ノート:南京 (曖昧さ回避)/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

改名の提案

Wikipedia:ページの改名(WP:V)に従い、ページの改名を提案します。

  • 現ページ名:「南京 (曖昧さ回避) 」
  • 新ページ名:「南京
  • 理由:現在、本記事は単に曖昧さ回避の振り分け記事と言うよりは、一般名詞としての「南京」を解説し、歴史上の諸国において、「南京」と呼ばれた都市の解説をしています。一方、「南京」自体は、そのような都市のひとつである「南京市」へのリダイレクトとなっています。これではバランスが悪いので、本記事を「南京」とし、"otheruses"で「南京市」及び「ナンキン」にガイドすべきと考えます。--Tomzo 2008年12月1日 (月) 19:10 (UTC)
第一に、現代において南京という言葉は南京市のことを指します。過去の地名と現在の地名を平等に扱ってしまうと、中国の場合は歴史的地名だらけになるおそれがあります。北京然り、東京然りです。読者は現在の地名を知りたがっているでしょうから、直に現在の場所を参照させる形のほうがいいと思います。第二に、南京 (曖昧さ回避)はわたしが南京から移動させたものですが、曖昧さ回避という名称は暫定的なもので、不適切だったかもしれません。ノート:東京 (各国)にて似たような問題が議論されていて、そちらの結論が出てから記事名の統一を行う予定でした。「南京 (歴史的地名)」などへの改名はそちらに移動して議論すべきではないでしょうか。--Clarin 2008年12月2日 (火) 01:55 (UTC)
北京についても同様の移動をなされたようですが、ノート:東京 (各国)の議論で申し上げた通り、決して 読者は現在の地名を知りたがっている わけではないでしょう。また当該ノートで議論すべきとおっしゃるのであれば、Clarinさんによる移動もその議論の帰趨を見た上で行うべきということになると思います。--Extrahitz 2008年12月2日 (火) 04:40 (UTC)
反対 概ねClarinさんと同じ意見です。Wikipedia:曖昧さ回避によると、「代表的なトピックとそうでないトピックとが明確な場合には、「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を選択すべきでしょう。この方法は、最もリンクが集中するページへのリンクに特に修正をする必要がないため、読者が探していたものと異なるページへのリンクを少なくする利点があります。」とあります。「南京」の場合、明らかに現在「南京市」が扱っている内容を代表的なトピックとすべきと思います(世界的観点から考えても)。一方で南京 (曖昧さ回避)は純粋に曖昧さ回避のためのリンクだけとし、その他の「南京」については別記事とすべきと考えます。--Penn Station 2008年12月2日 (火) 12:36 (UTC)
(戻してコメント)過去の履歴を読まずに、「改名依頼」をかけてしまったことは軽率であると反省します。しかしながら、記事として十分な内容を持つものに対して、「曖昧さ回避」とするネーミングセンスには与し得ません。これを、曖昧さ回避のページとすると(そのつもりはないかも知れませんが)、「Wikipedia:曖昧さ回避」における要請に応えていないと考えます。統一的な解決に従いたいと考えますが、少なくとも「~(曖昧さ回避)」は早急に改名してほしいネーミングです(単に独言なのですが、水滸伝[北方版は知りませんが]を読むものにとっては、北京、東京、南京は~府が普通にはつかずに頻出する都市名なんですがねえ)。--Tomzo 2008年12月2日 (火) 12:44 (UTC)
まず「南京」が「南京市」へのリダイレクトになるのは問題ないと思います。南京で検索かける人の9割9分は現南京を調べに来た人でしょう。しかしこの(曖昧さ回避)というタイトルには強い違和感を感じます。「歴史的な南京」ないし「南京(歴史的地名)」への改名を支持します。
なおこの記事を純粋に曖昧回避のページにして他は独立ページという案には反対します。独立ページとして十分な量になり得ないか、あるいは他のページ(現存の地名記事)に書くべきとなるのが目に見えています。--らりた 2008年12月2日 (火) 13:10 (UTC)
私のコメントで一部誤解が生じたようですので補足します。私が「別記事」と言ったのは、中国や朝鮮など歴史的地名をまとめて1つの記事(「南京(歴史的地名)?」)として別記事にする、という意図です。現在の内容でも十分に1つの記事としての分量があると思いますが…。「純粋な曖昧回避ページ」には、「南京市」、「南京(歴史的地名)?」、「南京 (戦線後方記録映画)」、「南京 (映画)」、「ナンキン(この内容は「南京(曖昧さ回避)」と統合した方がよいかもしれません)」といったリンクがあればよいかと思います。--Penn Station 2008年12月2日 (火) 13:42 (UTC)
  • 記事名は「南京」で何ら問題ないと思います。Wikipedia:曖昧さ回避に「曖昧さ回避がどれだけ必要かどうかは、読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか、また読者が探しているページへの誘導が簡単かどうかを総合的に判断してください。」とある通り、どの記事名にどの記事を割り当てるかは、記事同士の論理的な関係なども考慮して総合的に判断すべきです。トランプゲームの「スピード」を調べたい読者がアメリカ映画の『スピード』に行き着いてしまったら、相互に誘導することも困難ですから、曖昧さ回避を検討する必要があります。しかし南京市を調べたい読者が旧「南京」(南京 (曖昧さ回避))に行き着いてしまったとして、何か問題なのでしょうか。南京市に誘導することも簡単ですし、南京市が歴史上数ある「南京」の一つなのだということもわかりますから、むしろ有益ではないでしょうか。なお、同様の事例としてがあります。これも津 (曖昧さ回避)に改名すべきでしょうか。
  • 「南京」から南京 (曖昧さ回避)に改名提案なしに改名されたことに関しては、特にうるさいことは言いませんが、二重リダイレクトの修正、言語間リンクの修正などについても改名者がきちんと実施してください。私を含む他の執筆者の方々に手間を負わせています。無責任な話です。--KOSUGHI 2008年12月9日 (火) 21:27 (UTC)
(反対、原則として現状維持)>しかし南京市を調べたい読者が旧「南京」(南京 (曖昧さ回避))に行き着いてしまったとして、何か問題なのでしょうか。
私個人としては十分問題あると思います。ウィキペディアを利用するのは、ウィキペディアのルールに精通している人ばかりではなく、偶々調べようとされる一般人(ここでは普段、執筆・編集に参加されない方)もいらっしゃる(むしろ多数である可能性がある)ことを忘れるべきではありません。百科事典というものは調べようとした言葉が出来るだけ簡便に検出できることが望ましく、本件の場合は最も検索される可能性が高い現在ある南京(南京市)について調べたい利用者が速やかに調べられるようにすることが望ましく、南京市が歴史上数ある「南京」の一つなのだということを教えるというのは全く別の問題と思われます(むしろ、利用者を混乱させる可能性も考えられます。)。それに現在の南京市は同時に明の南京・清の南京でもあり、歴史上最も長く使われた南京であったという点においても代表的なトピックとしての要件を十分に満たしていると考えます。--水野白楓 2008年12月13日 (土) 21:44 (UTC)

私の意見を補足します。

  1. 譲り難い点として、南京南京市へのリダイレクトとするのは反対であり、少なくとも曖昧さ回避ページとすべきである。
  2. 譲って良い点として、現在の南京 (曖昧さ回避)の記事名は、南京で何ら問題ないと思うが、他の記事名でも反対はしない。

そもそも、「「南京」と入力した場合に最も検索される可能性が高いのが「南京市」であるから、「南京」は機械的に「南京市」へのリダイレクトとする」という考え方が「ウィキペディアのルール」に則ったものなのでしょうか。Wikipedia:リダイレクトで、好ましくないリダイレクトの実例にあがっている例を見ると、用語AがBの意味にもCの意味にも解釈できて、BとCとが混同されるおそれが高い場合に、A→Bのリダイレクトとすることは、「好ましくないリダイレクト」に該当するのではないかと思います。

用語AがBの意味にもCの意味にも解釈できる場合に、A→Bのリダイレクトとして良いのは、BとCとが混同される心配がまずありえない場合です。例えば、「日本国」という山のことを調べようとした読者が、検索窓に「日本国」と入力し、「日本国」という国の記事に自動転送されたとして、「この記事が、日本国という山に関する記事なのだな」と誤解する可能性はゼロでしょう。

一方、BとCとが混同されるおそれが高い例が「南京」です。例えば、水滸伝の南京のことを調べようとして、検索窓に「南京」と入力した読者が、南京市に自動転送されたとしたら、「この記事が、水滸伝の南京に関する記事なのだな」と誤解する可能性は極めて高いと思います。これが杞憂ではない証拠として、現に、南宋のような相当の水準の記事でも、水滸伝の南京と南京市とが混同されていました。

南京南京市というリダイレクトとすることで得られるメリットは、クリック回数を一回減らせるという程度のものでしかありません。読者に記事内容を誤解させる危険性を抱えてまで、追求すべきメリットとは思えません。確かに、百科事典というものは調べようとした言葉が出来るだけ簡便に検出できることが望ましいですが、「読者が正確な知識を得られるようにすること」が大前提です。

このような理由から、南京は少なくとも曖昧さ回避ページとすべきなのですが、曖昧さ回避ページとした場合の内容は、現在の南京 (曖昧さ回避)の内容をそのまま持ってくれば何も問題になることはないと思います。南京 (複都制)などへの分割は、まあ絶対反対というわけではありませんが、記事に行き着くのが面倒になる割にメリットは少ないと思います。

余談ながら、現在の南京市の清代の名は「南京」ではありません。--KOSUGHI 2008年12月15日 (月) 12:30 (UTC)

Template:Redirectを用いる案

南京南京市というリダイレクトとしておき、南京市には以下の{{Redirect}}テンプレートをページ最上部に貼っておく、というのはどうでしょうか。大多数の南京市を調べたい利用者は直接たどり着きますし、歴史上の「南京」を調べたい利用者の誤解を避けることもできると思うのですが。
--Penn Station 2008年12月15日 (月) 15:42 (UTC)
この表示方法は、読者が、「水滸伝の南京は、南京市とは違うものである」「水滸伝の南京は、『歴史上「南京」と呼ばれた都市』の方に含まれている」ということを基礎知識として知っていることを前提条件としています。もし読者が、そのような基礎知識を持っているならば、この表示方法で十分であると思います。
しかし、大多数の読者にとっては、この表示方法では説明不足であると感じます。基礎知識のない読者にこの表示を読んでいただいて、「水滸伝の南京は、南京市とは違うものだったのだ」という事実に気づいていただけるかというと、難しいと思います。
どうしても南京南京市というリダイレクトとしたくて、かつ、歴史上の南京と南京市とが混同される事態を避けたいのであれば、南京市の記事の最初の方に「南京市以外の南京」といった感じの節を設けて、「南京市は歴史上唯一の南京ではない。南京とは南の都を意味する語であり、複数存在した・・・」といった感じの説明を記載する必要があると思います。最低でもこのくらいの説明は書かないと、誤解を防ぐには不十分であると思います。
しかし、この「南京市以外の南京」の節は、南京市に関して説明しているものではありませんから、南京市のことについて調べたい読者にとっては、余計なものでしかありません。南京市の記事は、南京市のことについて読者が速やかに調べられるようにすることが望ましいです。ですから、「南京市以外の南京」の節は、分割して南京に記載する方が適切です。要するに、南京を曖昧さ回避ページにするのと同じことです。--KOSUGHI 2008年12月16日 (火) 14:09 (UTC)
{{Redirect}}を用いることは、Wikipedia:曖昧さ回避における「読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか、また読者が探しているページへの誘導が簡単かどうか」という用件を満たしています。「混同を避けること」を第一の目的とするならば、全ての一意でない曖昧さ回避は平等にしなければなりません。それは現在の方針と整合しませんから、まずはWikipedia:曖昧さ回避の改訂から始めてください。--Clarin 2008年12月17日 (水) 07:33 (UTC)
「『南京』という言葉で検索される可能性が最も高いのが南京市なのだから、機械的に南京南京市のリダイレクトとすべきである」という主張は、Wikipedia:曖昧さ回避のうち「読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか」の部分しか考慮していません。「また読者が探しているページへの誘導が簡単かどうかを総合的に判断してください」の部分も併せて考慮すれば、「リダイレクトとするのが基本ではあるけれど、機械的にリダイレクトとするのではなく、総合的に判断すべきである」という結論になります。「読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか」の一点だけを根拠として機械的に判断すべきであると主張されるのであれば、それは現在の方針と整合しませんから、まずはWikipedia:曖昧さ回避から「総合的に判断してください」の部分を削除する運動から始めてください。--KOSUGHI 2008年12月17日 (水) 12:12 (UTC)
「読者が探しているページへの誘導が簡単かどうか」というファクターでは、{{Redirect}}を用いた場合、記事の先頭にリンクが置かれますから南京 (曖昧さ回避)への誘導は極めて簡単です。一方、南京 (曖昧さ回避)の記述内に南京市へのリンクは必ずしも先頭には表示されておらず、読者が探しているページである南京市への誘導は相対的には簡単ではありません。ですからこのファクターでは南京市へのリダイレクトとすることが優位であるか少なくとも同等、「読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか」というファクターでは南京市であり、Wikipedia:曖昧さ回避には両ファクターを「総合的に判断してください」とありますから、南京市へのリダイレクトとすべき、と結論できます。--Clarin 2008年12月17日 (水) 15:08 (UTC)
「読者が探しているページへの誘導が簡単かどうか」は、別に記事の中のどの位置にリンクが置かれるかで決まるのではないと思います。説明がわかりやすいか、誤解を生じさせる危険性がないか、などの点の方が重要です。それほどまでに記事の先頭にリンクが置かれることが重要だと主張されるのでしたら、どうぞ、南京を曖昧さ回避にして、「南京は、1.南京市、2.・・・」と書き換えてください。リンクに到達するまでの文字数を最小にできますから、最善の方法です。--KOSUGHI 2008年12月18日 (木) 13:12 (UTC)
本文中からリンクを探す状態よりも、記事の先頭に曖昧さ回避のリンクが表示される状態の方が、相対的に、容易に誘導されるといえます。また下で申し上げたとおり、「誤解を生じさせる」という論拠は正確ではありません。--Clarin 2008年12月18日 (木) 13:32 (UTC)
Clarinさんのご意見に従いまして、現在の南京 (曖昧さ回避)を書き換えて、南京市のリンクに到達するまでの文字数を最小化しました。南京市の記述内に南京 (曖昧さ回避)へのリンクをこれ以上先頭に表示することは不可能ですから、Clarinさんのご意見に従えば、現在の南京 (曖昧さ回避)の内容を南京に持ってくるのが最善の方法であるということですね。ご意見どうもありがとうございました。--KOSUGHI 2008年12月27日 (土) 01:11 (UTC)
それで2つのうち1つのファクターに関しては、同等になったといえるかもしれません。この記事名が「南京 (歴史的地名)」等へ変更された場合、歴史的な地名としての南京が他にありますよ、ということを南京市の冒頭に表示するわけですから。「Clarinさんのご意見に従えば、現在の南京 (曖昧さ回避)の内容を南京に持ってくるのが最善の方法であるということですね。」に関しては意味がよくわかりませんでした。--Clarin 2008年12月27日 (土) 08:07 (UTC)
以下はあくまでClarinさんの論法に従ったものであり、私自身はこのような思考方法はとりませんが、「読者が探しているページへの誘導が簡単かどうか」というファクターでは{{Redirect}}を用いた場合Penn Stationさんの案を採用するならばリンクまでの文字数は70文字、現在の南京 (曖昧さ回避)の記述内で南京市までの文字数は5文字ですからこのファクターでは南京を曖昧さ回避とする案が圧倒的優位であり1勝、「読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか」というファクターでは南京南京市のリダイレクトとする案かもしれませんが数値的な証拠がないので引き分けから勝ちの間です。よって南京を曖昧さ回避とする案が1勝0敗1分けから1勝1敗の間、南京南京市のリダイレクトとする案が1勝1敗から0勝1敗1分けの間ですから、南京を曖昧さ回避とする案の総合勝利ということになるかと思います。--KOSUGHI 2008年12月28日 (日) 00:34 (UTC)
「南京 (歴史的地名)」とすれば、歴史的地名の南京が他にあることはわかるだろう、と申し上げています。わかるのだから、あなたが強行に主張して肥大化させた Penn Station さんの案をとる必要性はありません。そもそも{{Redirect}}を使用する時点で記事の冒頭に表示されるのですから、中の文字数が何文字か、まで数える必要があるのですか。--Clarin 2008年12月28日 (日) 04:46 (UTC)

Penn Station さんの2008年12月17日の案に反対されるのでしたら、Penn Station さんの2008年12月15日の案との比較でも結構です。いずれにせよ37文字目対5文字目ですので、南京を曖昧さ回避とする案の圧倒的優位となるかと思います。そもそも、「{{Redirect}}を使用すれば文字数は関係ない」と主張される方が、同じ文章で「Penn Station さんの案は文字数が多く肥大化している」と非難されるとは、自家撞着もはなはだしいですね。いったい文字数は関係あるのか、関係ないのか、どちらなのでしょうか。--KOSUGHI 2008年12月30日 (火) 04:53 (UTC)

同じことの繰り返しになりますが、「南京 (歴史的地名)」とすれば、歴史的地名の南京が他にあることはわかるだろう、と申し上げています。わかるのだから、Penn Station さんの案をとるべき理由は既にありません。2008年12月17日の案も2008年12月15日の案も比較する意味がありません。さらに、その案を基に唐突に文字数を論拠とする議論の方法も全く支持できない、と申し上げています。--Clarin 2008年12月30日 (火) 05:34 (UTC)
ならば現在の南京市との比較でも結構です。いずれにせよ28文字目対5文字目ですので、南京を曖昧さ回避とする案の圧倒的優位となるかと思います。「南京を曖昧さ回避とするよりも、南京南京市のリダイレクトとする方が、記事の先頭にリンクが置かれるから優れているのだ」とあれほど熱心に主張されていた方が、「南京を曖昧さ回避とする方が、より先頭にリンクを置けるじゃないか」と反論されるや、「そんな比較は支持できない」とは、何と申しますか、見事な開き直りぶりに感動いたしました。--KOSUGHI 2008年12月30日 (火) 12:18 (UTC)
わたしは「本文中からリンクを探す状態よりも、記事の先頭に曖昧さ回避のリンクが表示される状態の方が、相対的に、容易に誘導されるといえます。」と申しました。それが何故、字数の多寡を競っているという極端な認識になるのでしょうか。だいたい、「私自身はこのような思考方法はとりませんが」とおっしゃっておきながら、南京 (曖昧さ回避)の先頭を編集してしまい、28文字目対5文字目だから圧倒的優位だ、などというのは人をおちょくっているとしか思えません。--Clarin 2008年12月30日 (火) 12:59 (UTC)
ならば文字数比較はやめにしても結構です。南京南京市のリダイレクトとする案では「文中からリンクを探す状態」から抜け出すことは不可能、南京を曖昧さ回避とする案では文字通り「記事の先頭に曖昧さ回避のリンクが表示される状態」となりますから、南京を曖昧さ回避とする案の圧倒的優位はいずれにせよ変わらないかと思います。--KOSUGHI 2008年12月30日 (火) 14:20 (UTC)
わたしは「本文中からリンクを探す状態よりも」と申しました。議論のすり替えはやめていただきたい。--Clarin 2008年12月30日 (火) 14:35 (UTC)
「本文の文中からリンクを探すのは困難だが、テンプレート内の文中からリンクを探すのは容易だ」とでもおっしゃりたいのでしょうか。ならば現在の南京 (曖昧さ回避)の冒頭部分を{{Otheruseslist}}で表示すれば、同じようにテンプレート内に表示され、かつ「先頭に曖昧さ回避のリンクが表示される状態」という点では優位となりますから、南京を曖昧さ回避とする案の圧倒的優位はいずれにせよ変わらないかと思います。--KOSUGHI 2008年12月30日 (火) 15:30 (UTC)
はい、本文中からよりも、テンプレートのリンクの方が容易に誘導できます。{{Redirect}}は曖昧さ回避のためのテンプレートであり、読者が本来読むべき項目でない場合にそこから誘導するためのものです。一方、本文中のリンクは文章中の言葉から他項目を参照するためのものです。現在は、南京市南京 (曖昧さ回避)の何れも記事の冒頭で曖昧さ回避を行っています。ですから、「読者が探しているページへの誘導が簡単かどうか」はほぼ等しい条件であるといえます。他方、「読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか」では、南京へのリンクは現在83個あり、ほぼ全てが南京市へのリンクです。一方、南京 (曖昧さ回避)へのリンクは19個、依頼ページとノートを引くと15個、その殆どは曖昧さ回避項目の関連項目からであり、純粋に記事中からのリンクは南宋東京奠都高宗 (宋)の3つだけでした。このうち南宋高宗 (宋)に関しては「南京(現在の商丘市)」という記述であり、既に商丘市へのリンクが張られています。また、南京市の項目名が 2003年9月から2008年5月までの長きにわたって、南京であったという事実も忘れてはなりません。南京を見ても現在の南京市が圧倒的多数ヒットします。これらの事実から、南京市が代表的項目ではないとは、ちょっと考えられません。--Clarin 2008年12月30日 (火) 16:43 (UTC)
あれほど熱心に主張されていた「記事の先頭にリンクが置かれる方が優れているのだ」という理論は、結局初めから無かったことにするわけですか。ま、それならそれで結構です。Clarin さんがあれこれ主張しているヒット数などの話は、仮に「南京市」について書かれている記事名が南京だった場合に、記事名を南京南京 (曖昧さ回避)にすべきか、あるいは南京 (江蘇省)南京にすべきか論争になったとしたら、前者を採用すべきですね、という論拠にしかなりません。既に指摘している通り、南京南京市というリダイレクトには、「好ましくないリダイレクト」に該当しそうだという問題点があります。Clarin さんがあれこれ主張しているヒット数などの話は、リダイレクトとしての問題点とは全く関係ない話ばかりです。Clarin さんがWikipedia:リダイレクトについては何一つ配慮せずに、南京から南京 (曖昧さ回避)への無断移動を行ったのだということがよくわかりますね。--KOSUGHI 2009年1月7日 (水) 14:08 (UTC)
上から文中の何文字目にリンクがあるかを一文字づつ数えて曖昧さ回避の順位を決定せよ、ということをわたしは断じて言っていませんし、そのようなことを言ったのはあなた以外に誰もいません。ですから、そのようなことをわたしが熱心に繰り返した、という認識に基づく議論にはお答えのしようがありません。また「「南京市」について書かれている記事名が南京だった場合に、記事名を南京と南京 (曖昧さ回避)にすべきか、あるいは南京 (江蘇省)と南京にすべきか論争になったとしたら、前者を採用すべきですね、という論拠にしかなりません。」に関しては論拠が不明でよくわかりません。それで、ここで議論していたことはWikipedia:曖昧さ回避に関するものだったと思いますがそれに対して「Wikipedia:リダイレクトとは関係がない」と言うということは、Wikipedia:曖昧さ回避に関してはわたしの述べた論拠が妥当であると認められたということでよろしいでしょうか。またWikipedia:リダイレクト#好ましくないリダイレクトの実例には中国→中華人民共和国のリダイレクトが不適切であると記載されていますが、それは中華人民共和国中華民国中国地方の記事が既にあるということが前提の例です。また複都制の南京に関する特記事項というのは、複都制#中国の複都制に書かれるべき内容で、既に別の場所で統合提案が出されています。--Clarin 2009年1月8日 (木) 06:35 (UTC)

Template:Redirectを用いる案その2

上ではリダイレクトで問題ないと言ってましたが、撤回します。KOSUGHIさんの意見に賛成します。KOSUGHIさんの仰るとおり致命的な誤解を生む可能性があるので、その説明をきちんとした方が良いと思います。なおWikipedia:曖昧さ回避はあくまで曖昧さ回避の方法を示し、かつそれぞれで「が良いでしょう」とある程度の指針を示しているに過ぎず、「こういう場合にはこうしなければならない」ということを定めているものではありません。「曖昧さ回避は、全ての場合について良いものというのは存在しません。曖昧さ回避すべき事柄同士の関係によって最適な方法が変わるでしょう。状況に応じて柔軟に対応してください。」とあるように、項目に特別な事情があるのならば特別な法式を導入することを妨げるものではありません。そしてKOSUGHIさんの挙げられた理由は考慮するべき必然性があると思います。--らりた 2008年12月17日 (水) 08:11 (UTC)

私も致命的誤解を生じる可能性に関するKOSUGHIさんのご指摘は、十分に考慮する必要があると思っています。一方で、「南京」というキーワードで検索した利用者が探している記事は8-9割の場合南京市ではないかと見ており(実際に統計を見た訳ではありませんが常識的に)、南京市Wikipedia:曖昧さ回避でいう代表的トピックと考え、この場合は「平等な曖昧さ回避」ではなく「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」をとるべきと考えています。そこで上記のように{{Redirect}}を使用することを提案させていただきました。
私としては「歴史上「南京」と呼ばれた都市については南京 (歴史的地名)を…」という説明で誤解は回避できると考えましたが、KOSUGHIさんご指摘のようにこれでは不十分なのであれば、誤解を避けるための表現をもう少し考えてみてもよいのではないでしょうか。例えば以下はどうでしょうか。
正直、これで誤解してしまう利用者は、現在の南京 (曖昧さ回避)の記事を見てもやはり誤解してしまうのでは、と思います。--Penn Station 2008年12月17日 (水) 09:10 (UTC)
現在の状態で、南京市という記事にたどり着く読者は次の3種類の方がいます。
  1. 歴史上の南京のことを調べたくて「南京」で検索した読者
  2. 南京市のことを調べたくて「南京」で検索した読者
  3. 「南京市」で検索した、あるいは[[南京市]]という内部リンクでたどり着いた読者
忘れてはならないのは3の読者で、正確にはわかりませんが7-8割が該当すると思います。Penn Station さんご提案のような表示をすれば、3の読者は、調べようとしていることとは関係ない、ずいぶんと長い説明を見せられることになります。さらに2の読者も、「唐・渤海・遼・北宋・金・明・高麗王朝・・・」という説明をわざわざ読まねばなりません。
素直に南京を曖昧さ回避にすれば、多数派である3の読者にとっては最善の解決策となり、もちろん1の読者にとっても最善の解決策となります。少数派である2の読者にとっても、「唐・渤海・遼・北宋・金・明・高麗王朝で・・・」という説明をわざわざ読まずに済むという利点があります。
南京南京市というリダイレクトとすることで得られる利点は、2の読者のクリック回数を1回減らせるという程度のことに過ぎません。たかだかその程度の利点と引き換えに、様々な問題が発生します。なにゆえ、問題を発生させてまで、「少数派の読者のクリック回数を1回減らす」ことをあくまで最優先で追求せねばならないのか、不思議でなりません。--KOSUGHI 2008年12月18日 (木) 13:38 (UTC)
KOSUGHIさんの心配されている南京南京市のリダイレクトによって生じる「様々な問題」ですが、今まで議論の中で提起された (1)南京市以外の南京の記事を参照すべき基礎知識のない利用者が南京市の記事にたどり着き誤解する恐れがある。 (2)誤解を避けるために私が提案した{{Redirect}}案では、最初から南京市の記事を目当てに南京市にたどり着いた利用者が長い説明文を読む必要がある。 - この2点に集約されると思いますが、よろしいですか?総合的に判断したい思いますので、もし他にも心配されている点があれば、是非教えてください。ここから先は問題点はこの2点のみ、という前提で話をします。
(1)に対する対処は既に論じました。次に(2)ですが、上記{{Redirect}}表示がページ最上部に来ることがそんなに問題のあることでしょうか?私の例示した文面でもせいぜい2-3行の分量です。もう少し練ればさらに短くできると思います。本当に「ずいぶんと長い説明」とお感じですか?また、{{Redirect}}や{{Otheruses}}を使用している記事は多数ありますが、ここでの提案は極めて常識的な範囲内での利用だと思っています。もしここでの提案が「分かっている利用者は余計な説明は見たくない」という理由だけで認められないのであれば、{{Redirect}}や{{Otheruses}}の存在意義が疑われますし、すべての場合で平等な曖昧さ回避となってしまわないでしょうか?
さらに付け加えるならば、最初から南京市の記事を目当てに南京市にたどり着いた利用者だとしても、上記のような{{Redirect}}表示があることによって、別の南京の存在に気付いて興味や知識をさらに広げる(百科事典の醍醐味の味わう)ことにつながる効果もあるのではないでしょうか?--Penn Station 2008年12月20日 (土) 10:30 (UTC)
追伸:KOSUGHIさんのお名前(スペル)を誤って表記しておりましたので私の発言中の該当箇所を訂正しました。大変失礼いたしました。--Penn Station 2008年12月21日 (日) 01:40 (UTC)
私の意見を整理していただき、大変ありがとうございました。南京南京市のリダイレクトによって生じる「様々な問題」ですが、私が上のほうで書いた点が言及されていないため、多少修正させていただきます。
  1. 南京市以外の「南京」の記事を参照すべき基礎知識のない利用者が南京市の記事にたどり着き、誤解する恐れがある。
  2. 誤解を避けるために、南京市に「『南京』は、歴史上多数存在した」という知識を記述するするのであれば、それは「南京市」に関する知識ではないのだから、南京市にではなく南京に記述すべきである。
Penn Stationさんに示していただいた案は、「長い」こともさることながら、「そこに記載されている知識が「南京市」とは関係ない」ことが問題です。たとえ文面を短くしたとしても本質は変わりません。
別の南京の存在に気付いて興味や知識をさらに広げる効果に関しては、南京に南京市以外の南京が記載されるのは良いと思うのですが、南京市に南京市以外の南京が記載されるのは少し違うのではないかと思います。なお、水野白楓さんのように、南京に南京市以外の南京が記載されることすら不適切だとする方もおられます。--KOSUGHI 2008年12月27日 (土) 02:35 (UTC)
「そこに記載されている知識が「南京市」とは関係ない」とのご意見ですが、私は「時代は違えど同じ中国の都市であり記事の主題との関係性が相当低いという訳でもなく、詳細説明(南京 (歴史的地名))へのリンクを伴った紹介程度の簡潔な説明(例えば上記Redirect案での文面)が南京市の記事の一部としてあってもよい」と考えます。--Penn Station 2008年12月30日 (火) 06:51 (UTC)
素朴な疑問なのですが、『水滸伝』を読んで「南京」が現在の南京とは違うということがわからない人がいるとするならば、誤解は本を読んだ時点で生じているのではないでしょうか。ですからウィキペディアによって「誤解を生じる」というのはオーバーであり、むしろ誤解を解いてあげることを優先するか否かという話のような気がします。南京市#歴史には現在の南京の名称の変遷が書いてあり、それでもなお同じだと思ってしまうならばその人の責任が大きい気がします。--Clarin 2008年12月17日 (水) 10:19 (UTC)
↓ここにコメントしてから一ヶ月経つのですが KOSUGHI 氏からこの論を省みない主張が続いています。「リダイレクト化で実害が生じる」というものです。
>もし南京市に自動転送されたら、「これが、水滸伝の南京の記事なのだな」と誤解しかねない。
誤解しません。水滸伝を読んでそれが江蘇省の南京だと誤解している奇特な人に誤解を解いてあげる可能性が少し低くなる、だけです。繰り返し虚偽記載がされることに抗議します。--Clarin 2009年1月17日 (土) 05:31 (UTC)

合意形成に向けて

改名提案から1か月になろうとしていますが、議論が煮詰まってきておりなかなか合意形成となる兆しがありません。議論参加者も限られてきているので、ここらで他の方のご意見を伺うためにWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメントで第三者の意見を要請しようと思いますが、いかがでしょうか。そのためにも「議論内容の要約」をまとめようと思います。以下(太線枠内)に第三者のかたのために私の理解でまとめましたが、もちろんご本人に修正して頂いて構いません。いかがでしょうか。--Penn Station 2008年12月30日 (火) 07:48 (UTC)

  • KOSUGHI案1
趣旨:
1. 地理分野では慣例
「○○市」の記事があるとき、「○○」は曖昧さ回避化するか記事化するのが地理分野では慣例。99%の人が横須賀市を想起するであろう横須賀は曖昧さ回避となっており、99%の人が神戸市を想起するであろう神戸は記事化されている。なぜ南京だけ特別扱いしてリダイレクト化せねばならないのか。
2. リダイレクト化で実害が生じる
宋代の「南京」と現代の南京市とは違う都市であるが(南京 (曖昧さ回避)参照)、この事実は紛らわしく、わかりにくい。現に、これだけ延々議論してもなお、1126年中国蝗災史の記事で「南京」をクリックしたら南京市に自動転送される現在の状態が不適切であると理解していない執筆者が存在する。仕方ないことである。
このような執筆者によって今後も作られるであろう[[南京]]というリンクをクリックしたり、水滸伝の南京を調べようとして「南京」で検索した読者が、もし南京市に自動転送されたら、「これが、自分が探している南京の記事なのだな」と誤解する危険性は大きい。このような致命的誤解を避けるためには、南京はリダイレクト化すべきでない。
南京南京市のリダイレクト化で得られるメリットは「南京市を調べようとして「南京」で検索した読者のクリック回数が1回減る」という程度のことに過ぎない。致命的誤解の危険を冒してまで追求すべきメリットではない。
今回と良く似た状況での議論は過去にノート:北見でも行われた。このときも、
  • 「A」という用語を、どうしても「B」にリダイレクトする必要性、必然性があるのかという問題。数の問題ではない。
  • 重大な誤解を生じてしまう可能性がある方法をとるよりは、ワンクッションを置いて、利用者各自が必要な情報へアクセスできるようにするのが肝要。
という意見が多くの賛同を得て、北見北見市というリダイレクトは否定されている。
3. 方針上の既定がない
「「A」という用語から「B」も「C」も想起される状況で、「B」が想起される可能性が最も高ければ、ページAはページBへのリダイレクトとする」という方法は、そもそもウィキペディアにおいて公式に採用された方法ではなく、Wikipedia:曖昧さ回避にもWikipedia:リダイレクトにも一切既定されていない。慣例としてあって悪いわけではないが、実害が生じる場合にまで強制適用されるべきものではない。
  1. 「南京」:曖昧さ回避ページとする。
  2. 「南京 (曖昧さ回避) 」:「南京」へ移動して曖昧さ回避ページとしても良いし、「南京 (歴史的地名)」などへ移動しても良い。別途検討。
  3. 「南京市」:{{Redirect}}や{{Otheruses}}は載せず、南京市に関する説明だけを記述。南京市の語源が「南京」であることは本文中で説明。
  • KOSUGHI案2
趣旨:どうしても南京南京市というリダイレクトとしたくて、かつ、歴史上の南京と南京市とが誤解される危険を減らしたいのであれば、南京市の記事の冒頭部分に「南京市以外の南京」といった節を設けて、「南京は歴史上、南京市以外にも存在した」旨を説明すべきである。
ただし、この「南京市以外の南京」の節は、「南京」に関する説明であって「南京市」に関する説明ではないのだし、「南京市」について調べたい読者にとっては余計な情報なのだから、分割して南京に記載する方が適切である。これはKOSUGHI案1と同じことである。
もしこの方法が肯定されるのであれば、北見北見市横須賀横須賀市神戸神戸市などのリダイレクト化も肯定されるだろう。
  1. 「南京」:「南京市」へのリダイレクトとする。
  2. 「南京 (曖昧さ回避) 」:現状維持でも良いし、「南京 (歴史的地名)」などへ移動しても良い。別途検討。
  3. 「南京市」:通常の{{Redirect}}を表示(南京 (映画)などもあるため)。かつ、「南京市以外の南京」という節を設けて、「南京は歴史上、南京市以外にも存在した」旨を説明し、誤解の危険を減らす。
  • Penn Station案1
趣旨:「南京市」が「南京」で参照される記事の代表的トピックと判断(Wikipedia:曖昧さ回避参照)。大多数の利用者の利便性(「南京」を参照(検索 or 内部リンク) → 直接「南京市」の記事を表示)を優先しつつ、誤解(南京市以外の南京の情報を参照すべき利用者が誤って南京市の記事を参照してしまうリスク)を少なくするため現状の{{Redirect}}を修正。「南京市」を参照すべき利用者が「南京市」を参照した際にも他の歴史上存在した南京の存在に気づく副次的な学習効果もある。
  1. 「南京」:「南京市」へのリダイレクトとする。
  2. 「南京 (曖昧さ回避) 」:純粋に曖昧さ回避のページとし、歴史的地名については「南京 (歴史的地名)」へ分割する。
  3. 「南京市」:南京市に関する説明を記述。現状の{{Redirect}}を以下のように修正(文面は修正可)。
  • Penn Station案2
趣旨:南京市以外の南京の情報を参照すべき利用者が誤って南京市の記事を参照してしまう誤解が生じる可能性をさらに低減する。
「Penn Station案1」の"3"の{{Redirect}}の説明を以下のように詳細化。("1"と"2"は同じ)(文面は修正可)

上記太線枠内に各案を示しました。必要があればご本人で直接修正をお願いします(ただし混乱を避けるためにコメント依頼前までに)。--Penn Station 2009年1月6日 (火) 16:21 (UTC)

状況を整理していただきありがとうございます。いくつかコメントいたします。
  • 私の案は少し違います。上記の書式に習えば次の通りです。
  1. 「南京」→ 曖昧さ回避ページとする。
  2. 「南京 (曖昧さ回避) 」→ 「南京」へそのまま移動して曖昧さ回避ページとしても良いし、「南京」へ移動した後に「南京 (歴史的地名)」などへ分割しても良いし、曖昧さ回避部分を除去して「南京 (歴史的地名)」などへ移動しても良いし、著作製のある部分の著者は私しかいないので私が改めて「南京 (歴史的地名)」を投稿するとしても良い。
  3. 「南京市」→ {{Redirect}}や{{Otheruses}}は載せず、南京市に関する説明だけを記述。
  • 「唐・遼・北宋・金・明・高麗王朝」とある部分は「唐・渤海・遼・北宋・金・明・高麗王朝」とするのが正しいです。
  • 提案理由のところはもっと詳しく記載させていただけないでしょうか。
  • 個人的には、少し書きましたが「どうしても南京→南京市というリダイレクトとしたくて、かつ、歴史上の南京と南京市とが混同される事態を避けたいのであれば、南京市の記事の最初の方に「南京市以外の南京」といった感じの節を設けて、「南京市は歴史上唯一の南京ではない。南京とは南の都を意味する語であり、複数存在した・・・」といった感じの説明を記載する」という案で妥協できなくもありません。ですが改めて第三者の方々の意見を聞くということであれば、これまでの議論の感じでは、上記の案を支持していただける方もおられそうです。ですので選択肢として提示することは必要かと思います。--KOSUGHI 2008年12月30日 (火) 14:39 (UTC)
提案しておきながら返答が遅くなっていてすみません。年末年始でバタバタしているため、提案理由の補足についてはもうちょっとお時間いただいてよろしいでしょうか?--Penn Station 2009年1月4日 (日) 04:33 (UTC)
各案の提示を上記(太線枠内)のように更新しました。KOSUGHIさん、Clarinさん、必要があればコメント依頼(今週末の日曜を考えています←一応こうしましたが時間が必要であれば延長しても問題ありません)までにご本人で直接修正をお願いします(私の方で記述するのは限界がありますので…)。--Penn Station 2009年1月6日 (火) 16:40 (UTC)
私の分を加筆しました。こう見ると南京 (曖昧さ回避)の扱いについては特に対立しているわけではなく、南京南京市の扱いが焦点であると言えると思います。--KOSUGHI 2009年1月8日 (木) 13:02 (UTC)
加筆ありがとうございます。Clarinさんはいかがでしょうか?上記で問題なければよいのですが、もしそうでない場合は、加筆/修正して頂けると幸いです。あるいは、もしこの合意形成プロセスの方法に問題があれば、ご指摘ください。--Penn Station 2009年1月8日 (木) 14:06 (UTC)
議論を「南京」だけで妥結するのであれば、「Penn Station案1」を支持させていただきます。「南京 (歴史的地名)」とする以上は曖昧さ回避項目ではないので、映画項目は他所で曖昧さ回避をすることになります。上記「Clarin案」は、議論の中の断片に過ぎないように見えますから、削除していただいて結構です。ただし下で指摘したように、北京 (曖昧さ回避)でも南京 (曖昧さ回避)と全く同じ問題が発生しています。また、例えば南京 (曖昧さ回避)#唐代には南京だけでなく、東京、北京、西京、中京のことが混在して書かれています。他にも南京 (曖昧さ回避)#朝鮮東京 (曖昧さ回避)#朝鮮西京#朝鮮は、同じ記述がほぼ重複しているのではないでしょうか。ですから先ず、南京、北京、西京、東京すべてを統括した議論を一旦ノート:東京 (各国)などで行い、大筋を決めてから南京について個別の議論をすることが最良であるとわたしは考えています。--Clarin 2009年1月8日 (木) 14:55 (UTC)
すぐ上に書いたとおり、南京 (曖昧さ回避)の扱いについては特に対立しているわけではありません。なので議論は別に進めても支障はないと思います。--KOSUGHI 2009年1月8日 (木) 16:10 (UTC)
Clarinさん、コメントありがとうございます。了解です、上記太線枠内のClarinさん案は削除させていただきました。さて、論点ですが、上記KOSUGHIさんの指摘のように、曖昧さ回避の各記事内の重複した記述については、リダイレクトをどうするかの話とは別に議論可能と思いますが、いかがでしょうか?
一方で、Clarinさんご指摘のように北京 (曖昧さ回避)東京 (各国)、その他南京 (曖昧さ回避)と同様の問題(リダイレクトと曖昧さ回避)を抱える記事ありますね。実はそれら他の記事のことは気にはなっていたのですが、議論が発散するので先ずは南京から片付けようと思っていました。ところが、最近出されたTBS (曖昧さ回避)NTV (曖昧さ回避)の改名提案(現存のリダイレクトに上書き移動)を見るに至り、この「リダイレクトと曖昧さ回避」の問題は、別に地名に限った話ではなく、Wikipedia全体として、Wikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:リダイレクトなどで指針(ガイドライン)を示すべき問題ではないか、と思うようになりました。その意味では、まず一般的な指針を定めて、その後個別議論に戻ってくる、というのは合理的だと思います。--Penn Station 2009年1月10日 (土) 16:06 (UTC)

部外者がお邪魔します。合意形成に向けて・・・ということなので、部外者の意見が参考意見になれば。

私はKOSUGHIさん案が一番分かりやすいです。「南京」という単語からイメージできるものは、やはり南京市だけではありません。「南京」が「南京市」へのリダイレクトになっているのは、利用者にとってはかえって不都合に感じます。「南京」が曖昧さ回避ページになっていることは、利用者にとっては単に誘導となるだけでなく、南京に関する他の様々なページの存在を知るという意味でも有益ではないでしょうか。

適切な例かどうかは分かりませんが、例えば「広島」という単語はどのようにイメージされますか?広島県や広島市以外にも「広島」が指す意味は様々です。--Num 2008年12月30日 (火) 15:19 (UTC)

Numさん、コメントありがとうございます。「南京に関する他の様々なページの存在を知る」点については上記私の案における{{Redirect}}でも実現可能かと思いますが、いかがでしょう?また「広島」との比較では、「南京」の場合、現在、地名としては「南京市」以外には南京がない(ですよね?)ので、同じようには扱えないと考えます。--Penn Station 2009年1月6日 (火) 16:48 (UTC)

私は「南京」は「南京市」へのリダイレクトでいいと思います。「上野」でもそうでしたが、この手の問題については議論し続けてもきりがないと思うので、一通り意見が出尽くし次第、できるだけ大勢を集めて多数決を行なうのがいいと思います。このような固有名詞の優先度合の問題については専用の処理手続きが設定されていてもいいと感じています。--Lincun 2009年1月10日 (土) 04:14 (UTC)

コメントいただきありがとうございます。上野の場合は純粋な曖昧さ回避の問題ですので今回の問題とは異なります。今回の問題はリダイレクトとして適切かという点が主要な問題となっています。コメントしていただくことでこういう誤解も解けますから良かったです。--KOSUGHI 2009年1月10日 (土) 11:50 (UTC)
上野以外に北見でも似たようなことはありましたな。こんなことは客観的な結論は出しようがないわけで、多数意見を以って早急に決定されるべきであるにも関わらず一部の人が頑として譲らず紛糾したあたりはいずれもよく似ていると思います。--Lincun 2009年1月10日 (土) 12:06 (UTC)
事例をご紹介いただきありがとうございました。ノート:北見でしいたけさんが私と同じ意見をコメントされていたので、大変心強くなりました。
  • 「A」という用語が、どうしても「B」にリダイレクトする必要性、必然性があるのかという問題。数の問題ではない。
  • 重大な事実誤認を生じてしまう可能性がある方法をとるよりは、ワンクッションを置いて、利用者各自が必要な情報へアクセスできるようにするのが肝要。
とても賛同できるご意見です。--KOSUGHI 2009年1月10日 (土) 12:54 (UTC)
うまいこと都合のいい理論を見つけましたな。であれば「富士山」なる山は複数存在するので、「富士山」も曖昧さ回避化すべきということですか?--Lincun 2009年1月10日 (土) 13:02 (UTC)
不勉強で申し訳ございませんが「富士山」は富士山しか存じません。他の事例をお示しいただければ回答いたします。ご質問いただくことは大歓迎です。なお、繰り返しますが今回の問題はWikipedia:リダイレクトの問題でありWikipedia:曖昧さ回避の問題ではありません。--KOSUGHI 2009年1月10日 (土) 14:04 (UTC)
郷土富士をご覧ください。それと、Wikipedia:リダイレクトの問題とWikipedia:曖昧さ回避の問題の差異についてここでこれ以上論じる意義はないと思います。--Lincun 2009年1月10日 (土) 15:35 (UTC)
岩手山は「岩手富士」とは呼ばれますが「岩手富士山」とか「富士山」とは呼ばれません。郷土富士をご覧ください。なお富士でしたら平等な曖昧さ回避となっています。--KOSUGHI 2009年1月10日 (土) 15:54 (UTC)
郷土富士をよーく読んでください。特に関東地方。--Lincun 2009年1月10日 (土) 15:57 (UTC)
これは大変失礼しました。明らかに富士山を代表的トピックとする曖昧さ回避とすべきケースですね。富士山の冒頭に{{Otheruses}}を記載しました。「富士山」のケースではリダイレクトの問題は全く発生していないので、今回の問題とは関係ありません。他の事例をお示しいただければ回答いたします。--KOSUGHI 2009年1月10日 (土) 16:28 (UTC)
Lincunさん、こんばんは。こちらのページでもお会いしましたね:-)。さて、現在このページでは、Wikipedia:合意形成に従い、コンセンサス形成に向けての努力を行っているところです。多数決は最後の手段と考え、まずはコメント依頼で広く第三者のご意見を伺おうと思いましたが、期せずして議論が活性化してきました(合意に向かっているかは別ですが…)。私としては、上でも書いたのですが、まずは「リダイレクトと曖昧さ回避」について、一般的な指針を定めて、その後に個別事情を考慮した個別議論を行った方がよいかな?と思うようになってきました。"固有名詞の優先度合の問題については専用の処理手続"は、あってもいいかもしれませんね。--Penn Station 2009年1月10日 (土) 16:41 (UTC)

元は、「『曖昧さ回避』のタイトルの下に独立して構成しうる記事が作られるべきでない。」と言うことから、改名提案をしたものですが、その点については(新たな記事のタイトルは別論として)合意されているものとして、後は、「南京」について「南京市」へのリダイレクトとしてしか扱わないかと言うことかと思います。

以上の論点の下で、リダイレクトの取り扱いはKOSUGHIさんの意見を支持します。

これは、どちらかといえば、歴史的存在としての都市「南京」を意識するゆえの支持です。南京といえば、ほとんどの場合、江蘇省の都市を指していることは認めますが、これが、現代中国の行政区分である南京と一致しているかは、多少疑問があります。勿論、ご存知でしょうが、中国の行政区分「市」はかなり広い領域を構成しています。記事中にもあるように、南京市は栃木県程度の面積を有した地方自治体であり、必ずしも、「都市」のイメージではありません。「朱元璋は(中華民国は)南京に首都を置いた」とか「日本軍は南京を制圧した」といった文章があれば、このときにイメージしている南京は現在の南京市全体ではなく、都市部である南京城とその周辺(これでも山手線内くらいの広さがあるらしいですが)で、前提を欠いて飛ばされると、誤解の原因ともなりかねません。現に、南京攻略戦・南京大虐殺の論争においては、その領域の捉え方が戦域や被害者数、戦闘か虐殺かの議論にもなっています。これは、北京においてはさらに顕著であり、「北京」といわれイメージするのは、いわゆる舊城區かせいぜい傳統上的城區と呼ばれる地域であろうと考えますが、現実の北京市は記事中にもあるとおり四国程度の面積を有し、舊城區や傳統上的城區は各々全体の百数十分の一、約二十分の一程度の領域でしかありません。現在、都市領域としての「北京」や「南京」の記事がない状況で、各々について「北京市」「南京市」を参照するのは致し方ないことかと思いますが、将来にわたって、概念が重なり合っているものではないと思います。実際、日本の例ですが、「東京」と「東京都」が、別の記事を構成しているのは、以上の意味で正しい態度だと思います。その伝で言えば都市名としての「南京」「北京」が、地方自治体名である「南京市」「北京市」に常に一致しているとするのは、違和感があり、あいまいさを残した都市概念の下での「南京」「北京」と言う記事があっても良いと考えます。--Tomzo 2009年1月10日 (土) 14:30 (UTC)

中国語版では「南京」が「南京市」にリダイレクトしていることを一応指摘しておきます。行政区画としての南京と都市としての南京を分けたところで、前者についてはデータベース的な記事にしかならず、そうなるぐらいであれば名称が同一である2つのものを南京市内のものごととしてひとつのページにまとめてしまうことは十分に合理的なことだと思います。むしろひとつにまとめることで、都市としての南京と行政区画の南京の違いを説明しやすいのではないでしょうか。(現状では記事中でその点について十分な説明はなされてはいませんが)
過去の「南京」の扱いについてですが、閲覧者全体にとって現南京と比べたときの重要度についての感覚を反映させるべきだと考えます。もちろん、閲覧者全体の感覚を調べることは不可能ですので、便宜的に編集者間での多数決によって決定すべきと私は考えています。中国の歴史に詳しい人にとっては言い分もありましょうが、そうでない人に過去の「南京」の重要度について説得できない以上は、この手の議論を続けていてもきりがないと思います。--Lincun 2009年1月10日 (土) 15:35 (UTC)
今回の提案は、現在その名称で呼ばれていない都市と現在唯一の都市を平等な曖昧さ回避にせよ、ということなのであり東京東京都のような形にするような提案ではありません。今回の提案に東京の例を当てはめるならば東京 (各国)東京とすべき、ということなのですがそれはノート:東京 (各国)にて既に却下されています。また現在の中華人民共和国の行政区画領域が、イメージとしての都市の領域よりも広いということは南京市だけの話ではありません。行政区の領域が都市のイメージとは一致しないから別記事とすべきということになれば、中国のほぼ全ての行政区記事(台湾、朝鮮半島も然り)について「都市のイメージとしての記事」を一つづつ作成することになりかねません。それは中国の行政区記事について大規模な変更になりますから、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分にて議論する必要が発生すると考えます。--Clarin 2009年1月10日 (土) 15:38 (UTC)

まず一般的な指針を定めて、その後に個別議論を行う

節を分離しました--KOSUGHI 2009年1月13日 (火) 14:56 (UTC)

「まず一般的な指針を定めて、その後に個別議論を行う」のは良いご提案であると思います。これまでの議論の中で、ノート:北見などの事例もご紹介いただいたことで、議論を行うに十分な材料も集まったと思います。私が仕切ろうとするとまた何か言われそうな気がしますので、Penn Stationさんに仕切っていただければ最大限ご協力いたします。なお、Lincunさんがおっしゃるような「多数意見を以って早急に決定」という方法でも私は結構です。--KOSUGHI 2009年1月11日 (日) 03:28 (UTC)
KOSUGHIさんとしては「リダイレクトの問題」と「曖昧さ回避の問題」を峻別したいようですが、今回の問題ははっきり言って「曖昧さ回避の問題」であり、たまたまそこに「リダイレクト」が絡んでいるに過ぎません。富士山の事例についてKOSUGHIさんに見解を示していただきたいと思ったのですが、どうもそれでは逃げられてしまうようなので、「日本国」が「日本」にリダイレクトしている一方で「日本国_(曖昧さ回避)」というページが存在することについて、ノート:北見で拾ってきた理論を以ってすればどのような処置が妥当かを改めてKOSUGHIさんにお尋ねしたいと思います。(ショパン、マンガ、自由民主党などほかにもかなりありますよ。)
Penn Stationさん、またどうも。この手の問題は結論が出しようがないと思うんですよね。人によっては現南京と歴史的南京の重要度の比率が80:20だったり99:1だったりで、それを統一させるわけにはいきませんし、また曖昧さ回避の方法について「90:10だったらこう処理する」などと決められているわけでもありませんから。双方の言い分が出尽くしたら、それらを部外者にもすぐ理解できるようにまとめた上で、できるだけ多くの人を集めて多数決というのが建設的なやり方だと思うんですよね。--Lincun 2009年1月11日 (日) 04:15 (UTC)
富士山の事例は無関係ですからコメントのしようがありません。さてご質問に対する回答ですが、考えの基本となる一般原則として、事項「A」の別称「B」(例えば「南京市」と「南京」)と事項「B(2)」(例えばその他の「南京」)があるとき、B→Aというリダイレクトにすると、
  • 「Aを調べようとして「B」で検索した利用者が、Aに自動転送されるため、その利用者のクリック回数を1回減らせる」というメリットと、
  • 「B(2)を調べようとして「B」で検索した利用者が、Aに自動転送されるため、AをB(2)のことであると混同するおそれがある」というデメリットがあります。
AとB(2)とを比較したときに、紛らわしく、混同される可能性が高ければ、できるだけリダイレクトとはしないことに合理性があります。混同されるおそれがないようであれば、できるだけリダイレクトにすることに合理性があります。
この論点から日本国マンガショパンなどを見てみると、ずーっと上の方でもコメントしているのですが、「日本国」という山を調べようとした読者が、検索窓に「日本国」と入力し、日本に自動転送されたとして、「この記事が、日本国という山に関する記事なのだな」と誤解する可能性はゼロでしょう。なので日本国日本というリダイレクトとすることに合理性があります。「マンガ」も同様。ブルキナファソの都市と漫画とを混同する可能性はゼロでしょう。
「ショパン」もポーランドの男性音楽家とアメリカの女性作家とを混同する可能性は低そうです。ただし大事をとってリダイレクトとはしない選択もあると思います。マーラーの場合はドイツの音楽家グスタフ・マーラーが圧倒的に著名ですが、他にもドイツ人の作曲家や芸術家がいるので混同を招く可能性があり、リダイレクトとはしない方が良さそうです。現に平等な曖昧さ回避となっています。ガガーリンなども同様です。
自由民主党の場合は記事名の付け方が間違っていますね。日本の自由民主党を代表的なトピックとするなら日本の自由民主党の記事を自由民主党に置くべきですし、平等な曖昧さ回避とするなら自由民主党を曖昧さ回避ページとすべきです。社会民主党も同様のおかしな状態となっており、社会民主党 (曖昧さ回避)で改名提案が出ていました。--KOSUGHI 2009年1月11日 (日) 15:26 (UTC)
新旧の南京の混同を誘発させることを懸念しているわけですよね。それは「リダイレクトの問題」ではなく、「曖昧さ回避の問題」にほかならないでしょう。したがって「富士山」の問題と「南京」の問題を無関係とするあたりはKOSUGHIさんの主張に矛盾が感じられます。
上記で「水滸伝の南京」について語っておられるようですが、水滸伝を読むような方であれば中国の都市名が時代によって変化していることぐらいは当然に知っていると思います。また、そうでなくても「南京市」の記事を読めば、水滸伝のそれとは別物だということは判るものではないでしょうか。水滸伝を読みながら中国の都市名の時代的な変化に関する知識を持たず、なおかつ「南京市」の記事を読んでも新旧南京の違いに気づかないというような少数のケースにまで払える配慮には限度があります。それを敢えてすべきと主張するのであれば、上の「富士山」も含めWikipediaの「曖昧さ回避」でなされている処置の多くについて再検討する必要が出てくると思いますよ。
それと、北見でのしいたけさんの発言を頻繁に引用しているようですが、それ自体が間違いを含んでいると思います。「北見」を「北見市」にリダイレクトすべきでないという結論に至った理由は、今も「北見」がオホーツク海沿岸地方全体を指す際にも用いられており、議論に参加した多くの人が北見を北見市にリダイレクトさせた場合の利便性よりその事実を重視しただけのことです。もし仮にオホーツク海沿岸地方全体を指す意味での「北見」という言葉が存在しながら実際にはほとんど使われないという状況であれば、結論が変わっていた可能性は十分あると思いますよ。そもそも地名なんてものは、変わったり、位置がずれたり、対象範囲が広がったり狭まったりするものなので、地名に纏わる曖昧さ回避の問題については「必然」的にひとつの結論など出てくるような類のものではないと思います。--Lincun 2009年1月12日 (月) 12:48 (UTC)
Lincun さんのご質問の意図をつかみかねていたのですが、おっしゃりたいのはこういうことでしょうか。
  • 例えば、千葉県の富士山を調べようとして「富士山」と入力し、富士山が表示されたら、「この記事が、千葉県の富士山の記事なのだな」と誤解する可能性はゼロではない。ならば、富士山も平等な曖昧さ回避にすべきではないのか。
  • 代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避の場合の場合は、こうした誤解の危険をとりあげないのに、代表的なトピックを中心とするリダイレクトの場合だけ、誤解の危険をとりあげるのは、矛盾しているのではないか。
私のお答えは次の通りです。
代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避の場合
千葉県の富士山を調べようとして「富士山」と入力し、富士山が表示されたら、「この記事が、千葉県の富士山の記事なのだな」と誤解する可能性はゼロではないと思います(日本人なら常識でしょうが、日本地理に詳しくない外国在住の日本語話者もいます)。
この問題を回避するには、富士山の記事に「各地の富士山」といった節を設けて、「富士山」が千葉県など各地にも存在することを説明する必要があります。
もっとも、私が指摘するまでもなく処置済みです。既に富士山#各地に存在する郷土富士の節があります。
代表的なトピックを中心とするリダイレクトの場合
タイムワーナーのTBSを調べようとして「TBS」と入力し、東京放送が表示されたら、「この記事が、タイムワーナーのTBSの記事なのだな」と誤解する可能性はゼロではないと思います(むしろ誤解する可能性は高いと思います)。
この問題を回避する方法として、まず、東京放送の記事に「各国のTBS」といった節を設けて、「TBS」がタイムワーナーなど各国にも存在することを説明する、という方法があります。
ところが、この「各国のTBS」の節は、「TBS」という語についての説明であって、「東京放送」という語とは無関係です。ですので分割してTBSに記載する方が望ましいです。これはTBSを曖昧さ回避にするのと同じことです。
水滸伝を読むような方であれば中国の都市名が時代によって変化していることぐらいは当然に知っていると思います。
残念ながらそうではないようです。実際、中国蝗災史のような相当のレベルの記事でも、間違えて南京にリンクされています。南宋でも記事作成以来私が修正するまで何と5年間、どなたも間違いに気づきませんでした。
そうでなくても「南京市」の記事を読めば、水滸伝のそれとは別物だということは判るものではないでしょうか。
「高宗は1127年に南京で即位した」という文章は、(A)「現在は何と呼ばれているか知らないが1127年には「南京」と呼ばれていた都市で即位した」とも、(B)「1127年には何と呼ばれていたか知らないが現在は「南京」と呼ばれている都市で即位した」とも解釈できます(「義経は京都を脱出した」という文章を誰も間違いだとは言わないでしょう)。南京をクリックしたら南京市に転送されたなら、Bが正しかったのかという解釈になると思います。--KOSUGHI 2009年1月13日 (火) 14:56 (UTC)
富士山の曖昧さ回避の問題について、「富士山#各地に存在する郷土富士」という節を設けることで解決可能であるのであれば、南京についてもその本文中で「名称にまつわる問題」として過去に同名の都市が存在したことについて触れておけば済む話ではないですか。
>「高宗は1127年に南京で即位した」
これはKOSUGHIさんが修正する直前まで「南宋」にあった一文だと思いますが、そもそもこの文章に欠陥があると思います。本来であればKOSUGHIさんが手を加えたように、リンク先を確認しなくてもそこで言及されている「南京」が今の南京とは別のものであることが理解できるような記述が必要だったわけです。
>南宋でも記事作成以来私が修正するまで何と5年間、どなたも間違いに気づきませんでした。
その理由を、誰も南京という地名の事情について知らなかったからとするのは短絡的すぎませんか。複数の「南京」の存在を知っていたとしても、それに関連する文章中のミスを発見することは必ずしも容易なことではないし、リンク先の問題となればなおさらです。--Lincun 2009年1月14日 (水) 12:29 (UTC)
南京についてもその本文中で「名称にまつわる問題」として過去に同名の都市が存在したことについて触れておけば済む話では
それがまさしく私の示している「KOSUGHI案2」です。しかし、「南京市以外の南京」の話は、「南京」に関する説明であって「南京市」の説明ではありませんから、分割して南京に記載する方が適切です。それでも「南京」の場合はまだ関連性がありますからそのような記述を加えることも許容範囲と言えますが、東京放送における「東京放送以外のTBS」の節など全く関係のない話です。
どうしてもTBS東京放送のリダイレクトにしなければならない理由は、「東京放送のことを調べたくてTBSで検索した読者のクリック回数を減らせるから」ということでした。それと引き換えにこの読者は、関係ないことまで書かれて肥大化した東京放送の記事を読ませられることになります。クリック回数削減を追求したあげくに、記事の質を低下させて読者の利便性を損なうとは矛盾した話です。さらにこの結果、「東京放送」で検索した、あるいは[[東京放送]]という内部リンクでたどり着いた読者までが被害者となります。
そもそもこの文章に欠陥があると思います
ウィキペディア内の文章であれば修正可能ですが外部の文章ではそれも不可能でしょう。
誰も南京という地名の事情について知らなかったからとするのは短絡的すぎませんか
この例は「水滸伝を読むような方であれば中国の都市名が時代によって変化していることぐらいは当然に知っている」に対する反証としてお示ししたものです。もちろん中には、知ってはいたが記事の間違いには気づかなかった人もいるかもしれませんが、5年間にわたって編集した全員が「知ってはいたが気づかなかった」というのは無理があるでしょう。--KOSUGHI 2009年1月17日 (土) 04:32 (UTC)
「代表的なトピックとそうでないトピックとが明確な場合」の規定はWikipedia:曖昧さ回避にあります。お聞きしたいのですが、「誤解する可能性はゼロではない」ならば平等にするということは、例えば5万人の内に1人でも誤解が発生するのなら平等にしなければならないのでしょうか。49999人の通り道と1人の通り道を同じ太さにしなければならないのでしょうか。現在世界地図に「南京」は一箇所しかありません。さらに、誤解が生じかねないようなリンクは南宋ただ一箇所だけで、すでに修正されました。にもかかわらず83もの内部リンクを二重にしようとすることに、何の意味があるのでしょう。--Clarin 2009年1月17日 (土) 05:18 (UTC)
私としては、やはり「まず一般的な指針を定めて、その後に個別議論を行う」としたいと思います。急がば回れ、で結局はそれが早いように思いますので。私が仕切るというか、問題提起なら行ってもよいです。ノート:TBS (曖昧さ回避)#「リダイレクトと曖昧さ回避」問題でも話しているように、Wikipedia‐ノート:リダイレクトWikipedia‐ノート:曖昧さ回避あたりですかね。
ただ場合によっては数か月レベルで時間がかかるかもしれませんので、LincunさんやClarinさんが「南京」について急いで決着した方がよいとお考えでしたら、「多数決」を行って頂いても構いません。上の太線枠内にこれまでの議論はまとまっていますが、私の案をさらに修正してご本人の案としていただいても構いません。多数決を行う場合の投票には参加させていただきます。ただ、仮に「一般的な指針」が上手くまとまれば、それに基づいて再度議論をお願いする(再度改名提案する)可能性はありますので、その点はご承知おきください。--Penn Station 2009年1月12日 (月) 14:18 (UTC)
「まず一般的な指針を定めて、その後に個別議論を行う」に賛成です。上でされている「誤解する可能性はゼロではない」というファクターによって曖昧さ回避の優先順位を決定せよという議論は、現行の公式な方針であるWikipedia:曖昧さ回避にしたがい議論をするのではなく、新たな基準に基づいて行うべき、しかもそれが南京だけの話ではなく南京以外の項目も例に挙げられているのですから、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避に場を移すべきです。逆に多数決の提案はもともと「議論に意味がない」という指摘によるものであり議論が用意される以上は必要とされない筈なので反対です。--Clarin 2009年1月14日 (水) 14:20 (UTC)
KOSUGHIさんが、歴史的な「南京」の重要度が決して低くないから平等な扱いを求めていると思っていたので、多数決による早急な解決をすべきと申し上げましたが、そうではなく「誤解」云々の話をされているようですので、これはWikipedia:曖昧さ回避で議論すべき問題であり、「南京」で扱うべき問題ではないと思います。現状ではKOSUGHIさんに新しい主張はなく、同じようなことを繰り返し述べているだけであり、Wikipedia:曖昧さ回避の方針に従い、早々に多数決で処理すべき問題だと思います。
それと、枠内の「KOSUGHI案」の箇所が頻繁に変更されているようですが、これはやめていただきたいと思います。過去の発言を勝手に変更されますとそれに基づいた発言に矛盾を生じされることになります。まあ、私について言えば「KOSUGHI案」というのは簡単に変更できてしまうような代物なんだなという印象を持ちましたが。--Lincun 2009年1月17日 (土) 07:17 (UTC)
いまノート:TBS (曖昧さ回避)#「リダイレクトと曖昧さ回避」問題に書き込んできたところですが、「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避とリダイレクト」問題の議論場所をWikipedia‐ノート:曖昧さ回避で提案しました。リダイレクトは絡んではいるものの、「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」のバリエーションだという認識です。そこでは地名に限らず、「代表的」と考えられるトピックその他トピックと誤解される可能性がある場合の処置、が論点になると思います。とりあえず、お知らせまで。--Penn Station 2009年1月17日 (土) 11:17 (UTC)
枠内のKOSUGHI案については、Penn Stationさんが「コメント依頼までに本人で直接修正をお願いします」とおっしゃっているので、言われた通りにしているまでです。
私の意見が、「同じようなことを繰り返し述べている」と非難されたと思ったら、同じ文章で「簡単に変更できてしまうような代物」と非難されてしまいました。さてどっちなんでしょうか。困りましたね。
早々に多数決での処理に進むのは特に反対しませんが、期限を区切っての事前予告と、Wikipedia:コメント依頼などでの告知のほうはよろしくお願いします。--KOSUGHI 2009年1月19日 (月) 23:24 (UTC)
>枠内のKOSUGHI案については、Penn Stationさんが「コメント依頼までに本人で直接修正をお願いします」とおっしゃっているので、言われた通りにしているまでです。
直接修正をする場合でも、後から手を入れたことがわかるように処理してください。多少の書き損じの修正については黙認しますが、あなたの場合は後から思いついたことや後になって発見した都合のいい事例を次から次に書き足してますよね。
>私の意見が、「同じようなことを繰り返し述べている」と非難されたと思ったら、同じ文章で「簡単に変更できてしまうような代物」と非難されてしまいました。さてどっちなんでしょうか。困りましたね。
両方とも事実ですからね。みんな困ってるんじゃないですか。
ところで、今回のあなたの主張については「南京」ではなく「Wikipedia:曖昧さ回避」で議論されるべきという指摘が多数なされているにも関わらず、未だ「Wikipedia:曖昧さ回避」においてアクションを起こしておられないようですが、どうしてでしょう。--Lincun 2009年1月20日 (火) 12:12 (UTC)
あ、それはノート:TBS (曖昧さ回避)#「リダイレクトと曖昧さ回避」問題で私がWikipedia‐ノート:曖昧さ回避のサブページで問題を提起する、と言いつつ、まだ提起できていないためです。早くせねばとは思ってはいるのですが…。すいません、もうちょっとお待ち頂いてよろしいですか?今週末までには、と思っています。--Penn Station 2009年1月20日 (火) 13:12 (UTC)
コメント依頼後の修正であれば見え消しが妥当と思います。「同じ意見を繰り返しつつ、意見が変わっている」とはちょっと想像しがたい状況ですね。Lincunさんにはノート:北見の事例をご紹介いただきましたので大変感謝しております。--KOSUGHI 2009年1月24日 (土) 03:43 (UTC)
相変わらず枠の中をいじくり続けているんですね。度し難いですな。
>「同じ意見を繰り返しつつ、意見が変わっている」
私はどこでそんな発言をしたんでしょうか?
>Lincunさんにはノート:北見の事例をご紹介いただきましたので大変感謝しております。
嬉々として頻りに引用しているものは生憎、間違いです。
しかしいつまで南京のノートで燻っているのでしょうか。あなたがやりたいようにやるにはまず「Wikipedia:曖昧さ回避」で定めるルールを変更しなければどうにもなりませんから、早々にそちらでご自身の手で問題提起されるのが然るべきやり様だと思いますよ。--Lincun 2009年1月24日 (土) 13:07 (UTC)

さて、Penn Stationさんより「まず一般的な指針を定めて、その後に個別議論を行うべき」というご提案がなされましたが、その後具体的な動きはありません。このままでは合意形成の見込みもありませんので、まずはコメント依頼で広く第三者のご意見を伺おうと思います。コメント依頼でも解決の見込みがなければ、投票による決定も必要になるかと思います。

一週間後をめどに、上記の太線枠内を第三者の方々にお示しし、コメントをお願いしたいと思います。なお、KOSUGHIの行為は問題だなどとおっしゃる方がおられましたら、こうした点についても第三者の方々のコメントをお願いするのは自由かと思いますので、どうぞ、上記の太線枠内に書きたいだけのことをお書きいただければと思います。--KOSUGHI 2009年2月1日 (日) 02:15 (UTC)

Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避での提案は、新しい規則を規定しようとする者がすべきなのであり、そのような動きに賛成していない Penn Station 氏の提案を待っていて何もしないというのはおかしな話です。--Clarin 2009年2月1日 (日) 02:36 (UTC)
なかなか行動に踏み出せず関係者の方々には申し訳ありません。実はあれこれ考えてはいるのですが、「早くせねば」とは思いつつ、気力・体力的に足踏みしてしまっています。一般的な指針ということでいろいろ考え過ぎているのがいけないのかもしれません…(私はどちらかというとガイドライン文書改訂に主眼を置いています)。ここで停滞していても申し訳ありませんので、行動力のあるKOSUGHIさんの方から提案して頂いても構いません。よろしくお願いします。--Penn Station 2009年2月1日 (日) 04:15 (UTC)

コメント KOSUGHI案1でも、Penn Station案1でも、らりた氏などが心配していた混同はさけることができると思うのでどちらでもいいと思う。「TBS→東京放送」の例では「TBS」の使用が22000項目と極端に多く、東京放送以外での使用例が50項目にも満たないのでリダイレクトになってないと利便性を損なってしまうが、「南京」は2540項目ほどなのでリダイレクトになっていなくても、なんとかなるかもしれない。個人的にはそろそろ不便かもと思う。「代表的トピック…」は基準が曖昧だし、基準を設けることもできないだろう。基本的には「山手線方式」だった冒頭部分をすっきり別ページに分割するためのルールだと思うので、TBSや南京のような場合は、ノートで異論がでたら最終的には投票ででもで決めるしかないと思う。(LANなんかも同じなんだけど、これは1400項目程度でしか使われていないが異論はでてない。たぶん別の用例が航空会社の1例しかないためかもしれない。)--Afaz 2009年2月1日 (日) 04:43 (UTC)

強行編集について

南京北京が記事化されたこと自体が、誰の同意も得ず、Wikipedia:ウィキプロジェクト 中国Wikipedia:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分に何らの報告もされませんでしたが、こうして議論している間も KOSUGHI 氏による、この議論の論点に関わる編集が続いています。南京 (曖昧さ回避)が曖昧さ回避であるのはおかしい、と言われているにも関わらず、北京 (曖昧さ回避)からは{{aimai}}が外され、南京 (曖昧さ回避)と全く同じ状態にさせられています(その記述は、複都制に書かれるべきことの二番煎じでしかない)。また洛陽では洛陽と、中国の洛陽にちなんだ雅称である京都が平等な曖昧さ回避項目にされています(それが正当なら長安も平等な曖昧さ回避にしなければならない)。議論で反対意見が出されているにも関わらずその最中に他所で同じことを繰り返すという行為は、他者との対話そのものをないがしろにする行為ではないでしょうか。--Clarin 2009年1月8日 (木) 08:26 (UTC)

同様の困難ないし困惑を、ノート:東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画についてでの議論にもかかわらず東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について (運輸政策審議会答申第7号)が新設され、かつ、もって平等な曖昧さ回避の即時実現を根拠とした記事改名の主張がなされる事に、「感じて」いる者としては共感を禁じ得ませんが、しかし、その点に関しての問題提起は、南京 (曖昧さ回避)に関する議論とは独立に (必要があれば) Wikipedia:コメント依頼などを利用して別途なされるべきものではないかと思います。このノートでのその問題提起は、議論の収束をむしろ難しくするのではないかと危惧します。--Jms 2009年1月8日 (木) 10:31 (UTC)
コメント依頼?大歓迎です。どうぞよろしくお願いします。--KOSUGHI 2009年1月8日 (木) 13:04 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼/KOSUGHIを提出しました。--Clarin 2009年1月12日 (月) 09:41 (UTC)

コメント依頼

さて、予告いたしておりますとおり、合意形成のためのコメント依頼を依頼します。--KOSUGHI 2009年2月28日 (土) 03:33 (UTC)

これまでの経緯

初めてご覧になる方々のために、これまでの経緯を説明します。

4つの案の中でどれを採用するか、合意形成の見込みがありません。合意形成に向けて、多くの方々からのコメントを頂戴したいと思います。

4つの案

  • KOSUGHI案1
趣旨:
1. 地理分野では慣例
「○○市」の記事があるとき、「○○」は曖昧さ回避化するか記事化するのが地理分野では慣例。99%の人が横須賀市を想起するであろう横須賀は曖昧さ回避となっており、99%の人が神戸市を想起するであろう神戸は記事化されている。なぜ南京だけ特別扱いしてリダイレクト化せねばならないのか。
2. リダイレクト化で実害が生じる
宋代の「南京」と現代の南京市とは違う都市であるが(南京 (曖昧さ回避)参照)、この事実は紛らわしく、わかりにくい。現に、これだけ延々議論してもなお、1126年中国蝗災史の記事で「南京」をクリックしたら南京市に自動転送される現在の状態が不適切であると理解していない執筆者が存在する。仕方ないことである。
このような執筆者によって今後も作られるであろう[[南京]]というリンクをクリックしたり、水滸伝の南京を調べようとして「南京」で検索した読者が、もし南京市に自動転送されたら、「これが、自分が探している南京の記事なのだな」と誤解する危険性は大きい。このような致命的誤解を避けるためには、南京はリダイレクト化すべきでない。
南京南京市のリダイレクト化で得られるメリットは「南京市を調べようとして「南京」で検索した読者のクリック回数が1回減る」という程度のことに過ぎない。致命的誤解の危険を冒してまで追求すべきメリットではない。
今回と良く似た状況での議論は過去にノート:北見でも行われた。このときも、
  • 「A」という用語を、どうしても「B」にリダイレクトする必要性、必然性があるのかという問題。数の問題ではない。
  • 重大な誤解を生じてしまう可能性がある方法をとるよりは、ワンクッションを置いて、利用者各自が必要な情報へアクセスできるようにするのが肝要。
という意見が多くの賛同を得て、北見北見市というリダイレクトは否定されている。
3. 方針上の既定がない
「「A」という用語から「B」も「C」も想起される状況で、「B」が想起される可能性が最も高ければ、ページAはページBへのリダイレクトとする」という方法は、そもそもウィキペディアにおいて公式に採用された方法ではなく、Wikipedia:曖昧さ回避にもWikipedia:リダイレクトにも一切既定されていない。慣例としてあって悪いわけではないが、実害が生じる場合にまで強制適用されるべきものではない。
  1. 「南京」:曖昧さ回避ページとする。
  2. 「南京 (曖昧さ回避) 」:「南京」へ移動して曖昧さ回避ページとしても良いし、「南京 (歴史的地名)」などへ移動しても良い。別途検討。
  3. 「南京市」:{{Redirect}}や{{Otheruses}}は載せず、南京市に関する説明だけを記述。南京市の語源が「南京」であることは本文中で説明。
  • KOSUGHI案2
趣旨:どうしても南京南京市というリダイレクトとしたくて、かつ、歴史上の南京と南京市とが誤解される危険を減らしたいのであれば、南京市の記事の冒頭部分に「南京市以外の南京」といった節を設けて、「南京は歴史上、南京市以外にも存在した」旨を説明すべきである。
ただし、この「南京市以外の南京」の節は、「南京」に関する説明であって「南京市」に関する説明ではないのだし、「南京市」について調べたい読者にとっては余計な情報なのだから、分割して南京に記載する方が適切である。これはKOSUGHI案1と同じことである。
もしこの方法が肯定されるのであれば、北見北見市横須賀横須賀市神戸神戸市などのリダイレクト化も肯定されるだろう。
  1. 「南京」:「南京市」へのリダイレクトとする。
  2. 「南京 (曖昧さ回避) 」:現状維持でも良いし、「南京 (歴史的地名)」などへ移動しても良い。別途検討。
  3. 「南京市」:通常の{{Redirect}}を表示(南京 (映画)などもあるため)。かつ、「南京市以外の南京」という節を設けて、「南京は歴史上、南京市以外にも存在した」旨を説明し、誤解の危険を減らす。
  • Penn Station案1
趣旨:「南京市」が「南京」で参照される記事の代表的トピックと判断(Wikipedia:曖昧さ回避参照)。大多数の利用者の利便性(「南京」を参照(検索 or 内部リンク) → 直接「南京市」の記事を表示)を優先しつつ、誤解(南京市以外の南京の情報を参照すべき利用者が誤って南京市の記事を参照してしまうリスク)を少なくするため現状の{{Redirect}}を修正。「南京市」を参照すべき利用者が「南京市」を参照した際にも他の歴史上存在した南京の存在に気づく副次的な学習効果もある。
  1. 「南京」:「南京市」へのリダイレクトとする。
  2. 「南京 (曖昧さ回避) 」:純粋に曖昧さ回避のページとし、歴史的地名については「南京 (歴史的地名)」へ分割する。
  3. 「南京市」:南京市に関する説明を記述。現状の{{Redirect}}を以下のように修正(文面は修正可)。
  • Penn Station案2
趣旨:南京市以外の南京の情報を参照すべき利用者が誤って南京市の記事を参照してしまう誤解が生じる可能性をさらに低減する。
「Penn Station案1」の"3"の{{Redirect}}の説明を以下のように詳細化。("1"と"2"は同じ)(文面は修正可)

依頼の内容

KOSUGHI案1」「KOSUGHI案2」「Penn Station案1」「Penn Station案2」の4つの案のいずれかへの賛否表明をお願いします。あるいは、他の新しい案をご提案いただいても、もちろんかまいません。

また、一部の方が利用者:KOSUGHIの「強行編集」は問題行為だと主張されており、Wikipedia:コメント依頼/KOSUGHIといったものも提出されています。ついでのお願いですがこちらへのご協力もお願いします。

コメントは以下の欄にお願いします。

コメント

  • 条件つきで「Penn Station案1」を支持します。理由は以下の通りです。4 案の 1, 2, 3 項について、3 項は 1 に従であり、さらに 1 は 2 に従な部分がありますから、整理して、段階的にコメント依頼すべきであったと思います。「KOSUGHI案1」の趣旨2 からすれば、まず検討すべきは「南京 (曖昧さ回避)」を曖昧さ回避ページのままとするか、不適切なリンクが避けられる様に内容に即して分割や改名を行うか、です。南京市と歴史的なその他の南京の混同が問題であるなら、曖昧さ回避ページのままとするのは問題の先送りでしかありませんから、「Penn Station案1」をとるべきでしょう。この点について「KOSUGHI案」はどちらでも良い、別途検討としているので、残るはリダイレクトとすべきかどうか (リダイレクトでないならば、内容的には現状の「南京 (曖昧さ回避)」から歴史的地名を除いた残り) です。「KOSUGHI案1」の趣旨では神戸や北見と対比されていますが、これらは地域と行政単位の違いであるのに対し、歴史的南京と南京市はそもそも空間的に異なる領域ですから、対比としては不適切ですし、そこで行われた議論がそのままあてはまるわけでもありません。リダイレクトによる誤解云々というのは、最低限の説明を伴ったリンクがあるならば考慮する必要はないと思います。結局はリダイレクトに「しなければならない」か「したほうがよい」か、という議論になりますが、それについては、日本語文献での地名としての「南京」の用例調査をして、「南京市」相当の意味で使われている場合とそれ以外の (南京市に対応する地域を除く) 歴史的南京の意味で使われている場合のどちらがどれほど多いか、という定量的検討をすべきでしょう。「南京市」相当の意味での用例が 1/3 未満ならばリダイレクトは不適切でしょうし、2/3 を越えるなら、リダイレクトを排除することもないと思います (1/3、2/3 という基準は[ノート:サーバ/過去ログ1#外来語長音符号表記参考資料]での調査によります)。この中間であった場合にはノートで議論することになりましょうが、議論している間は現状維持でしょう。こうした調査により現状のリダイレクトは不適切であると判断すべき根拠が示されるまで、という条件で、「Penn Station案1」を支持します。「Penn Station案2」をとらないのは、説明過剰であると思われるためです。--Jms 2009年2月28日 (土) 19:35 (UTC)
良い試みであるならルールは無視してもらって構わないのだが、ルールを抜きにしても、「読者に正しい情報を提供する」という目標と、「クリック回数を減らす」という目標とが対立するのであれば、前者を優先すべきことは明らかであり、後者はどちらかといえばどうでも良い。「読者に正しい情報を提供する」という点から考えると「重大な誤解が生じるおそれがある方法をとるよりは、ワンクッションを置いて、読者が必要な情報へアクセスできるようにする」というKOSUGHI案1が、今回のケースでは最もわかりやすく、最善の案であると評価。重大な誤解が生じるおそれがないケースであれば、他の案でも良いだろう。
Wikipedia:リダイレクトの規定と矛盾するTemplate:redirectというテンプレートは、いつの間にか作られ、使用が広がっているが、この種の案内標識のようなテンプレートを冒頭部分にぺたぺた貼り付けた記事は、見苦しく、わかりづらい。「ニュース」の冒頭部分など悲惨なことになっている。この種のテンプレートの使用は抑制してもらいたい。
また、Template:redirectは、音声読み上げブラウザを使う視覚障害者の方々に対して混乱を与えるという大きな問題がある。というのも、このテンプレートを使うと「ほげほげはこの項目へ転送されています」と表示されるわけだが、「この項目」とはいったい何の意味であるのかが、記事本文が読み上げられるまでわからないためである。この問題はテンプレートの表示を工夫することで改善される余地はあるが、最善の解決策はテンプレート使用の抑制である。--Cave cattum 2009年3月4日 (水) 05:02 (UTC)
今回の問題の論点は、曖昧さ回避の項目を南京とするか南京 (曖昧さ回避)とするかということであると認識しています。つまりWikipedia:曖昧さ回避における「平等な曖昧さ回避」と「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」のいずれを採用するかということであろうと思います。その一方である「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」における、「リダイレクトすること」や「Template:redirectを使うこと」という一部のパーツが抜き出されて批判されていると認識しているのですが、Wikipedia:曖昧さ回避においては、まず代表的項目を先に提示する方法も、最初から平等に提示する方法も、ともに読者に読みたい項目へ誘導するための曖昧さ回避の手段の違いでしかないということに留意していただきたいと思います。「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」は、公式な方針に記載されている曖昧さ回避の方法の一つなのですから、それがWikipedia:リダイレクト#曖昧さ回避ページを阻害しないにおける「曖昧さ回避のページが作られているのに、それを邪魔するようなリダイレクト」にあたるとは考えられません。一方、「リダイレクトする=誤解を招く」という一部の主張は、Wikipedia:曖昧さ回避における「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を真っ向から否定しかねないものです。ですからそのような主張については、南京のような一記事のノートよりも、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避にて議論されるべきと考えます。--Clarin 2009年3月4日 (水) 12:21 (UTC)
仮に曖昧さ回避の方式を南京とするか南京 (曖昧さ回避)とするかの問題であったとしても、Wikipedia:曖昧さ回避は、曖昧さ回避の方式は誘導の容易性なども考慮して総合的に判断すべきと規定している。「誤解を招く危険性」とはまさに誘導の容易性の別表現であり、誘導の容易性も考慮に入れて曖昧さ回避の方式を判断するという考え方は、Wikipedia:曖昧さ回避の規定を「真っ向から否定」するどころか、Wikipedia:曖昧さ回避の規定に完璧に適合している。無論、誘導の容易性でのみ判断するのも間違いであり、リンク数も判断要素であるが。
ましてや今回のケースはWikipedia:曖昧さ回避が適用されるケースですらない。Wikipedia:曖昧さ回避のいったいどこに「Redirectを使う方法」などというものが書いてあるのか。方針文書を熟読されたい。
現段階で有効な規定はWikipedia:リダイレクトの規定のみであり、そこには明確に曖昧さ回避ページをリダイレクトとすることは非推奨と書いてある。貴殿の主張こそ、Wikipedia:リダイレクトの規定やノート:北見ノート:神戸ノート:浜松などでの先行議論を、「否定しかねない」どころか全面否定するものではないのか。
とはいえ既存のルールを全面否定することは何ら悪いことではなく、ルールが不合理であるなら改定することがウィキペディアに貢献する。Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避で、「Redirectを使う方法」の創設を提案されてはどうか。ただし既述の通り、私はTemplate:redirectには重大な欠陥があると考えているため、「Redirectを使う方法」には賛成できない。他の方法が提案されれば賛成しても良いのだが。--Cave cattum 2009年3月9日 (月) 10:31 (UTC)
Template:Redirectがそんなに問題なのであれば、Template:Otherusesを使用しても個人的には構いません。ただし、Template:Redirectに対する問題提起はそちらで告知すべきではないでしょうか。--Clarin 2009年3月9日 (月) 14:58 (UTC)
  • コメント 以前コメントしたとおり「Penn Station案1」、「KOSUGHI案1」のどちらでもいいと思う。「読者に正しい情報を提供する」という目的はどちらもクリアされている。どちらかといえば「Penn Station案1」より。Jmsさんの「神戸や北見と対比されていますが、これらは地域と行政単位の違いであるのに対し、歴史的南京と南京市はそもそも空間的に異なる領域ですから、対比としては不適切」との指摘は正しいと思う。--Afaz 2009年3月5日 (木) 14:16 (UTC)
  • (Penn Station案1 支持)
まだやってたんですね。
「KOSUGHI案1」の2で挙げられている、「中国蝗災史」についてですが、現状ではこうなっています。
//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%9D%97%E7%81%BD%E5%8F%B2&oldid=23623735#元朝

1262年を始めに、しばしば蝗害が報告されている。特に1270年の被害は大きく、南京、河南諸路が襲われている(『元史』<ref name=gen>www.hoolulu.com 元史 [http://www.hoolulu.com/zh/25shi/23yuanshi/t-050.htm 五行志一]</ref>)。

また、1333年には長雨による黄河の氾濫、蝗害、旱魃と言った天変地異が頻発し、そのためにクマネズミが欧州へ移動したとする説がある<ref>岡田晴恵『感染症は世界史を動かす』、2006年、ちくま新書、ISBN 978-4480062864</ref>。 また、『大元聖政国朝典章』には蝗害予防の方法が記されており、村(当時は社と記した)単位での管理や予防が共同体約定と言う形式で事実上義務化されていたことがわかる。

「誤解」を生じるそもそもの原因はこの文章そのものであると思います。まず、読者がリンク先を確認するまでもなく、ここで言う「南京」が現代のそれとは異なることが素の文章上を読んだだけで理解できるように注釈を付ける等の工夫をすべきであるし、「南京」のリンク先も元代のそれ(ページが未作成であれば、現代相当する地名)に設定されるべきであると思います。
「誤解」について大いに張り切られているKOSUGHI氏が、一方でこのように本当の意味で誤解の原因となっている欠陥箇所をいつまでも放置しておくことに非常に疑問を感じています。--Lincun 2009年3月9日 (月) 12:36 (UTC)
私自身は「KOSUGHI案1」に一票入れておきます。今回、KOSUGHI氏の行動に問題があったと思いますが、以前よりのClarin氏の行動は更にそれを上回る。ですが、その「行動」はこの際問題には関係ないとしましょう。でないと問題が解決しません。
Lincun氏の言葉については、「南京を南京市へのリダイレクトであることを解除することで個々の文章を修正するまでもなく誤解を解消できる」ということを述べておきます。らりた 2009年3月9日 (月) 12:48 (UTC)
らりたさんは、リンクを踏まなければ誤解を生じる文章が変だとは思わないんですね。--Lincun 2009年3月9日 (月) 13:18 (UTC)
誤解に対して弁明しておきます。最初からリンク元で誤解を生まない文章を作るのが望ましいでしょうが、それを全ての執筆者に求めるのは無理です。しかし「南京」の記事で各時代の南京の説明が為されていれば、そういう誤解を生む文章とリンクが作られたとしてもその誤解が解消されるということです。らりた 2009年3月9日 (月) 13:46 (UTC)
Wikipediaの文章は後から容易に修正ができるんですよ。問題点に気づいた人が修正すればいいんです。「中国蝗災史」にしても、あれは明らかに問題のある文章であり、それに気づいた人がすぐに修正すればいいのに、どうしていつまでも放置されているのでしょう。「南京」の問題について自分の言い分を補強するための材料を温存しておくためという見方も出来てしまうんですよね。--Lincun 2009年3月9日 (月) 14:12 (UTC)
欠陥箇所を修正する責任は欠陥箇所を作り出した張本人であるClarin氏にあります。気づいた人が修正しろというのであればLincunさんが自分でさっさと修正すれば済む話です。なんでよりによって私がClarin氏の破壊行為の後始末を押し付けられるのでしょうか。非常に疑問を感じますが、私にお任せいただけるのでしたら無断移動された南京 (曖昧さ回避)南京へ差し戻すことで瞬く間に欠陥状態を解消いたします。ありがとうございました。--KOSUGHI 2009年3月10日 (火) 13:23 (UTC)
中国蝗災史の該当部分を修正しました。KOSUGHI 氏は修正を拒否し、誤解を生じかねない状況を放置しました。そしてただ、誤解を生じかねないというアナウンスと、読者には関係のない責任論をひたすら繰り返しました。--Clarin 2009年3月11日 (水) 14:05 (UTC)
どうも私の言ったことは図星だったようですね。しかし、Clarinさんのお陰で読者に誤解を与える可能性も幾分減少し、一方南京のページ名を改める理由も一つ減ったわけです。まあせいぜい、「中国蝗災史」に代わる新しい口実を見つけてきてください。--Lincun 2009年3月12日 (木) 12:05 (UTC)
らりた氏はかつて99%の人は南京という言葉で南京市を調べるだろうからリダイレクトで問題ないと言っていましたが、急にKOSUGHI氏を支持されたのは、もしかしてわたしの素行に問題があったからですか? わたしとて聞く耳は持っていますから、何か改善の必要があるのなら直接わたしに言ってください。--Clarin 2009年3月9日 (月) 14:58 (UTC)
  • (Penn Station案1支持)まず初めに、私がくずくずしている間に議論を推進していただいたKOSUGHIさんに感謝申し上げます。私としては当然ながら、自分の案、特に案1を支持している旨、改めて表明させていただきます。さて、Cave cattumさんはWikipedia:リダイレクト#曖昧さ回避ページを阻害しないを挙げていらっしゃいますが、{{redirect}}を使って曖昧さ回避のページへ適切に誘導しているので、「曖昧さ回避のページを邪魔している」ことにはならないと考えます。「Wikipedia:曖昧さ回避にRedirectを使う方法が書いていない」というご指摘も、当該ガイドラインの趣旨を考えれば、書いていないからすべきではない、という考えはすべきではないと思います。換言すれば、曖昧さ回避の誘導を行うために{{redirect}}を使う方法が禁止されている訳ではない、とも言えます。あくまでも「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」のバリエーションであると認識しています。また、他言語版も含めて{{redirect}}は幅広く使われていますが、本提案での使用方法が不適切であるとは思えません。音声読み上げソフトでの問題点も本記事固有の問題ではなく、{{otheruses}}など同様のテンプレート全般にかかわる問題であるため、それは別途議論すべきことと思います。--Penn Station 2009年3月9日 (月) 15:24 (UTC)
{{redirect}}を使って曖昧さ回避のページへ適切に誘導しているので、「曖昧さ回避のページを邪魔している」ことにはならないと考えます
それならば中国から中華人民共和国へ転送してTemplate:redirect中国 (曖昧さ回避)へ誘導しても良いはずだが、こういう方法がまさしく、Wikipedia:リダイレクト#曖昧さ回避ページを阻害しないにおいて好ましくないリダイレクトの実例として否定されている。いったいどこに「リダイレクトにしたければRedirectを使えばよい」などと書いてあるのか。
「Wikipedia:曖昧さ回避にRedirectを使う方法が書いていない」というご指摘も、当該ガイドラインの趣旨を考えれば、書いていないからすべきではない、という考えはすべきではないと思います
そんな理屈が通るなら、利用者が色や形を変えた曖昧さ回避テンプレートをめいめい好き勝手に作ることも、明示的に禁止されていないのだからやって良い、ということになってしまう。絶対に認められない。
素直に、「Template:redirectは現時点では公式方針違反ではあるが、存在を事後承認して、ルールの方を改正すべき」と主張すれば良い。何ら悪いことではない。
音声読み上げソフトでの問題点も本記事固有の問題ではなく、{{otheruses}}など同様のテンプレート全般にかかわる問題であるため、それは別途議論すべきことと思います
私は、Template:redirectはルール違反だが、いくつかの重大な欠陥が改善されれば支持しても良い、と申しあげている。Template:redirectの使用を主張する方々が何の改善策も提示しないのであれば、私が支持することもないだろう。--Cave cattum 2009年3月11日 (水) 08:57 (UTC)
{{redirect}}がルール違反かどうかについては見解を異にします。もし本当にルール違反であるなら、一記事の問題ではなく、Template‐ノート:Redirectあたりでテンプレート廃止を提案すべきではないでしょうか。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいにもあるように、大切なことはルールの精神を尊重することだと思っています。明示的に禁止されていないのだから何でもやって良い、という訳ではありません。Wikipedia:リダイレクト#曖昧さ回避ページを阻害しないの趣旨・精神を考えれば、{{redirect}}で他の記事への誘導を案内することがルール違反であるとは、私には思えません。中国中華人民共和国の例も明らかに単純なリダイレクトの場合を想定していて、{{redirect}}を使う場合も折り込み済みで書かれているとは読めません(但し実際に{{redirect}}を使って「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」とするか、あるいは「平等な曖昧さ回避」とするかはケース・バイ・ケースで、中国の場合は後者が妥当でしょう)。
ただ、同じような議論が繰り返されるのは生産的ではないので、ガイドラインを改訂して{{redirect}}の利用方法について明に記した方が良いとは思っています。実際、個人的に急いではいませんが、その方向で検討しています。--Penn Station 2009年3月11日 (水) 09:56 (UTC)
Template‐ノート:Redirectあたりでテンプレート廃止を提案すべきではないでしょうか
それは順序が逆。Template:Redirectを使いたいと考える人が、まずはWikipedia:曖昧さ回避のルール変更を提案してください。ルールにないものを使うことが必ずしも問題というわけではありませんが、「ルールにない」ことを理由に除去されたら文句は言えません。
Wikipedia:リダイレクト#曖昧さ回避ページを阻害しないの趣旨・精神を考えれば、{{redirect}}で他の記事への誘導を案内することがルール違反であるとは、私には思えません
Wikipedia:リダイレクト#曖昧さ回避ページを阻害しないの趣旨を考えれば、曖昧さ回避ページ優先であることは明白。だってそう書いてあるじゃないの。
{{redirect}}を使って「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」とするか、あるいは「平等な曖昧さ回避」とするかはケース・バイ・ケースで、中国の場合は後者が妥当でしょう
これも不同意。中国の曖昧さ回避対象は中国 (令制国)しか存在しない。中国を代表項目とする曖昧さ回避とすべき。すなわち現状維持。
貴殿のように「南京市南京の曖昧さ回避対象に含まれる」という立場を取るならば、中華人民共和国中国の曖昧さ回避対象に含まれるのだから、中華人民共和国を代表項目とするか、平等な曖昧さ回避とするか、どちらかになりますね。中国を何がしかに改名するのは必須で、跡地は、中華人民共和国へのリダイレクトにするか、中国 (曖昧さ回避)を持ってくるか、どちらかの選択となりますね。
どうぞ早速、中国の改名を提案してください。--Cave cattum 2009年3月12日 (木) 11:24 (UTC)
比較事例として「中国」を持ち出してきたようだけれども、日本語において「中国」という言葉について「中華人民共和国」という限定された対象を指す場合以外の使用の比率と、「南京」という言葉について現在存在する南京以外を指して使用される比率は全然違うでしょう。「曖昧さ回避」の選び方は主観的なものにならざるを得ないと思いますが、さすがに「南京」がそうだから「中国」も同じようにせよという言い分は同意を得にくいんじゃないですか?--Lincun 2009年3月12日 (木) 11:54 (UTC)
中華人民共和国中国の曖昧さ回避対象に含まれるのなら、次のどれかになる。
  1. 中国が代表項目
  2. 平等な曖昧さ回避
  3. 中華人民共和国が代表項目
使用頻度から考えると2か3だろう。2なら中国は移動させて跡地を曖昧さ回避にしなきゃならない。3なら中国は移動させて跡地をリダイレクトにしなきゃならない。どっちみち中国の改名は不可避なので改名提案をどうぞ。何なら私が出しますが。--Cave cattum 2009年3月13日 (金) 11:53 (UTC)
何が言いたいのか今ひとつ理解できなかったのですが、「中国」の改名が不可避とお考えであるならば是非ともそちらのノートでご提案されればいいのではないでしょうか。もちろんその際の言い分として「南京」での一件をご紹介されることについても憚る必要はないと思いますよ。--Lincun 2009年3月13日 (金) 12:26 (UTC)
コメント 「ルールにないから」という理由で削除できるのだとしたら、何だって削除できてしまいますよ。Cave cattumさんのお話は、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい#ルールの精神を尊重するの「ここで犬にフンをさせないでください」の喩え話そのもののようです。例えば徳川家康で過剰な内部リンクを張っている人が問題を指摘した人に対して「ガイドラインを明示しろ」と主張しているようですが、これと裏表ではないでしょうか(本件についてはWikipedia:井戸端/subj/同一記事への過度な多重リンクに対する制限の根拠で議論中)。ルールの字面だけを忠実に追うような姿勢は、Wikipediaの精神とは異なると考えます。
中国についてはすみません、ちょっと勘違いしていました。現状の中国が曖昧さ回避ページ(中国 (曖昧さ回避)の内容)かと思っていましたが、違ってましたね。いずれにせよ、前述のとおり、どの曖昧さ回避の方法を採るかは各記事毎にケース・バイ・ケースで判断すべきで、中国の話をこれ以上ここですべきではないでしょう。指摘しておきたいのは、Wikipedia:リダイレクト#曖昧さ回避ページを阻害しないで挙げられている中国中華人民共和国の例をもって{{redirect}}の使用がルール違反、とするのはちょっと判断に飛躍があるのではないか、ということです。--Penn Station 2009年3月12日 (木) 12:36 (UTC)
「禁止と書いてないから小便させてもいい」の喩え話は、「禁止と書いてないから勝手にテンプレートを作ってもいい」という主張そのものでしょ。
フンで例えるなら、私が言っているのは、「ここで犬にフンをさせないでください」と書いてあるのだから、フンをさせては駄目だ、ということ。一方、子犬のフンなら許されるのだ、それがルールの精神だと主張しているのが貴殿です。しかし、それで本当に問題ないんですか?たとえ子犬でも、フンをされたら困る人がいるかもしれないじゃないですか。子犬のフンならOKだと勝手に判断する前に、ルールの変更を提案することで、困る人がいないか確認してください。その段階を経ない限りは、子犬のフンだろうが駄目だと主張せざるを得ません。--Cave cattum 2009年3月13日 (金) 11:53 (UTC)
「ここで犬にフンをさせないでください。猫もダメです。子犬ならOKです。子猫もOK。空き缶は捨てないでください。煙草のポイ捨てはご遠慮ください。……」ルールはいくらでも複雑になり得ます。しかし「ここで犬にフンをさせないでください」の例で喩えるなら、WP:IARにもあるように、その趣旨は「ここを綺麗に保ってください」と捉えるのが普通でしょう。ビニール袋や新聞紙を持参してきちんとフンの後始末をしているにも関わらず、「フンをさせた」という点だけを見て「ルール違反だ」と憤慨しているようです。もし後始末をした上でなお問題があるのならば、何が問題なのか具体的に指摘すべきではないでしょうか。「とにかくルール違反」と繰り返しているだけでは、まったく建設的ではありません。
前述のとおり、私自身はガイドラインを改訂した方が良いと思っています。但し、あくまでもその趣旨・精神をより明確にして円滑な運用を促進することが目的であって、「やってもよいこと」リストを作ることが目的ではありません。--Penn Station 2009年3月13日 (金) 14:23 (UTC)
ルールはいくらでも複雑になり得ます
「ルールは複雑化させるべきではない」と仰るのであれば、とても良いお考えであり、大賛成。Template:redirectのような、無くても全然困らないものをわざわざ作るから、ルールが複雑化します。ルールを複雑化させないために、テンプレートの廃止を提案されるのであれば、全面的に賛成します。
「とにかくルール違反」と繰り返しているだけでは、まったく建設的ではありません
Template:redirectの問題点について、3月4日以来何回も指摘してるじゃないの。これ以上何をしろと?また、ルールの改正を提案することは建設的な行為と言えますが、ご自身の勝手な思い込みを「これがルールの精神である」と主張することは、まったく建設的ではありません。
ビニール袋や新聞紙を持参してきちんとフンの後始末をしているにも関わらず、「フンをさせた」という点だけを見て「ルール違反だ」と憤慨しているようです
ここは食堂の目の前だから、後始末すりゃいいってもんじゃないんだ。勝手な思い込みで判断せんでくれ。
ご自身の思い込みを「ルールの精神」などと称するのはやめてください。そんなに自分は正しいというのであれば、どうぞ遠慮なくルールの改正を提案してください。--Cave cattum 2009年3月16日 (月) 11:05 (UTC)
そんなにTemplate:Redirectを廃止されたいのであれば、ご自身で提案なさってください。このような一記事のノートで言い合っていても詮無きことでしょう。私は有用だと思っているので、もちろんそのような提案をすることはありません。いずれにせよ、ここは「南京」に関するノートページなので、これ以上この場でこの議論を続けるのは適切ではないでしょう(他人の意見のみを思い込みと決めつけているようでは、いつまでも平行線でしょう)。「南京」については話し合いで合意できる見込みがなさそうなので、私としては、多数の方の支持のある案を採用して頂ければそれで良いと思います。もちろん他の良い案があれば大歓迎です。--Penn Station 2009年3月17日 (火) 03:17 (UTC)
平行線でも何でもなく、Wikipedia:曖昧さ回避を改定すれば済みます。ご自身で持ち出したWikipedia:ルールすべてを無視しなさいにも書いてあるように、そんなに自分は正しいというのであれば、どうぞルールの改定を提案してください。--Cave cattum 2009年3月17日 (火) 10:24 (UTC)
ルール改訂については上で何度も申し上げているので繰り返しません。もし一刻も早く改訂すべきだとお考えなのであれば、Cave cattumさんから提案していただいて構いません。--Penn Station 2009年3月17日 (火) 10:42 (UTC)