ノート:旧約聖書

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「聖書」という言葉[編集]

「聖書」という言葉は旧約と新約の二つを合わせた本に使い、どちらか片方にその言葉は使いませんよ。すこし真面目に勉強した人ならご存じの筈なんですが。放置すると誤った知識を広めることになるから直して頂けませんか --Ypacaraí 2004年10月4日 (月) 22:27 (UTC)[返信]

教会でよく「新約聖書」なる冊子を配布していますが、あれはどうなのでしょうか。あと、旧約はイスラム教ではどう扱っているのでしょうか? --忠太 2004年10月16日 (土) 16:55 (UTC)[返信]
「旧約聖書」ということばについては
ノート:新約聖書の議論を参照せよ。--210.168.211.46 2004年10月17日 (日) 08:52 (UTC)[返信]
イスラム教ではアブラハムまでが聖典です。それ以降は「コーラン」には無いはずです。ただ、キリストだけは預言者としてコーランにはあるはずだとは思います。--以上の署名のないコメントは、210.230.15.52会話/Whois)さんが 2004-11-13 14:55:05 (UTC) に投稿したものです。
イスラム教の聖典はクルアーンのみであるがモーセ五書はそれとは別に「啓典」としている。正誤は他宗教の者がいうべきではないはず。--Izayohi 2004年12月29日 (水) 07:19 (UTC)[返信]
上の「イスラム教では‥」は自分が書いたのかどうか覚えていません。イスラム教としては、ユダヤ教徒やキリスト教徒が啓典としているものは、預言者達が伝えたものではあるが正しく伝わってはいないという立場です。オリジナルは確かに神から下された啓典ではあっても、現在のものはイスラム教徒が神の言葉として読み、生活の規範とするべきものではなく、啓典ではない、ということだったと私は記憶しています。--Ypacaraí 2004年12月29日 (水) 10:29 (UTC)[返信]

「旧約聖書」という言葉を用いるのは、全く公平ではない。日本人がキリスト教のみを国教として強制されているのならいざ知らず、ユダヤ教徒に対して失礼千万な表記でしかないからである。 --124.255.13.70 2008年10月17日 (金) 06:07 --履歴を参照して投稿者と投稿時間を追記。 --202.222.113.118 2008年11月12日 (水) 11:10 (UTC)[返信]

「旧約聖書」を「トーラー」と称すべきなら、新約聖書は何と称すべきなのですか? --202.222.113.118 2008年11月12日 (水) 11:10 (UTC)[返信]

構成の見直し提案_2005年8月[編集]

正典化などにも言及があることはありますが、実質リストで出来上がっているような記事ですね。。成立の仮定(四資料説など)、翻訳の歴史、文学や美術などへの影響など、簡単にでもそれぞれ触れるのがよいと思いますが、いかがでしょうか。詳しいことはそれこそ別記事でかくことかもしれませんが。

問題は、どこに、ということですが、リストは一番最後にまわしたら、まずいでしょうか。--Aphaia 2005年8月14日 (日) 00:57 (UTC)[返信]

手間のかかるリクエストが許されるなら、リストはテーブルに統合すればコンパクトになるでしょう。最初から最後尾にありますし。「マソラ本文」と「ユダヤ教」はカラム統合、あとは七十人訳とウルガタを加えればまず資料的には十分かと。--LR 2005年8月16日 (火) 18:04 (UTC)[返信]
「マソラ本文」のところはさして注もなかったのでためしに後ろのテーブルに統合を試みてみました。まずかったら差し戻ししてください。--Aphaia 2005年8月16日 (火) 19:12 (UTC)[返信]
七十人訳とウルガータはそれぞれ独立項目があるので、そっちに移すというのはいかがでしょうか。実質的には、それぞれ、カトリックと東方正教会に書かれているので、なくてもいいんじゃないかと思います。--Aphaia 2005年8月25日 (木) 05:11 (UTC)[返信]

「ラオディキア書」?[編集]

LXXの表のなかにでてくる「ラオディキア書」†#*(=Vulgataに入ってない、東方でも西方でも正典の一部ではない)とはどういう書なのでしょうか。
いくつかのサイトをチェックしたのですが [1] [2] 相当するものがみあたりません(見落としているだけかもしれませんが)。

思うに、これは新約外典の「ラオディケア書」が誤って混入したのではないでしょうか?

いったんコメントアウトしたほうがよいように思いますが、いかがでしょう。--Aphaia 2005年8月17日 (水) 00:33 (UTC)[返信]

報告 どの資料をみても、これはLXXの一部だという情報がありませんでしたので、削りました。--Aphaia 2005年8月25日 (木) 05:11 (UTC)[返信]

関連項目名についての投票 YHWH[編集]

ノート:ヤハヴェで近日中に項目名移動についての投票を行いたいと考えています。投票の提案があって一年たっておりますので、議論の時間としては十分な時間が過ぎたかと思っています。みなさまご意見をお願いいたします。--Aphaia 2005年10月21日 (金) 17:00 (UTC)[返信]

ヘブライ聖書への移動を提案します。[編集]

済み反対票5、賛成票1(提案者票) により改名は実施されませんでした。--Yumoriy会話

ヘブライ聖書への移動を提案します。
「旧約聖書」はキリスト教の用語で、中立性に欠けます。--დინამო თბილისი 2007年8月12日 (日) 10:28 (UTC)[返信]

異論はございませんでしょうか? --დინამო თბილისი 2007年8月20日 (月) 06:46 (UTC)[返信]
  • 反対です。日本語の現実としては旧約聖書のほうが一般的な表現です。キリスト教徒自体は日本では少数派ですので、とくにキリスト教徒だけが使う用語というわけでもありません。またウィキペディアは「中立性」そのものを追求するプロジェクトではありませんし、少数派の推す用語を定着させるためのキャンペーンの場ではありません。多数派が考える現実を多数派の考える現実として提示することも、NPOVの重要な要素だと私は理解しています。--Aphaia 2007年8月20日 (月) 06:58 (UTC)[返信]
  • (反対)一理は認めます。ただし、その名称は日本語として通用するのか、事実その名称の書物は流通していないではないか、という点で「中立とは何か」という問を改めて突きつけられる気がします。つまり、この書物がどのようなもので、それぞれの立場からどのように位置づけられているか、という解説においては多面的な記述が求められるにせよ、この書の和名が「旧約聖書」であることは圧倒的な現実だと思われます。--LR 2007年8月20日 (月) 07:19 (UTC)[返信]
  • (反対) 将来どうなるのかは分りませんが、現状では「ヘブライ聖書」は無理かと思います。日本語圏の中で、「ヘブライ聖書」という言い方が定着してきた段階で改めて中立的な観点から考えてみることになるのだろうと思いますけれども。--おーた 2007年8月22日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
  • (絶対に反対) 主な論点は出ていると思います。あえて加えるなら、1)「旧約」はキリスト教にとって極めて重要な概念であり、項目として不可欠である。2)ユダヤ教徒から見れば「聖書」はこれのみであり、むしろ「タナハ」当の項目名がふさわしい。3)「ヘブライ語聖書」の項目名は現時点で「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」とされている校訂本の記事の移動先にふさわしいと考える。ということで、到底認められないと考えます。 --J-ishikawa 2007年8月24日 (金) 12:47 (UTC)[返信]
  • (反対)「旧約聖書」が、中立性に欠けるという理由が見あたりません。それに明らかに旧約聖書のなの方が一般的です。--きたひろ 2007年9月14日 (金) 21:28 (UTC)[返信]

節「旧約聖書とは何か」について[編集]

現在「旧約聖書とは何か」という節がありますが、丸ごと独自研究の領域のように思えます。この一節ごと削除するのはいかがでしょうか? --おーた 2007年11月5日 (月) 13:31 (UTC)[返信]

曼珠沙華さんのお言葉に従って、整理するという観点から考えてみたのですが、旧約聖書の救済史観については残しておいても良いかなとは思いました。ただ、それなら「内容と意義付け」に統合してしまった方が分りやすいので、この節はやはり削除かな。そんなことを考えました。それから、モーセ5書の4資料仮説などはどこかにもう少し書き足したほうが良いかなと思いました。--おーた 2007年11月10日 (土) 15:21 (UTC)[返信]
  • 「旧約聖書とは何か」に要出典をつけたものです。まるごと削除に賛成です。
    内容が内容だけに、信仰のお有りの方が編集することが多くなってしまうのでしょうが、ウィキペディアは信仰について語る場ではありません。--Volclex 2007年11月10日 (土) 07:42 (UTC)[返信]
報告 先ほど旧約聖書の内容、それから歴史背景について大幅に加筆しました。その中に「旧約聖書とは何か」の内容もPOVを保ちながらある程度は記述できたと考えましたので「旧約聖書とは何か」については削除したことを報告しておきます。--おーた 2008年8月13日 (水) 04:54 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────旧約聖書は信仰の書としての歴史が数千年あります。その歴史と伝統からすれば、文書仮説高等批評は新説の一つに過ぎません。それが、ある教派の定説なのは存じております。しかし、その仮説は今もキリスト教会に受け入れられているとはいいがたいものです[3]。この仮説は決してキリスト教会における定説とはいえません。現在の記事は若干、中立性が欠けているように思われます。項目が立っているのでそこに加筆されればよいのではないでしょうか? --Evangelical 2008年8月13日 (水) 17:12 (UTC)[返信]

リベラル派のみの定説という言い方もやや中立性を欠くように私には思えます。世俗的な、あるいは非キリスト教徒による聖書研究の立場も重要なはずです。キリスト教内部における、教派間での中立性を目指すと、当然、それ以外も視野にいれた場合は、却ってより「信仰寄り」の見解になってしまう虞があります。もちろん、私は聖書学の現状に詳しいわけではありませんから、具体的に内実については踏み込めませんが、自由主義神学の見解が教派としては一教派の見解にすぎないとしても、それと同様の見解を、世俗的な学者の多くがとっているとしたら、その見解に紙幅を割くことは、キリスト教信者以外を視野にいれた場合は、かならずしもPOVとはいえないと私は考えます。--Clinamen 2010年5月4日 (火) 09:20 (UTC)[返信]
私は、世俗的見解、非キリスト教的見解についての記述があることについては全く反対ではありません。むしろ大いに記述されるべきだと考えています。ただし、英語版では高等批評文書仮説関係の項目が別に立っておりカテゴリーまであります。むしろそれぞれれの説については記述を充実、独立させて多言語の項目にリンクするべきです。しかし、キリスト教の正典である旧約聖書の項目に、リベラル派と世俗的な、あるいは非キリスト教徒の立場からのみ解説がされ、信仰的な立場からの記述が無いのはPOVです。リベラル・世俗、非キリスト教的立場と、信仰的立場は全く別です。基本的に内容の紹介が優先されるべきであって、それに対する説があるなら、両論併記にするか項目を別にするべきです。--Evangelical 2010年5月10日 (月) 10:43 (UTC)[返信]
旧約聖書の項目であるなら、ユダヤ教、キリスト教の正典である、旧約聖書について書かれているはずでないでしょうか。文書仮説高等批評の立場から多く記述された現状では、古代イスラエル人の編纂した宗教文書という項目名がふさわしいかも知れません。文書仮説については、英語版ではカテゴリーもあり、w:Category:Documentary hypothesis、この仮説や高等批評については、それぞれの項目で詳しく執筆されています。日本語版でも分割を提案します。--Evangelical 2009年4月25日 (土) 09:11 (UTC)[返信]

正典化説のPOV問題[編集]

ユダヤ教内での正典化キリスト教内での正典化宗教改革によるテキストの見直しとする節の名称自体が正典化POVです。いのちのことば社の聖書論に関する文書を少しでも読めばわかりますが、福音的なプロテスタントでは段階的に正典化されたとする説を否定しており、ことば社の『新聖書辞典』も、日本プロテスタント聖書信仰同盟聖書信仰の立場から公けにした文書もこの二つの説を別物として扱っています。二つの説は分けて記述するべきですが、両論併記にするには正典化されたとする説の分量が現状多すぎます。旧約聖書の歴史的背景節のすべてはリベラルな解説です。--Evangelical 2010年5月10日 (月) 10:43 (UTC)[返信]

アッシャー主教の説の除去報告_2010年5月[編集]

アッシャー主教の説は今日ほとんど支持者がおらず、例としてあげるのは不適切です。それは聖書無謬説、無誤説ではありません。そのため削除しました。--Evangelical 2010年5月10日 (月) 11:10 (UTC)[返信]

分割提案:「正典化説」_2010年5月[編集]

解決済み2010-05-23に当記事の一部が記事「正典化」に分割転記されました(特別:差分/32127477特別:差分/32241274特別:差分/32117164特別:差分/32241089)。--Yumoriy会話

分割を提案します。旧約聖書が正典化されたとする説を認めない神学者、聖書学者、教派が多く存在します。また旧約聖書の歴史的背景の節は批評的な学者山我哲雄氏の説だけで構成されています。項目自体がすでに64キロバイトに達していますが、これらに対してキリスト教の神学的見解を両論併記にすると、さらにこの項目が膨大になってしまいます。世界的な神学者アリスター・マクグラスは、「「旧約聖書」「新約聖書」というキリスト教の用語は非常に神学的な性質を持っている。」「これらのキリスト教用語の基礎となっている信仰というのは、旧約聖書の内容がイスラエルとの神のかかわりの時代に属しており・・」「キリスト者ではない人がこの文書の集合体を、習慣ということ以外の理由で「旧約聖書」と呼ばなければならないという理由は存在しない。」(『キリスト教神学入門』p.226)と述べています。現状、マクグラスのいう神学的な性質については記述がありませんが、旧約聖書あるいはヘブライ語聖書に関して存在する膨大な説や解釈は、教派・宗派・学派ごとに別項目にしないと、際限がなくなります。少なくとも数千年の蓄積がある分野です。--Evangelical 2010年5月16日 (日) 07:08 (UTC)[返信]

旧約聖書の歴史的背景の節にある山我哲雄氏の説は、名称に「旧約聖書」とついていますが、キリスト教の神学的意味をもった旧約聖書についての説明というより、ヘブライ語聖書とも共通するユダヤ人の歴史と神話の影響についての説です。参考書籍にあげられている本の題名も『聖書時代史 旧約篇』であって、聖書時代史とある通り、山我氏のこの本が旧約聖書そのものではく、ヘブライ語聖書、旧約聖書の時代に焦点をあてた本であることがわかります。--Evangelical 2010年5月17日 (月) 03:20 (UTC)[返信]
報告 分割しました。--Evangelical 2010年5月23日 (日) 16:24 (UTC)[返信]

2010年5月の「正典化」の分割と記述の除去について[編集]

情報 上の2010年5月23日の投稿で「分割しました。」と報告されている「正典化」への記事の分割は、同年5月12日に新規作成されたページ「正典化差分/32062635」に対して 2回に分けて、(A) 2010-05-16 06:41:14 (UTC)の編集(「ユダヤ教」節へ)と、(B) 2010-05-23 16:04:30 (UTC)の編集(「キリスト教」節へ)で実施されました。その後、分割部分の当記事「旧約聖書」からの除去は 2010-05-23 16:21:34 (UTC)の版 で実施されました。

ただし、当記事から除去された部分の完全な転記(分割)はおこなわれておらず、当記事の「ユダヤ教内での正典化」節(脚注0点)、および「キリスト教内での正典化」節(脚注4点含む)の2セクションのみが分割先記事へ転記され、残りの「四資料仮説」節の約2/3(脚注3点含む)、および上記分割提案で「批評的な学者山我哲雄氏の説だけで構成」「項目自体がすでに64キロバイトに達して」と言及される「旧約聖書の歴史的背景(神話・民話、イスラエル民族の起源、モーセの事件、族長物語の背景、カナン侵攻、王政の成立、預言者たちと救済史観)」節(脚注20点含む)の2セクションは、転記が実施されず、説明なく除去されたまま となりました。
(このうち「四資料仮説」節部分については、上記の除去編集から約7年後の当記事 2017-01-22 12:42:30 (UTC)の版 で、別の編集者によって「ユダヤ教内での正典化」節・「キリスト教内での正典化」節とともにいったん復元され差分/62742602、そののち新たに編集が加えられました差分/62742602/62751084。)

なお、上記分割と除去に関連しそうな記事として、以下の項目などがあります。

こうした関連記事のどこかに上掲「旧約聖書の歴史的背景」節や「四資料仮説」節が分割転記された可能性もありますが、2024年3月現在そうした痕跡は見つけられていません。--Yumoriy会話) 2024年3月9日 (土) 16:35 (UTC) / 文意明確化のため調整--Yumoriy会話2024年3月11日 (月) 14:54 (UTC)[返信]

情報 念のため、上記分割転記が実施された2010年当時の記事分割のガイドラインを確認してみました。現在の分割ガイドラインとは手続きが違っていた可能性を考えました。
両者を対照してみると、2010年当時のガイドラインでも「項目一部転記」節は、「2. 甲の編集 : 分離すべき部分を除去しエディタなどに控えておきます。さらに、提案時に付加した一部転記提案テンプレートも除去します。また、必要ならば乙へのリンクを作ります。要約欄には「[[乙]]へ一部転記」と記述します。」、「3. 乙の編集 : 2.で除去した記述をそのまま、乙のページの末尾にコピー&ペーストします。要約欄には「[[甲]] から一部転記」と記述します。この手順を怠ると、著作権侵害と判断され、投稿が削除される場合があります。〔※後略〕」 と規定しており、当時の分割転記手続きと現在のそれとの間に本質的な異同はないように見えます。 以上、参考までに。--Yumoriy会話2024年3月20日 (水) 09:47 (UTC)[返信]

ソロモンの詩篇について[編集]

諸教派の旧約聖書配列の一覧にてソロモンの詩篇が正教会の正典とされていますが、1614年に写本が発見されたものと同じでしょうか? en:Psalms_of_Solomonには書かれてなかったので…。--なかヨッシー会話2019年4月9日 (火) 07:49 (UTC)[返信]

編集提案_2020年8月[編集]

脚注の上に下記の文を載せたいと思います。

=== 神の言葉として成立した聖書の歴史===

==== ユダヤ教における聖書 ==== ユダヤ教における聖書とは、紀元前4世紀までに書かれたヘブライ語およびアラム語の文書群。全24巻から成り立つ。 紀元前4世紀ごろには、この文書群が、「聖書」つまり統一された1つの書物として認識されるようになった。現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたとされる死海写本に含まれている。

拝一神教時代

  • 前11世紀後半、ダビデ王はイスラエル王国を築き統治する。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P49>カナンへの定着によって、出エジプトを導いたヤハウェ神は、救済神として崇拝される。<ヘブライ聖書における神観念は、初期には拝一神教であった。( サム上26:19、士11:24、出20:2)(岩波キリスト教辞典P869)><この段階ではまだ拝一神教として信仰されており、創造神(唯一神)には変わっていなかった。次のソロモン王の時代になると、他の神々への崇拝が行われるようになった。講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P54〜P57> <ダビデ王は十戒を刻んだ石板の入った契約の箱をエルサレムに安置したとされる。(岩波キリスト教辞典P158)>
  • 前932年、ソロモン王の死後、部族間の統制を失った統一イスラエル王国は北王国として知られるイスラエル王国と南王国として知られるユダ王国に分裂した。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P50>
  • 前10世紀、ヤハウェの呼称を用いる文書については、古いものでは前10世紀に成立したと考えられている。<岩波書店2000年旧約聖書〈Ⅱ〉出エジプト記 レビ記P402>

唯一神教時代

  • 前722年、北王国が滅ぼされる。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P52>北王国の滅亡という現実から、南王国にて神の義や罪の概念が生まれ、ユダヤ教が唯一神教に変わっていったとされる。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P72>
  • 前6世紀前半、南王国がバビロニアによって滅ぼされる。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P60>神の唯一性が絶対的になったのは、前6世紀のバビロニア捕囚前後からとされる。<岩波キリスト教辞典P869>
  • 前586年、バビロニア帝国は、ユダヤ民族のほとんどを捕囚とし、バビロニアに入植させた。<岩波キリスト教辞典P1037>捕囚時代において神殿は存在していなかったが、ヤハウェ崇拝は続けられていた。<このことから、後に聖書となる文書集と神殿との位置づけが変わっていったとされる。講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P86)>
  • 前539年、アケメネス朝ペルシアは、バビロンに無血入城し、支配下に置いた<前田徹・川崎康司『歴史の現在 古代オリエント』山川出版社、2000年p.151-152>。
  • 前538年、多くのユダヤ人がパレスチナに戻る。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P82>

聖書成立の開始

前6世紀後半〜前4世紀後半、ペルシャ時代において第二神殿の建設と聖書成立の開始が為される。この時期にモーセ5書の律法の部分が成立し、聖書が神の言葉としての強い権威を持つに至ったとされる。また、この時代に律法が作成された理由としては、ペルシャ当局の統治政策により、ユダヤ民族が従うべき掟を文書として提出しなければならないという命令が下されたことがあげられるとされる。これによって、公式に提出された律法はもはや変更できないという状況となり、政治的な権威も加わって、モーセ5書が神の言葉としての絶対的権威を持つに至ったとされる<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P88〜P90>。

  • 紀元前458年、エズラはペルシア王の許可を得てバビロンからエルサレムに赴いた(「エズラ記」7:1、7:6、7:8、7:11-13。)エズラは、ユダヤ人社会の宗教と法の掟を統合した<『旧約聖書人名事典』ジョアン・コメイ著、東洋書林、1996年、93-97項>。
  • エズラが作成した絶対に変えられない神の言葉としての律法は、掟集や律法集としてではなく、物語として書かれた。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P118>。そのため、伝説を多く含んだ物語や、二つの物語を並べて編集した物語まで、神の言葉としての絶対的権威のもとに受け止められるようになった。<創世記#ヘブライ語聖書における創世記の成立・編集について参照>

ユダヤ戦争以後

  • 1世紀後半までのユダヤ教は、サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派などに分かれていた。
  • 70年、ユダヤ戦争に敗れ、エルサレム神殿が破壊された。このあとユダヤ教は律法主義に一元化してしまい、エッセネ派のように神との直接的な関係の実現を求める宗派は消滅してしまった。エッセネ派が消滅したことで、タナハは絶対的権威を持つ神の言葉として成立した。その後2000年近く、聖書は神の言葉と考える律法主義が続いている。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P160〜P168 >
  • 一世紀の後半、福音書が作られた当時、聖霊は世の終わりに神から与えられると信じられていた救いの霊とされている <岩波書店2004年新約聖書補注、用語解説P24>。
  • 聖霊現象と深いかかわりのあるイエス派運動<岩波書店2004年新約聖書補注、用語解説P41>の指導者たちは、「聖霊」に満たされているとし<使徒行伝7-55>、指導者たちは神と直接的に繋がっていることを信者に説いていた。<講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P222>
  • 二世紀の初期、旧約聖書が作られる。<岩波キリスト教辞典P274>聖霊現象によって神の言葉とされた福音書等と合わせて、旧約聖書も絶対的権威を持つ神の言葉として信仰されるようになった。

ユダヤ教の聖典と旧約聖書の内容の違い

ユダヤ教の聖典<ユダヤ教にとっては、『聖書』は唯一の正典であり、現在も行動を律する文字通りの法である。民族の歴史を伝え、イスラエルの地を民族の故地とする精神的な基盤を与え、行為と歴史の両面において文化的な一体性を与える書でもある。>をキリスト教は、名称を旧(ふるい)約束の意味に変えて用いている<日本聖書協会、聖書を知る>。しかし、ヘブライ聖書では、前十世紀ころのヤハウェ信仰が拝一神教であったのに対して、キリスト教が現在用いている旧約聖書では、前十世紀ころのヤハウェ信仰が唯一神教となっている翻訳の違いがある。前十世紀ころのヤハウェとの契約を意味する旧約とは、モーセの十戒を中心とした律法であると見た場合、違った風に訳された神の言葉をキリスト者自身の都合に合わせて旧い約束であるとしていると見ることも出来る。< ・他の神々が、あなたのためにわたしの面前にあってはならない。〔岩波書店2000年旧約聖書(ヘブライ聖書訳)〈Ⅱ〉出エジプト記 20:3〕・あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。(聖書 [口語]日本聖書協会、1955年旧約聖書出エジプト記20:3。)>

<また、カトリック教会において使用される十戒には、偶像崇拝の禁止の項目がない。モーセの十戒を参照>}}

--Tokinokawa会話) 2020年8月11日 (火) 06:35 (UTC)--Tokinokawa会話2020年8月15日 (土) 02:22 (UTC)[返信]