ノート:渡邊昇

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改名提案[編集]

渡邊昇渡辺昇に改名することを提案します。そもそも、近現代の歴史人物の名は、対応する常用漢字がある場合は常用漢字を用いる原則が戦後長く続いています。当該人物が存命当時、旧字体で表記していた場合でも、現在では常用漢字を用いるのが通例となっている。この慣例に従えば、項目名は「渡辺昇」とすることになります。ちなみに人名辞典類を調べて見るとつぎのようになっています。

渡邉昇

  • 『新聞集成明治編年史』1934年~1941年
  • 『日本人名大辞典』平凡社、1938年初版、1979年改訂
  • 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年 -- 記載事項は貴族院事務局に提出された履歴書並びに貴族院要覧に基づく。
  • 『平成新修 旧華族家系大成 下巻』社団法人霞会館、1996年

渡辺昇

  • 『大正過去帳 <物故人名辞典>』東京美術、1973年
  • 『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年
  • 『朝日 日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年
  • 『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年 --『国史大辞典』から近現代の人名のみ抽出
  • 『日本近現代人物履歴事典』秦郁彦(編)、東京大学出版会、2002年

戦前編纂された『新聞集成明治編年史』や『日本人名大辞典』と、本人の提出書類による『議会制度百年史』、子孫からの申し出に準拠した『旧華族家系大成』のみが、旧字体の表記を採っており、戦後に編纂された辞典・事典類はすべて常用漢字体での表記を採用しています。研究論文で言及する場合には「渡辺昇」と表記するわけで、Wikipediaが一般的な表記法以外を、わざわざ用いる理由はないのではないかと考えます。以上、提案の説明として。--rshiba 2009年12月6日 (日) 06:06 (UTC)[返信]

(コメントへコメント)「複数の字体がある漢字については、常用漢字表にある字体を使うことが原則です。ただし、固有名詞にこの原則は適用されません。」は、常用漢字表にある字体を使うという原則は固有名詞には適用されない、と述べているわけです。ということは、固有名詞について常用漢字体を使うのか、別の字体を使うのかは、より上位の原則によって判断されるべきだということになります。すなわち、「最終的には日本語圏においてその表記が一般的であるかを重視して記事名を決めます。」によって考えることになります。【←Wikipedia的にはここまで、ここから先は一般社会との整合→】戦後アカデミズムにおける慣例が、辞書や文部省検定教科書における人名表記の原則となっている現状を考え、「日本語圏においてその表記が一般的であるか」を決める基準になると考え、この提案をしている次第です。--rshiba 2009年12月6日 (日) 07:26 (UTC)[返信]
そもそも常用漢字表は固有名詞を対象外とすると明示しており、その意味で、常用漢字体を用いている文献が、なぜ常用漢字体を用いているのかを検討する必要がありましょう。たとえば、文部省検定教科書における人名表記は常用漢字体を用いる理由とはならないでしょう。「戦後アカデミズムにおける慣例」が、どの様にして示されるものなのか今ひとつ想像がつきませんが、記事名としてはWikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことで解決すべき範囲のものだと思います。--Jms 2009年12月6日 (日) 07:44 (UTC)[返信]
Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことは「略称、別名、別表記」に対する「正式な名称」と言っているわけです。人名に対する漢字の字体の使い分けについては、価値中立的です。Wikipedia内的には、近現代日本の歴史人物に対する漢字表記については、「日本語圏においてその表記が一般的であるか」という基準が示されているだけです。何が一般的かと考える時には、色々と想像力を働かせて見なければならない。歴史研究者ではない普通のひとが、大型書店や都道府県立図書館に行って最初に見る本などで、どのような表記法が用いられているのか、どちらの漢字表記で当該人名が記されているのか辺りが一応の判断材料になりませんか。--rshiba 2009年12月6日 (日) 07:58 (UTC)[返信]
Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことが、「別表記」に対する「正式な名称」であるなら、この場合は当然官報の類か、『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』にある表記を採用すべきでしょう。人名に対する漢字の字体の使い分けについて価値中立的である、という主張は、「略称、別名、別表記」に対する「正式な名称」、というのと整合しない気がします。辞書の類は、内容の是非とは独立に「表記には○○を用いる」などと決めてしまっている場合もあるので、一つひとつそれを検証してゆかねばなりません。その手間をかけるなら判断材料にもできますが、その手の検証は案外難しいものです。「戦後アカデミズムにおける慣例」というのも、もしかすると特定の価値観に基づくものであって、中立性の観点から問題があるかもしれません。それよりは、『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』による、とでもしておく方が、当用漢字の成立経緯も視野に入れれば中立性という観点からも適切でしょう。逆に、現状では渡辺昇からリダイレクトされているのですが、それで何か問題があるのでしょうか。--Jms 2009年12月6日 (日) 08:38 (UTC)[返信]
現代日本において一般性を持たない表記を用いることで、調べ物をする利用者(高校生から大学生を想定)に対して、無用な混乱と不親切を強いることになります。児玉源太郎と「兒玉源太郎」、「山県有朋」と山縣有朋、と別の人物についても同じ問題が発生しています。リダイレクトでは解決にならず、本文の記述がどちらの表記かが問題です。
存命人物だったら、本人が用いている表記が正式な表記です。維新政党・新風の埼玉県本部幹事長渡邊昇という実在の存命人物についてならば、問題なく渡邊昇でかまいません。歴史的人物の渡辺昇本人が明治時代に貴族院に提出した履歴書に「渡邊昇」と書かれていたことの反映が『議会制度百年史...名鑑』です。ですから、明治末か大正時代に編纂された百科事典ならばその情報を根拠に、項目名として「渡邉昇」を用いるのは、正しい選択だったでしょう。ところがここでは、歴史的過去の人物を、現在の立場から捉えて記述しようとしているわけです。その場合の「正式な名称」は、対象とする人物の時代の「正式な表記」ではなく、現在において過去を叙述する際の「正式な表記」です。
現在において過去を叙述する際の「正式な表記」については、山縣有朋#関連文献に並んだ書籍や論考のタイトルで「山縣」と「山県」がどのように変遷してきたのかを確認して頂きたい。「日本語圏においてその表記が一般的であるか」という基準の変遷が見て取れます。なお、山縣家が提供した史料の翻刻のみが戦後でも「山縣」なのは、財団法人山縣有朋記念館の名称が旧漢字表記であることと関連しています。--rshiba 2009年12月6日 (日) 09:28 (UTC)[返信]
一般論として、「渡邊」という表記が現代の日本語圏で一般性を持たない表記である、という事実は存在しないでしょう (一般性がなければ JIS X 0208 で包摂されていない筈がない)。また、リダイレクトがあるのですから、調べ物をする利用者に不都合があるとも、混乱不親切の元だとも思えません。存命人物は本人が用いている表記が正式な表記だが、現在において過去を叙述する際の正式な表記はそれとは別だ、というのは到底受け入れられる主張ではありません。存命人物は本人が用いている表記が正式な表記、というセンスなら、財団法人山縣有朋記念館に使われている表記が正式な表記、となりそうなものですが、山縣有朋#関連文献は、何らかの基準で正式とされる文書だけが列挙されているのでしょうか。--Jms 2009年12月6日 (日) 09:43 (UTC)[返信]
論点がかなり明らかになりました。ありがとうございます。山縣有朋#関連文献は、色々な人が書き込んだ累積です。図書館OPACなどを検索した結果と符合します。なお、本のタイトルが本来「山県」なのに「山縣」と書いてあるものも散見されましたので、それらについては、私が、原書籍やアマゾンコムの画像などに当たり、「山縣」と「山県」の区別を確認して、それぞれの本の表記と同じになるように訂正しました。--rshiba 2009年12月6日 (日) 09:50 (UTC)[返信]
『日本百科大辞典 第九巻』1918年刊は、「明治二十七八年戦役」「明治三十七八年戦役」を正式な表記として項目名に採用しています。現在の百科事典はどれを見ても「日清戦争」「日露戦争」を正式な表記として採用しています。戦争当時の日本政府が前者を正式名称としていたとしても、それを用いて現在歴史を記述するわけには行きません。--rshiba 2009年12月6日 (日) 10:40 (UTC)[返信]
政府による戦役などの呼称と、支配者の自称などを別とした本人の表記を同列に論ずることはナンセンスですし、またもしその論理展開をするのなら、「存命人物だったら、本人が用いている表記が正式な表記」という主張もあり得ないでしょう。--Jms 2009年12月6日 (日) 10:59 (UTC)[返信]
ご理解いただけていないのは、同時代史が歴史になるプロセスがそこにあるということです。Wikipediaを編集する際に参照する研究書や論考の表記や命名の累積がが今という時代の一般的に通用する基準を作っているという事実経緯が、Wikipediaの外部に存在する以上、そこから乖離する訳にも行かないのは仕方ないことでしょう。--rshiba 2009年12月6日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
全く理解できません。イギリスワンセグの様なケースならいざ知らず、個人名の、JIS X 0208 で可能な範囲の表記であり、しかもそう少なくもない表記について、かかる改名が必要だとは思えません。研究書や論考が「実は渡辺昇だったのだ」という事実を明らかにしているというならまた話は別ですが。記事名は『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』により、記事中で「文献によっては渡辺昇と表記するものもある」などとすれば十分でしょう。--Jms 2009年12月6日 (日) 11:54 (UTC)[返信]

(改名に賛成)(インデント戻す)提案者の見解は妥当であり、提案のとおり改名することに何ら問題はないと思います。改名を是とする理由については、既存の人名事典では当該人物についていずれも「渡辺」の表記を採用している、ということを挙げるだけで十分だと思います。提案者が冒頭で列挙している事典類の他、『新潮日本人名辞典』(1991年)、『講談社日本人名大辞典』(2001年)も当該人物について「渡辺」と表記しています。

他の記事名との整合性という点からも改名が妥当です。渡辺昇と同じ時代(幕末から20世紀初頭)を生きた「渡辺」姓の歴史上の人物について、ウィキペディアには「渡辺国武」「渡辺洪基」「渡辺千秋」などの記事が存在します。これらの記事では常用漢字体をページ名とし、記事冒頭に旧字体を併記しています。「当該人物が存命当時、旧字体で表記していた場合でも、現在では常用漢字を用いるのが通例となっている」という、rshibaさんの主張はウィキペディアにおいても当てはまることがわかります。同じ時代を生きた「渡辺」姓の人物のうち、「渡辺国武」「渡辺洪基」「渡辺千秋」については「渡辺」表記とし、「渡辺昇」という特定の人物のみ「渡邊」表記とすることには合理的理由が見出せず、百科事典全体としての整合性を欠くことになります。

Jmsさんは他の議論(ノート:円山駅 (台北市))でも、「常用漢字使用の原則は固有名詞には適用されない」ということを盛んに強調されていましたが、それは固有名詞に関しては旧字も使用可能だということであって、必ず旧字を使わなければならないということではありません。ガイドラインが固有名詞について旧字使用を許容していることと、「渡辺昇」という特定の人物について、なぜ「渡邊」と表記しなければならないのかということは別問題です。--Urania 2009年12月26日 (土) 07:19 (UTC)[返信]

「常用漢字使用の原則は固有名詞には適用されない」というのは、固有名詞について、そこに用いられる文字が常用漢字表にないからという理由だけで常用漢字への置き換えをするのには根拠がないということであって、それ以上の意味はありません。既存の人名事典では当該人物についていずれも「渡辺」の表記を採用している、というのは、『日本人名大辞典』の例があるので事実ではありません。どの漢字体を用いるかというのには辞書ごとの基準がある場合もありますから、その点を検討する必要があるでしょう。学術文献での当該人物に関する言及について調査した場合に、たとえば「渡辺昇」表記が「渡邉昇」表記の二倍以上存在する、という事情があるならば「渡辺昇」とするのは妥当だと思います (二倍以上というのは、表記ゆらぎの選好度とウィキペディアでの項目名との相関を調査した結果に基づくものであって、他の数値による場合もあるでしょう)。 それとは別に、ウィキペディアでは「わたなべ」姓に関する記事名については「渡辺」に統一するという合意を形成するというのも妥当だと思います。しかし、「存命人物だったら、本人が用いている表記が正式な表記」ならば、存命かどうかによらず「本人が用いている表記が正式な表記」となるのではないでしょうか。渡辺昇からのリダイレクトで何か具体的な問題が存在するのだったら、また話は違ってくるのですが。--Jms 2009年12月26日 (土) 07:49 (UTC)[返信]
コメント拝読しましたが、「渡辺昇」という特定の一人物にかかる記事名について、積極的に例外を認め、「渡邊」表記としなければならないのは何故か、ということへのお答えにはなっていません。直上のコメントには(私の読解では)、大きく分けて6つほどのポイントがあると思います。私としては、遺憾ながら、いずれのポイントについても賛同はいたしかねます。なぜ賛同できないのかということについて、逐一反論を述べることは可能ですが、ここでその反論を述べたところで、肝腎の問題の解決にはつながらず、周辺的な議論に拡散していくだけだと予想されますので、それは差し控えたいと思います。まずは、当該特定人物に関し、「渡邊」表記を是とし「渡辺」表記を不可としなければならない理由が客観的に確認できる、検証可能な資料をお示しくださることが先決だと思います。--Urania 2009年12月27日 (日) 06:59 (UTC)[返信]
「渡邊」表記を是とし「渡辺」表記を不可としなければならない理由が客観的に確認できる検証可能な資料、というのは、わたくし自身は確認していませんが、『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』の「記載事項は貴族院事務局に提出された履歴書並びに貴族院要覧に基づく」ことによります。--Jms 2009年12月27日 (日) 09:04 (UTC)[返信]
  • 『日本人名大辞典』(平凡社、1979年)は、1938年初版をそのまま復刻した6巻と、初版以降に物故した人物を新たに原稿を起こし収録した別巻「現代」編の7巻構成です。1938年8月末までの物故人物を収録した1巻~6巻は、文字の使い方を含め、初版当時のままの復刻です。生年・没年を皇紀から西暦に改め、朝鮮・台湾の人物を省いた以外は、再編集の手が加えられていません。昭和戦前には「渡邊」と表記したことを示す資料です。
  • 『議会制度百年史』は、帝国議会に在職したのみの経歴の者は「渡邊」、帝国議会議員の経歴に加えて国会議員の経歴をもったものは「渡辺」と表記しています。衆議院議員ですと、第22回総選挙までの当選経歴しかないものは「渡邊」、第23回以降の当選経歴をもつものは「渡辺」となっています。占領期に人名表記の原則が変化したと衆議院・参議院の事務局が認識していることを示す資料です。
  • 『平成新修 旧華族家系大成』は、社団法人霞会館、すなわち、戦前の華族会館を継承する団体が、爵位制度が存在した時代にどのように歴代当主とその家族・親族を人名表記したかを示す意図から、旧字体で統一して編集しています。渡辺国武は「渡邊國武」ですし、渡辺千秋は「渡邊千秋」、そのの父は「渡邊政德」となっています。戦前の日本においてどのように名前が表記されたのかを示します。
以上、事実関係を確認し、説明を加えました。--rshiba 2009年12月28日 (月) 03:48 (UTC)[返信]

(そろそろインデント戻します)以下、rshibaさんではなく、1つ上のJmsさんへのコメントです。「辺」と「邊」は同一文字種の字体の違いにすぎず、「邊」が正式で、「辺」は間違い、ということではありません。戦前の資料や渡辺昇本人(1913年没)の提出した履歴が旧字体になっているのは当たり前です。『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』を持ち出しても、「なぜ『渡邊』が是で『渡辺』は不可なのか」という問いへの回答にはなっていません。

「存命かどうかによらず、本人が用いている表記が正式となるのでは」とのJmsさんのコメントがありましたが(2009年12月26日 07:49)、「歴史上の人物についても、本人の用いた表記を用いる」という方針は、ウィキペディア日本語版には存在しません。方針が存在しないのみならず、実際の記事名を見ても、歴史上の人物名については、常用漢字体で表記可能な文字は常用漢字体で表記されています。存在しない方針に基づく改名反対は受け入れられません。

「本人が用いている表記を用いる」というのは一見、正当な意見のように見えるかもしれませんが、歴史上の人物にまでそのような方針を採ることは、現実的には不可能です。なぜ不可能であるのかは、説明を省略します。現実に存在しない方針についてここで議論しても無益だと思われるからです。仮にそのような方針を提議するのであれば、歴史上の人物の記事全体にかかわってくる大問題であり、少なくともここで論議する問題ではありません。私事ですが、次に書き込めるのは年明けになるかもしれません(年明けまでえんえん議論を続けたいという意味ではありません。念のため)。--Urania 2009年12月28日 (月) 09:07 (UTC)[返信]

文字と字体の違い、異体については理解しています。また、JIS X 0208 の範囲では「辺」の異体を完全にはカバーしていないのも理解しています (その意味で歴史上の人物かどうかという議論とは別に、項目名は一律『渡辺』とするという論もあり得るでしょう)。それらを理解した上で、なお一般の理解としては人名における字体の違いは重視されていると思っています。『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』では回答にならない、というのは、「ウィキペディアの項目名として『渡邊』が是で『渡辺』が不可」ということを述べている検証可能性を満たす資料をお求めということでしょうか。
歴史上の人物の記事名については常用漢字体で表記可能な文字は常用漢字体で表記する、というのを方針とする合意が存在しないこともまた事実です。これを機にコンセンサスとして確立し、Wikipedia:記事名の付け方#人名に明記する事が望ましいと考えています。その際、「三遊亭圓生」や「市川團十郎」といった名前についてどう扱うかも明記する必要があるでしょう。デファクトスタンダードとして確立しているなら、ガイドラインの当該箇所の改訂にさほど時間はかからないでしょうし、逆に時間がかかるなら、それは方針として受け入れがたいということかもしれません。存在しない方針に基づく改名反対は受け入れられないのと同様に、存在しない合意に基づく改名も受け入れられません。--Jms 2009年12月28日 (月) 09:46 (UTC)[返信]
2週間ほど待ちましたが、第三者からのご意見は出てこないようですので、再度コメントします。Jmsさんは直上のコメントで引き続き改名反対を明言されていますが、何をもって反対の理由とされるのか、論旨が明確でありません。上のコメントのうち、前半の段落は既に議論済みの話題の蒸し返しにすぎず、後半の段落のうち、「ガイドラインの改訂」「デファクトスタンダードが確立しているか否か」等については、ここのノートページで扱うべき問題ではありません。したがって、以上の部分については、あらためて回答する必要はないと考えます。そうすると、回答すべき点は、コメントの最後にある「存在しない合意に基づく改名も受け入れられません」という部分のみになります。この部分も文意がつかみにくいのですが、「存在しない合意」とは、その前段にある「歴史上の人物の記事名については常用漢字体で表記可能な文字は常用漢字体で表記する、というのを方針とする合意が存在しないこともまた事実です」という言明(以下、これを(A)と呼びます)を指すと考えてよろしいでしょうか。このような反対理由は、有効なものとは到底認められませんし、ご自身の反対票を維持するためだけの形式的議論としか思えません。このような形式的な反対論を展開し、結果的に議論を長期化させ、話題を拡散させる議論手法については、1年ほど前にノート:円山駅 (台北市)においても厳しく批判されていますが、その点に改善のみられないことは残念に思います。
一応、反論を書いておきます。上記(A)のような合意が存在しないことは確かです。「存在しない合意に基づく改名はできない」ということも、一般論としては言い得るでしょう。しかし、このような論理を本件改名提案への反対理由とすることは失当です。なぜなら、本件改名提案は、上記(A)のような「存在しない合意」を前提とする提案ではなく、単に一般的な慣例・原則に基づいた表記にしようという提案であるからです。上記(A)のような「存在しない合意」については今まで誰も言及していないのであり、誰も主張していないことに対して反論を述べても意味がありません。特定の分野に関する細則が定められている場合は当該細則にしたがうべきですが、そうした細則がない場合は、より包括的・一般的な原則の方にしたがうべきです。以上です。再反論を拒む権利は私にはありませんが、「渡辺昇という特定人物名の表記をどうするか」という問題から離れた形式論をこれ以上展開なさることはご勘弁ください。--Urania 2010年1月17日 (日) 00:19 (UTC)[返信]

肝腎の部分が伝わっていない様なので要点を箇条書きで書きます。

  1. 提示された資料から「当該人物が存命当時、旧字体で表記していた場合でも、現在では常用漢字を用いるのが通例となっている」という事が示されているとは言い難く、「正式名称」(というのが何であるかという議論はひとまず置いて) 指向のウィキペディアにおいては本人表記を優先することも十分考えられる。
  2. しかし、そのこと (資料で示されているとは判断できないこと) が「当該人物が存命当時、旧字体で表記していた場合でも、現在では常用漢字を用いるのが通例となっている」ことを否定するわけでもない。もし、その様な慣例が確立しているならば、より知名度の高い人物名によってより容易に検証可能であろうし、より知名度の高い人物名によってそうした検証がなされるならば、除外すべき例 (たとえば圓楽?) も含めてその旨ガイドラインに明示する方が適切である (それほど知名度の高くない、検証がより難しい人物についても、ガイドラインに従って記事名を決めればよいから)。そうした慣例が確立しているという事実があるならば、検証は容易であると期待する。
  3. もし、より知名度の高い人物についてでさえ上記検証が困難であるなら、「当該人物が存命当時、旧字体で表記していた場合でも、現在では常用漢字を用いるのが通例となっている」というのが確立しているとは言えないのではないか (そうだろうと思っているという訳ではありません、単に可能性の話です)。

要は、一度で済むことは一度で済ませようということです。「渡辺昇という特定人物名の表記をどうするか」という点については、その特定人物に限定することで、むしろ検証が難しくなるのではないかと考えています。形式的な反対論云々は、影響範囲をどう考えているかの違いではないかと思いますが、ここでそれを提起するのは話題を拡散させることになるのではないかと思います。--Jms 2010年1月17日 (日) 12:32 (UTC)[返信]

「中味のない、形式的な反論をえんえんと続けるべきではない。そのことは、他の場所で、他のユーザーによって厳しく批判されているはずだ」と指摘された直後に、相変わらずこのような、反論になっていない反論が寄せられることは、看過しがたい問題であると思います。「本人表記を優先することも十分考えられる」「常用漢字を用いるのが通例となっていることを否定するわけでもない」等と主張されるのはご自由ですが、「十分考えられる」「否定するわけでもない」等は個人の意見表明にすぎませんし、上の「1」 - 「3」については逐一反論を述べる必要もないと考えます。ガイドラインとまでいかなくても、プロジェクトの合意とか、ローカルルールとか、話し合いのうえ、合意され、明文化された指針が何かあれば、とりあえずはそれを根拠とし、それにしたがうという方向性もありうると思います。しかし、明治、大正、昭和戦前あたりの日本の人物名の表記に関して、そのようなルールはなく(どこかにあるのならご教示ください)、存在しないルールについて、ここでとやかく言っても意味がありません。そうしたローカルルールが存在しない以上、より上位で包括的な原則(常用漢字表記)にしたがうべきだというだけのことです。人物名の表記一般について、もう少し明確なガイドラインを定めるべきかもしれませんが、そのことは、少なくともここのノートページで議論すべきことではないでしょう。本件については、すでに議論は十分尽くされており、有効な反論なしということで改名してもよいのではないかと思います。--Urania 2010年1月21日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
中身のない形式的な反論だとお考えの様で残念です。わたくしとしては、提示された資料では「当該人物が存命当時、旧字体で表記していた場合でも、現在では常用漢字を用いるのが通例」という根拠を確認できないという点を指摘しています。それが確認できる材料があれば根拠として成立しましょうし、それにはより確認しやすい材料があるでしょうからそちらを使う方が良いのでは、と述べています。必要なのは反論ではなく、そうした通例、慣例の存在を示すことです。たとえば、記事福澤諭吉に福沢諭吉表記が現代では一般的とあったので http://ni.cii.ac.jp で題名に「福沢諭吉」ないし「福澤諭吉」を含むものを検索してみましたが、直近 200 文献のうち「福沢諭吉」は 115 件でした。数えてはいませんが、より以前の文献では「福沢諭吉」の頻度が高くなる印象は受けましたので、それを含めればその「通例」は示せるのではないかと思います。そうした材料なしに通例と主張されても検証可能性という点で問題かと思います。一方、「渡邊昇」で同様の検索をしても別の渡辺昇と思しき例しか得られず、全文を対象にすると著者が同姓同名によるものが多数得られてしまい現実的ではありませんでした。常用漢字は固有名詞を対象としたものではありませんので、人名については常用漢字を上位で包括的な原則とはできないでしょう。--Jms 2010年1月21日 (木) 18:12 (UTC)[返信]

(コメント)単純なことだけ述べます。現代には渡辺さんと渡邊さんと渡邉さんがいます。つまり、区別されてしまうわけです。ここで、渡辺とすれば、当時も渡邊ではなく渡辺だと誤解される虞がある。このことが一点。次に渡辺とすれば、それは常用漢字という今の文部科学省の基準に基づいた表記になります。ゆえに、名前は本来未来永劫変わらないのに、基準が変わるたびに字体が変わってしまう。つまり、不安定だということです。これが二点目。現在常用漢字優位ではあるでしょうから、反対とまではいいませんが、当時の表記ほほうが多少無難ではないかと思います。とはいえ、どちらも何処かで使われているものなので、どちらが間違いなんてことは到底言えませんが。--218.33.242.120 2010年1月25日 (月) 11:59 (UTC)[返信]

(1) 困ったことに、「名前は本来未来永劫変わらない」というわけではないのです。現在は歴史的な人物となっている人の存命時代から、既にゆらぎがあるのが珍しくありません。例えば、曾我祐準は、貴族院や枢密院の任免記録では「準」(さんずい)の文字ですが、本人は明治初期「凖」(にすい)の文字で署名しています。一方、本人が著者となっている本では「準」(さんずい)と表記しています。これは「凖」(にすい)と書き換える編集を行った人がいたので昨日知った例です。当時の社会でどのように呼ぶか、後の時代でどのように呼ぶかには、どちらも何らかの統一が行われています。
(2) 「現代には渡辺さんと渡邊さんと渡邉さんがい」るように、戦前の社会にも「渡辺さんと渡邊さんと渡邉さんがい」ました。現在の常用漢字体の字体も手書きでは用いられることもあった。そこで、現代では「渡辺」で統一し、同樣に、戦前では「渡邊」に統一する慣例が行われていました(官職への任免など)。
すくなくともここまでややこしい事情がある上で、さてどうしようという話しをしています。--rshiba 2010年1月26日 (火) 05:15 (UTC)[返信]
「すくなくともここまでややこしい事情がある上で、さてどうしよう」に対するウィキペディア的回答は、検証可能性を満たす根拠が示されればオッケイ、でしょう。つまり、現代では「渡辺」で統一し、同樣に、戦前では「渡邊」に統一する慣例の存在が、検証可能性を満たす資料によって示せれば十分だということです。ci.nii.ac.jp な範囲では、福沢諭吉はなんとかいけそう、山県有朋も行けそう、芹沢鴨は問題なし、坂本龍馬はそうでもない、でも渡邊昇については直接的な例の発見が絶望的、というのが現実です。そういう事例の一方で、ウィキペディア的には圓楽は圓楽らしい (わたくしはこの点についてはニュートラルです、複数字体が JIS X 0208 にある場合に、見出し語は可能な限り常用漢字体とし字体については本文で触れるというのも一つの合意としてはアリだと思います、それは Unicode normalization によるとして技術的に説明のつく範囲です) ので、何か基準について合意するしかないでしょう。そして、現代では「渡辺」で統一し、同樣に、戦前では「渡邊」に統一する慣例が存在するならば、検証可能性を満たす資料でその存在を示すことはそんなに難しい筈はない (難しいならかかる慣例の存在は疑わしい) と思うのです。他の切り口は、渡辺の異体が JIS X 0208 の範囲に対して多すぎるということや、単純な方法で順序づけしようとすると見出し語は「渡辺」に統一する方が扱いが単純で済むということでしょう。いずれにせよ、単一の記事の範囲を越えた、なんらかの合意によって対処すべき問題だと思います。--Jms 2010年1月26日 (火) 10:44 (UTC)[返信]
ここまで戦前に字体の混乱があるとは知りませんでした。てっきり戸籍上の表記にしておけばよいではないか位に思っておりました。現代では、名前の表記を複数用いる人など見たことがないもので、自分の無知を恥じる限りです。自分の知識では、役に立ちそうもないので、このまま続けてもらって結構です。また、丁寧な回答をありがとうございました。では、失礼します。--218.33.189.107 2010年1月26日 (火) 11:16 (UTC)。(218.33.242.120と同一人物)[返信]
曾我祐準の場合、自分の署名であることの証明として、わざと字体を変えていたのだと推測しています。現在でも、クレジットカードの署名は、戸籍名と別の字体を使う人がいるのと類似事例かと思います。--rshiba 2010年1月26日 (火) 11:48 (UTC)[返信]
以下は、この渡邊昇の改名提案への論証ではなく、ルール改変へ向けた下準備のつもりです。
「渡邊/渡邉/渡辺/ワタナベ」の事例で確認済みなのは、(1)平凡社『日本人名大辞典』の1938年編纂分は「渡邊」で統一され、1979年増補分は「渡辺」で統一されている。(2)衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』は、帝国議会時代までの在職者は「渡邊」で統一し、帝国議会時代から国会時代にかけての在職者、および、国会時代のみの在職者は「渡辺」で統一している。(ここから先はこれから調査が必要な事項。未だやっていない→)。(3) 吉川弘文館が1979年~1997年に刊行した『国史大辞典』戦後版では、ワタナベ姓は「渡辺」で統一されている。1920年代後半から1930年代の刊行の『国史大辞典』戦前版(正確には明治時代の初版の増訂版)を対比するため見る必要がある。(4) 岩波書店が戦前に出した『岩波講座日本歴史』(第1次)と、戦後刊行された(第2次、1960年代)と(第3次、1970年代)とを対比して見ると、歴史的人名・事項の表記原則の変遷のもう一つの例示となろう。(5)明治時代から現在まで継続して発行されている学会誌、例えば、『史学雑誌』における歴史的人名・事項名の表記原則の変化を確認する。(6) 政府が発行している国家公務員の『職員録』は、毎年出ているので、そこでの人名表記がいつから変わったのかを確認すると、慣例の変更のいちばん確かな証明となるだろう。--rshiba 2010年1月26日 (火) 11:48 (UTC)[返信]
1月21日のJmsさんの書き込みについて、一応コメントします。「歴史上の人物名については、常用漢字表記とするという通例がある」ということは、WP日本語版の任意の人物カテゴリを見ればわかりますし、戦後に編集発刊された人名辞典を見ればわかります。何かが「通例である」とは、すなわち明文規定が存在しないということであって、何かが「通例である」かどうかは、現象の観察から帰納的に推論するしかないのであり、その推論が常識的にみて妥当であれば、「通例である」ということが言えると思います。「通例であることの根拠を示せ」という言明は形容矛盾であり、そのような質問には原理的に回答が不可能なのであって、回答ができないからといって、相手を論破したと誤認してはなりません。後段の「福沢諭吉」の話は、福沢という個別特定の人物に係る調査であって、1つの特殊な事例から一般的原則を導き出すべきではありません。仮に福沢の場合を「例外」と認めるにしても、そのことは「例外の存在」を証明しただけであって、「通例の不存在」を証明したことにはなっていません。なお、これは蛇足かもしれませんが、日本の1万円紙幣には常用漢字で「福沢諭吉」と書いてあります。百歩譲って、「歴史上の人物名について、常用漢字表記とするという通例は存在しない」ということを認めたとしても、その逆の通例、すなわち「歴史上の人物名は旧字表記とする」という通例も存在しないのであり、本件改名提案を否定する論拠にはなりえません。
本音を申し上げますと、私はこのような形式的な議論を長々と続ける気はなく、ここのページからは早々に退場したいと思っています。しかし、この件は人名表記全般に関わる大問題であり、議論するのが面倒だからと言って中途半端に妥協してしまうと、万単位のページ名に影響することになると思い、生真面目に回答申し上げてきました。Jmsさんはさらなる反論をお書きになるかもしれませんが、人名の表記に関する問題が「JISで表記可能だから」というような単純素朴な問題ではないということについては、ここでの議論で十分示すことができたと思いますし、一定の問題提起はできたと思っています。ほかならぬJmsさんも「単一の記事の範囲を越えた、なんらかの合意によって対処すべき問題だと思います」とおっしゃっており(1月26日のコメント)、ここのノートページでえんえん議論する問題ではない、ということにはお気づきになっているものと存じます。
これはJmsさんだけでなくrshibaさんにも申し上げたいのですが、人名表記全般に関わる議論は、ここでえんえんと続けるのではなく、プロジェクトのノートなり、カテゴリのノートなり、井戸端なり、どこか適切な他の場所でやってください。WP日本語版には、歴史に詳しいユーザーさんが大勢います。そういう方々の意見を広く聞くべきです。人名表記全般に関わる大きな方針変更を行えば、それは人物記事そのものだけでなく、解説中でそれらの人物に言及している、何万という関連記事にも関わってくる大問題になります。それは少なくとも、ここ(「渡邊昇」という特定記事のノートページ)で議論することではないでしょう。歴史的人名の表記全般に関して、若干個人的意見がなくはないのですが、ここでそれを述べると、それを材料にまたここで新たな議論が始まることが予想されるので、ここでは差し控えます。
「渡邊昇」の改名の是非については、提案者であるrshibaさんのご判断にお任せします。--Urania 2010年1月30日 (土) 06:57 (UTC)[返信]
「渡邊昇」→「渡辺昇」については、1週間ほど様子をみた上で、変更しようかと思います。
ルールレベルでの議論は、どこがいいのでしょうか。また、人名だけに限るのか、歴史事象名の表記も提起するのか。日本と日本の歴史に限定するのか。その付近の判断がつきません。取り敢えずは、日本史プロジェクトがいいのでしょうか。--rshiba 2010年1月30日 (土) 07:42 (UTC)[返信]
議論するとしたら、歴史上の人物以外との兼ね合いもあるので、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方が適当でしょう。対象範囲については、通例が及ぶ/通例があると示せる範囲でしょう。「渡邊昇」から「渡辺昇」への改名は、そこで議論してから実施する方が適切だと思います。--Jms 2010年1月30日 (土) 09:12 (UTC)[返信]
わたくしの申し上げていることが Urania さんには伝わっていない様ですが、同じことを繰り返してもやはり伝わらないでしょうから、繰り返すことはしません。明文規程が存在しないからといって、通例であることが示せない訳ではありません。いま、わたくしには図書館に行くまとまった時間がとれないのですぐにはできませんが、もしわたくしがこの件で「通例であることの根拠を示せ」と言われたら、日外アソシエーツの『人名リファレンス辞典』類の様な網羅的な資料を調べて当該人物の用例を示すとともに、補助材料として、ci.nii.ac.jp で意味のある形で検索可能なより著名な人名がどうなっているかも示すだろうと思います。--Jms 2010年1月30日 (土) 09:12 (UTC)[返信]
少し準備の上、2月中にはあちらへ書き込む予定です。--rshiba 2010年2月11日 (木) 06:49 (UTC)[返信]
調査途上の事実報告メモ。「渡邉昇」と「邉」を用いているのを確認。『平成新修 旧華族家系大成 下巻』に表現されたご子孫の認識、及びアジア歴史資料センターで閲覧可能な本人の署名ともそうなっている。本人が「渡邉」と署名し、正字「渡邊」に印刷局刊『職員録』(明治19年版に会計検査院院長として掲載の分を確認)や後の時代の人名辞典など他人が統一したのが実際の事情である。本項目を作成時に、後者「渡邊」を正式な表記と誤認し項目名を「渡邊昇」としたということ。--rshiba 2010年2月20日 (土) 07:47 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ10#日本の歴史人物名の漢字表記に書きました。--rshiba 2010年2月28日 (日) 08:13 (UTC)[返信]