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ハインツェルメンヒェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハインツェルメンヒェン
オスカー・ヘルフルト英語版(画)、はがき(1926年以前の作)

ハインツェルメンヒェンドイツ語: Heinzelmännchen; ([de])は、ドイツのケルン市にまつわるお手伝い精霊(コボルト)の一種。スコットランドの妖精ブラウニーと比較される[1]

市では、この裸の精霊たちの物語をクリスマスどきに語るのが恒例行事となった[2]。英文解説では「エルフたち」ともいわれることがあるが[2]、「エルフ」たちと定訳される「小人の靴屋ドイツ語版」の小人たち(原作ではヴィヒテルドイツ語版たち)[注 1]の意味歳合いでの「エルフ」と注意される[3]

家の精霊たちは、夜間に勤しんで、ケルン市民が行うはずの様々な仕事を肩代わりして片付けてくれるのだと言われていた。昼間に暇をもてあました市民たちは、怠惰になっていった。しかしその姿は見えなかった。伝説によれば、あるとき、仕立て屋の妻が好奇心を抑えきれず、一目みるために精霊たちの足を滑らせ点灯させるためのエンドウ豆(Erbsen)をばらまいた。精霊たちは憤慨して、皆ケルンから去っていなくなってしまった。それ以降、市民たちは自分の仕事は自分でこなさねばならなくなった[4][5]

名称

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ハインツェルメンヒェンのジオラマ

ヘーネスヒェン(Hänneschen)とは、かつてケルンの人形劇場での定番キャラの名前であった[6]。生粋のケルン方言(Kölsch)であれば、正しい綴りは "Heizemann/Heizemännche"(複数形:"Heizemänncher")であるべきだとされる。ハインツェルメンヒェンというのは標準ドイツ語にあわせた語形なのである[7]

名前の由来については、二段構えの仮説が、民話学者のマリアンネ・ルンプフドイツ語版(1976年)によって提唱されている[8]。まず第一に、ハインツェルメンライン(Heinzelmännlein)というマンドレイク人形の俗称が流通していたこと[9]。ここから人形が動いてまわったり、家の精のような存在にみられるようになるという進化があった[10]。第二に、人名のハインツェ(Heize)からそのまま名付けられたり[11]、ハインツェンクンスト(Heizenkunst)というような名が、排水用の装置につけられて、ザクセン州エルツ山地の鉱業地帯で通っていた[12]。その延長線上、装置操作員のことも、ハインツに呼ばれていたに違いない、とルンプフは経緯を推理した[13]

 ヴェイデン(1826年)

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ハインツェルメンヒェンの伝説を、知られる限り初めて書き起こしたのは、ケルンの教師、エルンスト・ヴェイデン英語版(1805–1869)で、1826年にその作品は発表された[14][15][16]。まもなくトマス・カイトリーが英訳を手掛け、1828年刊行『フェアリー神話学』に所収されている[4][15]

ヴェイデンの記述は、次のようにはじまる:

Es mag noch nicht über fünfzig Jahre seyn, daß in Cöln die sogenannten Heinzelmännchen ihr abentheuerliches Wesen trieben. Kleine nackende Männchen waren es, die allerhand thaten, Brodbacken, waschen und dergleichen Hausarbeiten mehrere; so wurde erzählt; doch hatte sie Niemand gesehen[14]

いわゆるハインツェルメンヒェンがまだケルンに住み営みをおこなっていた頃というのは、ほんのまだ50年前にも満たない。彼らは小さな裸の小人(メンヒェン)で、あらゆる種類の仕事に従事した。パンを焼き、洗い物をするなど家事をやってのけた、と言われている。しかし誰もその姿を見たためしはなかった[17]

—Weyden (1826) Cöln's Vorzeit —Keightley (1828) Fairy Mythologyより重訳

コーピッシュの歌謡(1836年)

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1836年、画家で詩人のアウグスト・コーピッシュ英語版が、ハインツェルメンヒェンについての詩(バラッド)を発表し[18]、1848年の詩集にも再掲[19]、たいへんな人気を博し[20]、コーピッシュの名声は、この詩とカプリの青の洞窟の"再発見"の功により不動のものとなった[21]

その詩の冒頭の一部をかいつまむと:[18]


Wie war zu Cölln es doch vordem
Mit Heinzelmännchen so bequem!
Denn war man faul, ... man legte sich
Hin auf die Bank und pflegte sich.
Da kamen bei Nacht, eh' man's gedacht,
Die Männlein und schwärmten
Und klappten und lärmten
Und rupften
Und zupften
Und hüpften und trabten
Und putzten und schabten –
Und eh' ein Faulpelz noch erwacht,
war all sein Tagwerk ... bereits gemacht!...

往時のケルンは、いったいどんなだったろうか?
ハインツェルメンヒェンのおかげで、どんなに快適だったことだろうか!
怠け者ならば、寝っ転がっておればよい
ベンチに寝そべって、自分の世話すればよい
すると知らぬ間に、夜の訪れとともに、
小人たちは群がりやってきて、
カタカタとガタガタと音を立て
そして摘んで
もいで
跳ねるは小走りするは
掃除がけにブラシがけ
そして怠け野郎が目覚める前に、
一日の仕事は、もうやり終わり!...

評論

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民話学者のマリアンネ・ルンプフ(1976年)は、エルンスト・ヴェイデンが1826年にまとめた記述が、コーピッシュが詩作にもちいた唯一の材料だったと主張した。しかし、その主張は、ヴェイデンが膨大な蔵書を所持していたに比べ、コーピッシュは資料に乏しかった、など憶測が過ぎるとヘリベルト・A・ヒルガースドイツ語版が反論している[22] 。ただ、調べるとヴェイデンがハインツェルメンヒェン物語を再築しようとした試みは1821年頃から始まっている、という[23]

ドイツ俗信事典ドイツ語版』(HdA)[注 2]の「コボルト」の項で、筆者のリリー・ヴァイザー=オールドイツ語版はハインツェルメンヒェンを「H部類 文芸的な名称」に仕分けしており、いわば創作的フォークロアが人口に膾炙したのは事実上、コーピッシュに拠るものとみなしている[24]

大衆文化

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ケルンの年次クリスマス行事として、旧市街のアルターマークト(Alter Markt)広場やホイマルクト(Heumarkt)広場にたつクリスマスマーケットでは、ハインツェルメンヒェンをモチーフとして人形で飾り立てるのが好例となっており、「ハインツェルの冬メルヒェン」(Heinzels Wintermärchen)と命名されている[25][26]

記念碑

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ケルン市のハインツェルメンヒェン噴水(Heinzelmännchenbrunnen)は、アム・ホーフ通り、ケルン大聖堂と町の最古のビール醸造蔵元「フリュー」(Früh)のそばに設置されている。小人らと、仕立て屋の夫人像をあしらった記念碑で、彫刻家ハインリヒ・レナードドイツ語版とその父エドムント・レナード (大)ドイツ語版の1897–1900年間の共作。夫人像は複製と交換され、原作の彫刻はケルン武器庫ドイツ語版(ツォイクハウス)に展示されている[27][28]

音楽化

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コーピッシュの歌謡は、ドイツのリート作曲家カール・レーヴェによって楽曲がつけられ1841年に第83作『Die Heinzelmännchen』として発表された[29]

また1944年の謝肉祭用のカーニバル・ソング英語版として『Heizemänncher』を、ヨハネス・マティアス・フィルメニッヒドイツ語版が作曲している[30]

注釈

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  1. ^ グリム童話 KHM 39、英訳『The Elves and the Shoemaker』、ドイツ原作『Die Wichtelmänner』。
  2. ^ ほかにも『ドイツ民間信仰事典』、『ドイツ迷信事典』などの邦訳題名が使われる。

脚注

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  1. ^ Guerber, Hélène Adeline (1899). “The Heinzelmännchen”. Legends of the Rhine (3 ed.). New York: A.S. Barnes & Company. pp. 339–340, note8 to pp. 71–72. https://books.google.com/books?id=wYUVAAAAYAAJ&pg=PA339 
  2. ^ a b Schwering, Max-Leo (1969). Cologne Panorama: Guide in Color of the Town. Köln: Ziethen Verlag. p. 13. https://books.google.com/books?id=qc480xh2CbUC&q=heinzelm%C3%A4nnchen 
  3. ^ Reik, Theodor (1966). The Many Faces of Sex. New York: Farrar, Straus & Giroux. pp. 339–340, note8 to pp. 71–72. https://books.google.com/books?id=Us1-AAAAMAAJ&q=shoemaker 
  4. ^ a b Keightley (1828), 2: 29–31.
  5. ^ Guerber (1899), pp. 71–72.
  6. ^ Grässe, Johann Georg Theodor (1856). “Zur Geschichte des Puppenspiels”. Die Wissenschaften im neunzehnten Jahrhundert, ihr Standpunkt und die Resultate ihrer Forschungen: Eine Rundschau zur Belehrung für das gebildete Publikum (Romberg) 1: 559–660, 672. https://books.google.com/books?id=rnUsBl0V_78C&pg=PA660. 
  7. ^ Hilgers (2001a), p. 49.
  8. ^ Johann Christoph Adelung: Das Heinzelmännlein
  9. ^ Adelung, Johann Christoph (1796). "Das Heinzelmännlein Grammatisch-kritisches Wörterbuch der Hochdeutschen Mundart, Band 2. e-text @ Münchener DigitalisierungsZentrum
  10. ^ Rumpf (1976), pp. 64, 68–69.
  11. ^ Adelung, Johann Christoph (1796). "2. Der Heinz Grammatisch-kritisches Wörterbuch der Hochdeutschen Mundart, Band 2. e-text @ Münchener DigitalisierungsZentrum
  12. ^ Rumpf (1976), p. 63.
  13. ^ Rumpf (1976), p. 70.
  14. ^ a b ウィキソース出典 Weyden, Ernst (1826), “Heinzelmännchen” (ドイツ語), Cöln's Vorzeit. Geschichten, Legenden und Sagen Cöln's, nebst einer Auswahl cölnischer Volkslieder, Cöln am Rhein: Pet. Schmitz, pp. 200–202, ウィキソースより閲覧。 
  15. ^ a b Kluge, Friedrich [in 英語]; Seebold, Elmar [in 英語], eds. (2012) [1899]. "Heinzelmännchen". Etymologisches Wörterbuch der deutschen Sprache (25 ed.). Walter de Gruyter GmbH & Co KG. p. 406. ISBN 9783110223651
  16. ^ Hilgers (2001a), p. 30: "Diese Aufzeichnung von Ernst Weyden aus dem Jahr 1826 ist die älteste bisher bekannt gewordene Version der Kölner Heinzelmännchensage".
  17. ^ Keightley (1828), 2: 29.
  18. ^ a b ウィキソース出典 Kopisch, August (1836), Die Heinzelmännchen” (ドイツ語), Gedichte, Berlin: Duncker und Humblot, p. 98, https://de.wikisource.org/wiki/Die_Heinzelm%C3%A4nnchen  from scan@books.google, pp. 98–102
  19. ^ Kopisch, August (1848). “Die Heinzelmännchen”. Allerlei Geister. Berlin: Alexander Duncker. pp. 88–92. https://books.google.com/books?id=Zp06AAAAcAAJ&pg=PA88 
  20. ^ Ayres, Harry Morgan [in 英語], ed. (1917). "August Kopisch". The Reader's Dictionary of Authors. The Warner Library 28. New York: Warner Library Company.
  21. ^ Steblin, Rita (2014). “Schubert: The Nonsense Society Revisited”. In Gibbs, Christopher H.; Solvik, Morten. Franz Schubert and His World. Princeton University Press. p. 22. ISBN 9781400865352. https://books.google.com/books?id=5fioBAAAQBAJ&pg=PA22 
  22. ^ Hilgers (2001a), p. 33.
  23. ^ Hilgers (2001b), p. 113.
  24. ^ Weiser-Aall, Lily [in 英語] (1987) [1933]. "Kobold". In Bächtold-Stäubli, Hanns [in ドイツ語]; Hoffmann-Krayer, Eduard [in 英語] (eds.). Handwörterbuch des Deutschen Aberglaubens. Vol. Band 5 Knoblauch-Matthias. Berlin: Walter de Gruyter. pp. 31–33. ISBN 3-11-011194-2
  25. ^ “Das erwartet Sie beim Kölner Weihnachtsmarkt am Heumarkt und Alter Markt 2023”. Kölner Stadt-Anzeiger abonnieren. (12 November 2023). https://www.ksta.de/koeln/koelner-innenstadt/weihnachtsmarkt-koelner-altstadt-2023-alter-markt-und-heumarkt-alle-infos-687299 
  26. ^ 国中がクリスマスムードに染まる本場ドイツの美しいクリスマスマーケット7選” (2017年12月7日). 2024年10月9日閲覧。
  27. ^ Detering, Monika (2020). “10. Die Heinzelmännchen zu Köln”. Sagen und Legenden aus Westfalen. New York: Kraterleuchten GmbH. ISBN 9783955405083. https://books.google.com/books?id=wVWmEAAAQBAJ&pg=PT326 
  28. ^ Strutz, Rudolf J. (2023). “Sehenswert: Heinzelmänchenn”. Köln mit den ÖBB.  : Oebb eBooks by AuVi. p. 9. https://books.google.com/books?id=k-kmCgAAQBAJ&pg=PA9 
  29. ^ Youens, Susan (2024). “3. Example 18b.”. Hugo Wolf: The Vocal Music. Princeton University Press. ISBN 9780691265018 
  30. ^ Hilgers (2001a), p. 48.

参考文献

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外部リンク

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関連項目

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