ノート:因果の道理

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この項目は、どのような出典を元に書かれたものでしょうか。また、特定の宗派による解釈に偏っている可能性はありますでしょうか。少し心配になりましたので、テンプレートを「出典の明記」「観点S」といたしました。--スのG 2007年3月29日 (木) 15:17 (UTC)[返信]

出典は釈尊の一切経です。特定の宗派の解釈に偏っているという事ですが、どの部分からその様に思われるのでしょうか?根拠を示してください。 --以上の署名のないコメントは、218.228.144.60会話投稿記録)さんが 2007年8月29日 (水) 10:18 に投稿したものです(Doorurbanによる付記)。

スのGさんは「偏っている可能性はありますでしょうか」と書かれているので、a.宗派間に解釈の違いがあるかどうか。b.解釈の違いがあるとすればどの宗派の解釈なのか、を聞いているのだと思います。出典に付きましても本文の最後にまとめていただけると幸いです。--Doorurban 2007年9月14日 (金) 14:24 (UTC)[返信]

因果の道理は、天台宗、真言宗、浄土真宗、禅宗、全ての仏教の根本教理であり、因果の道理に反する仏教の宗派があるとするならば、仏教以外の宗教と解釈すべきです。仏教入門、仏教のイロハ、仏教の幼稚園と言うべき誰にでも理解出来る教えです。だから、特定の宗派に偏っているという事はありません。因果の道理が間違っているなら、全ての仏教の経典を読んでも理解不可能になります。出典については、「因果経」を始め、数多くの経典に釈尊は因果の道理を説かれています。仏教の基本の中の基本の教えです。--以上の署名のないコメントは、121.83.65.67会話投稿記録)さんが 2007年9月29日 (土) 13:03 に投稿したものです(Doorurbanによる付記)。

  • 上記のご回答を元に本文の定義部分に少々加筆しました。不都合があればさらに編集してください。
  • 出典とは、例えば「歩行者は右側を歩く」は道路交通法の第二章にあるというように、当たり前のことでも、それが明確に書いてある出版物を提示することによって、おおもとを直接調べることができるようにするものです。例えば「釈尊が考えて作られたものではなく、発見されたものである。」と言うのは、どの経(もしくはそれを解説した出版物など)に書いてあるのか、など、本文でまとめていただかないと、調べ物が深まっていかないと言うことで、ウィキペディアのルールを遵守していないことになります。代表的なものを挙げるだけでよいと思いますので、ぜひお願いします。なお、Wikipedia:出典を明記するもご一読願います。--Doorurban 2007年9月30日 (日) 17:16 (UTC)[返信]


これは元々私の登録したワードであり他の者の妨害を受けて困っている。--以上の署名のないコメントは、106.179.76.39会話投稿記録)さんが 2015年4月24日 (金) 06:34‎ に投稿したものです(Sureturn会話)による付記)。

  • wikipediaにはwikipediaのスタイルがあります。どんな記事にも太字があったり、節分けがあったり、下の方にはカテゴリというものがついていたりすることが分かると思います。そういったものを崩さないように編集するようお願いします。編集の仕方について分からなければ、ヘルプをお読みください。--Sureturn会話2015年4月24日 (金) 13:01 (UTC)[返信]

以下の経典上の根拠を示してください。 仏教と云われるからには、必ず根拠が釈尊の残された経典に根拠があるはずですね?

仏教において因果は次のように説かれる。 善因善果(ぜんいんぜんか)…善を行うことが新たな善を促す 悪因悪果(あくいんあっか)…悪を行うことが新たな悪を促す 善因楽果(ぜんいんらっか)…善を行うことが自分にとって望ましい結果を招く 悪因苦果(あくいんくか)…悪を行うことが自分にとって望ましくない結果を招く--以上の署名のないコメントは、Anchor770会話投稿記録)さんが 2015年5月6日 (水) 10:38 (UTC) に投稿したものです(でぃーぷぶるー2会話)による付記)。[返信]

履歴をざっと見ましたが2008年と2013年にこの記事は大きく書き換えられています。少なくとも7年間(2年間)は記事がその状態であったわけですからいきなり記事の所有権(そんなものないのですが)を持ち出して書き換えるのはむちゃというものでしょう。--Aquamarin456会話2015年5月6日 (水) 11:17 (UTC)[返信]

ほう?時効があったわけですね?--Anchor770会話2015年5月6日 (水) 11:19 (UTC)[返信]

中立的に物事を考えられない人はWikipediaに向いてないのではないですか?--Anchor770会話2015年5月6日 (水) 11:21 (UTC)[返信]

根拠を書いてくださいの反論を書いた人でない人が返事するのはおかしいと思うのですが・・ --Anchor770会話2015年5月6日 (水) 11:24 (UTC)[返信]

開き直っても無駄ですね。無理かも知れませんが中立的発言とマナーを求めます。--Anchor770会話2015年5月6日 (水) 11:28 (UTC)[返信]

タメグチを使うような人にはWikipediaには参加して欲しくありません。--Anchor770会話2015年5月6日 (水) 11:30 (UTC)[返信]

出典を示せないなら、削除願います。----以上の署名のないコメントは、Anchor770会話投稿記録)さんが 2015年5月6日 (水) 13:16‎ (UTC) に投稿したものです(Sureturn会話)による付記)。[返信]

  • (コメント)記事の真偽はともかくとしてAnchor770さんはのっぺりとして崩れた汚いスタイルに拘ってゴリ押しをされてきたわけですが、何故、そういった変な記事を投稿し続けてきたのか分かりませんが、それはつまりWikipediaに関してはまだほとんど何も知らない初心者である事を示しているように思います。そういった方が他の人に「Wikipediaには参加して欲しくありません」というような発言をするのは好ましくありません。WikipediaはAnchor770さんの思い通りに運営されなければならないわけではありません。Anchor770さんには他者に優越する権利は与えられていません。まずは、初心者である事を自覚して会話ページに貼られたガイドやヘルプをお読み頂いて、Wikipediaについての最低限の知識を持たれるようお願いします。この記事の主題の1つでもありますが、Anchor770さんにとってよくない結果になっているならそれはAnchor770さんの行いが悪かった可能性を疑ってみてください。出典というのはシャカの残した教典と無関係でも構いません。仏教の歴史も他の宗教同様に弟子や聖人、研究者達が積み上げてきたものがほとんどです。Wikipediaでは阿含経なんかより、後世の第三者的な解説を出典として持って来る方が望ましいです。--Sureturn会話2015年5月6日 (水) 14:59 (UTC)[返信]
  • コメント 「因果の道理が仏教の全ての根本原理である」と断言しているのは、新宗教団体『親鸞会』の独自の教えです。通常、仏教の根本思想は、『三法印』の諸行無常諸法無我涅槃寂静か、もしくは三法印一切皆苦(一切行苦)を加えた『四法印』であるとされています。「因果の道理」という言葉は、たんに「因果果」を指しているだけなので、一見、通常の仏教と同じ教えを説いているように見えますが、そうではありません。「因果の道理(いんがのどうり)とは仏教の根本的な教理である」というこの記事の冒頭部は、仏教の根本思想を三宝印(四法印)とするという、伝統仏教とは異なっており、たんに、宗教団体『親鸞会』の教えに過ぎません。出典をつけるとしたら、『親鸞会』に関する書物による出典をつけることになるかもしれません。また、この記事の初版作成者は、この記事の作成のほかに、『慧可』に親鸞会の教えを加筆する編集[1]しか行っていませんので、親鸞会関係者である可能性が強く疑われます。--ぽてから会話2015年5月7日 (木) 02:36 (UTC)[返信]
親鸞会記事内において、「因果の道理(いんがのどうり)とは仏教の根本的な教理である」と説いている旨を記述すれば十分であり、独立記事として親鸞会の主張を作成する必要性はないでしょう。因果の道理のリダイレクトも不要だと思います。--ぽてから会話2015年5月7日 (木) 02:44 (UTC)[返信]
因果の道理は、釈迦が発見した「大宇宙の真理」である、と説くのも、新宗教団体親鸞会の特徴です。--ぽてから会話2015年5月7日 (木) 03:00 (UTC)[返信]

因果の道理は、釈迦が発見した「大宇宙の真理」である、と説くのも、新宗教団体親鸞会の特徴です。」少し、統合失調症の疑いがあるのではないですか? 同じことをSureturnも書いていますよね?何が言いたいのですか?もっと聞かせてください。--Anchor770会話2015年5月7日 (木) 12:07 (UTC)[返信]

「因果の道理(いんがのどうり)とは仏教の根本的な教理である。」これも、同じことをSureturnも書いていますよね?何か創価学会とかにカブレてます?--Anchor770会話2015年5月7日 (木) 12:15 (UTC)[返信]

「仏教の歴史も他の宗教同様に弟子や聖人、研究者達が積み上げてきたものがほとんどです。Wうikipediaでは阿含経なんかより、後世の第三者的な解説を出典として持って来る方が望ましいです。--Sureturn(会話)」 この発言は大いに問題ありますね。仏教とは「仏」の説かれた教えの事であり、こ地球上で「仏」の悟りを開かれたお方は「釈尊」以外にはありません。その「釈尊」よりも弟子や後世の人の研究者の云う事が正しいと言っていますか?ろくに研究もしていないのに研究者ぶっていますか?笑わせないでください。釈尊を冒涜するのもいい加減にしてください。仏教の意味判りますか?「仏の説かれた教え」という意味です。仏とは「悟り」の位の名称の事で特定の人を指した言葉ではありません。仏教の「いろは」も判ってないようですね?

まず、議論に参加される方は、どなたも個人攻撃はやめてください。原始仏教において、釈迦は、三法印あるいは四法印を、仏教の根本思想としているということが定説となっております。因縁については基本原理の一つではありますが、「根本原理」「大宇宙の真理」などと表現は通常用いられません。原始仏教はその後、根付いた土地によって教えが大きく異なりますし、大乗仏教や小乗仏教などもまったく異なります。日本でも鎌倉仏教などが発祥していますし、その時代にあわせた解釈を独自に行うのはけっこうなことです。しかし、自らの解釈だけが最高だということはありません。独自な解釈をWikipediaに記述するのはやめてください。また、親鸞会の教義、すなわち「根本原理」「大宇宙の真理」等に関しては、「親鸞会」のページにお書きください。その他のページに関しては、しかるべき人物による出典をつけた記述をお願いします。また、Wikipediaにおける布教は投稿ブロック対象行為の一つですので、ご承知ください。--ぽてから会話2015年5月7日 (木) 12:53 (UTC)[返信]


「根本原理」「大宇宙の真理」は私だけではなくSureturnも書いてますよね?ちゃんと読んでますか?なんで理性的な判断が出来いのですか?能力がないのですか?--Anchor770会話2015年5月7日 (木) 19:53 (UTC)[返信]

それと太字や大文字フォントの色をやたらと変えるのはよくないですね?学会員さん!--Anchor770会話2015年5月7日 (木) 19:53 (UTC)[返信]

削除の報告[編集]

Wikipedia:削除依頼/因果の道理の議論に従い、この記事を削除しました。話し合いを通じて再作成する場合には、実質的な重複・上位記事である因果との関係についてノート:因果で合意をとってから、保護解除依頼を出してください。--Kinori会話2015年7月19日 (日) 09:37 (UTC)[返信]