ノート:水月会

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

一部の内容と出典について[編集]

記事本文の、

の部分ですが、確かに石破氏は過去に額賀派に所属していましたが、その後無派閥になってからの結成なので、水月会が従来の派閥の系譜を汲んでいるとは思えません。また、石破氏本人もブログで、"ある人から指摘されて初めて知ったのですが、60年後の今日自民党に存在している7つの派閥はすべて何らかの形でこの8つの派閥の系譜を引いており、全く初めての派閥というのは近年ないのだそうで、何だかベンチャー企業の創設のような感じです。"と書いており、従来の派閥の系譜を汲んでるとは認識していません。政策集団など: 石破茂(いしばしげる)ブログ

の部分は脚注リンクを見ましたが、参加人数については、"石破氏周辺によると、既に十数人が加入に向けた署名を済ませている。20人超の参加を見込んでいる"と書かれてるだけで、40名の参加想定人数の根拠となる、出典記事にはあたりません。
よって、この2箇所を削除したいのですが、ご意見お待ちしてます。--すさ会話) 2015年10月27日 (火) 09:18 (UTC) ※上記の内容の見出しの追加とレイアウト変更をしました。--すさ会話2015年10月28日 (水) 09:08 (UTC)[返信]

水月会の構成ですが、派閥というものは自然発生的なものが多く、厳密な出典はどの派閥であれ確保はできません。石破氏は独立した形と見做したいようですが、水月会に所属する議員は石破氏・鴨下氏・田村氏・後藤田氏・古川氏・伊藤氏・舞立氏など、かつて平成研に所属していた議員が7人はおり、平成研の影響力が一定程度あることが伺えます。このほか、山本氏と田所氏は番町研の影響力がわずかですが残っています。無派閥時代を経由している派閥も歴史的にはいくつか存在するほか、有隣会やさいこう日本も既存の派閥の流れを汲む勉強会です。平成研に関しては、お家騒動で分裂を繰り返す歴史があり、とりわけ竹下登元首相に参院で不意打ちを受け新派閥を結成・離党する羽目になった小沢氏の例は、石破氏の派閥においてもっとも参考になる例です。また、田中角栄元首相に対抗するため、福田赳夫元首相にも党風刷新連盟の結成により以前の派閥を消したがっていた過去が存在します。三木武夫元首相も三木答申で派閥解消を提唱しています。したがって派閥については流動的であり、様子見が必要であると思います。40名程度の協賛についても同様かと思います。--Hope and Lightning会話2015年10月30日 (金) 13:17 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。派閥の系譜に関して、厳密な出典はできないとのご意見承りました。なお、2つ目の想定参加人数についてですが、該当箇所は「派閥結成時の参加人数が40名と想定」と読めますが、出典記事では派閥結成時の人数を「20人超の参加を見込んでいる」と書いてあり、該当箇所と出典の人数が違うという意味です。--すさ会話2015年10月31日 (土) 08:33 (UTC)[返信]
一週間経ちましたが、特に反論はないので編集しました。また、「当初40名程度の参加が想定」を「想定に比して」と修正された方がいましたが、それでも、どういう想定と比べたのか不明確なので削除したことをご理解ください。その他、表のレイアウトが崩れるので写真を右側に移動、石破派の見出しは他の派閥のページを参考につけられたと思いますが、代表が代わったときに記事内容をわけるための見出しなので今は除きました。--すさ会話2015年11月3日 (火) 09:46 (UTC)[返信]
平成研の系譜については詳述はいらないとは思いますが削除の必要も無いかと思います。それから無派閥連絡会再結成の動きがあるようです。--Hope and Lightning会話2015年11月3日 (火) 16:50 (UTC)[返信]
まず前者ですが、Hope and Lightningさんは本文冒頭に「(木曜研究会系)」と記述されましたが、前述の通り、石破氏は無派閥時代を挟んでいますし、本人のブログでは系譜を汲んでないという認識です。加えて、Hope and Lightningさんご自身も厳密な出典ができないと仰ってることを、太字で強調して断定的に記述する理由についてお聞かせください。後者は、ここは無派閥連絡会のノートではありませんし、その内容をWikipediaでどうされたいのかも、わかりかねますので、コメントは差し控えます。すみません。--すさ会話2015年11月4日 (水) 09:35 (UTC)[返信]
石破氏の考察やブログからそれのみを基準に決定するのはどうかなという思いはありますが、私自身編集を急ぎたいとも思いません。ただ水月会で削除を要するのであれば、私が他記事を参考にしているように、他記事の編集でも同様であるべきと思います。私としては編集者の総意に従わざるを得ないので、多くの要求は致しません。--Hope and Lightning会話2015年11月4日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。検証可能性の話の前に、まず誤解がありますので述べますが、石破氏のブログ記事のみを基準にしてるわけではありません。無派閥時代を挟んでいるというのは私の考察です。詳述しますが、石破氏は2009年9月に額賀派を離脱、2年後の2011年9月に勉強会のさわらび会を主宰、約1年半後の2013年1月には同じく勉強会の無派閥連絡会の理事に、そして約2半後の2015年9月に派閥の発足です。無派閥の観点から観ると、額賀派を離脱してから6年後に発足です。私も例えば、ある派閥から直接離脱して派閥を立ち上げて、全員、或いは、全員とまではいかないけど、多くの参加者が元の派閥の直接の出身者の場合、あるいは派閥在籍時代に勉強会を立ち上げたのが、そのまま派閥に発展したなど、直接の関係があるなら、系譜を汲んでることに異論はありませんが、水月会の場合はそうではありません。加えて、Hope and Lightningさんも厳密な出典はできないと述べられたのは前述の通りです。以上、ご理解いただけたでしょうか。
また、私が削除したのを、一日も経たずに修正されましたけど、ということは、なにか強い根拠や思い入れがあるのかなと思いまして、今回はまず、理由をお伺いしたのです。上記で石破氏のブログのみではないことを述べましたけど、それに理解いただいたうえで、それでも他に理由がお有りなら伺いたいです。私も恐縮ながらHope and Lightningさんのお立場になったつもりで、木曜研究会系の出典で適切なのがないか探しましたけど、見つかったのは上記の出典の、全派閥の系統の箇所で、石破派だけ「石破氏はかつて額賀派に所属していたので佐藤派系統に入れています。」と注釈を入れている暫定的な内容の記事と、このWikipediaの記事だけでした。故にこれだけでは、繰り返し恐縮ですが、検証可能性を満たしておらず、記載すべきではないという考えに至りました。
ちなみに他記事についてですが、他の派閥のページについては、当然、発足の経緯もそれぞれですし、なにより他のページの話なので、コメントは差し控えます。ただ、自由民主党の派閥のページの水月会に関する部分は、このノートでコンセンサスを得られたら、これを元に編集を考えたいです。--すさ会話2015年11月5日 (木) 09:40 (UTC)[返信]
先んじて自由民主党の派閥Template:自由民主党 (日本)を編集して参りました。一方で自由民主党の派閥については、系列未定であるものの水月会に平成研出身議員が古川禎久後藤田正純石破茂鴨下一郎伊藤達也田村憲久舞立昇治など多く存在したとだけ解説で付け加えたことをご報告させていただきます。私としては理解うんぬんの問題以前に、石破氏に限らずいろいろな人が平成研から離脱して、しかも時期が異なるという同意ないしは共感ができれば良いのかなとも受け取れますし、加えてそこに内在する石破氏に焦点を絞るかその数人にまで広げるかという点で話のすれ違いが生じているとも受け取れます。水月会についても同様の編集やリンク切れ出典の調整などを行いたいのでご意見をいただきたいと存じます。--Hope and Lightning会話2015年11月5日 (木) 16:57 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。また上記の件、私の愚説を受け入れてくださいまして誠に感謝申し上げます。他ページの内容を、水月会のページでも記述されたいということで、引き続きこのノートでやり取りさせていただきますが、まず最初に、該当箇所に出典を載せてますが、その内容だとそのメンバーが水月会に入ったという内容だけで、木曜研究会系出身議員の出典ではないので、私じゃなくとも他の方に指摘されると思うので修正したほうがいいと思います。ちなみに、私は古川氏は確か山崎派だと記憶してますし、舞立氏は初めて聞きました。
本題に入りますが、私は「水月会に過去に木曜研究会系に所属していた議員がいる」ことを書くことに特に異論はございません。ただ、恐れながら、「多い」とは言えないのではないでしょうか。仮に7名だとして、20名中7名の半分以下で多いとは一般的には書かないと思います。それと繰り返しで恐縮ですが、直接、木曜研究会系から水月会に入った議員はいないことは述べさせていただきます。※ごめんなさい。署名忘れてました。--すさ会話2015年11月6日 (金) 11:20 (UTC)[返信]
数人いる、という表現に変更しました。古川氏は郵政造反前に平成研所属、舞立氏は当選直後に平成研所属だったように思います。舞立氏に関しては直接移籍かもしれません。小坂憲次も平成研所属でしたが、官邸から圧力をかけられた結果、水月会不参加だったように思います。出典については引き続き探して参りますので、もう数日経ってから水月会を編集します。--Hope and Lightning会話2015年11月7日 (土) 00:40 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。木曜研究会系出身議員の記述だけではなく、小坂氏の例のような参加の舞台裏を出典付きで載せれたら、ページの内容が深まりますね。私もその三者の出典について探してみます。--すさ会話2015年11月8日 (日) 09:37 (UTC)[返信]
大した出典を探すつもりも無い上にあまり編集する気も無いのですが、とりあえず小坂氏が連絡会時代の側近だったという記事は見つけました(1)。水月会記事には側近の離反を招いたという件にこの記事を入れたいと思っています。このほか、小坂氏の平成研時代(2)、小坂氏への切り崩し(3)も見つかりました。--Hope and Lightning会話2015年11月11日 (水) 10:27 (UTC)[返信]

115.43.36.7さんへ。このノートを御覧頂いたら分かる通り、コメントアウトの内容に対して、出典を探して記述すると仰ってる方がいるので、決して強制ではありませんが、編集を控えていただければ幸いです。なお、梶山氏を追加されてましたが、前述にも、その出典元にも記述があるのは、小此木氏と浜田氏の2名だけです。--すさ会話2015年11月11日 (水) 09:24 (UTC)[返信]

Hope and Lightningさんへ。コメントありがとうございます。コメントを、私のコメントの上に書かれてますが、時系列が分からなくなるため下に書きます。投稿に対して、あまり気が進まないのであれば、ご無理なさいませんように。決して仕事ではないですし。
本題に入る前に、あらためて確認ですが、「水月会に過去に木曜研究会系に所属していた議員がいる」ことと、「側近の小坂氏が水月会に参加しなかったことと、その理由」を記述されたいという理解でよろしいでしょうか。その前提で私の意見を述べさせていただきますが、前者については以前述べた通り、出典がないと指摘されても仕方がないことを除けば、異論はございません。後者についても、同じく出典付きであれば異論はありませんが、「小坂氏が石破氏の側近」の出典記事の(1)ですが、「側近議員ら」という言葉は、次の段落の鴨下氏と浜田氏のことを指すのではないでしょうか。小坂氏は参加リストに入っているだけだと思います。次に(2)ですが、確かに小坂氏が昔、平成研にいた出典にあたりますが、Hope and Lightningさんの記述したい内容が、上の2つだとすると、特にどちらにも必要がない内容ではないでしょうか。最後に、(3)についてですが、小坂氏が総裁選で石破氏を推すことに対して、参院選の公認外しで恫喝したという内容で、水月会への不参加にまで関する記事だとは読み取れませんでした。恐れながらこれでは「側近の小坂氏が水月会に参加しなかったことと、その理由」は書けないのではないでしょうか。--すさ会話2015年11月11日 (水) 14:29 (UTC)[返信]
1については4の併記も実は考えていました。これなら小坂氏が側近といえると思います。3については、党や派の形成というものはこんなもので、出典としてはなりえないのがほとんどです。あったとしても産経や新潮の特集記事にわずかばかり掲載される程度ですね。それほど経緯まで明記したいとは思いません。それと他記事については編集はしていますが、私もなかなか水月会単体には時間を割けないので、よろしければすささんにも私が提示した出典の追加を行うと共にリンク切れ出典を別な出典に変更して水月会記事編集を願いたいと存じます。--Hope and Lightning会話2015年11月11日 (水) 23:52 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。ウィキペディアの方針にそって、編集を前向きに検討させていただきます。なお、リンク切れ出典について追加しました。それではこれで議論を終了とさせていただきたいと思います。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。--すさ会話2015年11月12日 (木) 09:29 (UTC)[返信]