ノート:日蓮宗/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

広宣流布について

広宣流布についてですが、 広宣流布の項目が日蓮正宗より(つーか正宗の主張しか書いて無い)ので、 各団体のノートへ依頼した各団体毎の主張を書ては?と、あっちのノートに書いて来たんですが……

--まるゆ 17:48 2004年3月14日 (UTC)

法華経のサンスクリット名

法華経のサンスクリット名「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」についてですが、「サッダルマ」を「不可思議な因果の法」とするのは、あまりに拡大解釈がすぎること、「プンダリーカ」が和訳れれていないという二点から、「正しい法 "白き蓮の花"」と修正しました。

--利用者:サムドゥラビーラ(未登録) 23:12 2004年4月18日

関連項目の移動について

関連項目が全て日蓮の項目に移動されていますが、若干違和感を感じます。

リクエストとして日蓮系の宗派の系統図が欲しいところ。日蓮系は分岐が多岐に及んでいる。

系統図をみれば、移動された項目の中で、元に戻すべき項目も判明するだろう。

無空 2005年3月26日 (土) 00:05 (UTC)

違和感があるということなので戻しました。ただ、日蓮入滅時から正統・分派の対立を日蓮宗の関連項目として同一レベルに枚挙するのもどうでしょうか。すべてが日蓮宗の支流ではないということを示す必要はあるでしょう。Authority 2005年3月26日 (土) 01:03 (UTC)

波木井坊竜尊@日蓮宗

系統図ですか作りましょう。

画像のUPロードはアカウントを取得しないと出来ないんです。(何か有った時に責任とらせる為に)あと、日蓮宗 現代宗教研究所が顕正会関係の時に作ったのを無断で持ち込んだら永久に投稿できなくなる恐れが有ります。--まるゆ 2005年7月11日 (月) 14:32 (UTC)

アカウントは取得しました。現代宗教研究所については問題ありません。私が了解取り付けましょう。

死のう団

死のう団って実在するんですか? それともいたずら?--220.211.247.68 2005年7月12日 (火) 05:52 (UTC)

実在しました(今は多分ありません)。"死なう団"または"死なう団事件"で検索してみて下さい。nnh 2005年7月12日 (火) 05:57 (UTC)


誤りのある図版

Nitiren.svg Sariputra2010氏が2010年11月14日 (日) 13:48時点における版 (編集)で付加された上記の画像ファイルには誤りがあるので、いったんコメントアウトさせていただきました。「誤り」の具体的内容はノート:富士門流にて。--Dalaibaatur 2010年12月8日 (水) 17:26 (UTC)

定義部について

利用者‐会話:Dalaibaaturの会話ページに、以下のような、この記事の定義部の編集についてのお尋ねがありましたので、こちらでお答します。--Dalaibaatur会話2012年6月18日 (月) 14:11 (UTC)

初めまして。1000daiと申します。Dalaibaatur様の造詣の深さに舌を巻いている者です。
さて、日蓮宗の定義部をかつての状態に戻されましたが、その1.と5.は宗旨日蓮宗についてであり、2.3.4.は宗派日蓮宗についての説明であると理解しております。もしそうであるならば、宗旨宗派の区別を明確にする点からも、また2~4.は本文で説明がなされていることですし、復活前の定義(1.宗旨の一つ。2.宗派の一つ)の方が、より簡明ではないでしょうか。お忙しいところ恐縮ですが、ご意見賜れば幸いです。--1000dai会話2012年6月17日 (日) 08:47 (UTC)
Vice-priest(1000dai)さんが2010年10月30日 (土) 05:07の編集で削除した上記定義部は、私が2010年8月19日 (木) 20:53の編集で付け加えたものです。
(1)は、十三宗五十六派というときの「宗旨・日蓮宗」に対するもの、(4)は、一致派から富士門流の一部さえ含む勝劣派の諸門流で形成された現行の「宗教法人・日蓮宗」についての定義です。
(2)は、明治政府が共通の宗祖を頂く仏教の諸宗派を強権で統一教団に組織させようとした時に「日蓮宗」と呼ばれた団体の定義。
(3)は、(2)の日蓮宗が解体・消滅したのち、一致派の諸門流が結成した教団が名乗ることを許された団体の定義。
近世以前と近代以降で、「日蓮宗」と呼ばれた教団には以上のような種類があり、それぞれの「日蓮宗」に参加する門流の種類も、教義(勝劣の別)もまったく異なっています。すなわち【1.と5.は宗旨日蓮宗についてであり、2.3.4.は宗派日蓮宗についての説明である】というご理解は誤りであり、ゆえにもとの定義を復活させていただきました。--Dalaibaatur会話2012年6月18日 (月) 14:11 (UTC)

早速のご回答ありがとうございます。(2)と(3)が教団の種類について述べたことはわかりました。再質問させて頂きます。

(2)と(3)は【団体の定義】とのことですが、その「団体」を「宗派」というのではないでしょうか(「宗派」についてのお考えをお聞かせ頂ければ幸いです)。
参加する門流や教義によって団体を区別するのならば、(4)はさらに詳細に(中山妙宗や最上稲荷また個々の寺院の帰属について)触れる必要があるとお考えでしょうか(するかしないかは別として)。
定義部の復活に伴い、本文もそれに応じた構成に改編する必要をお感じでしょうか。
(1)と(5)は「日蓮を祖とする団体の(総括的)説明」、(2)~(4)は「日蓮宗と名乗る団体の説明」と大別できるように思います。であるならば、我田引水で恐縮ですが、やはり、(1)と(5)、(2)~(4)をそれぞれ統合し、その詳細(各団体の違い)については本文で述べた方が、よりわかりやすくなるのではないでしょうか。

以上、よろしくお願いします(利用者ページのノートに「新たな」と書いておきながら、そうでもない質問が含まれてますこと、お詫び申し上げます)。--1000dai会話2012年6月19日 (火) 23:12 (UTC)

Vice-priest(1000dai)さんのご質問の数字(1)~(5)が実際の文面とずれていると思われるのでご確認ください。回答は現在の文面に則して行います。
(1)と(4)について「日蓮を祖とする団体の(総括的)説明」というご理解ですが、(4)は「現代日本において、日蓮を宗祖としている様々な宗教法人のひとつ」にしかすぎませんから、(1)と(4)を「ひとまとめ」にはできないと考えます。
(2)と(3)、そして(4)は、さまざまな時期に「日蓮宗」という名称を正式呼称としていた団体ですが、教義も、参加している門流も、それぞれ全く異なる内容・構成をもっていた全く別個の団体ですから、これも「ひとまとめ」にはすべきではないと考えます。--Dalaibaatur会話2012年6月21日 (木) 21:26 (UTC)
再質問の数字は文面(ページ)のそれと同じです。(1)と(4)を「ひとまとめ」にすることは私も反対で、Dalaibaaturさんの主張に同意します。書き方が悪く、誤解を与えてしまったようです。
教えと構成員(および時代)が異なる団体「日蓮宗」を別個の団体として扱うべき、とのかねてよりの主張は承知しました。同じなのは名前だけで全く別の教団なのだから項目立ても別にすべき、というお考えと理解しております(もし間違っておりましたら、ご指摘下さいませ)。
なお、 冒頭の段落は明確で簡潔にを持ち出して釈迦に説法するまでもなく、当該定義部は凡長感を否めないと感じております。疑念は、「(2)~(4)の『日蓮宗』が一つか否か」ではなく、「定義部が長くなってはいないか」ということに端を発しております。
4つの再質問のうち、未だご回答頂いていない3つの質問へのご回答、お待ち申し上げております。--1000dai会話2012年6月22日 (金) 06:10 (UTC)
番号に誤りはないとの由。(1)は宗旨であるのに対し、(5)は(2)~(3)のいずれにも含まれず、かつ「日蓮宗」と称する「日蓮宗系の新宗教」(←そんなものが実在するのかどうか、私は知りません)であるので、これを「一つにまとめる」のは反対です。
(2)(3)(4)のそれぞれの定義は、「明確で簡潔に」まとめられていると自分では思っています。
(4)は、「明確で簡潔」であることを必要とする「冒頭の段落」の文面としては、「三派合同によって成立」した「現行の宗教法人」であることを示せば十分であると考えます。「中山妙宗や最上稲荷また個々の寺院の帰属」は、「冒頭の定義部」で言及する必要はないかと。
そのほか、私が「回答していない」とお考えの質問が残っているようでしたら、お手数ですが再度ご提示ください。--Dalaibaatur会話2012年6月22日 (金) 09:21 (UTC)
導入部に(5)があるのは、他称も含むからと解釈しておりました。もし、ご指摘のようならば、(5)は「日蓮宗」ではありませんので、削除すべきではないでしょうか(もしくは、宗旨に他称は含まれないというお考えでしょうか)。
確かに(2)~(4)それぞれは「明確で簡潔」です。しかし、導入部全体として見たら、どうでしょう。「ひとまとめ」には反対とのことですが、中山妙宗等の帰属について同様(お答えありがとうございました)「ひとまとめ」ではないことは本文で述べれば十分です。ただし、それには、(2)と(3)が宗派についての記載であることが前提ですが(これにお答え頂いておりませんでした)。--1000dai会話2012年6月22日 (金) 23:07 (UTC)
(5)について。現行の「日蓮系の新宗教」で、"日蓮宗"という名(◯◯派とつかないもの)を持つものがあるのを私は知りません。「ない」ことを確信できる調査をしていないから手をつけていないだけで、(5)は私自身は不要だと思っています。
「(2)と(3)が宗派についての記載であることが前提」とのことですが、それぞれ私が書いた文面をみていただくとおわかりのように、(2)は「統一教団の名称」、(3)は「あらたに公称することをゆるされた宗号」と定義しています。「現行法における宗教法人としての宗派」が明治5年、 7年から存在したかのような誤認を避けるための措置です。「国家が仏教の各宗旨を上からむりやりまとめさせた統一教団」と「宗号」と「現行法における宗教法人としての宗派」の3種はそれぞれまったく別個の存在なので、「ひとつにまとめる」のには反対です。--Dalaibaatur会話2012年6月23日 (土) 06:12 (UTC)
(5)について。お考え承知しました。
何回も書いて恐縮ですが、「統一教団の名称」「宗号」は「宗派」ではないのですか。
反対される主因が、「『現行法における宗教法人としての宗派』が明治5年、 7年から存在したかのような誤認を避けるため」だと拝察しております。確かに、ご指摘の心配は否めません。ですから、「現代では、宗教法人・日蓮宗のこと。」としたのですが、それでも不十分とお考えのようです。そこで、「現代では、昭和16年に成立した宗教法人・日蓮宗のこと。」としてはいかがでしょうか。--1000dai会話2012年6月23日 (土) 07:27 (UTC)
反対するもうひとつの「主因」は、(1)~(4)を無理にまとめ「ねばならない」理由について、いまのところ「私が納得できるもの」のご提示がない、という点があります。妥協案としては、「日蓮宗(にちれんしゅう)とは、」という冒頭部と(1)との間に、(1)~(4)全体を包含しうるなにかの解説を入れることには反対しません。たとえば、「日蓮宗(にちれんしゅう)とは、日本における仏教宗旨のひとつ、および宗派の名称。具体的には、1.(後略)」という形。この形であれば「冒頭部の段落は簡潔」になり、かつ(1)-(4)はそのまま残る。--Dalaibaatur会話2012年6月23日 (土) 17:05 (UTC)
私も、(1)~(4)をまとめることには反対です。宗旨(かねてよりこの「宗旨」の使い方にも疑義がありますが、本題から逸れてしまうので、ここでは触れません)と同名の宗派が存在し、かつそれとは異名の宗派も存在する、という日蓮宗の特徴を踏まえますと、定義が若干長くなるのは致し方ないことと考えます。再読頂ければ簡明ですが、私の主張は「(2)~(4)をまとめること」です(もちろん、それにDalaibaaturさんが反対していることも存じ上げておりますが)。
妥協案のご提示ありがとうございます。「冒頭部の段落」とは、この場合、(5)文末までではないでしょうか。とするならば、折角のお気持ちを無にしてしまい誠に申し訳ありませんが、むしろ、当該妥協案は凡長さを増長させるだけと言えますでしょう。--1000dai会話2012年6月24日 (日) 08:03 (UTC)

取り下げ項番を取り違えてご回答頂いたり、回答や反駁を頂けなかったりして、議論が深化しなかったのは残念でした。

Dalaibaaturさんにご理解頂けなかったこと、不徳の致すところです。平行線のまま終わるのは残念至極です(これには同意頂けると信じております)が、これひとえに私の説得力の足りなさ故と感じております。

多くのページを中立的な観点で編集されてらっしゃるDalaibaaturさんに敬意を表し、この度のことは、取り下げさせて頂きます。多くの時間を割いて下さり、また、不慣れな者に対しても誠意を持ってご返事下さいましたことに、甚々の謝意を表します。Dalaibaaturさんに納得頂けるものを提示できる時が来たら、また、よろしくお願いします。--1000dai会話2012年6月24日 (日) 08:03 (UTC)

126.94.125.248さんご確認下さい

情報126.94.125.248さん初めまして。あなたのノートに一言書かせて頂いたので、ご確認下さい。--1000dai会話2014年6月2日 (月) 22:27 (UTC)2014年6月1日 (日) 17:21 (UTC)‎

(署名日時の訂正:×2014年6月2日 (月) 22:27 (UTC)→○2014年6月1日 (日) 17:21 (UTC)‎--1000dai会話2015年3月26日 (木) 05:47 (UTC)

ルールと編集の自由について

 Wikipediaは宗派のホームページでもなければ、広告サイトでもないはずです。
 「日蓮宗」の編集を「日蓮宗」関係の人がやっていることは文面から容易に察することができますが、投稿ルールに従う限り、誰でも編集に参加できるのはWikipediaのレゾンデートルです。
 当方は「あらし」や「不毛な論争」をWikipedia上で企図するつもりは毛頭無く、また、「日蓮宗」とは関係ない人間として、出来る限り客観・公平・中立の立場で、「日蓮宗」とはどういう宗派なのかを一般ユーザーに知ってもらうべく、調べた範囲の事実に基づいて加筆編集しています。
 「日蓮宗」の中心勢力である身延派日向門流の関係者にとって「都合が悪い」のか、「隠蔽したい」ことなのか、当方の調査不足を嘲笑しているのか知りませんが、当方の加筆編集を全面的に削除する暴力的編集が行われていることに強く抗議するとともに、今後も調査を進めて、事実に基づき、随時加筆編集していくことをここに明確にしておきます。
 勿論、Wikipediaが「日蓮宗」関係者から「いくばくか」の寄付を受けていて、特別な配慮をしているのだとしても、当方には関係ないことであり、あくまでも、普遍的なルールに基づく自由な百科事典だと信じて、質の高い編集に資していく意向です。--以上の署名のないコメントは、126.94.125.248会話投稿記録)さんが 2014年6月2日 (月) 21:00 (UTC) に投稿したものです(Dalaibaatur会話)による付記)。

126.94.125.248さんの書き込みとの前提でお返事します。まずは、ご対応ありがとうございました。善良なるウィキペディアンであろうとする方が一人増えたことに喜びを感じています。
  • 本文について
  1. 一部あなたのノート(会話ページ)にも書きましたが、「日蓮宗身延派」もしくは「身延派」とは、創価学会や日蓮正宗から、身延山を総本山とする日蓮宗(以下、「宗派日蓮宗」とします)への蔑称で、これを自称する団体は存在しません。本文のような表記が認められるならば、同様の用法で、創価学会のページに「池田教」、日蓮正宗のページに「日顕宗」と書き込めてしまいます。これらは、客観的と言えますでしょうか[1]
  2. 「宗旨・日蓮宗の概要」節への書き込みについて。この節は私が書いた文ではありませんが、参考文献を元にして書かれた「宗祖を日蓮聖人とする団体(以下、その集合体を「教団」とします)に共通する主張」といってよいのではありませんか[2]。であるならば当然、宗派日蓮宗の主張にも当てはまります。しかし、そこに限定してしまうのならば、この節は、「宗旨・日蓮宗」の節ではなくなってしまいます。
  3. 「1872年(明治5年)成立の日蓮宗」節への書き込みについて。複数回訂正下さいましたが、126.94.125.248さんは原典にあたりましたか。少なくとも、原典には、「一宗一管長」制が「明治政府が伝統的な仏教勢力を神道、神社勢力の下に組み敷く」ためのものであったり(「神道国教化を画策する明治政府の仏教統制政策下」であったり、その成立が「強制的合同」であったり)したとは、書いてありません。歴史的な事実はご指摘の通りかも知れませんが、だとしても、原典がそのことに触れていない[3]以上、このような記述[4]は、誤解を与える可能性からも、適切であるとは言えません。
  • 上記書き込みとそれに関連して
    • 126.94.125.248さんの書き込みを全面的に削除した理由は、上記1~3で述べたことからと、要約にも書いたとおりWikipediaの方針、冒頭の段落は明確で簡潔にに従ったからです。「都合が悪い」を始めとする3つのご推測はあてはまらず、ましてや、126.94.125.248さんに不快の念を抱かせるためでも決してありません。従って、抗議は真摯に受け止めますが、暴力的編集というご指摘は恐縮ながら的外れと言えましょう。
    • 私は、日向門流の者ではありません。しかし、宗派日蓮宗の者であることは否定しません[5]。そのため、自分自身の記事をつくらないの方針には、充分留意しているつもりです。しかし、ここに書くまでもなく、私にも間違いはあります。もし、私の書き込みが、この方針からずれているとお感じになるときがありましたら、ご指摘頂けるとありがたいです。また、この方針は、利害関係を有する126.94.125.248さんにも当てはまります。すなわち、私たちは互いに、「日蓮宗」「富士門流」「日蓮正宗」のページを書き込む上では、同じような配慮が必要であること、明記します。
    • Wikipediaが寄付者に特別な配慮をするとは思えませんが、もしそうだとしたらそれは強い批判に値することであり、少なくとも、この一点に於いては同意頂けると信じています。
    • Wikipediaが宗派のホームページや広告サイトでないとの主張、ならびに客観・公平・中立の立場で調べた範囲の事実に基づいて加筆編集するという方針に同意します。私も、ルールに基づく自由な百科事典にお役に立てればと思っております。ただし、Wikipediaのルール(方針とガイドライン)に普遍性はなく、合意によって変更されますこと、ご承知置き下さい。
  • 全体を通して(お詫びとお礼とお願い)
    • 誰でも自分が書いた文章を直されるのは不快なものです。その意味で、アカウントを作成されていない方の書き込みだったとは言え、ノートで議論せずに戻してしまったのは、性急もしくは配慮不足のそしりを免れないかも知れません。この点に関してはお詫び申し上げます。
    • 126.94.125.248さんのお陰で、戦後の宗派日蓮宗の出入りがより明確になりました。このこと、感謝申し上げます。
    • 以上、抗議への反駁と致します。これを受けてご納得されたことをご自身で投稿(変更)頂くことを切望致します。もちろん、そのような方針はありませんので、126.94.125.248さんのご随意となりますが。無益な編集合戦にならなかったこと、安堵しております[6]。そういった意味でも、ここですぐに私が直すよりは、126.94.125.248さんにして頂いた方が望ましいと愚考したからです。
  • 老婆心ながら
    • 半角チルダ4つ~~~~、もしくは半角ハイフンを2つ前置した--~~~~を用いて、署名をお入れ下さい。テキストボックス上辺に用意されている「署名アイコン」(署名アイコン (改良型))も便利です。詳細は、署名を参照願います(右一文は、このページより)。私も忘れてしまったので、偉そうに言えませんが。。。私のように、後から入れても、ちゃんと当初書き込んだ時間が入りますので、ご安心下さい入れる場合は、日時を正しく指定する必要がありますので注意が必要です
  • 蛇足
    • 「宗旨・日蓮宗の概要」節への書き込みについて。もしかしたら、126.94.125.248さんの誤解の元は、「教団に共通する主張[7]」しか書いていないことに端を発するのかも知れません。ご指摘の通り本仏論において教団は分派しますが、そのことについて本文で十分に触れられているとは言えない状態です。「(日蓮正宗や宗派日蓮宗に限らず多くの)宗派によって異なる主張」が明確にされると、より質の高いページになるのかも知れません。例えば、なぜ、法華宗本門流と本門法華宗が分派してしまったのかなどがわかると面白いですよね。
長文失礼しました。
  1. ^ 当然、こういった単語が蔑称であることを説明するときに用いる場合は別です。念のため。
  2. ^ もし、「日蓮○宗(もしくは法華宗○○派)では、こういう主張はしていない!」という部分があったら、ご指摘下さいませ。
  3. ^ ちなみに、原典には「明治維新の政府は(略)神道、仏教の各界を統轄する必要上、一宗毎に一管長を設けるようにした」とあります
  4. ^ 原典にさもそう書かれているかのような記述
  5. ^ 故に、日向門流が宗派日蓮宗の中心勢力でないことは、充分承知しております。蛇足でした。
  6. ^ このことへのご配慮にも、感謝申し上げます。
  7. ^ 少なくとも、現時点ではそう思われるもの
--1000dai会話2014年6月3日 (火) 06:57 (UTC)
(署名に関する間違いを訂正:×後から入れても、当初書き込んだ時間が入る→○後から入れる場合は注意を要する--1000dai会話2015年3月26日 (木) 05:47 (UTC)


素早く丁寧な返信ありがとうございます。
まず、ご指摘の3点についてご回答します。

  1. 「身延派」が蔑称だとは知りませんでした。「日蓮宗-分派」中の記述「日向門流(身延門流)」と同義で使っていました。「身延派日向門流」というと蔑称となり、「日向門流(身延門流)」と書けば問題ないというのは、今ひとつ、理解に苦しむ所ですが、「日蓮宗」関係者の方が蔑称だと言っている以上、今後は「日向門流(身延門流)」で統一しましょう。
  2. 残念ながらご指摘は的外れです。「宗祖を日蓮聖人とする団体に共通する主張」や「宗祖のあゆみ」は、Wikipediaの「日蓮」の項目で記述されるべき内容であって、一宗派に過ぎない「日蓮宗」の項目で記述する内容ではありません。わざわざ書くということは、一般ユーザーに対し、「日蓮宗」が主流派、正統派だとの印象操作の謗りを免れ難いと考えます。さらに言えば、「日蓮宗」の項目では、「日蓮宗の教義」または「日蓮宗の解釈」が記述されるべきであって、一般ユーザーもそれが知りたい、または、知らせるべきであって、それも書かずに「宗祖を日蓮聖人とする団体に共通する主張」だけを述べるというのは、いかがなものでしょうか?というのが当方の問題提起であり、この小節への加筆編集の理由です。もしも「日蓮宗」が、全日蓮門下を統合したいという願望をお持ちだとしても(それは失礼ながら日蓮宗には不可能だと当方は確信していますが)、Wikipediaの記述に反映させる話ではありません。明らかに百科事典の範疇を逸脱している、あるいは必要な記述が欠落していると考えます。
  3. 適・不適は見解の相違、編集方針の違いです。例えば、慶応4年に発せられた「神仏分離令(太政官布告)」には神社・神前から仏教的要素の排除を命じはしましたが、破壊せよとはどこにも書いていない。しかし実際には廃仏毀釈の暴力的破壊活動が起こった。余りに激しい廃仏運動が起こったために、慌てて「粗暴ノ振舞等」への戒めを新たに布告したほどでしたが、この因果関係は歴史的事象を記述する際の生命線であり、布告や通達以外の記述が一般ユーザーに誤解を与えるとの論は、Wikipediaの編集方針である「多様な参加姿勢が受け入れられます」にも反すると考えます。

以上、3点について弁駁させていただきましたが、当方の問題意識、編集方針を要約すると、
◆当初、当方が加筆編集する前のWikipedia「日蓮宗」の項目には、「日蓮宗」の歴史、中心門流(の変遷)、時の権力者との関わり、教義、本尊、信徒団体の活動実態など、一般ユーザーが知りたい(と、一般的に考えられる)記述が皆無で、悪く言えば宗派の広告ページ、よく言っても当たり障りの無い令色だったので、少しでも一般ユーザーの知的好奇心に応えるように加筆修正すること、となります。
具体的には、
1.日向門流(身延門流)は徳川家康の庇護をどのように取り付けたのか?
2.日向門流(身延門流)は江戸時代、どのように教線を拡大していったのか?
3.幕末・明治~近代の歴史、特に軍部への対応
4.優陀那日揮教学の影響
5.現在の中心門流や勢力図
6.日昭門流や、中山門流の現況
などで、関係者からの記述も待たれる所です。
結論としては
◆「全てのユーザーは編集長ではなく、編集者である」との理念に従い、とりわけ「日蓮宗」関係者が多数派を占める合意があるならば、それは中立性に背くと判断し、事実の検証と出典の明示、および「大胆な編集」に努めて参ります。
--以上の署名のないコメントは、126.94.125.248会話投稿記録)さんが 2014年6月4日 (水) 05:01 (UTC) に投稿したものです(Dalaibaatur会話)による付記)。


  1. ご理解頂け幸いです。なお、ご承知とは思いますが、「日向門流(身延門流)」≠「宗派日蓮宗」です(「日向門流(身延門流)」⊂「宗派日蓮宗」が正確ですね)。
  2. 実は、私もかつてはそう思っておりました。「日蓮宗のページには、日蓮宗のことだけ書けば良い」と。ところが、上記定義部についてのやり取りをした結果、考えが変わりました。それは、「宗旨日蓮宗」と「宗派日蓮宗」は別のもの、ということです[a 1]。前者は「日蓮教団」もしくは「全日蓮門下」(本文定義部1)、後者は「『日蓮宗』と名乗る団体」(本文定義部2)と言い換えられます。これを主張するDalaibaaturさんは、その書き込みを見た限りでは、「宗派日蓮宗」関係者というよりは、むしろ、126.94.125.248さんのお立場に近い方のように思えます[a 2]。「宗派日蓮宗」関係者としてはご指摘も一理あると思いますが、一ウィキペディアンとして思いとどまっております[a 3]
  3. これは、記述方法の問題です。例えば、辞典『全日蓮門下』[a 4]に「日蓮正宗の本尊は、本門戒壇之大御本尊である」とあったとします。これを引用し、「他の日蓮門下から偽作と断じられている日蓮正宗の本尊は、本門戒壇之大御本尊である」(出典:『全日蓮門下』)。と記述したらどうでしょうか。ご本尊の真偽は別にして(←ここ大事です)、他の日蓮門下が偽作と主張しているのは事実です。しかしながら、この記述は不適切と言わざるを得ません。他の日蓮門下が日蓮正宗のご本尊をどう思っているかは、辞典に載っていないからです。
  • 「日蓮宗」のページにどれだけ合意があるかは、このノートからしか計り知れませんが、少なくとも、「宗派日蓮宗」関係者が多数派を占めているとは到底思えません[a 5]
  • 大言壮語に当てはまる部分がないので、広告もしくは令色と指摘するのは難しいと感じます。もちろん、ページへの印象は人それぞれかと存じますので、126.94.125.248さんが感じられたことは尊重したいものです。
  • 今後の具体例を列挙下さいましたが、願わくば、既述かつ126.94.125.248さんもご承知のガイドラインを気にせずに書き込める人に投稿して頂けるとありがたいと思います。もちろん、その辺りのことをご承知だからこそ、「関係者からの記述『も』」とお書きになったのでしょうけど。
  • 上記以外の、126.94.125.248さんの「知的好奇心に応えるように加筆修正」を始めとする問題意識、編集方針に同意します。
  • 幾度も恐縮ですが署名をお願いします。
  1. ^ そのため、本文のような定義部になっております
  2. ^ 126.94.125.248さんにもご確認頂けるとありがたいです。もっとも、編集者のバックボーンはそもそもは関係ないはずなのですが…。
  3. ^ 蛇足です。あくまで個人的な推測ですが、ご指摘の通り「宗派日蓮宗」は、可能ならば全日蓮門下を統合したいと思っているかも知れません。ただ、そのために何らかのプロジェクトチームが立ち上げられているとか、声明があったとか、具体的な動きは管見の限りではありません。また、私個人としても、不可能だと確信しています。なお、具体的な動きが見られない以上、Wikipediaに反映させることはできず、その範疇を逸脱しているというお考えに同意します。
  4. ^ 架空の辞典です。
  5. ^ これまた蛇足です。むしろ、私の周りの「宗派日蓮宗」関係者はWikipediaに無関心で、他門流の恣意的な書き方を放置し、文字通りの第三者ウィキペディアンに(結果的に)助けられている、というのが現状と理解しています。もちろん、だからといって、「日蓮宗」のページに「宗派日蓮宗」関係者がいない、もしくは少数派である、ということにはなりませんが。
--1000dai会話2014年6月4日 (水) 00:18 (UTC)
--1000dai会話2014年6月4日 (水) 03:50 (UTC)(一部訂正)


上記、一度目の反駁中、1.について、(略)書きましたが、「日蓮宗身延派」もしくは「身延派」とは(略)→(略)書きましたが、宗教法人日蓮宗を指して用いる場合の「日蓮宗身延派」もしくは「身延派」とは(略)と追記します。理由:日向門流(身延門流)を指した場合の「身延派」は、差別表現と言えないから。文脈から推して知るべしといえども、念のため。--1000dai会話2014年6月10日 (火) 05:41 (UTC)

村上重良『国家神道とは何か』とは何か

質問1872年(明治5年)布達の「一宗一管長」制が「神道国教化を画策する明治政府の仏教統制政策下」のものであり、その時の合同が「強制的」だった、との出典に村上重良『国家神道とは何か』が明示されています。しかしながら、そのような本はネットでも、wikiでも見つけられません。記事の参考文献にもなっている同著者の『日本の宗教』には、「急激な神道国教化政策は、キリスト教の進出にそなえる全宗教をあげての国民教化政策にきりかえられました。1871(明治4年)、神祇官は(略)格下げされ」(p.180。ただし、漢数字は算用数字に改めた)、「教院では、神職とともに僧侶が奉仕する神仏合併の儀礼と布教が行われ、人数のうえでも教化の実力の上でも神道にまさる仏教側が、運営の主導権をもつようになりました。」(p.181)とあり、少なくとも、明治5年の時点では神道国教化政策は切り替えられ始めているようですが、微妙なところです。従って、原典にあたりたいと思うのですが、ご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか。なお、類似の『国家神道』にはあたるつもりです。--1000dai会話2014年6月10日 (火) 23:54 (UTC)

出典の訂正

出典が間違っていたので訂正し、また、他の出典を追加しました。(『国家神道とは何か』→『国家神道』)何か、鬼の首を取ったかのごとき表現にも受け取れましたが、それはさて置き、1000dai氏にはご指摘感謝いたします。
当方は「編集長」ではなく、いち「編集者」を自覚しているので、「過ちを改むるに、はばかる事なかれ」の精神です。
また、当方が指摘して以降、当方の出典明示の記述を全面削除するという「暴力的編集」が行われなくなったことにも感謝いたします。
また「日蓮宗関係者」であることを表明された1000dai氏の勇気(?)にも敬意を表します。
今後とも利害関係者によるWikipedia項目の私物化、不都合な記述の削除、宗派の広告宣伝化としか思えないような編集をすることなく、意に反する記述に対しても出典が明示されている限り、最低でも両論併記、それでも気に食わないと言うならば、最悪でも注釈に残す等の編集をされるよう、強く要求して、当方の「ノート」への記述を終了したいと思います。
これ以上のやり取りは、Wikipediaで禁じるところの「ノート」を使った公開討論になってしまう可能性があるので、以後はWikipediaの方針とガイドラインに沿い、以前、当欄で指摘した項目を含む、
A.「日蓮宗」の前身といえる身延門流(日向門流)がどのように時の権力の庇護を取り付けたのか?
B.どのような内部対立があったのか?
C.どれ程の堂宇や重宝が焼失してしまったのか?
D.教義を異にする宗派の寄り合い所帯で、現状の主導権を握っているのは誰なのか?
など
一般ユーザーが知りたい、または、知るべきだと思われる情報提供を心掛け、本編の加筆編集を進めて参ります。

126.94.125.248

節「教え」について

宗祖の教えは、宗祖本仏論の「日蓮正宗」と、釈尊本仏論の「日蓮宗」で全く解釈が異なる。ここでの記述はあくまで、「日蓮宗」の主張である点に留意が必要

  報告確かにご指摘の通り、宗派日蓮宗と日蓮正宗とは、その教義に差異があります。例えば、「五重相対」。宗派日蓮宗は、日蓮正宗が設ける「脱相対」[1]を採用せず、「教観相対」を設けます[2]。ここに本仏論の差異が現れ、そして宗派の違いとなりましょう。もし、「教観相対」が本節に載っているとしたら、上記のような注釈もやぶさかではありませんが、実際は異なります。本節について、「教観相対」のような教え[3]は、浅見の限りでは見つけられず、当該記述は各派共通の枠を出ていないのではないでしょうか。ただし、全日蓮系各派の教えを確認することはできませんでしたので、ご指摘頂けるとありがたいです。

 また、「全く」というご指摘も残念ながら正確ではありません。重箱の隅をつつくようで恐縮ですが、例えば、先ほどの「五重相対」が『開目抄』に主説されているとするのは、宗派日蓮宗[4]も日蓮正宗[5]も採用するところです。

 そもそも、本節は、宗派日蓮宗や日蓮正宗だけの節ではありません。日蓮系各派が共有できる内容を記述することが、本節では求められているのではないでしょうか。

以上の理由で、この注釈を一旦COします。

  1. ^ 『日蓮正宗要義』日蓮正宗宗務院、1978年、38頁。 
  2. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 編『日蓮宗事典』日蓮宗宗務院、1981年10月13日、97頁。 
  3. ^ 採用していない宗派がある教え
  4. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 編『日蓮宗事典』日蓮宗宗務院、1981年10月13日、96頁。 
  5. ^ 『日蓮正宗要義』日蓮正宗宗務院、1978年、18頁。 

--1000dai会話2014年7月26日 (土) 08:55 (UTC)

(誤字訂正:×腫→○種--1000dai会話2015年3月24日 (火) 14:34 (UTC)

abt勝劣

(上記節名は、本文要約の文字数制限のため、こうなりました。「about 勝劣」=「勝劣 (派に関する記述) について」の意です。)

提案 1872年(明治5年)成立の日蓮宗節へ、勝劣派初代管長について二説あることを提示しましたが、そもそも、宗派日蓮宗の節なので、勝劣派のことを記述する必要があるのでしょうか。いっそのこと「後者は勝劣派全門流五派の合同教団となるが、初代管長については、京都要法寺の釈日貫 (榎木境道 2007, p. 452) と八品派の釈日実 (安中尚史 1995) の二説がある。」や「勝劣派を参照」、1876年(明治9年)成立の日蓮宗節の、「一方、 勝劣派では政府の措置に異論を唱え、 一時は日蓮宗と公称する許可を得たが、 行政上の混乱を避けるため、 勝劣派各派の管長別置による分立許可という条件により解決した。」は省いても良いのではないでしょうか。--1000dai会話2014年7月31日 (木) 03:45 (UTC)

126.15.146.206さんは、上記提案の実行 (2014年8月4日 (月) 09:31時点における版 ) を、2014年8月6日 (水) 04:32時点における版2014年8月6日 (水) 04:43時点における版で削除されました。確かに、提案から中3日での編集は性急のそしりを免れないので、即座に再度のコメントアウト(もしくは削除)は致しません(性急だったこと、お詫び申し上げます)。
質問なお、126.15.146.206さんには、上記提案へのお考えをお聞かせ願いたく存じます。--1000dai会話2014年8月6日 (水) 00:26 (UTC)
報告お願いから一ヶ月経つも特段の表明がありません。全て省こうとしましたが考え直し、本文に因むことは注釈へ移動し、そうでないことは省きました。--1000dai会話2014年9月9日 (火) 00:14 (UTC)

定義部について2

質問2014年8月4日 (月) 09:31時点における版 にて定義部の文字数を減らす編集を行ったところ、126.15.146.206さんにより、2014年8月6日 (水) 04:32時点における版にて実質的な差し戻しがなされました。あえて定義部で触れるような内容ではなく、冒頭の段落は明確で簡潔にに従った編集であったと愚考しますが、如何でしょうか (ここ2ヵ月間、ゆるやかではありますが 編集合戦の様相を呈しているようにも思えます)。--1000dai会話2014年8月6日 (水) 00:26 (UTC)

報告ご意見を求めてから一ヶ月経過しますが特段の投稿がありませんので、再編集させて頂きました。ただ、充分簡潔であるという考えも一理あると思い直し、ほとんど残しております。--1000dai会話2014年9月9日 (火) 00:14 (UTC)

「宗教法人・日蓮宗」の「成立までの経緯」

以下の文章について、

  1. 著作権法上の問題
  2. 虫食いつまみ食い引用による事実誤認
  3. 典拠の文体丸パクリによる、百科事典らしからぬ文体(典拠は1宗派の宗門設置の研究機関の紀要)

など、あまりに問題が多いので、1パラグラフまるごと、記事から削除し、ノートに移動しました。--Dalaibaatur会話2014年8月24日 (日) 10:33 (UTC)

成立までの経緯
昭和14年(1939)4月、主務大臣の強権発動によって宗教団体を「臣民タルノ義務」としての戦争遂行と、そのための国民精神総動員に奉仕させることを目的とする「宗教団体法」[注釈 1]が成立・公布されるにいたり、仏教教団をより強く国家権力下に掌握するための宗派合同政策が強引にすすめられた。[1]そして1940年(昭和15年)9月、同法第5条[注釈 2][2]を根拠として、政府は神道・仏教・キリスト教の各宗教界代表を招集。1941年(昭和16年)3月末日までに各宗派の自主的合同を終えるよう通達した。

これを受け、1940年(昭和15年)12月、本門法華宗・法華宗・日蓮宗・本妙法華宗・顕本法華宗・本門宗不受不施派講門派 の日蓮門下八派が出席する門下合同準備会の第一回委員会 (委員長は日蓮宗の柴田一能) が開かれる。委員会は合同に賛成し、宗名・教義・本尊は特別委員会で決めることとなった。その後、わずか3カ月の「突貫工事」で [注釈 3] 、教義や管長推戴について比較的似通った主張をする宗派で合同する方向にむりやりまとめ [注釈 4] る。特別委員の苅谷日任が本迹問題から合同に反対したこともあって八派全ての合同はならず、1941年(昭和16年)3月、日蓮宗第37宗会は、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が各教団解散の上で対等合併する三派合同を承認し、宗名を日蓮宗とすることが決められた。[3][4]

なお、同年同月、本門法華宗・法華宗・本妙法華宗は法華宗となり[4]、同年、不受不施派・講門派は本化正宗と公称した[5][注釈 5]

この経緯について、近江幸正 (1995)は、「これより戦時新体制による新教団として戦争遂行にいっそう協力することとなった。教団合同の道筋には、 当時の国家主義的風潮への心酔と迎合があった一面、 政府・官憲によるさまざまな弾圧・脅迫があったことを忘れてはならない。 」と述べている。 脚注

注釈

  1. ^ 1939年(昭和14年)4月8日法律第77号
  2. ^ 教派、宗派又ハ教団ハ主務大臣ノ認可ヲ受ケ合併又ハ解散ヲ為スコトヲ得
  3. ^ 近江幸正 (1995)より
  4. ^ 近江幸正 (1995)より
  5. ^ 1900年(明治33年)に本門宗から独立した日蓮正宗(1912年(明治45年) までは日蓮宗富士派と公称) は、従前通り一宗派として承認された。[6]

出典

以上で引用おわり。
以下、上記文面に対する私の個人的な意見です。

  1. 典拠の文面の丸パクリについて→著作権を侵害するため、Wikipediaのルールにより全文削除対象となりかねません。
  2. IP氏と地湧の眷属氏などWikipediaの日蓮関係の記事を正宗系の立場から記述するアカウントに共通する特徴として、三派合同について、(a)政府当局からの統合強要側面のみを強調(b)他の宗派・門流はその圧力に屈した、独立を保った日蓮正宗はエライ!という論旨の文章を投稿なさる点があります。事実としては、勝劣派が主導して大正期に頂点に達した自発的な日蓮門下諸派の統合運動があります。
  3. 三派合同について、各宗派の自発性を否定したい願望があり、たとえば典拠の文面をほぼ丸パクリした記述のなかに、別の典拠から「むりやり」という、百科事典にふさわしくない、特定の立場からの価値判断を籠った記述を引用して、まぜこむ。

百科事典の文体なんだという意識をもっと持っていただきたいですね。--Dalaibaatur会話2014年8月24日 (日) 10:51 (UTC)

提案 Dalaibaatur会話 / 投稿記録 / 記録さん、こんにちは。いつもてきぱきとした編集をありがとうございます。Dalaibaaturさんの編集と比べると、自分のそれがいかに及び腰であるか省みることができます。
さて、大正期の門下統合運動をご投稿下さいましたが、
  • 成立(まで)の経緯に直接関係ないこと
  • 大師号授与運動は、宗派・日蓮宗のみならず、日蓮教団の運動であること
  • 宗派・日蓮宗は途中で離脱していること
からするに、「宗旨・日蓮宗」の「分派」節に記述する方が、妥当ではありませんでしょうか。--1000dai会話2014年8月29日 (金) 05:57 (UTC)
たしかに、ご指摘の記述は、ご提案の「「宗旨・日蓮宗」の「分派」」節にあったほうが妥当に思います。--Dalaibaatur会話2014年8月30日 (土) 19:36 (UTC)
報告早速のご同意ありがとうございます。移動しました。--1000dai会話2014年8月31日 (日) 05:15 (UTC)

 Dalaibaatur氏の「成立までの経緯」削除について 

Dalaibaatur氏が3つの理由で「1パラグラフまるごと、記事から削除」した「成立までの経緯」について、3つの理由のうち、唯一、妥当と思われる著作権侵害の恐れに配慮して、当方が8月27日に加筆編集の上、復活させたところ、9月1日現在まで、Wikipediaのガイドラインに従った複数の編集者による投稿が原形をとどめて表示され、削除されていないことは大いに結構なことと存じ上げます。
以下、妥当ではないと思われる2つの理由の詳細について、この場を借りて検証しておきます。

(A)「三派合同について、(a)政府当局からの統合強要側面のみを強調」

→Dalaibaatur氏の独断と偏見
当方は出典明示の上で投稿しています。出典が「政府からの強要を強調」していれば、当方の投稿がそのような文脈になるのは当然のことであり、Dalaibaatur氏が文句を言いたいのであれば、出典の著作権者に言うべきでありましょう。
また、他の編集者の記事をこのように決め付けて削除することは、Wikipediaの編集方針である「多様な参加姿勢が受け入れられます」にも反すると考えます。Dalaibaatur氏は編集長なのでしょうか?Wikipediaの投稿者は対等な立場の編集者であり、編集長は存在しないはずですが、当方の「事実誤認」なのでしょうか?

(B)「(b)他の宗派・門流はその圧力に屈した、独立を保った日蓮正宗はエライ!という論旨の文章を投稿なさる点があります。」

→Dalaibaatur氏の独断と偏見、および、テーマとの乖離
当ページ・当節は「宗教法人日蓮宗」に関するものです。「独立を保った日蓮正宗はエライ!という論旨の文章」とは一体どの部分を指しているのでしょうか?もしも当方が他のページに投稿した記事のことをこの場で言及し、それを根拠の一つとして削除しているならば、
①テーマとの乖離、および無関係な内容の牽強付会
②独断と偏見による決め付け→Wikipediaの編集方針に背くルール違反
③自分自身を編集長と錯覚した(としか思えない)暴力的編集
と言えるでしょう。
なお、三派合同の注釈に「本門宗から独立した日蓮正宗は従前通り一宗派として承認された」旨を載せましたが、これは宗教団体法が門下全体に影響を及ぼした流れに応じたものである点を付記しておきます。

(C)「三派合同について、各宗派の自発性を否定したい願望があり」

→Dalaibaatur氏の独断と偏見、および暴力的編集
当方は出典を明示して投稿しています。当方の投稿から「願望」を勝手に推測し、それを根拠の一つに「1パラグラフまるごと、記事から削除」するとは、ルール違反かつ、自らを編集長と錯覚した(としか思えない)暴力的編集といえるでしょう。

(D)「「むりやり」という、百科事典にふさわしくない、特定の立場からの価値判断を籠った記述を引用して、まぜこむ」

→Dalaibaatur氏の独断と偏見、および一方的断定
「むりやり」という表現は宗教法人日蓮宗関係者の研究結果として出典明示したサイトに掲載されていたものです。宗教法人日蓮宗の「成立の経緯」を記述するのに、これ程適切な出典・表現はないと考え、この部分を引用しましたが、これが「百科事典にふさわしくない」のでしょうか?そんなことを編集長でもないDalaibaatur氏が決め付けることが出来るのでしょうか?
強制性があった点に関しては議論の余地はほとんど無いにしても、他の運動の影響が大きかったのか、少なかったのか、無かったのかは議論の対象であって、少なくとも当方が調べた出典には政府の強制が強調されていたわけです。
「むりやり」ではないと主張するなら、そしてまた自分自身を一編集者と自覚しているなら、「和気藹々と」とか「参加者一同が嬉々として」とか「強制はあったもののそれを奇禍として」とか、書かれた典拠を探し出し、当方の記事と『両論併記』すればいいのではないでしょうか?
また、この部分に関しては日本の著作権法およびWikipediaの『引用のガイドライン』にも完全に沿ったものと思われますが、違うのでしょうか?
ここにもDalaibaatur氏が自らを編集長と錯覚した(としか思えない)暴力的編集が見られると思います。

(E)「典拠は1宗派の宗門設置の研究機関の紀要」

→これは上述の宗教法人日蓮宗関係者による研究を載せた資料・サイト(日蓮宗 現代宗教研究所)のことを指していると思われます。Dalaibaatur氏はこの出典にある「むりやり」という表現を「百科事典にふさわしくない」と一方的に断定し削除したために、出典自体を過小評価したいらしいです。
つまり、「一宗派の研究機関」に過ぎないのだから、そんなところの引用は、削除したって構わないんだ、と言ってる訳です(と、当方には受け取れます)。
こんなことを言ったら、全ての出典は「一個人・一団体の見解に過ぎない」ということになってしまうではありませんか!
こんな独断がまかり通るなら、Dalaibaatur氏自身が引用している「本多日生記念財団」などは、一宗派の、そのまた一外郭団体に過ぎない、そんな機関の見解は信用性が無い、だから削除してもいいんだ、ということになりませんか?
ことほど左様にDalaibaatur氏の言動には独善的、傍若無人な振る舞いが見て取れます。「ノート」に人格攻撃はしてはならないので、言葉を選びたいところですが、余りにひどいので一言、言わせていただきました。

◆Dalaibaatur氏は「個人的な意見」と断り書きしていますが、そんな文言を一言入れれば済むような話ではなく、Dalaibaatur氏の暴力的編集の最大の問題点は、一般ユーザーのことを無視し「1パラグラフまるごと、記事から削除」することで一般ユーザーが知るべき出典明示の情報を、しかも複数の編集者が関わった記事を、一般ユーザーに触れさせなくしている点にあります。当方が復活させたことで解消しましたが、そうしなければ、ずっと削除したままにするつもりだったのでしょうか?

◆Dalaibaatur氏は勝劣派、とりわけ顕本法華宗・本多日生の門下統合運動の影響が大きかったのだと主張したい(?)らしいですが、自分の主張を押し通すために一般ユーザーの知る権利を犠牲にし、奪っている、Wikipediaにあるまじき蛮行と言えるのではないでしょうか?

◆また、本多日生の運動を取り上げたいのなら、そういうページを自ら立ち上げるか、関連度合いの大きい既存のページに投稿すべきであって、宗教法人日蓮宗をテーマとする当ペ-ジ・当節で触れられるのは、必要最小限の関連情報に限定されるべきで あることは言うまでもありません。そんな編集上の常識さえ心得ていないのでしょうか?ここにもDalaibaatur氏の、テーマと乖離した内容の牽強付会が見られます。

◆以上見てきたとおり、Dalaibaatur氏の編集にはあまりにも問題点が多く、編集者としての適格性を疑わせます。この場を借りて、Wikimedia財団のページ管理者の方にDalaibaatur氏の編集者資格剥奪を検討していただけるよう要望させていただきます。

◆Wikipediaのノートは公開討論の場ではありません。冒頭にも述べたとおり、当方が復活させた出典明示の情報が原型を留めて表示されていることをよしとし、詳細は今後も精力的に加筆編集を行います。Dalaibaatur氏が再び不当な理由で正当な記事を暴力的に削除した場合には直ちに復活します。逆にDalaibaatur氏が自らの主張を押し通すためにテーマと乖離した記事を載せた場合には直ちに削除し、ノートに移管します。Dalaibaatur氏には出典明示・著作権配慮・ガイドライン遵守の他編集者の記事を二度と不当に削除することなく、自分の記事は出典明示、かつ、テーマとのバランス考慮の上、他編集者の記事と両論併記するよう強く要求しておきます。

◆当方は今後とも、一編集者を自覚し、ユーザーの立場に立ち、ガイドラインに従い、他の編集者の記事もガイドラインに従っている限り、暴力的に削除することなく、多様な視点を妨害するような行為には断固として戦い、ページを充実する編集を進めてまいりたいと思います。

◆なお、Dalaibaatur氏の記事の中に、現在、当方が調査中の項目があります。一定の結果がまとまり次第、そのテーマを扱ったページに投稿させていただく予定です。

◆また、上記は当方の個人的見解であることを付記させていただきます。
--126.72.125.186 2014年9月1日 (月) 18:50 (UTC)

IP「126.72.125.186」さんに1点確認です。このノートの冒頭には、「ここは記事「日蓮宗」の改善を目的とした議論用ノートページです」とあるんですが、今後(2014年9月1日 (月) 18:50 (UTC)以降)、編集方針に対立が生じている記事の文面(段落・文・句・語)について、「妥協点をさぐりあいながら意見を交え、文面を練っていく」、合意形成につとめるお考えはありますか?Yes,Noで答えられる簡単な質問です。--Dalaibaatur会話2014年9月5日 (金) 07:35 (UTC)

「記事の主題」と「記事の文面」はことなる

IP氏には、ノートページ冒頭のテンプレ「ここは記事の主題に関する公開討論の場ではありません」を盾に「対話拒否」を受けているような印象があったのですが、このたびシッカリとご意見を頂戴し、これは「合意形成のために対話する」という面で大幅な前進である、と喜んでいます。
ここは「記事の主題」に関してはともかく、「記事の文面」について議論する場であります。 IP氏(や地湧の眷属氏)は従来、記事の文面には頻繁にこまめに手を入れる一方、ノートで、ご自分の投稿した文面に疑問・質問があっても、なかなか・めったに・ちっとも応答なさってはこられなかったのですから、ご自分の文面が意に添わぬ添削を受けたからといって、いきなり一足飛びに「暴力的編集」、「編集者資格剥奪」などと主張されても、私としてはまったく受け入れかねます。
編集方針の対立が生じている他の記事のノートをご覧いただくと、対立が生じた章・文・句・語について、対立する人々が妥協点をさぐりあいながら意見を交え、文面を練っている様子が観察できますので、ぜひ参考になさってください。これを「合意形成の努力」と申します。
私も、「妥協点を探りつつ記事の文面をねりあげる」ための努力は惜しまぬつもりですので、「合意形成」にむけ、ご自分の記述の正統性、他人の文面への疑問などノートに記述いただきたく、よろしくお願いいたします。--Dalaibaatur会話2014年9月2日 (火) 18:23 (UTC)

IP「126.72.125.186」氏の記事の文面をめぐる諸問題について

まずは総論。

  1. 「典拠」があるからと、何でも書けるわけではない出典が「政府からの強要を強調」していれば、当方の投稿がそのような文脈になるのは当然のことであり、Dalaibaatur氏が文句を言いたいのであれば、出典の著作権者に言うべきでありましょう。という、ご自分の文面の責任を「典拠」の著者に転化する主張ですが、無責任ですね。「三派合同」の意義付けについていえば、当時、様々な立場・主張・見解があったなかで、後世の著作のなかにこれを「むりやり」と位置づけるものが実在するのは確かです(榎木境道『富士門流の歴史 重須編』妙教編集室, 2007.7.22、日蓮宗現代宗教研究所「他教団研究プロジェクト」『現代宗教研』第29号,1996.。50頁~)。しかし、(1)こんな彼らふたりの文章だけを選んで典拠に用いたり、(2)このような見解だけをもとに記事の文面をアレンジしたのはIP氏なのであり、「そのような文面に文句がある編集者たち」からの疑問・質問に応答すべき責任を、IP氏は免れることはできません。そして、榎木,2007や現宗研,1996などの典拠が示しているのは、2007年の榎木境道氏や、1996年に「他教団プロジェクト」のメンバーとして「「三派合同」 」を担当した近江幸正氏が、その時点で「むりやり」と思っていたことを示すにすぎません。編集方針の対立が生じていない記事では、ある事柄に対してこの程度の典拠で「事実」扱いしている記事もありますが、この記事の場合、問題の「むりやり」という語句に関していえば、IP氏と私の間で「編集方針の対立」が生じています。「榎木境道は2007年にこれをむりやりと評価した」、「近江幸正は1996年にこれを'むりやりと評価した」などは事実ですが、これらの典拠からあきらかなのは、「後世の研究者のなかには、この合同をむりやりと評価するものもある」という点だけです。IP氏は、これを著しく拡大解釈し、1941年の「三派合同」における事実として文面を叙述なさいましたが、私としては、ここまで著しい拡大解釈はとうてい認められません。妥協案としては、百科事典の地の文面としては「むりやり」云々の価値判断を伴う修飾語はつけず、注釈において、「後世の研究者の見解」の1種として榎木説・近江説に言及することには反対しません。
  2. 大正期に日蓮門下の諸宗派が「門下統合運動」を行っていた事実に言及するのがご不満のようですが、この日蓮門下統合運動は、宗教法人・日蓮宗の前身である旧「日蓮宗」も関わっていた出来事であり、しかもこの記事は、「宗教法人・日蓮宗」だけでなく、「宗旨・日蓮宗(すなわち日蓮門下の全門流・宗派)」を扱う記事でもあるので、ここで取り上げるべきではない、という主張には全く同意できません。さらに、私としては、この記事をふくめ、日蓮宗関係の記事のいくつか(日蓮宗一致派勝劣派など)で、「三派合同」について、「むりやり」という側面をことさら強調する編集者がいるため、読者のミスリードを避けるためにも、大正期における、日蓮正宗までも参加していた、まったく自発的な門下統合運動が存在していたことに言及することが、かならず必要であると考えます。

IP氏が指摘した「記事の文面」をめぐる問題提起として、まだいくつかコメントすべきものがありますが、とりあえず重要な2項目について、お答えしました。--Dalaibaatur会話2014年9月2日 (火) 19:04 (UTC)

Dalaibaatur氏の「典拠」に対する深刻な問題点と質問への回答 1

▼まず、当方はWikipediaの方針とガイドライン(以下ガイドライン)に従っているので、当然、合意形成にも従っています。「YESかNOか?」といった脅迫的(とも受け取れる)質問は無用です。
ただし、
「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか
ウィキペディアは強制ではありません
ウィキペディアはボランティアのコミュニティであり、利用者に対して、本人が望む以上の時間と労力の提供を求めません。他の利用者により多くを要求するより、むしろ百科事典自体を改善することに集中してください。いつ編集を休み、またいつウィキペディアを離れるのも利用者の自由です。」
にも当然従っています。
▼A.始めに断っておきますが、当方は故意に回答を間延びさせるつもりは一切ありませんが、Dalaibaatur氏の時間軸に合わせることもありません。場合によっては1カ月以上、回答が空くこともあり得ますが、この点を了解いただかなければ、合意形成は不可能となってしまいます。
▼B.次に、時間の制約上、合意形成努力の対象は、Dalaibaatur氏が「編集方針の対立が生じている」と指摘された以下の2点とC.「典拠」問題の3点に限定させていただきます。この点も了解いただくことが必要です。
1.「むりやり」という文面について
2.「門下統合運動」の言及について
▼C.「典拠」に対する深刻な問題点について
▼C.は後回しにして、先にB.2.「門下統合運動」の言及について、述べておきます。
Dalaibaatur氏曰く「「門下統合運動」を行っていた事実に言及するのがご不満のようですが」
→独断による決め付けです。当方は出典明示の上での「門下統合運動」への言及に「不満」を持ってはいません。合意形成の努力をする上で、憶測は厳に慎んでください。
当方は「宗教法人日蓮宗」節の「成立の経緯」に、いきなり顕本法華宗の本多日生主導の「門下統合運動」を入れてきたことに対し、節のテーマと乖離した非常識な編集だと指摘しました。他の編集者も同様の問題意識を持ったからこそ、指摘し、同意の上で「宗旨日蓮宗」の節に移動されたのでしょう。これによって当方が前回指摘した「節のテーマと乖離」問題は解消しています。
ただし、Dalaibaatur氏の文面が適切かどうかは典拠を精査する必要があります。
よって、
「宗旨日蓮宗」の節で「門下統合運動」に言及すること、については元より「合意済み」とさせていただきますが、文面については全く承服しがたい部分が含まれていますので、新たに
▼B.2.「門下統合運動」の文面について
とした上で、合意形成の努力対象とさせていただきたいと思います。この点も了解が必要です。
▼次に
C.「典拠」に対する深刻な問題点について
Dalaibaatur氏曰く「典拠からあきらかなのは、「後世の研究者のなかには、この合同をむりやりと評価するものもある」という点だけです。IP氏は、これを著しく拡大解釈し、941年(まま)の「三派合同」における事実として文面を叙述なさいましたが、私としては、ここまで著しい拡大解釈はとうてい認められません。」
→Dalaibaatur氏の著しい歪曲・矮小化による典拠の否定、で、当方はとうてい認められません。
Dalaibaatur氏は「後世の研究者がそう思っただけ」とまで卑下されていますが、1941年の三派合同について

「榎木境道『富士門流の歴史 重須編』妙教編集室」
「日蓮宗現代宗教研究所「他教団研究プロジェクト」」

はガイドラインに定める「複数の信頼できる検証可能な文献」であり、
特に「日蓮宗現代宗教研究所」の研究結果は「宗教法人日蓮宗」の「成立過程」を説明するのに、内部の関係者という意味で適切です。
これらの研究者は研究結果として「強制性」を著述しています。
そしてガイドラインには「検証可能な文献を参照し、その内容に即して記事を執筆することが要求されます」とあるので当方はそれに従っています。
Dalaibaatur氏がすべきは勝手な矮小化による典拠の否定ではなく、自己の主張に適った典拠の明示と「その内容に即して記事を執筆すること」です。
▼この点に関してDalaibaatur氏は当方の明示した典拠を信頼できるものとして尊重することに合意できますか?YESかNOかで単純にお答えください。
●これによって、Dalaibaatur氏が提示された「妥協案」に対する当方の回答も変わってきます。

■以上、A、Bに関しては了解されるかどうか、Cに関しては合意されるかどうか、当方は期限を区切ったりしませんので、ご検討の上、合意形成努力の第一歩としてご回答をお願いします。

▼なお、最後にDalaibaatur氏が前回と前々回2回続けてノートに記載された文面に、合意形成努力をする上で不適切と思われる点と、疑問点があるので、以下に挙げさせていただきます。疑問点に対する回答は不要です。(対象を上記A,B,Cに絞るため)

◆「ご自分の文面が意に添わぬ添削を受けたからといって、いきなり一足飛びに「暴力的編集」「編集者資格剥奪」などと主張されても」
→「暴力的編集」と呼ばせていただいた理由は、出典明示かつ複数の編集者が関わった記事を1パラグラフ丸ごと削除され、ユーザーの知る機会を奪った(と当方は認識している)からです。「意に添わぬ添削を受けたから」ではありません。合意形成努力をする上で、話のすり替えは厳に慎んでください。

→「添削」とは、教師が生徒に対して、あるいは上司が部下に対して使う言葉です。どれ程長くWikiに関わってこられたかを匂わすようなコメントがありますが、全く対等な一編集者の立場であることを自覚されないなら、合意形成など出来なくなります。

◆「「典拠」があるからと、何でも書けるわけではない」
→これはWikipediaの方針とガイドランのどこに記載されているか、教えてください。

◆「ご自分の文面の責任を「典拠」の著者に転化する主張ですが、無責任ですね」
→当方はガイドラインの
「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」
に従って投稿しています。当方が投稿しているのは「ご自分の文面」でも「独自研究」でもありません。「典拠に基づく文面」です。こじつけは厳に慎んでください。

◆「「三派合同」の意義付けについていえば、当時、様々な立場・主張・見解があったなかで」
→どのような「立場・主張・見解」があったのか、典拠とページ数(またはURL等、特定できる指標)を明示の上、教えて下さい。
126.72.66.169 2014年9月7日 (日) 18:59 (UTC)

「三派合同」を「むりやり」と称する主張に対する反証

  1. 「三派合同」を推進する立場からの発言としてもっとも代表的なものには以下のようなものがあります。日付はいずれも1941年(昭和16年)4月3日。
    1. 日蓮宗:日蓮宗管長望月日謙奉告文
    2. 本門宗:本門宗管長由比日光奉告文
    3. 顕本法華宗:顕本法華宗管長井村日咸奉告文
  2. 宗教団体法が廃止され、当局による「統合の強要」が存在しなくなったあとも、合同を維持する立場をとった旧顕本法華宗および旧本門宗の旧本山・旧末寺が多数存在します。
    1. 顕本法華宗では、合同の解消を主張するもと総本山の妙満寺派が約200ヶ寺、合同の維持を主張する4ヶ本山に追随するグループが約180ヶ寺、日什門流は新顕本法華宗と、合同を維持して日蓮宗内にとどまった日蓮宗什師会と、まっぷたつに分かれました。
    2. 本門宗では、旧7ヶ本山とその末寺は合同を維持、合同を解消して独自の宗派を組織、合同を解消したのち日蓮正宗へ移籍、合同を解消して日蓮正宗へ移籍したのち日蓮正宗からも離脱して単立となる、など対応は多岐にわたるも、7ヶ本山のうち合同を維持したものは3ヶ本山、末寺はムリョ数百ヶ寺にのぼる。たとえば旧7ヶ本山のひとつ京都要法寺は旧末寺約50ヶ寺とともに合同を解消して新宗派日蓮本宗を発足させましたが、島根県内を中心に旧末寺約30ヶ寺は合同を維持、日興門流日尊法縁は、まっぷたつにわかれました。旧本門宗日興門流法縁であり、合同を維持して日蓮宗にとどまった旧本門宗寺院の管長・住職の多くは、興統法縁会に所属しています。
    3. 三派合同が「むりやり」なものだったら、日什門流日尊法縁が「まっぷたつ」なんてありえません。
  3. 詳細は日蓮宗什師会興統法縁会を参照。--Dalaibaatur会話2014年10月16日 (木) 05:34 (UTC)

節「檀林・法類(法縁・法眷)・本末関係」について

提案 節「檀林・法類(法縁・法眷)・本末関係」ですが、ここ一ヶ月の間で充実しつつあることに伴い日蓮正宗や日蓮本宗のそれも述べられるようになりました。それ故、「宗旨・日蓮宗」節に移動した方が良いと思いますが、如何でしょうか。また、もしご賛同頂ける場合はどこに移動させるか(「教え」、「分派」に続く3番目の節とするか、「分派」の中に入れるか迷っております)、あわせてご意見頂けるとありがたく存じます。--1000dai会話2014年11月3日 (月) 06:18 (UTC)

(1)ご提案の「移動」に賛成します。(2)「分派」の中に入れるがいいかな、と。--Dalaibaatur会話2014年11月3日 (月) 09:14 (UTC)
報告提案から10日以上経ちましたが特段の反対もないようです。Dalaibaatur会話 / 投稿記録 / 記録さんのご意見(表明ありがとうございました)に従い、「分派」の中に入れました。--1000dai会話2014年11月15日 (土) 22:58 (UTC)

節「檀林・法類(法縁・法眷)・本末関係」の図について

提案 Dalaibaatur会話 / 投稿記録 / 記録さんが増補下さった本末関係の図ですが、空白(スペース)が原因でずれが生じる場合もあるようです。画像ならば大丈夫ではないかと、pngファイル日蓮宗寺院関係図

を作成しましたが、アクセシビリティが損ねられないか危惧しております。このことについて、みなさまのお考えをお聞かせ頂ければ幸いです。--1000dai会話2014年11月3日 (月) 06:18 (UTC)

ふだんはMacのパソコンで執筆・投稿しています。ご指摘の「図」の部分、見栄えについては自分のPCで何度もチェックしたので、問題があるとは思いもよりませんでした。よい画像ファイルを作っていただきありがとうございました。私としては問題の箇所を画像で差し替えることに、なんの異論もありません。--Dalaibaatur会話2014年11月3日 (月) 09:18 (UTC)
報告提案後、<pre>を知りました。
総本山━┓
大本山━╋━┳━中本寺━┳━小本寺━━末寺③
本 山━┛ ┗━末寺① ┗━末寺②
これを使うと、整形済みテキストになるとか。画像の差し替えにご異論がなければ、整形にもご異論がないだろうと勝手ながら類推させて頂き、感謝のお言葉まで頂いておいて恐縮ですが、これを用いました。--1000dai会話2014年11月15日 (土) 22:58 (UTC)

新節「近代の動向」提案

提案 宗旨・日蓮宗の概要分派節(大正期の門下統合運動の次)に以下のような節を入れたいと思います。如何でしょうか。

近代の動向

明治以降の動向は次表の通り [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [注釈 1]

┌────────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬───────────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬─────┬────────┐
│        │     │     │     │      │     │北山本門寺とその末36ヶ│     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │        │
│        │ 身延山 │ 中山   │     │ 京都   │ 京都   │寺、伊豆実成寺、   │京都要法寺│ 京都   │ 宮崎県内 │ 宮崎県内 │     │     │     │ 日知屋上 │下条妙蓮寺│     │     │     │     │     │ 大阪   │     │     │     │     │     │     │     │     │        │
│        │ 久遠寺 │ 法華経寺 │京都妙満寺│ 妙満寺末 │ 妙満寺末 │京都要法寺末34ヶ寺、 │とその末寺│ 要法寺末 │ 日郷門流 │  日郷門流│日向妙国寺西山本門寺│保田妙本寺│ 定善寺 │とその末寺│讃岐本門寺│富士大石寺│越後本成寺│京都本隆寺│京都本能寺│ 本因妙寺│福島正福寺│京都妙蓮寺│ 宥清寺 │岡山妙覚寺│岡山本覚寺最上稲荷 │ 清澄寺 │ 石塔寺 │        │
│        │     │     │     │ 約200ヶ寺│  180ヶ寺│保田妙本寺末9ヶ寺ほか │  50ヶ寺│  30ヶ寺│   8ヶ寺│   1ヶ寺│     │     │     │     │   5ヶ寺│     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │        │
├────────┼─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴───────────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┼─────┬─────┼─────┼─────┼─────┼────────┤
│1872年(明治 5年)│                                                                      日蓮宗                                                                            │     │     │     │     │     │1872年(明治 5年)│
├────────┼───────────┬─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────┤     │     │     │     │     ├────────┤
│1874年(明治 7年)│   日蓮宗一致派   │                                                               日蓮宗勝劣派                                                                     │     │     │     │     │     │1874年(明治 7年)│
├────────┤・・・・・・・・・・・├─────────────────┬─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────┬─────┬─────┬─────────────────────────────┼─────┤     │     │     │     ├────────┤
│1876年(明治 9年)│   (名称変更)   │                 │                                                                             │     │     │                             │     │     │     │     │     │1876年(明治 9年)│
├────────┤           │     日蓮宗妙満寺派     │                                                                             │ 法華宗 │法華宗  │            日蓮宗八品派            │     ├─────┤     │     │     ├────────┤
│1882年(明治15年)│           │                 │                                    日蓮宗興門派                                    │ 本成寺派│ 本隆寺派│                             │     │     │     │     │     │1882年(明治15年)│
├────────┤           │・・・・・・・・・・・・・・・・・│                                                                             │・・・・・│・・・・・│・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・│     │     │     │     │     ├────────┤
│1898年(明治31年)│           │      (名称変更)      │                                                                             │(名称変更)│(名称変更)│            (名称変更)            │     │     │     │     │     │1898年(明治31年)│
├────────┤           │                 │・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・│     │     │                             │日蓮宗  │     │     │     │     ├────────┤
│1899年(明治32年)│     日蓮宗    │                 │                                    (名称変更)                                    │     │     │                             │不受不施派│日蓮宗  │     │     │     │1899年(明治32年)│
├────────┤           │                 │                                                                                                                                              ┌─────┤ 法華宗  │本妙法華宗│            本門法華宗            │     │ 不受不施 │     │     │     ├────────┤
│1900年(明治33年)│           │       顕本法華宗      │                                                                       │ 日蓮宗  │     │     │                             │     │  講門派│     │     │     │1900年(明治33年)│
│        │           │                 │                                     本門宗                               │  富士派 │     │     │                             │     │     │     │     │     │        │
├────────┤           │                 │                                                                       │・・・・・│     │     │                             │     │     │     │     │     ├────────┤
│1912年(明治45年)│           │                 │                                                                       │(名称変更)│     │     │                             │     │     │     │     │     │1912年(明治45年)│
├────────┼───────────┴─────────────────┴───────────────────────────────────────────────────────────────────────┤     ├─────┴─────┴─────────────────────────────┼─────┴─────┤     │     │     ├────────┤
│1941年(昭和16年)│                             ・                                                                       │     │                                         │    本化正宗    │     │     │     │1941年(昭和16年)│
├────────┤     ┌─────┐ 日蓮宗             ・                                                                 ┌─────┘     │                                   ┌─────┼─────┬─────┤     │     │     ├────────┤
│1946年(昭和21年)│     │     │                 ・                                                                 │           │                                   │     │     │     │     │     │     │1946年(昭和21年)│
├────────┤     │     ├─────┐           ・                                                                 │           │                                   │     │     │     │     │     │     ├────────┤
│1947年(昭和22年)│     │     │     │           ・                                                                 │           │                                   │     │     │     │     │     │     │1947年(昭和22年)│
├────────┤     │     │     └─────┐・・・・・・                                                                 │           │                   法華宗             │     │     │     │     │     │     ├────────┤
│1948年(昭和23年)│     │     │           │     ・                                                                 │           │                                   │     │     │     │     │     │     │1948年(昭和23年)│
├────────┤     │     │           │     ・                                                                 │           │                                   │     │     │     │     ├─────┤     ├────────┤
│1949年(昭和24年)│     │     │           │     ・                            日蓮宗(興統法縁会)                            │           │                                   │     │ 妙法華宗 │     │     │     │     │1949年(昭和24年)│
├────────┤     │     │           │     ・           ┌─────┐・・・・・・                                   ┌─────┘           │                             ┌─────┤     │     │     │     │     │     ├────────┤
│1950年(昭和25年)│     │     │           │     ・           │     │     ・                                   │                 │                             │     │     │     │     │     │     │     │1950年(昭和25年)│
├────────┤     │     │           │     ・           │     │     ・                                   │                 │                             │     │     │     │     │     │     ├─────┼────────┤
│1951年(昭和26年)│     │     │           │     ・           │     │     ・                                   │                 │                             │     │     │     │     │     │     │     │1951年(昭和26年)│
├────────┤     │ 中山妙宗 │           │     ・           │     │     ・                                   │                 ├─────┬─────┬───────────┬─────┤     │     │・・・・・│     │     │     │     ├────────┤
│1952年(昭和27年)│     │     │           │     ・           │     │     ・                                   │                 │     │     │           │     │     │     │(名称変更)│     │     │     │     │1952年(昭和27年)│
├────────┤     │     │           │     ・           │     │     ・                                   │                 │     │     │   法華宗本門流   │     │     │     │     │     ├─────┤     │     ├────────┤
│1954年(昭和29年)│     │     │           │     ・           │     │     ・                                   │                 │     │     │           │     │     │     │     │     │     │     │     │1954年(昭和29年)│
├────────┤     │     │           │     ・           │     │     ┌───────────┬───────────────────────┘                 │     │     │     ┌─────┤     │     │     │     │日蓮講門宗│     │     │     ├────────┤
│1957年(昭和32年)│     │     │           │     ・           │     │     │           │ 日蓮正宗 ・     ・                             │     │     │     │     │     │     │     │     │(いつの頃 │     │     │     │1957年(昭和32年)│
├────────┤     │     │   顕本法華宗   │     ・           │     │     │           ├─────┐ 日蓮正宗 ・                             │     │     │     │     │     │     │本門佛立宗│     │ からか、 │     │     │     ├────────┤
│1958年(昭和33年)│     │     │           │     ・           │     │ 日蓮宗 │           │     │(のちに  ・                             │     │     │     │     │     │     │     │     │ 不受不施 │     │     │     │1958年(昭和33年)│
├────────┤     └─────┤           │ 日蓮宗 ・           │     │(興統   │           │     │   無効)・             日蓮正宗            │     │     │     │     │     │     │     │     │ 日蓮  │     │ 日蓮宗 │     ├────────┤
│1972年(昭和47年)│           │           │(日蓮宗  ・           │ 日蓮本宗 │ 法縁会、│           │ 日蓮宗  │     ・                             │     │     │     │     │     │     │     │     │  講門宗)│     │(真言宗  │     │1972年(昭和47年)│
├────────┤           │           │  什師会)・           │     │ 島根   │    大日蓮宗    │  郷門派 ├─────┐                             │ 法華宗  │ 法華宗  │     │     │     │本門法華宗│     │日蓮宗  │     │最上稲荷教│ 智山派 │     ├────────┤
│1975年(昭和50年)│           │           │     ・           │     │  尊門会)│           │     │     │                             │  陣門流 │  真門流 │     │     │日蓮法華宗│     │     │不受不施派│     │(日蓮宗  │ より帰属)│本化日蓮宗│1975年(昭和50年)│
├────────┤           │           │     ・           │     │     │           ├─────┤     │                             │     │     │     │     │     │     │     │     │     │ より独立)│     │(日蓮宗  ├────────┤
│1976年(昭和51年)│           │           │     ・           │     │     │           │     │     │                             │     │     │     │本派日蓮宗│     │     │     │     │     │     │     │ より独立)│1976年(昭和51年)│
├────────┤           │           │     ・           │     │     └─────┐     │     │     │                             │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     ├────────┤
│1989年(平成元年)│           │           │     ・           │     │     ・     │     │     │     │                             │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │1989年(平成元年)│
├────────┤           │           │     ・           │     │     ・     │     │     │ 法華宗  ├─────┐                       │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     ├────────┤
│1995年(平成 7年)│           │           │     ・           │     │     ・     │     │     │  興門流 │     │                       │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │1995年(平成 7年)│
├────────┤           │           │     ・           │     │     ・     └─────┘     │     │     │                       │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     ├────────┤
│2006年(平成18年)│           │           │     ・           │     │     ・                 │     │  単立  │                       │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │2006年(平成18年)│
├────────┤           │           │     ・           │     │     ・       日蓮宗       │     │     │                       │     │     │     │     │     │     │     │     │     ├─────┘     │     ├────────┤
│2009年(平成21年)│           │           │     ・           │     │     ・                 │     │     │                       │     │     │     │     │     │     │     │     │     │           │     │2009年(平成21年)│
├────────┼─────┬─────┼─────┬─────┼─────┬───────────┼─────┼─────┬─────┬─────┬─────┼─────┼─────┼─────┬─────┬─────┬─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┬─────┼─────┼────────┤
│        │     │     │     │      │     │北山本門寺とその末36ヶ│     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │                │
│        │ 身延山 │ 中山   │     │ 京都   │ 京都   │寺、伊豆実成寺、   │京都要法寺│ 京都   │ 宮崎県内 │ 宮崎県内 │     │     │     │ 日知屋上 │下条妙蓮寺│     │     │     │     │     │ 大阪   │     │     │     │     │     │     │     │     │                │
│        │ 久遠寺 │ 法華経寺 │京都妙満寺│ 妙満寺末 │ 妙満寺末 │京都要法寺末34ヶ寺、 │とその末寺│ 要法寺末 │ 日郷門流 │  日郷門流│日向妙国寺│西山本門寺│保田妙本寺│ 定善寺 │とその末寺│讃岐本門寺│富士大石寺│越後本成寺│京都本隆寺│京都本能寺│ 本因妙寺│福島正福寺│京都妙蓮寺│ 宥清寺 │岡山妙覚寺│岡山本覚寺│ 最上稲荷 │ 清澄寺 │ 石塔寺 │                │
│        │     │     │     │ 約200ヶ寺│  180ヶ寺│保田妙本寺末9ヶ寺ほか │  50ヶ寺│  30ヶ寺│   8ヶ寺│   1ヶ寺│     │     │     │     │   5ヶ寺│     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │     │                │
└────────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴───────────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴─────┴────────┘

脚注

注釈

  1. ^ 可能な限り掲載したが、全ての日蓮系寺院を網羅するものではない。複数説存する場合は、可能な限り複数の資料に記載された説を優先し、複数記載のない場合はより高次の資料に記載された説を優先した。 (金岡秀友 1979, p. 203)には、中山法華経寺が日蓮宗より独立して中山妙宗と称したのは1952年(昭和27年)、とある。 (斎藤昭俊 1988, p. 442)には、顕本法華宗が日蓮宗より独立したのは1947年(昭和22年)、とある。 (影山堯雄 1979, p. 附録18)には、京都妙満寺が顕本法華宗、要法寺が日蓮本宗とそれぞれ称したのは、1948(昭和23年)、とある。 顕本法華宗始め複数のページには、顕本法華宗が日蓮宗より独立したのは1950年(昭和25年)、とある。 (金岡秀友 1979, p. 203)には、要法寺が日蓮宗より独立して日蓮本宗と称したのは1952年(昭和27年)、とある。 日向妙国寺には、日向妙国寺は1956年(昭和31年)日蓮正宗に改宗1957年(昭和32年)離脱、とある。 富士門流には、保田妙本寺の単立は1993年(平成5年)、とある。 (金岡秀友 1979, p. 205)には、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したのは1899年(明治32年)、日蓮正宗と改称したのは大正元年、とそれぞれある。 (斎藤昭俊 1988, p. 441)には、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したのは1899年(明治32年)、日蓮正宗と改称したのは大正元年、とそれぞれある。 コトバンク”. 朝日新聞社. 2014年11月28日閲覧。および(日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 111)(木村勝行 1995, p. 62)には、法華宗本成寺派ではなく、「日蓮宗本成寺派」とある。 (金岡秀友 1979, pp. 231, 241)には、法華宗が、陣門流・真門流・本門流に分派還元したのは1946年(昭和21年)、とある。 (斎藤昭俊 1979, p. 445)には、法華宗の分派は1946年(昭和21年)、とある。 本門法華宗始め複数のページには、法華宗の分立は1951年(昭和26年)、とある。 (斎藤昭俊 1988, p. 449)には、終戦後に於ける法華宗の各派の名称は、それぞれ、法華宗、本門法華宗、本妙法華宗、とある。 日蓮法華宗には、日蓮法華宗は法華宗本門流より独立した、とある。 (斎藤昭俊 1979, p. 451)には、本門法華宗が法華宗より独立したのは1946年(昭和21年)、とある。 (金岡秀友 1979, p. 192)には、日蓮宗不受不施派と日蓮講門宗が合同して本化正宗として認可されたのは1882年(明治15年)、とある。 (影山堯雄 1979, p. 附録17)には、不受不施講門派が独立したのは1880年(明治13年)とある。 (斎藤昭俊 1979, p. 427)には、本化正宗ではなく、「本化日蓮正宗」とある。 本化日蓮宗には、本化日蓮宗が日蓮宗より独立したのは1954年(昭和29年)、とある

出典

  1. ^ 木村勝行 1995, pp. 61–62-但し、1872年(明治5年)に不受不施派を除く日蓮系教団一致・勝劣両派が合同したこと、1874年(明治7年)に日蓮宗一致派・日蓮宗勝劣派の二派になったこと、1876年(明治9年)に勝劣派が八品派・興門派・妙満寺派・本成寺派・本隆寺派の5派になったこと、1898年(明治31年)に八品派が本門法華宗に本成寺派が法華宗にそれぞれ改称したこと、1899年(明治32年)に興門派が本門宗に改称したこと、1900年(明治33年)に大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したこと、1912年(明治45年)に日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称したことのみ
  2. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 37-但し、1874年(明治7年)に、日蓮宗一致・勝劣両派が管長別置を許可されたことのみ。
  3. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, pp. 43, 677-但し、1876年(明治9年)に、日蓮宗一致派が派名廃止を承認されたこと、京都要法寺や富士大石寺などが勝劣派より独立して日蓮宗興門派と称したこと、日蓮宗八品派が独立を認可されたこと、日蓮宗不受不施派が再興公許の布告を出されたことのみ。
  4. ^ 影山堯雄 1979, p. 附録17-但し、1876年(明治9年)に、日蓮宗一致派が日蓮宗の公称を許可されたことのみ。
  5. ^ 金岡秀友 1979, p. 203-但し、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が1941年(昭和16年)に合同し日蓮宗と称したことのみ。
  6. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 427-但し、1941年(昭和16年)に、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が合同し日蓮宗と称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が合同して法華宗と称したこと、不受不施派と不受不施講門派が合同したことのみ。
  7. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 388-但し、1941年(昭和16年)に、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が合同し日蓮宗と称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が合同して法華宗と称したことのみ。
  8. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 737-但し、1941年(昭和16年)に、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が合同し日蓮宗と称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が合同して法華宗と称したこと、日蓮宗不受不施派・不受不施講門派が合同して本化正宗と称したことのみ。
  9. ^ 金岡秀友 1979, p. 187-但し、中山妙宗が1946年(昭和21年)に日蓮宗より独立したことのみ。
  10. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 425-但し、1946年(昭和21年)に、中山法華経寺が中山妙宗と称したこと、本門佛立講が法華宗より独立して本門佛立宗と改称したこと、日蓮宗不受不施派が日蓮宗不受不施講門派と分派し妙法華宗と改称したことのみ。
  11. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, pp. 600–601-但し、1972年(昭和47年)に、中山妙宗が日蓮宗との合併・中山妙宗解散を議決したことのみ。
  12. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, pp. 767–768-但し、中山法華経寺が、1946年(昭和21年)に日蓮宗より独立して中山妙宗を新設し、1972年(昭和47年)に復帰合同したことのみ。
  13. ^ 金岡秀友 1979, p. 41-但し、顕本法華宗が1876年(明治9年)に日蓮宗妙満寺派と称したこと、1898年(明治31年)に顕本法華宗と改称したこと、1948年(昭和23年)に日蓮宗より独立して顕本法華宗と称したことのみ。
  14. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 111-但し、1898年(明治31年)に、日蓮宗妙満寺派が顕本法華宗宗名公認を許可されたこと、日蓮宗本成寺派が法華宗に改称したこと、本隆寺派が本妙法華宗に改称したこと、八品派が本門法華宗に改称したことのみ。
  15. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 442-但し、顕本法華宗が1898年(明治31年)に顕本法華宗と称したこと、1941年(昭和16年)に日蓮宗・本門宗と合同し日蓮宗と称したことのみ。
  16. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 431-但し、1947年(昭和22年)に、顕本法華宗京都妙満寺が日蓮宗より独立したことのみ。
  17. ^ 本間裕史 1995, pp. 63–64-但し、1899年(明治32年)に興門派が本門宗に改称したこと、1900年(明治33年)に大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したこと、1912年(明治45年)に日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称したこと、1950年(昭和25年)に京都要法寺が単立となり日蓮本宗と称したこと下条妙蓮寺が日蓮宗より日蓮正宗へ帰属したこと、 1957年(昭和32年)に西山本門寺が単立になったこと保田妙本寺が日蓮宗より日蓮正宗へ帰属したこと、論文執筆時点で北山本門寺と小泉久遠寺が日蓮宗に包括されていること富士大石寺と下条妙蓮寺が日蓮正宗に包括されていること西山本門寺が単立であること、同時点で日蓮宗に所属する旧本門宗末寺数が北山本門寺末36ヶ寺小泉久遠寺末4ヶ寺柳瀬実成寺末4ヶ寺下条妙蓮寺末1ヶ寺保田妙本寺末9ヶ寺京都要法寺末34ヶ寺西山本門寺末12ヶ寺であることのみ
  18. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 458-但し、日興門流が1876年(明治9年)に独立して日蓮宗興門派と称したこと、1899年(明治32年)に本門宗と改称したこと、本門宗が1941年(昭和16年)に日蓮宗・顕本法華宗と合同し日蓮宗と称したこと、日蓮本宗が昭和25年に日蓮宗より独立したことのみ。
  19. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 449-但し、1950年(昭和25年)に、京都真如院が日蓮宗(旧本門宗)より独立して日蓮本宗を設立したこと、京都要法寺が単立となり日蓮本宗と称したこと、本門法華宗が法華宗より独立したことのみ。
  20. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 113-但し、1899年(明治32年)に、日蓮宗興門派が本門宗と改称したことのみ。
  21. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 117-但し、1900年(明治33年)に、日蓮宗富士派が独立発表式を挙行したことのみ。
  22. ^ 金岡秀友 1979, p. 205-但し、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したことのみ。
  23. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 441-但し、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したことのみ。
  24. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 191-但し、1912年(明治45年)に、日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称したことのみ。
  25. ^ 金岡秀友 1979, p. 231-但し、法華宗(陣門流)が1898年(明治31年)に法華宗と称したこと、法華宗(真門流)が明治時代に本妙法華宗と称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が1941年(昭和16年)に合同して法華宗と称したことのみ。
  26. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 449-但し、法華宗(陣門流)が1898年(明治31年)に法華宗と称したこと、法華宗の各門流が1952年(昭和27年)に独立したことのみ。
  27. ^ 金岡秀友 1979, p. 239-但し、法華宗(真門流)が本隆寺派と称していたのを1898年(明治31年)に本妙法華宗と改称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が1941年(昭和16年)に合同して法華宗と称したこと、法華宗の各門流が1952年(昭和27年)に独立したこと、もとの本妙法華宗が法華宗(真門流)と改称したことのみ。
  28. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 450-但し、法華宗(真門流)が法華宗本隆寺派と称していたのを明治後期に本妙法華宗と改称したこと、法華宗・本妙法華宗・本門法華宗が1941年(昭和16年)に合同して法華宗と称したこと、戦後に独立して法華宗(真門流)と称したことのみ。
  29. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 451-但し、本門法華宗が1941年(昭和16年)に法華宗・本妙法華宗と合同して法華宗と称したことのみ。
  30. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 445-但し、法華宗(本門流)が1941年(昭和16年)に法華宗・本妙法華宗と合同して法華宗と称したことのみ。
  31. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 463-但し、1952年(昭和27年)に、法華宗が解散し、それぞれの門流が独立したことのみ。
  32. ^ 金岡秀友 1979, p. 208-但し、日蓮法華宗が1952年(昭和27年)に法華宗より独立したことのみ。
  33. ^ 金岡秀友 1979, p. 240-但し、本門佛立宗が1946年(昭和21年)に日隆門流より独立したことのみ。
  34. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 463-但し、本門佛立宗が1946年(昭和21年)に改称したことのみ。
  35. ^ 金岡秀友 1979, p. 204-但し、日蓮宗不受不施派が1876年(明治9年)に独立したこと、1941年(昭和16年)に日蓮宗不受不施講門派と合同して本化正宗と称したこと、1946年(昭和21年)に合同を解消したことのみ。
  36. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 455-但し、日蓮宗不受不施派が1876年(明治9年)に独立したことのみ。
  37. ^ 金岡秀友 1979, p. 192-但し、日蓮講門宗が明治15年に独立したこと、後年不受不施派と合同し本化正宗と称したこと、1946年(昭和21年)に独立したことのみ。
  38. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, pp. 59, 680-但し、1882年(明治15年)に、日蓮宗不受不施講門派が再興公許を公布されたことのみ。
  39. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 456-但し、日蓮宗不受不施派と不受不施講門派が1941年(昭和16年)に合同して本化正宗と称したこと、本化正宗が戦後分派し不受不施講門派が1946年(昭和21年)に日蓮講門宗と称したことのみ。
  40. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 389-但し、1941年(昭和16年)に、日蓮宗不受不施派と不受不施講門派が合同して本化正宗と称する認可を受けたことのみ。
  41. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 461-但し、1952年(昭和27年)に、妙法華宗が日蓮宗不受不施派と改称したことのみ。
  42. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 460-但し、最上稲荷教が1954年(昭和29年)に日蓮宗より独立したことのみ。
  43. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 442-但し、1949年(昭和24年)に、清澄寺が真言宗より日蓮宗へ帰属したことのみ。
  44. ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 745-但し、1949年(昭和24年)に、清澄寺が真言宗智山派より日蓮宗へ帰属したことのみ。
  45. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 459-但し、本化日蓮宗が1951年(昭和26年)に日蓮宗より独立したことのみ。
  46. ^ 日蓮宗一致派勝劣派要法寺下条妙蓮寺本門寺 (三豊市)定善寺西山本門寺保田妙本寺法華宗真門流法華宗真門流法華宗陣門流不受不施日蓮講門宗日蓮宗不受不施派本門佛立宗大日蓮宗日向妙国寺法華経寺北山本門寺最上稲荷

--1000dai会話2014年11月15日 (土) 22:58 (UTC)

参考文献

  • 影山堯雄『日蓮教団史概説』(第7刷)平楽寺書店、1979年8月1日。ASIN B000JASMB0ISBN 4831301612NCID BN05748646OCLC 30394726 
  • 金岡秀友 編『仏教宗派辞典』(10版)東京堂出版、1979年4月20日。ISBN 978-4490100792NCID BN01732338OCLC 44805605 
  • 木村勝行「日蓮門下合同問題について 法華宗の場合」(pdf)『現代宗教研究』第29号、日蓮宗現代宗教研究所、〒146-8544東京都大田区池上1丁目32番15号、1995年3月1日、61-63頁、ISSN 02896974OCLC 1750637702014年11月27日閲覧 
  • 斎藤昭俊・成瀬良徳 編『日本仏教宗派辞典』(初版)新人物往来社、1988年5月20日。ISBN 978-4404015051NCID BN02176681 
  • 日蓮宗現代宗教研究所 編『近代日蓮宗年表』(初版)日蓮宗宗務院、1981年10月13日。ASIN B000J7S448NCID BN04421436OCLC 23313653 
  • 本間裕史「富士日興門流の動向と日蓮宗」(pdf)『現代宗教研究』第29号、日蓮宗現代宗教研究所、〒146-8544東京都大田区池上1丁目32番15号、1995年3月1日、63-64頁、ISSN 02896974OCLC 1750637702014年11月27日閲覧 
以下を修正しました。修正済みの現状にて提案を継続させて頂きます。
  • 「(名称変更)」の配置を宗名の側から変更時期の側へ移動(これによって、日蓮正宗の縦点線が不要になり、一体化できた)。
  • +-出典, +参考文献
  • 大正元年→明治45年。日蓮宗富士派の日蓮正宗への改称(6月7日)[1]は、明治から大正への改元(7月30日[2], [3])以前に行われているため。
  • 日蓮宗不受不施派不受不施日蓮講門宗より、不受不施両派が明治4年に禁制を解かれたとしたが、(日蓮宗現代宗教研究所 1981, pp. 40–41)には、1875年(明治8年)に、一致・勝劣両派が不受不施派禁止を上申したり、勝劣派内部で不受不施派の正邪について内部で意見が分かれたり、大久保利通が不受不施派弾圧を指令したりしたとあるので、当該表記を削除。
  • 妙満寺派→日蓮宗妙満寺派[4]
  • 北山本門寺とその末12ヶ寺→36ヶ寺[5]
  • 顕本法華宗の日蓮宗からの分離を昭和25年から昭和23年へ[6]
  • 顕本法華宗より、京都妙満寺が戦後単立になったとしたが、(日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 431)には「顕本法華宗京都妙満寺,日蓮宗より離脱する」とあり、当該表記を変更。
  • 本門法華宗の法華宗からの分離を昭和26年から昭和25年へ[7]
  • 法華宗の解散、三派への分流を昭和26年から昭和27年へ[8][9][10]
  • 本隆寺派→法華宗本隆寺派[11]
  • 八品派→日蓮宗八品派[12]
  • 清澄寺の帰属「真言宗智山派」表記位置を変更。
  • 本化日蓮宗の日蓮宗からの分離を昭和29年から昭和26年へ[13]
  • +昭和23年,-明治4年
  • ブラウザの設定によってずれる場合があるのを防ぐため、図の中に注釈を入れるのをやめた。

--1000dai会話2014年11月28日 (金) 09:59 (UTC)

報告提案から一ヶ月経ちましたが特段の反対もないようですので、提案を実行させて頂きました。なお、以下の通り変更しております。--1000dai会話2014年12月16日 (火) 04:17 (UTC)
  • 各ページからの出典について、より詳細にした。
  • 外部サイトからの出典を一点追加した(大日蓮宗最後の1ヶ寺の日蓮宗復帰について)。
  • 下条妙蓮寺とその末寺。5ヶ寺から6ヶ寺へ訂正した。