・レバーがある。ラダーペダルのブレーキ(左右独立式)は、最初はオプションによる追加だったが、後に標準装備になった[20]

初期のチェロキーは、スロットル、混合比、および、プロペラの角度(調整可能な場合)を調整するのにコントロール・ノブを使っていたが、後にスロットル・クアドラント(throttle quadrant:スロットル・レバーの基部の半円状の部分)に取り付けられた2つまたは3つのレバーを使うようになった。

通常は、チェロキーはラダー・トリム・ノブを装備しているが、これは、実際にはラダーペダルのばねを調整するもので、ラダーにあるトリム自体を調整するのではない。言い換えれば、翼面は空力的にというよりむしろ張力の調整でトリム状態になる[20]

派生型[編集]

PA-28-140 チェロキー・クルーザー
複座、固定脚の陸上機。エンジンライカミング O-320-E2A英語版、出力150馬力 (112 kW)。総重量1,950ポンド (885 kg)。1964年2月14日、初認可。1965年6月17日、総重量2,150ポンド (975 kg)の4座として認可[12]
PA-28-150 チェロキー
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-320-A2BまたはO-320-E2A、出力150馬力 (112 kW)。総重量2,150ポンド (975 kg)。1961年7月2日、初認可[12]
PA-28-151 チェロキー・ウォーリア
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-320-E3D、出力150馬力 (112 kW)。総重量2,325ポンド (1,055 kg)。1973年8月9日、初認可。PA-28-150をテーパー翼にしたモデル[12]
PA-28-160 チェロキー
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-320-B2BまたはO-320-D2A、出力160馬力 (119 kW)。総重量2,200ポンド (998 kg)。1960年10月31日、初認可[12]
PA-28-161 ウォーリアII
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-320-D3GまたはO-320-D2A、出力160馬力 (119 kW)。総重量2,325ポンド (1,055 kg)。1976年11月2日、初認可。PA-28-160をテーパー翼にしたモデルである。総重量2,440ポンド (1,107 kg)は、1982年7月1日に認可[12]
PA-28-161 ウォーリアIII
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-320-D3G、出力160馬力 (119 kW)。総重量2,240ポンド (1,016 kg)。1994年7月1日、初認可[12]
PA-28-180 チェロキー
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-360-A3AまたはO-360-A4A、出力180馬力 (134 kW)。総重量2,400ポンド (1,089 kg)。1962年8月3日、初認可[12]
PA-28-180 アーチャー
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-360-A4AまたはO-360-A4M、出力180馬力 (134 kW)。総重量2,450ポンド (1,111 kg)。1972年5月22日、初認可。PA-28-180 チェロキーの胴体を5インチ (13 cm)延長、翼幅を拡大、大きな水平尾翼を装備し、総重量の増加その他の小変更を行ったモデル[12]
PA-28-181 アーチャーII
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-360-A4MまたはO-360-A4A、出力180馬力 (134 kW)。総重量2,550ポンド (1,157 kg)。1975年7月8日、初認可。PA-28-180をテーパー翼にしたモデル[12]
PA-28-181 アーチャーIII
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-360-A4M、出力180馬力 (134 kW)。総重量2,550ポンド (1,157 kg)。1994年8月30日、初認可[12]
PA-28-201T ターボ・ダコタ
4座、固定脚の陸上機。エンジンはターボチャージャー付きコンチネンタル TSIO-360-FB英語版、出力200馬力 (149 kW)。総重量2,900ポンド (1,315 kg)。1978年12月14日、初認可[12]
PA-28-235 チェロキー・パスファインダー
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-540-B2B5英語版、またはO-540-B4B5、出力235馬力 (175 kW)。総重量2,900ポンド (1,315 kg)。1963年7月15日、初認可[12]
PA-28-235 チェロキー・パスファインダー
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-540-B4B5、出力235馬力 (175 kW)。総重量3,000ポンド (1,361 kg)。1972年7月9日、初認可。1963年に認可を受けたPA-28-235 チェロキー・パスファインダーの胴体を5インチ (13 cm)延長、翼幅を拡大、大きな水平尾翼を装備し、総重量の増加その他の小変更を行ったモデル[12]
PA-28-236 ダコタ
4座、固定脚の陸上機。エンジンはライカミング O-540-J3A5D、出力235馬力 (175 kW)。総重量3,000ポンド (1,361 kg)。1978年6月1日、初認可。1972年に認可を受けたPA0-28-235 チェロキー・パスファインダーをテーパー翼にしたモデル[12]
PA-28S-160 チェロキー
4座、固定脚の水上機。エンジンはライカミング O-320-D2A、出力160馬力 (119 kW)。総重量2,140ポンド (971 kg)。1963年2月25日、初認可[12]
PA-28S-180 チェロキー
4座、固定脚の水上機。エンジンはライカミング O-360-A3A、出力180馬力 (134 kW)。総重量2,222ポンド (1,008 kg)。1963年5月10日、初認可[12]
PA-28R-180 アロー
4座、引込脚の陸上機。エンジンはライカミング IO-360-B1E、出力180馬力 (134 kW)。総重量2,500ポンド (1,134 kg)。1967年6月8日、初認可[12]
PA-28R-200 アロー
4座、引込脚の陸上機。エンジンはライカミング IO-360-C1C、出力200馬力 (149 kW)。総重量2,600ポンド (1,179 kg)。1969年1月16日、初認可[12]
PA-28R-200 アローII
4座、引込脚の陸上機。エンジンはライカミング IO-360-C1CまたはIO-360-C1C6、出力200馬力 (149 kW)。総重量2,650ポンド (1,202 kg)。1971年12月2日、初認可。1969年に認可を受けたPA-28R-200 アローの胴体を5インチ (13 cm)延長、翼幅を拡大、大きな水平尾翼を装備し、総重量の増加その他の小変更を行ったモデル[12]
PA-28R-201 アローIII
4座、引込脚の陸上機。エンジンはライカミング IO-360-C1C6、出力200馬力 (149 kW)。総重量2,750ポンド (1,247 kg)。1976年11月2日、初認可[12]
PA-28R-201T ターボ・アローIII
4座、引込脚の陸上機。エンジンはターボチャージャー付きコンチネンタル TSIO-360-FまたはTSIO-360-FB、出力200馬力 (149 kW)。総重量2,900ポンド (1,315 kg)。1976年11月2日、初認可[12]
PA-28RT-201 アローIV
4座、引込脚の陸上機。エンジンはライカミング IO-360-C1C6、出力200馬力 (149 kW)。総重量2,750ポンド (1,247 kg)。1978年11月13日、初認可[12]
PA-28RT-201T ターボ・アローIV
4座、引込脚の陸上機。エンジンはターボチャージャー付きコンチネンタル TSIO-360-FB、出力200馬力 (149 kW)。総重量2,900ポンド (1,315 kg)。1978年11月13日、初認可。T字尾翼[12]

運用者[編集]

チェロキー・シリーズは、個人オーナーや飛行クラブに人気があり、32,000機以上が販売された。

軍による運用[編集]

事故[編集]

仕様 (PA-28-140 チェロキー 140 1964年モデル)[編集]

出典: Piper Aircraft Owner's Handbook[20]

諸元

性能

  • 最大速度: 230km/h=M0.19 (123knots, 142mph)
  • 巡航速度: 200km/h=M0.16 (108knots, 124mph)
  • 失速速度: 87km/h (47knots, 54mph)
  • 航続距離: 870km (465nm, 535sm)
  • 実用上昇限度: 4,400m (14,300ft)
  • 上昇率: 3.4m/s (660ft/min)
  • 翼面荷重: 64.4kg/m2 (13.4lb/sq ft)
  • 馬力荷重(プロペラ): 0.116kW/kg (14.3lb/hp)


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関連項目[編集]

出典[編集]

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外部リンク[編集]