「ノート:旧約聖書」の版間の差分

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分割を提案します。旧約聖書が'''正典化'''されたとする説を認めない神学者、聖書学者、教派が多く存在します。また'''旧約聖書の歴史的背景'''の節は批評的な学者[[山我哲雄]]氏の説だけで構成されています。項目自体がすでに64キロバイトに達していますが、これらに対してキリスト教の神学的見解を両論併記にすると、さらにこの項目が膨大になってしまいます。世界的な神学者[[アリスター・マクグラス]]は、「「旧約聖書」「新約聖書」というキリスト教の用語は非常に神学的な性質を持っている。」「これらのキリスト教用語の基礎となっている信仰というのは、旧約聖書の内容がイスラエルとの神のかかわりの時代に属しており・・」「キリスト者ではない人がこの文書の集合体を、習慣ということ以外の理由で「旧約聖書」と呼ばなければならないという理由は存在しない。」(『キリスト教神学入門』p.226)と述べています。現状、マクグラスのいう神学的な性質については記述がありませんが、旧約聖書あるいはヘブライ語聖書に関して存在する膨大な説や解釈は、教派・宗派・学派ごとに別項目にしないと、際限がなくなります。少なくとも数千年の蓄積がある分野です。--[[利用者:Evangelical|Evangelical]] 2010年5月16日 (日) 07:08 (UTC)
分割を提案します。旧約聖書が'''正典化'''されたとする説を認めない神学者、聖書学者、教派が多く存在します。また'''旧約聖書の歴史的背景'''の節は批評的な学者[[山我哲雄]]氏の説だけで構成されています。項目自体がすでに64キロバイトに達していますが、これらに対してキリスト教の神学的見解を両論併記にすると、さらにこの項目が膨大になってしまいます。世界的な神学者[[アリスター・マクグラス]]は、「「旧約聖書」「新約聖書」というキリスト教の用語は非常に神学的な性質を持っている。」「これらのキリスト教用語の基礎となっている信仰というのは、旧約聖書の内容がイスラエルとの神のかかわりの時代に属しており・・」「キリスト者ではない人がこの文書の集合体を、習慣ということ以外の理由で「旧約聖書」と呼ばなければならないという理由は存在しない。」(『キリスト教神学入門』p.226)と述べています。現状、マクグラスのいう神学的な性質については記述がありませんが、旧約聖書あるいはヘブライ語聖書に関して存在する膨大な説や解釈は、教派・宗派・学派ごとに別項目にしないと、際限がなくなります。少なくとも数千年の蓄積がある分野です。--[[利用者:Evangelical|Evangelical]] 2010年5月16日 (日) 07:08 (UTC)
:'''旧約聖書の歴史的背景'''の節にある[[山我哲雄]]氏の説は、名称に「旧約聖書」とついていますが、キリスト教の神学的意味をもった旧約聖書についての説明というより、[[ヘブライ語聖書]]とも共通するユダヤ人の歴史と神話の影響についての説です。参考書籍にあげられている本の題名も『聖書時代史 旧約篇』であって、'''聖書時代史'''とある通り、山我氏のこの本が旧約聖書そのものではく、ヘブライ語聖書、旧約聖書の時代に焦点をあてた本であることがわかります。--[[利用者:Evangelical|Evangelical]] 2010年5月17日 (月) 03:20 (UTC)
:'''旧約聖書の歴史的背景'''の節にある[[山我哲雄]]氏の説は、名称に「旧約聖書」とついていますが、キリスト教の神学的意味をもった旧約聖書についての説明というより、[[ヘブライ語聖書]]とも共通するユダヤ人の歴史と神話の影響についての説です。参考書籍にあげられている本の題名も『聖書時代史 旧約篇』であって、'''聖書時代史'''とある通り、山我氏のこの本が旧約聖書そのものではく、ヘブライ語聖書、旧約聖書の時代に焦点をあてた本であることがわかります。--[[利用者:Evangelical|Evangelical]] 2010年5月17日 (月) 03:20 (UTC) 分割しました。--[[利用者:Evangelical|Evangelical]] 2010年5月23日 (日) 16:24 (UTC)

2010年5月23日 (日) 16:24時点における版

言葉

「聖書」という言葉は旧約と新約の二つを合わせた本に使い、どちらか片方にその言葉は使いませんよ。すこし真面目に勉強した人ならご存じの筈なんですが。放置すると誤った知識を広めることになるから直して頂けませんかYpacaraí 2004年10月4日 (月) 22:27 (UTC)[返信]

教会でよく「新約聖書」なる冊子を配布していますが、あれはどうなのでしょうか。あと、旧約はイスラム教ではどう扱っているのでしょうか? --忠太 2004年10月16日 (土) 16:55 (UTC)[返信]

「旧約聖書」ということばについては ノート:新約聖書の議論を参照せよ。--210.168.211.46 2004年10月17日 (日) 08:52 (UTC)[返信]

イスラム教ではアブラハムまでが聖典です。それ以降は「コーラン」には無いはずです。ただ、キリストだけは預言者としてコーランにはあるはずだとは思います。

イスラム教の聖典はクルアーンのみであるがモーセ五書はそれとは別に「啓典」としている。正誤は他宗教の者がいうべきではないはず。Izayohi 2004年12月29日 (水) 07:19 (UTC)[返信]
上の「イスラム教では‥」は自分が書いたのかどうか覚えていません。イスラム教としては、ユダヤ教徒やキリスト教徒が啓典としているものは、預言者達が伝えたものではあるが正しく伝わってはいないという立場です。オリジナルは確かに神から下された啓典ではあっても、現在のものはイスラム教徒が神の言葉として読み、生活の規範とするべきものではなく、啓典ではない、ということだったと私は記憶しています。Ypacaraí 2004年12月29日 (水) 10:29 (UTC)[返信]

「旧約聖書」という言葉を用いるのは、全く公平ではない。日本人がキリスト教のみを国教として強制されているのならいざ知らず、ユダヤ教徒に対して失礼千万な表記でしかないからである。 --124.255.13.70 2008年10月17日 (金) 06:07 -履歴を参照して投稿者と投稿時間を追記。 --202.222.113.118 2008年11月12日 (水) 11:10 (UTC)[返信]

「旧約聖書」を「トーラー」と称すべきなら、新約聖書は何と称すべきなのですか?--202.222.113.118 2008年11月12日 (水) 11:10 (UTC)[返信]

構成の見直し

正典化などにも言及があることはありますが、実質リストで出来上がっているような記事ですね。。成立の仮定(四資料説など)、翻訳の歴史、文学や美術などへの影響など、簡単にでもそれぞれ触れるのがよいと思いますが、いかがでしょうか。詳しいことはそれこそ別記事でかくことかもしれませんが。

問題は、どこに、ということですが、リストは一番最後にまわしたら、まずいでしょうか。--Aphaia 2005年8月14日 (日) 00:57 (UTC)[返信]

手間のかかるリクエストが許されるなら、リストはテーブルに統合すればコンパクトになるでしょう。最初から最後尾にありますし。「マソラ本文」と「ユダヤ教」はカラム統合、あとは七十人訳とウルガタを加えればまず資料的には十分かと。LR 2005年8月16日 (火) 18:04 (UTC)[返信]

「マソラ本文」のところはさして注もなかったのでためしに後ろのテーブルに統合を試みてみました。まずかったら差し戻ししてください。--Aphaia 2005年8月16日 (火) 19:12 (UTC)[返信]

七十人訳とウルガータはそれぞれ独立項目があるので、そっちに移すというのはいかがでしょうか。実質的には、それぞれ、カトリックと東方正教会に書かれているので、なくてもいいんじゃないかと思います。--Aphaia 2005年8月25日 (木) 05:11 (UTC)[返信]

「ラオディキア書」?

LXXの表のなかにでてくる「ラオディキア書」†#*(=Vulgataに入ってない、東方でも西方でも正典の一部ではない)とはどういう書なのでしょうか。 いくつかのサイトをチェックしたのですが [1] [2] 相当するものがみあたりません(見落としているだけかもしれませんが)。

思うに、これは新約外典の「ラオディケア書」が誤って混入したのではないでしょうか?

いったんコメントアウトしたほうがよいように思いますが、いかがでしょう。--Aphaia 2005年8月17日 (水) 00:33 (UTC)[返信]

どの資料をみても、これはLXXの一部だという情報がありませんでしたので、削りました。--Aphaia 2005年8月25日 (木) 05:11 (UTC)[返信]

関連項目名についての投票 YHWH

ノート:ヤハヴェで近日中に項目名移動についての投票を行いたいと考えています。投票の提案があって一年たっておりますので、議論の時間としては十分な時間が過ぎたかと思っています。みなさまご意見をお願いいたします。--Aphaia 2005年10月21日 (金) 17:00 (UTC)[返信]

ヘブライ聖書への移動を提案します。

「旧約聖書」はキリスト教の用語で、中立性に欠けます。დინამო თბილისი 2007年8月12日 (日) 10:28 (UTC)[返信]

異論はございませんでしょうか?დინამო თბილისი 2007年8月20日 (月) 06:46 (UTC)[返信]

反対です。日本語の現実としては旧約聖書のほうが一般的な表現です。キリスト教徒自体は日本では少数派ですので、とくにキリスト教徒だけが使う用語というわけでもありません。またウィキペディアは「中立性」そのものを追求するプロジェクトではありませんし、少数派の推す用語を定着させるためのキャンペーンの場ではありません。多数派が考える現実を多数派の考える現実として提示することも、NPOVの重要な要素だと私は理解しています。--Aphaia 2007年8月20日 (月) 06:58 (UTC)[返信]

(反対)一理は認めます。ただし、その名称は日本語として通用するのか、事実その名称の書物は流通していないではないか、という点で「中立とは何か」という問を改めて突きつけられる気がします。つまり、この書物がどのようなもので、それぞれの立場からどのように位置づけられているか、という解説においては多面的な記述が求められるにせよ、この書の和名が「旧約聖書」であることは圧倒的な現実だと思われます。LR 2007年8月20日 (月) 07:19 (UTC)[返信]
(反対)将来どうなるのかは分りませんが、現状では「ヘブライ聖書」は無理かと思います。日本語圏の中で、「ヘブライ聖書」という言い方が定着してきた段階で改めて中立的な観点から考えてみることになるのだろうと思いますけれども。--おーた 2007年8月22日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
(絶対に反対)主な論点は出ていると思います。あえて加えるなら、1)「旧約」はキリスト教にとって極めて重要な概念であり、項目として不可欠である。2)ユダヤ教徒から見れば「聖書」はこれのみであり、むしろ「タナハ」当の項目名がふさわしい。3)「ヘブライ語聖書」の項目名は現時点で「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」とされている校訂本の記事の移動先にふさわしいと考える。ということで、到底認められないと考えます。 -- J-ishikawa 2007年8月24日 (金) 12:47 (UTC)[返信]
(反対)「旧約聖書」が、中立性に欠けるという理由が見あたりません。それに明らかに旧約聖書のなの方が一般的です。--きたひろ 2007年9月14日 (金) 21:28 (UTC)[返信]

「旧約聖書とは何か」について

現在「旧約聖書とは何か」という節がありますが、丸ごと独自研究の領域のように思えます。この一節ごと削除するのはいかがでしょうか?--おーた 2007年11月5日 (月) 13:31 (UTC)[返信]

削除に反対はしませんが、そういった節の存在は否定しません。一旦コメントアウトして、整理や加筆を行うというのも手だと思います。manjushage 2007年11月5日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
曼珠沙華さんのお言葉に従って、整理するという観点から考えてみたのですが、旧約聖書の救済史観については残しておいても良いかなとは思いました。ただ、それなら「内容と意義付け」に統合してしまった方が分りやすいので、この節はやはり削除かな。そんなことを考えました。それから、モーセ5書の4資料仮説などはどこかにもう少し書き足したほうが良いかなと思いました。--おーた 2007年11月10日 (土) 15:21 (UTC)[返信]

「旧約聖書とは何か」に要出典をつけたものです。まるごと削除に賛成です。 内容が内容だけに、信仰のお有りの方が編集することが多くなってしまうのでしょうが、ウィキペディアは信仰について語る場ではありません。Volclex 2007年11月10日 (土) 07:42 (UTC)[返信]

先ほど旧約聖書の内容、それから歴史背景について大幅に加筆しました。その中に「旧約聖書とは何か」の内容もPOVを保ちながらある程度は記述できたと考えましたので「旧約聖書とは何か」については削除したことを報告しておきます。--おーた 2008年8月13日 (水) 04:54 (UTC)[返信]
旧約聖書は信仰の書としての歴史が数千年あります。その歴史と伝統からすれば、文書仮説高等批評は新説の一つに過ぎません。それが、ある教派の定説なのは存じております。しかし、その仮説は今もキリスト教会に受け入れられているとはいいがたいものです[3]。この仮説は決してキリスト教会における定説とはいえません。現在の記事は若干、中立性が欠けているように思われます。項目が立っているのでそこに加筆されればよいのではないでしょうか?--Evangelical 2008年8月13日 (水) 17:12 (UTC)[返信]
リベラル派のみの定説という言い方もやや中立性を欠くように私には思えます。世俗的な、あるいは非キリスト教徒による聖書研究の立場も重要なはずです。キリスト教内部における、教派間での中立性を目指すと、当然、それ以外も視野にいれた場合は、却ってより「信仰寄り」の見解になってしまう虞があります。もちろん、私は聖書学の現状に詳しいわけではありませんから、具体的に内実については踏み込めませんが、自由主義神学の見解が教派としては一教派の見解にすぎないとしても、それと同様の見解を、世俗的な学者の多くがとっているとしたら、その見解に紙幅を割くことは、キリスト教信者以外を視野にいれた場合は、かならずしもPOVとはいえないと私は考えます。--Clinamen 2010年5月4日 (火) 09:20 (UTC)[返信]
私は、世俗的見解、非キリスト教的見解についての記述があることについては全く反対ではありません。むしろ大いに記述されるべきだと考えています。ただし、英語版では高等批評文書仮説関係の項目が別に立っておりカテゴリーまであります。むしろそれぞれれの説については記述を充実、独立させて多言語の項目にリンクするべきです。しかし、キリスト教の正典である旧約聖書の項目に、リベラル派と世俗的な、あるいは非キリスト教徒の立場からのみ解説がされ、信仰的な立場からの記述が無いのはPOVです。リベラル・世俗、非キリスト教的立場と、信仰的立場は全く別です。基本的に内容の紹介が優先されるべきであって、それに対する説があるなら、両論併記にするか項目を別にするべきです。--Evangelical 2010年5月10日 (月) 10:43 (UTC)[返信]

旧約聖書の項目であるなら、ユダヤ教、キリスト教の正典である、旧約聖書について書かれているはずでないでしょうか。文書仮説高等批評の立場から多く記述された現状では、古代イスラエル人の編纂した宗教文書という項目名がふさわしいかも知れません。文書仮説については、英語版ではカテゴリーもあり、w:Category:Documentary hypothesis、この仮説や高等批評については、それぞれの項目で詳しく執筆されています。日本語版でも分割を提案します。--Evangelical 2009年4月25日 (土) 09:11 (UTC)[返信]

正典化説

ユダヤ教内での正典化キリスト教内での正典化宗教改革によるテキストの見直しとする節の名称自体が正典化POVです。いのちのことば社の聖書論に関する文書を少しでも読めばわかりますが、福音的なプロテスタントでは段階的に正典化されたとする説を否定しており、ことば社の『新聖書辞典』も、日本プロテスタント聖書信仰同盟聖書信仰の立場から公けにした文書もこの二つの説を別物として扱っています。二つの説は分けて記述するべきですが、両論併記にするには正典化されたとする説の分量が現状多すぎます。旧約聖書の歴史的背景節のすべてはリベラルな解説です。--Evangelical 2010年5月10日 (月) 10:43 (UTC)[返信]

アッシャー主教の説

アッシャー主教の説は今日ほとんど支持者がおらず、例としてあげるのは不適切です。それは聖書無謬説、無誤説ではありません。そのため削除しました。--Evangelical 2010年5月10日 (月) 11:10 (UTC)[返信]

分割提案

分割を提案します。旧約聖書が正典化されたとする説を認めない神学者、聖書学者、教派が多く存在します。また旧約聖書の歴史的背景の節は批評的な学者山我哲雄氏の説だけで構成されています。項目自体がすでに64キロバイトに達していますが、これらに対してキリスト教の神学的見解を両論併記にすると、さらにこの項目が膨大になってしまいます。世界的な神学者アリスター・マクグラスは、「「旧約聖書」「新約聖書」というキリスト教の用語は非常に神学的な性質を持っている。」「これらのキリスト教用語の基礎となっている信仰というのは、旧約聖書の内容がイスラエルとの神のかかわりの時代に属しており・・」「キリスト者ではない人がこの文書の集合体を、習慣ということ以外の理由で「旧約聖書」と呼ばなければならないという理由は存在しない。」(『キリスト教神学入門』p.226)と述べています。現状、マクグラスのいう神学的な性質については記述がありませんが、旧約聖書あるいはヘブライ語聖書に関して存在する膨大な説や解釈は、教派・宗派・学派ごとに別項目にしないと、際限がなくなります。少なくとも数千年の蓄積がある分野です。--Evangelical 2010年5月16日 (日) 07:08 (UTC)[返信]

旧約聖書の歴史的背景の節にある山我哲雄氏の説は、名称に「旧約聖書」とついていますが、キリスト教の神学的意味をもった旧約聖書についての説明というより、ヘブライ語聖書とも共通するユダヤ人の歴史と神話の影響についての説です。参考書籍にあげられている本の題名も『聖書時代史 旧約篇』であって、聖書時代史とある通り、山我氏のこの本が旧約聖書そのものではく、ヘブライ語聖書、旧約聖書の時代に焦点をあてた本であることがわかります。--Evangelical 2010年5月17日 (月) 03:20 (UTC) 分割しました。--Evangelical 2010年5月23日 (日) 16:24 (UTC)[返信]