バレーボールケニア女子代表
表示
バレーボールケニア女子代表 | |
---|---|
国または地域 | ケニア |
大陸連盟 | アフリカバレーボール連盟 |
協会 | ケニアバレーボール協会 |
監督 | ルイゾマール・デ・モウラ |
国名コード | KEN (Kenya) |
FIVBランキング | 21位(2024年3月版)[1] |
オリンピック | |
出場回数 | 3回 |
初出場 | 2000 シドニー |
最高成績 | 11位(2000、2004) |
世界選手権 | |
出場回数 | 5回 |
初出場 | 1994 世界選手権 |
最高成績 | 13位(1994、1998) |
ワールドカップ | |
出場回数 | 6回 |
初出場 | 1991 ワールドカップ |
最高成績 | 10位(2015) |
アフリカ選手権 | |
出場回数 | 14回 |
最高成績 | 優勝(1991、1993、1995、1997、2005、2007、2011、2013、2015、2023) |
バレーボールケニア女子代表(バレーボールケニアじょしだいひょう)は、バレーボールの国際大会で編成されるケニアの女子バレーボールナショナルチームである。マルキア・ストライカーズの愛称を持つ。
歴史
[編集]1964年に国際バレーボール連盟へ加盟[2]。1991年から中学生レベルだったチームを、大西努が監督として指導を行いアフリカ選手権で優勝し、世界クラブ選手権に出場。1997年にかけて4連覇を達成した。
特に、協会役員の意識改革とナショナルチーム選手への規律(心)の厳しい指導を徹底して行いケニアバレーボールの基礎を構築した。
2000年シドニーオリンピックに初出場し、2004年アテネオリンピックで連続出場したが、2008年1月の北京オリンピックアフリカ予選で敗退した[3]。世界選手権は初出場の1994年大会から連続出場を果たしており、2006年大会では日本人の菅原貞敬が監督として指揮を執り、日本と対戦して話題になった。2009年からは入澤秀寛が監督に就いていた。2010年の世界選手権にはBグループで登場したが、勝利を奪えず予選ラウンド敗退の21位タイだった。2011年のアフリカ選手権において7度目の優勝を飾り、2大会連続でワールドカップ出場を決めた。
2020年、カメルーンのヤウンデで行われたアフリカ予選で優勝し、2020年東京オリンピック出場を果たした。
過去の成績
[編集]オリンピックの成績
[編集]- 1992年 - 最終予選敗退
- 1996年 - 予選敗退
- 2000年 - 11位
- 2004年 - 11位
- 2008年 - アフリカ予選敗退
- 2012年 - 最終予選出場辞退[4]
- 2016年 - 最終予選敗退
- 2020年 - 12位
世界選手権の成績
[編集]1952年から1990年まで出場なし
- 1994年 - 13位
- 1998年 - 13位
- 2002年 - 21位
- 2006年 - 21位
- 2010年 - 21位
- 2014年 - アフリカ予選敗退
- 2018年 - 20位
- 2022年 - 19位
ワールドカップの成績
[編集]アフリカ選手権の成績
[編集]
|
|
|
歴代代表選手
[編集]脚注
[編集]- ^ FIVB. “FIVB Women’s Volleyball World Ranking”. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “Confédération Africaine de Volleyball (CAVB)”. FIVB. 2010年8月14日閲覧。
- ^ “Women's Olympic Games 2008”. FIVB. 2010年8月14日閲覧。
- ^ 大陸予選情報 アフリカ大陸予選(女子)│TBSテレビ:2012ロンドンオリンピック バレーボール世界最終予選