ノート:ヌーディズム/ログ5

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「Wikipedia:議論が白熱しても冷静に」には呼び捨て禁止の文章は一切ありませんが、何故にこれを根拠にコメント依頼を濫発しようとするのでしょうか。私を子供扱いしたことに今尚全面謝罪しない人、性欲はヌーディズムに欠かせないと主張するフランス在住の人間を無批判に賞賛する人、私と「議論」でウィキペディアのありようについての意見を戦わせずIPブロック処分で議論を封じ込める独裁志向の管理人などを呼び捨てにしましたが、彼らが謝罪をきちんとするなら「氏」ぐらいはつけてあげてもいいと思っているよ。--おやんず 2006年2月6日 (月) 02:07 (UTC)[返信]
これまでの議論

外部リンクの選択基準[編集]

まずは保護が解除されたところで、次に最優先にすべきは、リンク掲載の基準を如何にするかの合意形成のはずです。合意形成をしないのであれば、皆が合意無しで勝手に書き換える昔の状態に逆戻りになりますから。

これについて何等合意が形成されていないのに、なし崩し的にリンクを掲載する人、削除するひとが横行してますね。突然過去ログに押し込まれて消されそうになりましたが、あくまでも合意形成の議論をお忘れなく。外部リンクについて白紙状態になっている説明文に戻しておきました。「名前を出したから検索エンジンで探せ」などという合意が交わされた事実もありません。--おやんず 2006年2月11日 (土) 00:15 (UTC)[返信]

これは失礼しました。Maris stellaさんのウィキペディアにおける外部リンクの有り様説明:

>・・・内容とは関係なく、ある条件を満たさないものは問答無用で切り捨てということで、そういう基準はウィキペディアには馴染まない、ということを説明させて戴いたのですが。つまり、どういう小さなサイトでも、百科事典が参照するに価値ある情報があれば、リンクする価値があれば、リンクを貼る候補になるということです。更に、「アダルトサイトはOK」などと誰も述べていません。「アダルトサイトは不可、というようなルールはない」と述べただけです。そういうルールを、ローカルにここで造ろうとされているようなので反対だと述べています。別の場所でもまた述べましたが、ウイィキペディアは企業の宣伝をする場所ではなく、同様に、何かの主義・思想・運動の宣伝や推進のための手段の場所でもありません。本文記事をより豊かにすることが本来のありようだとも述べています。--Maris stella 2006年1月31日 (火) 11:42 (UTC)

に有効な反論が無かったように見えたのと、ひで。さんの

>・・・リンクに関しては私やポーさんたちをご信頼いただき、どうかおやんずさんには、本文の編集にお力を注がれるよう、それ以上に、現在係争中のヌーディズム弾圧訴訟にお力を注がれるよう、強く祈るばかりです。--ひで。 2006年2月7日 (火) 12:40 (UTC)

という呼びかけを拒否されなかったので、一応の合意に至ったものと思い込んでおりました。これについてはお詫びします。--miya 2006年2月11日 (土) 01:17 (UTC)[返信]

「Maris stella 2006年1月31日 (火) 11:42 (UTC)」に対しては、その直後の以下の私のコメントに対して私を侮蔑するマリスから議論無視されている状況であって、私としてはしっかり反論をしている途中(コメント待ち)であります。

「小さな組織を載せることを卑下されていますが」の部分が分からないとは、私をおちょくっているのか目が節穴なのか、どちらだい?ご自分で書いた下記の文章を読者がどう受け取るか分からないのだろうか。

ときどき、小さな企業が、宣伝を目的として、サイトへの外部リンクを貼りますが、この場合、所在・連絡先などは確かに存在していると言えます。では、こういうことは許容されるのかというと、許容できません。

「ひで。 2006年2月7日 (火) 12:40 (UTC)」に対しても、密接に関わる「外部リンク」という章のほうで「おやんず 2006年2月6日 (月) 00:28 (UTC)」にどういうコメントをマリスがしてくるのか反応待ちであります。上記双方ともマリスは回答を拒絶して議論を無視したまま、一方的に本文等の改変作業を強行したのであります。その結果、マリス個人の資質に由来する極度に偏った文章が掲載されることになり、編集合戦気味になっております。批判に真正面から応対しないで編集作業でわが道を行くというやりかたは、最終的な外部リンク編集に関して他者の意見のありように身を任せている私と比べて、極めて独善的と写ります。こういう他者からの批判を黙殺するのは議論の礼儀を著しく欠いた失礼な応対であります。まずはマリスから、その他のログ4での疑問提起を含めて、一つ一つ回答をした上で、その次の段階のお話ができると言うものでありましょう。(つまりログ4作成が極めて時期尚早だったということです。)--おやんず 2006年2月11日 (土) 05:50 (UTC)[返信]


主にヌーディストの視点で編集に携わってこられた皆様へ[編集]

Maris stellaさんによる編集、確認いたしました。私がNudité d'Europeさんにずっと申し上げていた「ヌーディズムに批判的な視点」も加味した編集が、ついに一般的な編集者によって実行されたのだという認識です。「加味した」というより、むしろそちら側に立った記述のような気もします。本文の記述など、私が触れたよりさらに強い「反ヌーディズム」になっていますから(もっとも、「公共の場においては公然猥褻」という文脈となっているため、Nudité d'Europeさんが当初指摘されていた「ヌーディズムが違法という表現は正確ではない」という問題はクリアされているようです。)。
これまで、利便性を考え、かつ様々な方の思惑に配慮し、一方でその方々の恣意的な編集を防止しながら、日本語サイトの外部リンクを「残すため」に色々工夫をしてきたのですが、一般的な見方としてはそれでも「偏った内容」だったということでしょう。Nudité d'Europeさんは、ヌーディストの立場から、このMaris stellaさんによる編集をどう思われますか?私は、これが現在の日本におけるヌーディズムに対する一般的な感覚なのだと思っています。
ヌーディストの立場からこれまで編集に関わってこられた、Nudité d'Europeさん、Pohさん、そしておやんずさん。Wikipediaのいう「中立」とはこういうことなのだと思います。この1ヶ月、他所での編集に携わった経験、それに加えここでMaris stellaさんに指摘されたこと、それらを総合して考えると、以前Nudité d'Europeさんが指摘されていたように、ウィキペチケットに基づいてあまりにも情熱を持っている事柄について執筆を避けることも、「現状では」考慮に入れざるを得ないでしょう。編集を自粛されていた、というNudité d'Europeさんの判断は、ある意味で正解だったのかもしれません。
あるいは、おやんずさんなどはもしかしたら「Wikipediaと徹底的に戦う」という考えを持たれるかもしれません。でも、それは戦う相手が違うと思います。Wikipediaの本質が、どんな意見も中立的に扱うが、多数が信じる考えを無視してはならない、というものならば、日本におけるヌーディズムを「現状で」肯定的に記述することのほうが「おかしい」のです。ならば、その「現状」を変えていくほうに、戦うためのエネルギーを傾けるべきではないでしょうか?少なくとも、Wikipediaの管理者たちにそのエネルギーをぶつけることは、エネルギーの無駄遣いのような気がします。
「現状」がヌーディズムを肯定する方向になっていけば、Wikipediaでの記述も、自ずと肯定的なものが中心になるでしょう。そうなった時点で記述内容について激しく議論するべきであり、それまでは批判的な主張の大部分を甘んじて受け入れざるを得ない。少なくとも私は、Wikipediaとはそういう所、と割り切って考えるようになってきています。--ひで。 2006年2月10日 (金) 01:18 (UTC)[返信]

いろいろと興味深いですね。もちろん疑問は多々あるのですが、なるべくあわてずに編集に加わって行きたいと思います。ひでさんが「望ましくない」「不快なもの」を削除されたのは当を得ていると思いますよ。ただPohさんが「わいせつ」の項目にいろいろ書き加えておられるのは、いたずらとして注意する必要があると思いますが。しかしやはり公共の場で行なうことだけがヌーディズムではないですし、屋内や私有地でヌーディズムを楽しんでいる人がいることも書き加える必要があるでしょうね。公共の場で行なうにしても普通はできる限り他人のいない所で行なわれるわけで、もしわざわざ他人のいる所で行なうヌーディストがいるとしたらそれはパフォーマンス的要素が強く、通常の、つまり自分自身がリラックスするために行なうヌーディズムとは別でしょう。--Nudité d'Europe 2006年2月10日 (金) 09:34 (UTC)[返信]
「いたずら」というのはNudité d'Europe氏のPOVにしかすぎません。「わいせつ」の項目で編集の協力者を募っているので編集に協力したまでです。またヌーディズムが誤解されないようにおやんず氏のことも載せています。--Poh 2006年2月10日 (金) 10:05 (UTC)[返信]
Pohさん、Pohさんの編集が「いたずら」かどうかはともかく、「わいせつ」の項目である以上、特定分野に偏りすぎる外部リンクは適切ではないですし、あの場にヌーディズムについて記述するのもどうかと思います。あの項目は「ヌーディズムを装ったわいせつ」を説明しているわけではないのですから。--ひで。 2006年2月10日 (金) 10:18 (UTC)[返信]
わいせつの項目の編集の議論は独立してそのページのノートで行いましょう。ここはここ、あちらはあちら。ヌーディズムを編集する視点で他所の編集を見るから、うがった見方になるのであって、その水掛け論をするのは堂々巡りになって誰にも益なしと思います。--おやんず 2006年2月11日 (土) 00:26 (UTC)[返信]
あらためて段をあわせて「ひで。」さんのコメントに対してコメントしますが、「朱に交われば赤くなる」という諺が頭をよぎりました。PohさんはPohさんなりのお考えがあって編集作業に加わっています。議論もなしに自分の価値観に合わないからと即時一方的に削除するのは如何なものか。ここの既存権力者の強引さをまねるようになっては、硬直した価値観しか残らなくなります。異端を排除するしか出来ない社会は、異端と烙印された人達を闇社会に送り込んで上澄みだけ綺麗であればいいという行動パターンに陥ります。私は議論を通じて意見の相違を埋め合わせする努力をしていたのにも関わらず、それを「気に食わない」という感情論から一方的にIPブロック処分で排除されたことにより、止む無く既存のウィキペディア管理者への闘争に入りました。ソフトウェア技術者として私自身も関わっていたGNUプロジェクトの理念が、ウィキペディアにおいても尊重されるべきと私は思います。既存権力者はかなりその理念の本質を見誤っていると認識しています。既存のルールが現実社会と乖離してしまったことを認識できなくなった管理層が「官僚主義」に陥って新しい概念の登場や技術革新のチャンスを阻害してしまう例は歴史を紐解けば世界中に幾らでも見つけられます。--おやんず 2006年2月11日 (土) 00:49 (UTC)[返信]
(このコメントへの返答)私はできるかぎり初心を失いたくありません。他所での論争も、絶対にブロック動議には与しませんでしたし、基本的には(「悪戯」を除いて…後述します)どんな意見も尊重されるべきだとは思っています。このケースではただ1点、そもそもその項目で説明することではない項目(おやんずさんのサイトについてなど)まで含めることを問題視しています。「自分の価値観」としてではなく、ここでの議論に大きく影響を与えかねないことから、Pohさんの編集でなくとも、誰の編集でも緊急避難的に対応したと思います。
「わいせつではないのにわいせつという扱いを受けているサイト」を「わいせつ」の項目に(注意書き付きであっても)加えることが許されるなら、「ヌーディズム」の項目に「ヌーディズムではないのにヌーディズムという扱いを受けているサイト」を加えることも許されてしまうことになるのではないですか?
掲載基準策定によって、それらを自動的に排除することを志向して来られたおられたおやんずさんには、その点をよくご考慮いただきたいと思います。今回の例が「拡大解釈の前例」になってしまうことを懸念したことによる「緊急措置」だった、ということをどうかご理解ください。--ひで。 2006年2月13日 (月) 10:37 (UTC)[返信]
ちなみに、そもそもソフトウェア社会においてGNUプロジェクトが発達した要因は、本来万人に等しく与えられるべき「科学」や「技術」という知的財産を、一握りの権力者(多くの場合、その主体は「大企業」であった)が「copyright」という独占権益を振りかざしてブラックボックスに押し込めてしまったことにより、有るべき技術革新、科学の発展を阻害してしまったことへの反発があります。それゆえGNUはそれへのアンチテーゼとして「copyleft」という概念を提唱し、誰もがアクセスできるホワイトボックスとして知的財産の集大成を図ってきたのです。「GNU」という単語の発音が「NEW」と同じであるのは、常に新しいものでありつづけようという野生の革新的集団のウィットに富んだ命名に由来するものであります。それがウィキペディアではいつのまにか、一部権力者が官僚主義に陥り、気に入らない編集者をIPブロックで排除するということが横行し、血で血を洗う争いに似た生臭い騒動が多発しております。私は確かに全てのルールについてウィキペディアに服従する態度を取りません。それは、敢えて知ろうとしていないのではなく、逆に、ここの管理者よりもずっと昔から「GNU」プロジェクトに関わってきて、その世界を学び実践し続けてきた自負が多少あることにあります。ルールのために人間があるのではなく、人間がルールを作り、壊し、また再構築してきたのが歴史そのものなのであります。既存のウィキペディアのルールが現実を反映できなくなったときに、現実をルールに強引に従わせようとするのが権力者の常であり、ルールを現実に即して革新しようとするのが新興勢力の常であります。その権力闘争のありようがまさに歴史なのであり、単にその両方を兼ね備えれば中立であるとは簡単にはいかないのです。中立であろうとするあまり、ルールしか目に入らなくなると、現実を見据える視点が欠けてしまいます。その両方を尊重して本質的打開策を探るのが「科学」であり、その結果生まれた新しいルールが新しい「技術」です。ウィキペディアは常にこの「GNU」の野心的試みを失うべきではないと切に望む次第であります。--おやんず 2006年2月11日 (土) 01:38 (UTC)[返信]
(このコメントへの返答)私は、ここしばらく、この項目以外の記事の編集に携わってきました。おやんずさんには理由をメールでお伝えしていたと思いますが、基本的には「Wikipediaとはどういう所か」ということを再認識するための行動でした。その結果、私はWikipediaが嫌になっています。おやんずさんのおっしゃる「GNU」は確かに高尚な理念の具象化だと思いますが、Wikipedia利用者の多くが、そんな理念を踏みにじるような恣意的な「悪戯」に近い行為(全記述を消してしまったり、無意味な文字列を上書きしたり、直接関係のない中傷・差別的な表現を乱発し、それに対する議論を高圧的に切り捨てたり…ひどいものでした)を行っている現状に、諦めの境地に達しているのかもしれません。とにかく今までネット上で活動してきて、ここまで「議論が通じない」人が多い場所は寡聞にして知りません。管理者の権限濫用はあってはならないことですが、上記のような多くの心ない利用者に対するためには権限が付与されていても仕方がない面も感じています。その拠り所たるルールにも問題が多々ある(例えばブロックされるべきでない人物でも多数の賛成でブロックできてしまうことなど)とは思いますが、現状でそれを破壊するならば、おやんずさんのおっしゃる「GNU」の理想を認識しているであろう(恐らく一握りの)理念ある編集者の編集が、あっという間に「悪戯」で上書きされ、「百科事典」としては全く使い物にならなくなってしまうでしょう。このような「現実」までも、尊重しなければならないものなのでしょうか?私は、上記のような考えから、現状のWikipediaにおやんずさんの考えるプロセスに基づいた新たな「技術」の萌芽を求めるのは無理なのではないか、と考えているに過ぎません。「愛想を尽かしている」という表現の方が近いかもしれません。--ひで。 2006年2月13日 (月) 10:37 (UTC)[返信]

「他人のいない所」も法の適用されうる「公共の場」であるということ、それからその場に集まる自分以外のヌーディストも「他人」であることには留意すべきでしょうね。特に公有地にあるヌーディストビーチの場合、私有地ではない、他人のいる所での実践ですが、そこにはパフォーマンス的要素はありませんよね?揚げ足取りのようで申し訳ありませんが、そこが引っかかりました。
しかし、上記のような留意点にさえ気をつけるなら、いわゆる「裸族」(自宅内のみ裸で過ごす人の俗称)のような視点は加味してもいいかもしれません。もっともそれはMaris stellaさんが書かれたような「思想」でも「運動」でもない部分ですから文脈上工夫が必要でしょうし、そもそも定義として厳密に「ヌーディズム」に含まれるかどうか、ヌーディスト間でも議論になりそうな気がしますけどね。--ひで。 2006年2月10日 (金) 10:38 (UTC)[返信]

Maris stellaさんによる編集は、一部の編集者には、ある意味いい薬だったようです。私は当初からヌーディストとは一歩距離を置いた視点で日本のヌーディズムの現状見て、コメントをして来た訳ですが、それを個人攻撃、中傷、嫌がらせ、個人的恨み、などと言う人はウェキペディア内外で数多くいました。ただ一般のヌーディズム活動に批判的な人から見れば、まさに私がUVA氏に対して述べてきた通りなのです。Maris stellaさんにが私の使った表現や骨子を多く取り入れているのもそのためだと思います。もおやんず氏により修正されましたが「日本のヌーディストの一部には、このような「見たくない」という他者の権利を蹂躙しても平気であるというような者がおり、一層に、ヌーディスム運動の進展の阻害になっているとも考えられる。」とはまさにUVA夫妻のやってきた事そのものです。UVA夫妻が行い提唱してきた「被害者を泣き寝入りさせる」実践方法は当に「他者の権利を蹂躙し、かつそれを勧めること」に他なりません。かねてから私はUVAシンパは頭が弱いとか、人間的に欠落している部分が多いと述べてきましたが、犯罪行為を平然と行い、犯罪行為を啓蒙と称し普及させようとしている者たち支持し崇拝しているのですから当然です。私にはUVA夫妻とそのシンパたちとの関係が、かつてその思想を実現しようとしてサリン事件を起こした、オウムの麻原とその弟子達との関係と重なって見えます。おやんず氏のように人権を重視し双方の利害が一致する方向での権利獲得を目指した活動とは雲泥の差です。このようなものと同一視される事は真面目に活動している人には非常に迷惑な事だと思いますし、長い間UVA氏が日本のヌーディズムの頂点に立っているかのように見られていた事は、日本でのヌーディズムの普及を著しく阻害していたと思います。批判的な視点もふくめた中立的な観点からも「権利獲得の活動」と「犯罪の普及」との対比をもっと明確に記述していかなければならないと改めて感じています。--Poh 2006年2月10日 (金) 12:17 (UTC)[返信]
「あらゆる色の服を着る自由、権利がある」と主張するのが、ある意味、「ism」としてのヌーディズム・ナチュリズムの主張であるとすると、「紫の服を着ることはけしからん」と強権をかざすのがアンチヌーディズム勢力の言い分であります。これが何を意味するか分かりますか?これは絵空事ではなく、現実に「禁色」という歴史上の事実をこの権力闘争に対比させたものであります。紫の服を着る権利を主張する勢力が強引にそれを行使した結果、紫の服を一般人が着ることを認めたくないという側の「権利を蹂躙した」と記述することが果たして妥当でしょうか。そういう一面的記述をする人間がとても中立性を兼ね備えた視点の持ち主とは私には思えません。ですから私なりに編集に関わりました。「裸を見たくないという権利」は尊重する一方、その権利だけのために「裸でいたいという権利」が「蹂躙されている」と感じているのも現実なのであります。他人に中立性を要求する前に、御自身が如何に偏った世界観を押し付けているか、自分の行った記述から反芻することが求められると思います。お互いにどっちもどっちなのです。私は確かに現時点で異端の考えを主張する少数勢力でありますが、私はあくまでも言論・表現の自由を尊重して世論に訴えかける努力を中心にすえて活動していくスタンスであります。現時点で「少数意見」であることと「(将来その意見が認められる)可能性は低い」と「思う」こととは別物であると認識することも、客観性を主張する人間なら、まずは自ら求められるものだと思います。「可能性は低い」という表現を削除した私の編集はそういう観点から行ったものであります。--おやんず 2006年2月11日 (土) 02:13 (UTC)[返信]
私の記述が波紋を呼んでいるようですが、私はあくまで現状のWikipediaを客観的に見た「感想」を述べています。そもそもWikipediaが、確かに「GNU」の概念をもとにしたものとはいえ、おやんずさんのおっしゃる「革新」に値するような場なのかどうか、現状ではその判断すら苦しいと思います。
現状のWikipediaは、「主観的記述」が横行し「対話拒否」が常となっていると言っても過言ではありません。私自身、他所の編集においてそういった行為に辟易させられました。Wikipedia全体で見れば、このような状況なわけです。おやんずさんのような「理想」を持たれて編集に関わろうとしている方ばかりではない、という現状を鑑みれば、「ルール」を打破することで、上記のような輩をも「利する」結果になるでしょう。そういった観点では、Wikipedia管理者たちが極めてナーバスになっている理由も窺えるのです(ただしそれを大義名分とした権限の濫用はあってはならないことですが)。
確かに「ルール」を打破しない限り、新たな「技術」は生まれないかもしれません。ただ、現状のWikipediaにそれを求めることもまた、無理なのではないか、とも思えてならないのです。現在の私のスタンスとしてはそんなところです。--ひで。 2006年2月13日 (月) 01:38 (UTC)[返信]
ここに短くコメントされているのは、この「主にヌーディストの視点で編集に携わってこられた皆様へ」の章の「おやんず 2006年2月11日 (土) 00:49 (UTC)」「おやんず 2006年2月11日 (土) 01:38 (UTC)」「おやんず 2006年2月11日 (土) 02:13 (UTC)」の3つをまとめてしまったコメントでしょうか。それぞれに分けて書いてあるのをまとめられてしまうと、議論が錯綜する(このウィキペディアのノート設計の構造的不備に起因しますが)ので、それぞれに回答をいただきたいのですが。ちなみに、「ただ、現状のWikipediaにそれを求めることもまた、無理なのではないか、とも思えてならないのです」に至る部分は、まさに「官僚主義」として一般に批判される典型的対応で、現実社会との乖離を広げるばかりという感想です。--おやんず 2006年2月13日 (月) 07:23 (UTC)[返信]
大変申し訳ありません。主に「おやんず 2006年2月11日 (土) 00:49 (UTC)」「おやんず 2006年2月11日 (土) 01:38 (UTC)」に対する私の返答を、時系列を基準に章末にまとめてしまいました。改めて言葉足らずな部分を補足して、それぞれのコメントの直下にコメントし直しておきました。基本的に申し上げたいのは、「官僚主義」と評された部分に集約されているのですが、残念ながら現状のWikipediaでは、おやんずさんが理想とする「GNU」の理念を具体化することが極めて難しいだろう、ということです。「百科事典」としてある程度の「調べ物の用」を為す状態が常に求められているWikipediaでは、BBSやブログとは異なり「悪戯による改変」は致命的とも言えます。「誰もが自由に蓄積できる知的財産の集大成」としてもそうです。おやんずさんにしても、悪戯も含め全て正確な記述として保存しようとまでは主張されないと思います。しかし、現状の、悪戯ユーザーの蔓延っているWikipediaを「知的財産の集大成」とするためには、悪戯行為を完全に禁止されるようにしなければならず、そのためには恐らく「誰もが自由に」とは正反対の大枠での規制が必要になるでしょう。もちろん、「GNU」の理念を考えるなら、それはあってはならないことなのだとは理解します。ただただ、心ない利用者が現状では多すぎるのでしょう。
「エネルギーの無駄遣い」という表現を最初にしていますが、実は、これは私自身が最も感じていることです。とにかく、思いを込めれば込めるほど、その結果は空虚なものでした。恐らく、ここに長くいると私自身が変質してしまうでしょう。私がもし管理者権限を有していたならば、いつか他所で問題行動を起こしたユーザーに強権発動してしまう気がします…。それは本意ではありませんので、私はある程度の「後始末」(下でmiyaさんに問われている「ヌーディズムの定義」に関する説明の骨格作成など)が済んだ時点で、以前メールにて宣言したとおり、ここから立ち去ろうと考えています。本格的に「官僚主義」の烙印を押される前に…。--ひで。 2006年2月13日 (月) 10:37 (UTC)[返信]

ヌーディスト以外の立場から[編集]

ひで。さんがMaris stellaさんの執筆から2006年2月10日 (金) 03:20の版で 要約欄に「望ましくない」「不快なもの」は主観的過ぎるため削除させていただきます。として

>「他人の裸身など、望ましくないものは見たくないという権利」
>「不快なものは見たくない」

から「望ましくない」「不快なもの」を削られましたが、それはヌーディストとしての立場からの見方であり、それこそ「主観的」過ぎるでしょう。

少なくとも一般的な女性にとって、相撲や祭礼など一定の場(ヌーディストビーチもこれに当たるかもしれませんが)以外で、赤の他人の男性の全裸を見せられるのは「望ましくない」「不快なもの」です。失礼ながら、見せられる方にとっては、ヌーディストと露出狂の見分けなどつきません。また、子供を持つ親や教育関係者の立場から見れば、海岸で全裸の男性が目撃されれば「不審者」として警戒し、その場に近づかないよう子供たちに指導せざるを得ません。まさに「望ましくないもの」なのです。

ヌーディストとして抵抗をお感じになるのは当然とは思いますが、Maris stellaさんの記述にお戻しになるよう希望します。--miya 2006年2月10日 (金) 16:55 (UTC)[返信]

失礼ながら、miyaさんの主張のほうがPOVだと思いますよ。裸身を望ましくない、不快であると感じる人がどれだけ多かったとしても、その数の多さを持ってそれが客観であるとはいえないでしょう。ある価値観を持つ者がどれだけ多かったとしても、「望ましい」「望ましくない」「快」「不快」という概念そのものが主観的なものだと思います。例えば「本来素晴らしいものである裸身を見たくないという権利」などのように、ヌーディストの立場から裸体を肯定的に捉える記述になっている場合はヌーディスト側からのPOVになりますが、今回の編集は主観的表現を取り去ったものですので、ひで。さんの編集のほうが正しいと私は考えます。今回に限らず、感じ方や価値観の問題は、いかに現時点で一般化していようとも、それは2006年の日本での常識であるといえるだけで、断定的記述を取るに足る客観的真理とはまた別のものです。 --くしなだ 2006年2月10日 (金) 19:17 (UTC)[返信]

双方のPOVであるとしても反対派の意見をヌーディスト側の見解で変えるのはあまり好ましくない思います。原文に戻してその部分に異論があるのであればヌーディスト側の立場の意見として追記(併記)する形にしたほうがよいと思います。--Poh 2006年2月11日 (土) 07:25 (UTC)[返信]
ええと、中立的観点に気を取られるあまり、ウィキペディア(の本文)が事実のみを書き、意見を書くところではないことを忘れてはいけないと思います(;^_^)。私はこちらの方がより重要だと思います。他人の裸を「望ましくない、不快なもの」と思う人がいること、あるいは「人によっては他人の裸を望ましくない、不快なものと思う」ことは事実ですが、「他人の裸は望ましくない、不快なものである」というのは事実ではありません。それらは価値判断、あるいは感情に基づく意見です。ひでさんの判断は妥当だと思います。それから、ヌーディストだからヌーディストの立場で書いているとか、非ヌーディストだから非ヌーディストの立場から書いていると言うような短絡思考も戒めたいものです。--Nudité d'Europe 2006年2月11日 (土) 12:43 (UTC)[返信]

ええと、すみません、自分の意見が中立的かどうか、認識するのって難しいですが、くしなださんがおっしゃるのですから、私の意見もまた、偏っているのでしょう。それでは

>現在の日本では、他人の裸を公共の場で見せられることを「望ましくない、不快なもの」と思う人が少なくない。→そのため、ヌーディストビーチの設置などがなかなか実現しない。

という解説ではどうでしょう?

なお、

>「裸になることの権利」がある

ですが、文意がよくわかりませんでした。私有地内や屋内で裸になるのは当然の権利(?)ですが、これは

>公共の場でも「裸になることの権利」がある

という意味なのでしょうか? そんな権利が本当にあるのでしょうか?--miya 2006年2月11日 (土) 14:37 (UTC)[返信]

各々の意見があるのは事実ですから、それを書くのは事実でにあたります。各々の立場から書いていることが理解できずにそれが短絡的だというのは、日本生まれの日本育ちの日本人と自称しながら日本の法律も理解できていない低認識な人の短絡的発想だと思います。
>公共の場でも「裸になることの権利」がある、とは権利があっても法律で認められているか否かがポイントになると思います。現行の法律では片方の権利だけを認めている事になりますが、公共の場で裸になるためには合法化を目指し行動するのが本道であり、日本生まれの日本育ちの日本人と自称しながら日本の法律も理解できない低認識な人は別として、違法であると解かっていながら被害者を泣き寝入りさせる事で行使するUVA夫妻の方法論は、明らかに相手の権利を蹂躙したものであります。--Poh 2006年2月12日 (日) 02:44 (UTC)[返信]
miyaさん、ご指摘の件ですが、他の方が既にご説明されているとおり、「不快に思う人が多い」ことが確かでも、それをもって「不快なもの」という「事実」にはならないと考えます。なぜ裸を見ると不快になるのか、なぜ裸を見たくないものと考えるのか、理屈では証明できないはずですから。ただし、そういった視点も考慮しないことには、POVと言われても仕方ないことも理解します。どうしてもその文言を入れたいというmiyaさんのお気持ちにも配慮します。ですから、
>現在の日本では、他人の裸を公共の場で見せられることを「望ましくない、不快なもの」と思う人が少なくない。→そのため、ヌーディストビーチの設置などがなかなか実現しない。
というmiyaさんの解説で、私は問題ないと思います。この表現で留まっているのであれば「事実」でしょう。他の方の異議がなければ、miyaさんがこの形で編集なさってもよいのではないでしょうか。
それから、「権利」についてですが、屁理屈に近いですが、他者の権利を侵害しない限り、あらゆる「権利」が人には与えられていると考えるならば、「裸になる権利」は、他者の「裸を見たくない権利」を侵害しない限り認められる「権利」のひとつ、と考えても決して不自然ではありません。ただし、公共の場においてはどう考えても双方の「権利」が並存することはありえませんので、そこで「法律」という「ルール」の登場となり、それによって、現状では多数派の「裸を見たくない権利」が優先されているわけです。Pohさんはこの点を指摘されているのだと思います。--ひで。 2006年2月13日 (月) 02:41 (UTC)[返信]

ひで。 さんから先にご提案いただいたので駄目押しになる観もありますが、今後も議論が継続される可能性もあるので敢えて申し上げます。 国内ヌーディズム活動における「望ましくない」「不快なもの」という記述の例としましてUVA夫妻の主宰するCLUB NAKE'S を例にとって考えて見たいと思います。 NAKE'Sの自称啓蒙サイトTake Off Your...5.裸体と法律ではアメリカのヌーディズム啓蒙活動家の言葉を引用し一般人に見られないための方法の一つとして「看板を立てる」というのがありますが NAKE'Sが一般人のためにそのような配慮をしているかというと、活動自体が違法であるなどの理由から活動場所を秘密にしているくらいですから、そのような配慮は全くないと思えます。 もし看板を立てているというのなら、そのような「立て看板」を目撃した人は具体的な場所と日時がわかるようにご報告いただきたいと思います、事実が確認できましたらお詫びして訂正いたします。 UVA夫妻たちが他人に見られたくないという自分達だけの言い分から活動場所等が非公開にしているということは、逆にいえば一般人が知らずに目撃してしまう可能性も大だという事です。 たとえばもし子供のいる家族連れが、知らずに活動場所を目撃してしまったらどうなるか、それが合法な混浴露天風呂であれば簡単に説明できるでしょうが、Club NAKE'Sってなに?のページに紹介されているような 法律で認められていない場所で全裸の男女が戯れている姿、中はこちらの写真 のようにカップルが男性器を女性の体に接触さっさせ寝そべっている姿を目撃してしまったらどうなるのか?そして「お父(母)さん、あの人たち何んで裸なの?何であんなふうにくっつけてるの?何であんなことしてお巡りさんに捕まらないの?」などと質問されて親としてどう答えればいいのか?という問題が生じます。 活動場所が非公開であるためこのようなことは現自治起こりえる事ですし、現実に起こったけれど通報しても警察が来る前に逃げられる等の理由から被害者が泣き寝入りさせられたケースが全くないとは言い切れません。 一例似すぎないかもしれませんが、UVA夫妻が行い普及させようとしている法律では禁止されているはずの場所で全裸の男女が戯れている光景や、性器を接触させている光景を目撃したり、子供に見せる事を「望ましくない」「不快なもの」と思うことがPOVであるという考えが合意を得られたのなら削除されたままでかまわないし、合意されないのなら文章の修正はともかく復活させるべきでしょう。--Poh 2006年2月13日 (月) 03:25 (UTC)[返信]

修正の件はみなさんにお任せします。Pohさんの主張に気になる点があったのですが、その根拠として考えていたことが、そもそもMaris stellaさんの原主張とかけ離れていたようなので、この件については自信をなくしています。--ひで。 2006年2月15日 (水) 07:03 (UTC)※以前の文章に事実誤認があり特定の方に不愉快な思いをさせてしまったため、申し訳ありませんが主張を撤回します。できれば履歴ごと抹消したいのですが、それは可能なのでしょうか・・・?--ひで。 2006年2月15日 (水) 13:07 (UTC)[返信]
ひで。さん撤回されていたのですね。今日はウィキペディアの調子のせいなのか、私のPCあるいは回線の調子か、編集に手間取っている間に削除されてました。というわけで私のも削除しました。一部タイプミスにより敬称のつけ忘れがあり履歴に残ってますが他意はありません。大変失礼いたしました。あと「日本の現状」の文章が変になっているので明日にでも直しておきます。履歴を見たらその前から少し変だったのですが・・・。どなたか先に直されましたら内容は別として文章の点はそれに従います。--Poh 2006年2月15日 (水) 13:42 (UTC)[返信]
1日遅れましたが文書を直しました。「望ましくないもの」「不快なもの」は復活させてませんが、そちらは最初にご提案されたmiyaさんはじめ他の方にお任せいたします。--Poh 2006年2月17日 (金) 11:35 (UTC)[返信]

冒頭部分について[編集]

現在の定義は外国語の言い方を省略すると、

>ヌーディズムは、・・・裸体主義のこと。

となっていますが、「裸体主義」がどんな主義をさすのか知らない私にとってはよく分かりません。また続く冒頭部分の

>日光浴とかリラックス法など、精神と体の健康上の理由で、ごく自然にビーチや公園の芝生、室内で全裸でいること。

「精神と体の健康上の理由」ということですが、全裸がどう健康に結びつくのか、冒頭文だけでは分かりません。どういう状態が「ごく自然に」なのかも想像がつきません。

>性愛的なニュアンスを含まず、家族みんなでの参加も多い。

「性愛的なニュアンス」も(私の読解力不足のせいでしょうけれど)具体的にどういうことなのか、もうすこし平易な言葉でご説明いただければ幸いです。--miya 2006年2月10日 (金) 16:55 (UTC)[返信]

「裸体主義」は、単に「ヌーディズム」を日本語に訳すとこうなる、という程度のことだと思います。訳語として存在している語句ですので、「裸体主義」がどんな主義か、というのは、むしろこれ以降にどのような言葉で「ヌーディズム」を定義づけるか、ということに関わってくると思います。
全裸と健康の関係ですが、この文は「全裸は健康に結びつく」ことを主張しているのではなく、ただ、ヌーディズムを主張している人々はそれを主に「精神と体の健康上の理由」で実践している、ということを簡潔に述べているだけのようです。それが例えば「裸での日光浴は健康によい」という考え方であったり「裸でいることはリラックス効果がある」という考え方であったりする、ということでしょう。それ自体に根拠があると断言はできなくても、それを信じて実践している人々が存在している、という事実があるならば、その言葉の定義にはそういった文言がないと不自然でしょう。恐らくこの文を執筆された方はそういう認識だったのだと思いますが。
「ごく自然に」は「服を着た状態と同じように」という意味だと思います。一般的には、公共の場で裸でいることは「不自然」なことですから。ただ、これは明らかに説明不足だと思います。
「性愛的なニュアンス」については、「健康上の理由」を大義名分として記述することもそうですが、恐らく、ヌーディズムというものにおいては、裸という状態に対する「性愛的」な周囲の認識に抵抗すべく、「セックスとは関係ない」という自己弁護が常に必要なのだと思います。
>全裸で日光浴をしたり、全裸でリラックスすることが、精神的にも肉体的にも効果があると主張する者が、室内のような私的空間のみでなく、公共の場であるビーチや公園の芝生の上などにおいても、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと。または、そのような権利を主張すること。その際、裸と性を結び付け、その活動を性的なもの(特に性器露出などといった猥褻行為と同等なもの)と捉える見方に対し、性的な意味を一切含まないことを意識し、実践中の性行為や性的興奮を厳しく戒めている場合がほとんどであり、また、性的な視点で実践を否定的に捉える人々との「棲み分け」を図るべく、専用のビーチやキャンプ施設等で実践される場合が多い。欧米においては、それらの考えに基づいて家族全員で実践をしているケースもある。
少々生々しい感じがしますが、miyaさんの疑問に答えを出そうとするならば、恐らくこういった文言に変える必要があるのではないかと思います。--ひで。 2006年2月13日 (月) 03:56 (UTC)[返信]
このくだりの、「全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと。または、そのような権利を主張すること。」の部分が核心部分を的確に捉えた記述だと思います。あとあと別の人が書き直したものよりも、こちらを基礎にひで。さんの修正版で掲載しては如何でしょうか--おやんず 2006年2月16日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

ご説明ありがとうございます。ずっと分かりやすい気がします。ところで定義(冒頭第1文)には「ヌーディズムは********という思想、主張とその運動。」のように百科事典としての明確かつ簡潔な定義を(可能ならば)お考えいただければと思います。現在の「ヌーディズムは裸体主義のこと。」という定義では和英辞書のようなものですが、逆に第1文が長すぎるのも読者の理解の妨げとなりうるので。上に倣えば

>「ヌーディズムとは、全裸で日光浴をしたり、全裸でリラックスすることが、精神的にも肉体的にも効果があるとする主張、およびその実践。」

と短くして、そのあとに説明を続ける形にできますか。--miya 2006年2月13日 (月) 04:45 (UTC)[返信]


とりあえず、上記文意を変えずに書いてみます。
>ヌーディズムとは、全裸で日光浴をしたり、全裸でリラックスすることが、精神的にも肉体的にも効果があるとする主張、およびその実践。ヌーディズムを主張し実践する者はヌーディストと呼ばれる。
室内のような私的空間のみでなく、公共の場であるビーチや公園の芝生の上などにおいても、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすことが、実践の一般的な形態である。
実践を性的なもの(特に性器露出などといったわいせつ行為と同等なもの)と捉えられないよう意識し、実践中の性行為や性的興奮を厳しく戒めている場合がほとんどであり、かつ、実践を否定的に捉える人々との「棲み分け」のため、専用のビーチやキャンプ施設等が設けられている場合が多い。
特に欧米では、これらの考えに基づき家族全員で実践されるケースもある。
こんな感じでどうでしょうか?皆さんのご意見をお聞かせください。--ひで。 2006年2月15日 (水) 07:28 (UTC)[返信]
現在の定義(「ヌーディズムは裸体主義のこと。 日光浴とかリラックス法など、精神と体の健康上の理由で、ごく自然にビーチや公園の芝生、室内で全裸でいること。性愛的なニュアンスを含まず、家族みんなでの参加も多い。」)は確かに少し説明不足かもしれませんが、基本的には正しいと思います。-イズムという言葉に「主張」という意味はありません。「ヌーディストはヌーディズムが健康に良いと主張している」というような言い方はできますが。私なりに上のひでさんの提案を書き直してみますと、
>ヌーディズム(英 Nudism)とは、レクリエーションやリラックス法として、屋内で全裸で過ごしたり、公園や海岸、森林などで、全裸で日光浴海水浴森林浴スポーツなどをすること。ヌーディズムを実践する者はヌーディストと呼ばれる。自然との調和を強調してナチュリズム(英 Naturism)と呼ばれることもあるが、その区別はあいまいで、同じものと考えている者も多い。ヌーディズム発祥の地ドイツ(異説もある)では FKK(独 Freikörperkultur)とも呼ばれる。
実践を性的なもの(特に性器露出などといったわいせつ行為)と捉えられないよう意識し、実践中の性行為や性的興奮を厳しく戒めている場合がほとんどであり、かつ、実践を否定的に捉える人々との「棲み分け」のため、専用の海岸やキャンプ施設等が設けられている場合が多い。特に欧米では、これらの考えに基づき家族全員で実践されるケースもある。
別にこれが最終的な案というわけではありませんが、こんなところでとりあえず掲載して、また気付いたところがあれば後から書き加えたり手直ししたりして行ってはどうでしょう?--Nudité d'Europe 2006年2月15日 (水) 13:10 (UTC)(加筆)--Nudité d'Europe 2006年2月15日 (水) 19:51 (UTC)[返信]
<Nudité d'Europeさんのご意見および編集に対する疑問>
「-イズムという言葉に「主張」という意味はありません」とのことですが、Yahoo!の辞書検索で「イズム」を調べると主義。主張。学説。とあります。また、「主義」を検索しても常にいだいている主張。と説明されています。よく「主義主張」などと言いますよね?ですから、「nud(e)-ism」が「裸の状態を主張すること」を必ずしも意味しないとは言えないのではないでしょうか?
もちろん、Nudité d'Europeさんが「(ご自身の理解する)ヌーディズムには、そのようなニュアンスは含まれない」とお考えになったうえでの編集であるなら、上記説明については無意味なのですが。
私の個人的な感覚では、ヌーディズムの実践は、一般の人(非ヌーディスト)から見れば十分特殊な「主張」をしているように映っているだろう、とは思います。POVかもしれませんが。--ひで。 2006年2月17日 (金) 05:12 (UTC)[返信]
ここで問題になっているのは単独の単語としての「イズム」(あるいは英語の「ism」)、「主義」ではなくて、他の単語にくっ付いた形の「-イズム」(-ism)「-主義」なんです。これには「主張」という意味はありません(もしあればその辞書が間違っているのでしょう)。また英語版やフランス語版のNudism(e)およびNaturism(e)を見ても「主張」(insistence,assertion,claim,revendication)という定義は見られませんでした(その他の言語版は分かりませんが)。また、もちろん「○○氏は公共の場におけるヌーディズムの権利を主張している」というような表現はできますが、それができるということがまさに「ヌーディズム」という言葉に「権利を主張すること」という意味が含まれていないということを証明しています。ひでさん自身「ヌーディズムの実践は、一般の人(非ヌーディスト)から見れば十分特殊な「主張」をしているように」(下線はNudité d'Europe)とわざわざ「実践」を付けておられるのですから。ひでさんは多分「ヌーディズム」と「ヌーディズム運動(nudism movement)」あるいは「ヌーディスト運動(nudist movement)」を混同されているのでしょう。
あ、でもひでさんの「全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと」という定義はなかなかの傑作だと思いますよ。もっとも全裸で天ぷらを揚げるのは危険ですが(エプロンを付けましょう)。--Nudité d'Europe 2006年2月17日 (金) 11:25 (UTC)[返信]

<!-- -->(コメントアウト)[編集]

本文の <!-- --> で囲まれた部分を削除させていただきました。この手段はノートや利用者ページで使うのは構わないでしょうが、本文では必要以上に使うべきではないでしょう。まるでリバートを勧めているようにも見えますし、余計な論争の種にもなりかねません。何より編集の際の妨げになりますし、以前の文章を使いたかったら履歴からできるのですから。--Nudité d'Europe 2006年2月12日 (日) 08:39 (UTC)、(修正)--Nudité d'Europe 2006年2月13日 (月) 01:21 (UTC)[返信]

(補記)英語版Nudismの編集ページには外部リンクに新しく加えるサイトをアルファベット順に並べること、フランス語版Naturismeには「公的なサイトに限る、ブログはダメ、その他はdmozで調べること」という注意書として<!-- -->が使われていました。ところで英語版のNaturismが新しくできたんですね。というより正確にはずっとNudismにリダイレクトしていたのが独立したのです。--Nudité d'Europe 2006年2月12日 (日) 20:17 (UTC)[返信]

本文の概要にコメントアウトとしてあった「一方、熱帯地方の裸体で過ごす社会の風俗に関しては、ヌーディズムとは言わない。あくまで欧米、およびその影響を受けた国における現象である。?」という文章を削除しました。本文の編集欄は公共の場所であり、このような私的な疑問や意見を書くところではないと思います。そのためにこのノートがあるのですから。しかしこの疑問はもっともなことであり、私もぜひ書き加えたいことだとは思いますが、いい文章が思いつきませんので、どなたかお願いします。英語版Nudismには最初のところに「specifically in cultures where this is not the norm(特にこのこと(裸で過ごすこと)が規準となっていない文化において)」という説明がありますね。--Nudité d'Europe 2006年2月26日 (日) 19:15 (UTC)[返信]

日本における現状」について[編集]

ヌーディストでない人、あるいはヌーディズムに付いてよく知らない人には説明の必要があると思うのですが、ヌーディズムは裸になることによって、自分自身が開放感を得、リラックスするために行なわれるものです。ヌーディストでない人に裸を見せるために行なうのではありません。ヨーロッパではヌーディスト用のキャンプ場や海岸で行なわれるのが一般的です。キャンプはヌーディスト以外の人は入れませんし、海岸はヌーディスト専用というところはありませんが、ふつう長い海岸のうちの数百メートルぐらいがヌーディズム用に当てられており、必ず「ここはヌーディズム区域です」という立て看板があります。従って、ヌーディストでない人が不意にヌーディストに会ってしまうということもないのです(もちろん看板に気付かないことはありますが)。

私にはこの節で「他人の裸身は見たくないという権利」をうんぬんするのはヌーディズムにはあまり関係無く、書く必要もないと思われます。大体それまでに「棲み分け」や「限定された場所におけるヌーディズムの実践」について書かれているのですから、「見る、見ない」に付いてうんぬんするのは不必要なことだと思うんですよ。--Nudité d'Europe 2006年2月18日 (土) 09:29 (UTC)打ち消し--Nudité d'Europe 2006年2月21日 (火) 18:50 (UTC)[返信]

確かに「棲み分け」や「限定された場所におけるヌーディズムの実践」での合法化を目指し活動している方はいますが、それは圧倒的少数であり、許可されていない公有地で、十中八九ヌーディスト以外の人に遭っているのにもかかわらず強行し、見られても「隠さないこと」を原則としている者たちが主宰する団体が国内最大で、かつ違法である現状で普及も行い、団体以外の国内ヌーディストの圧倒的多数派から支持を得られているのが事実であることから、この問題は「日本における現状」として避けては通れないと思います。--Poh 2006年2月19日 (日) 07:31 (UTC)[返信]

私自身ヌーディストでありながら、どうも「裸になる権利」というのがよく分かりません。裸になることが「権利」なんでしょうか? 誰だって家の中や私有地内で裸になることはできるのに。その点に疑問があって、自分自身で「海岸や森林など、屋外で裸ですごすことの権利」と書き直したものを「裸になることの権利」に戻しました。--Nudité d'Europe 2006年2月21日 (火) 08:05 (UTC)[返信]

横レス失礼します。上の方の「ヌーディスト以外の立場から」の章で、「権利」に関する議論が既にありましたのでお伝えしておきます。私は、人間が行う全ての行為は、それが他者、もしくは社会の「総意」である法令を侵害しない限り、全てが「権利」として認められるものだと捉えています。
一例を挙げるなら、普段誰もが「言葉を発する」ことを「権利」としては意識していませんが、映画館や宗教的儀礼の場など「言葉を発する」という行為が認められない場合を想像していただければ、それが一部例外を除き広く一般に認められた「言葉を発する権利」であることを再認識できるでしょう。(映画館等ではまた、ほぼ全員が「映画の音声以外の言葉を聞きたくない権利」を行使している、とも考えることができます。)
その反対に、狭いコミュニティ内ではどれだけ認められる行為だとしても、一般には認められないものについては、その行為は極めて限定的にしか認められていない「権利」と看做せます。
この考えを元にすれば「裸になる権利」は現時点では、「家の中や私有地、(欧米において)法令で認められた場所」でのみ行使できる限定的な「権利」と捉えられますし、それを限定的たらしめるのが、広く一般に「他人の裸を見たくない権利」が圧倒的に優位であるという現実です。(この力関係を覆すのはどう考えても困難でしょう。)
以上をまとめますと、裸になることもまた「裸を見たくない権利」と同様の「権利」と捉えられるべきものですが、「権利」とは、一般的にそれが認められる場においては意識されにくいものであり、また、「裸になる権利」の限定範囲拡大を主張する勢力も、社会全体から見ればごく少数なため、一般的には「権利」と看做されることがほとんどない、と言えると思うのですが。
「人権擁護」の観点からヌーディズムを理解した人が、それを「全ての人に等しく与えられるべき権利」と主張し、限定範囲の拡大を追求することは、ある意味当然の帰結。(とはいえ、どこまで範囲拡大を目指すかによっては、逆に「裸を見たくない権利」の侵害になってしまいますので、本来的には「共存」の模索なのでしょうけど。)また逆に、それが認められている場において「裸になる権利」を手軽に享受でき、かつ十分満足している、という立場から見れば、「裸になる」ということを「権利」と結び付ける考えは全く理解できないことなのでしょう。これもまた、当然だと思います。--ひで。 2006年2月21日 (火) 10:36 (UTC)[返信]

現在の版(2006年2月21日 (火) 07:59)[1]はMaris stellaさんの版(2006年2月9日 (木) 15:15 )[2]にPohさんや私などが書き加えたもので、正直言ってごちゃごちゃで同じようなことの繰り返しが多く、何がなんだかよく分からなくなってしまっています。今ひでさんの版(2006年1月31日 (火) 05:47)[3] を読み直してみて、おっしゃりたいことが少し分かりました。「裸になることの権利」と「(ヌーディズムの実践が)誰にでも認められるべき人権のひとつ」というのでは少し違うでしょうからね。Maris stellaさんには申し訳ないですが、私はどちらかと言うとこのひでさんの版から発展させた方が良かったんではないかと思うんです。Maris stellaさんが中立に努めようとされているのは分かりますが、それでもヌーディズムに否定的なニュアンスが感じられるんですよ。百科事典は確かにヌーディズム推進の場ではありませんが、同時にヌーディズムに反対する場でもありませんから。--Nudité d'Europe 2006年2月22日 (水) 01:19 (UTC)[返信]

Maris stellaさんは「日本における現状」のそれまでの版をほぼ全面的に書き換えられたわけですから、要約欄に correction(訂正、修正)とだけあるのはおかしいし、このノートに何らかのコメントを書くべきだったと思います(Wikipedia:常に要約欄に記入するも参照して下さい)。ところが未だにこのノートに何らのコメントもないばかりか、どういうわけかmiyaさんの会話ページにコメントしたりしていて、どうにも書き逃げされているという印象を持ってしまいます。もちろんおやんずさんとの間のトラブルもあって、ここにコメントしづらいという事情も分かっていますが、このノートに何らかのコメントがない限りはひでさんの版に戻し、そこから発展させたいと考えていますが、いかがでしょうか? 。--Nudité d'Europe 2006年2月22日 (水) 14:32 (UTC)[返信]

今書いてある内容さえ損なわなければ、ひで。さんの文章の発展系に書き換えるのはかまわないと思います。ただ、ひでさんの版の時点に戻してやり直しでは、その間の編集努力が無駄になり、削られた部分の復旧にについて議論が必要になったり、付け加える際にまた文章が壊れる可能性があるので、変更されるならされる方が現在の内容を損なわないように責任を持ってやっていただきたいと思います。--Poh 2006年2月23日 (木) 08:09 (UTC)[返信]

2006年1月31日 (火) 05:47のひで。さんの版に改変を加えたものに戻しました。今までの版ではヌーディズムに対してあまりに否定的で、中立的な観点からはずれていると思ったからです。前にも言ったのですが、ヌーディズムを禁止する法律もなければ、違法であるという裁判所の判決もないのに、百科事典で「違法」と断定することはできません。私はたまたま昨日オーラルセックスという項目を見ていましたが、シンガポールではオーラルセックスを禁ずる法律があるそうですが、このような法律がある場合のみ違法と言えるでしょう。--Nudité d'Europe 2006年2月25日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

大きな変更をしたのに誰からも何の反応もないので意外に思っています。さて「誰にでも認められるべき人権のひとつ」という言葉を残しはしましたが、私にはまだ違和感があります。ヨーロッパでヌーディズムが発達したのは私にはどちらかと言うと宗教的な理由が大きいと思われるからです。キリスト教で長らく、というより肉体はだと教えられて来た。それに対して裸、というより肉体は罪ではないという考えがヌーディズムの根底にあり、それがヌーディズム運動でよく言われるBody Acceptance(肉体受容)思想なのだと思います。そのような宗教的な背景がヌーディズム運動の根底にあり、そのような背景を持たない日本では、昔から裸に対しては寛容な文化であったにもかかわらず、かえってなかなかヌーディズムというものが理解されないのだと思っています。--Nudité d'Europe 2006年3月2日 (木) 09:19 (UTC)[返信]

変更された後の文章は基本的に私の文章がベースなので、反論のしようがないのですが、「人権」云々という部分については、何も「ヌーディズムとはそういうもの」ということを書いているのではなく、「そういう考えの下でヌーディズムを主張している人(勢力)がいる(ある)」というニュアンスで書いていますので…。それぞれがどのようにお考えになるかはご自由ですが、「事実」としてそのように考えて行動している存在があれば、そのように記述しておくべきではないでしょうか。そして、それに対し「違和感」を訴える、つまり一方の勢力の主張に疑問を呈する場としては、中立的な「百科事典」であるWikipediaは相応しくないようにも思います。--ひで。 2006年3月2日 (木) 10:58 (UTC)[返信]

ひでさんお久しぶりです。そうですね、私はヌーディズムが人権問題でないと言っているわけではないのですよ。ただその背景にはキリスト教があり、状況の全く違う日本で「人権」だけを問題にしても誰にも理解できないのではないかと思うわけなんです。禁煙の場所で、「吸いたいんだから吸うのだ。私には煙草を吸う権利がある。」とか、制限時速40キロの公道で、「私は100キロで走りたいんだから走るんだ。私には早く走る権利がある。」と主張しているのと何ら変わりないように聞こえると思うんですよ。また「人権」と言わずとも、「誰にでも認められるべき手軽に楽しめる快適なレジャー」として合法化を目指す、ということも言い得るわけですし、このあたりの文章は考え直す必要があると思うわけです。--Nudité d'Europe 2006年3月2日 (木) 13:40 (UTC)、(修正)2006年3月2日 (木) 13:56 (UTC)[返信]

おっしゃっていることは分かりますが、一方の主張を疑問視し、一方のスタンダードに合わせようとするのは中立性を欠くと思います。ヌーディズムそのものに関する議論の場であればどのような議論をされても構いませんが、ここは「ヌーディズム」という言葉について客観的に「事実」を記載する場です。「人権」と言わずとも、「誰にでも認められるべき手軽に楽しめる快適なレジャー」として合法化を目指す、というご意見があるということも「事実」ですから、それはそのように「追記」されればよいこと。しかし、少なくとも日本においても「人権」を掲げる主張が存在している以上、例えその主張に異議があり、ご自分の主張と合わないとしても、「百科事典」において異なる勢力の主張の根幹にあたる表現自体を改変しようとするのはどうかと思います。--ひで。 2006年3月3日 (金) 00:37 (UTC)[返信]

ちょうど今本文の編集をしたところですが、Maris stellaさんの文章を(しかし少し改変して)取り入れてみました。少し落ち着いたのではないかと思います。つまり、単に『「誰にでも認められるべき人権のひとつ」として合法化を目指す』と言うだけでは何を目指しているのかよく分からないのですよ。まるで自然の中でも町の中でも、いつでもどこでも裸になる権利を求めているようにも受け止められるわけで、そこのところにも違和感を持っていたわけです。もちろんヌーディストの中にはそのような権利を主張をする人もいるでしょうけれども、一般的にはヌーディストビーチなど限られた場所における裸になる権利を求めているわけですから。

しかし人権を掲げている人はいるかもしれないけれど、具体的に何らかの活動をしている人というのを私は知らないので、それでひでさんの本来の文章である『「誰にでも認められるべき人権のひとつ」として合法化を目指し活動しているヌーディストもいる。』[4]を「、、、合法化を目指すべきと考えている者もいる。」に変えたわけです。しかし考えるだけなら誰でも考えるわけで、それほど特に取り上げる必要もない気もしますが。--Nudité d'Europe 2006年3月3日 (金) 01:59 (UTC)[返信]

活動とは何も体を動かすことだけではないでしょう?言論という形で広く一般に向け情報発信することもれっきとした「活動」ですよ。ホームページを開き、自らの主張を掲げ、賛同を呼びかけることが具体的な活動ではないと仰るなら、「日本における現状」の項目そのものが不要ではないか、と私は思います。その主張内容を考慮せずに「方法論」として単純に比較した場合、web上でのUVA氏とおやんず氏との違いは「会員を集めているか、集めていないか」の点しかないように思いますので。
あるいは「日本においては、ヌーディズムを実践しようとするものもいるにはいるが、それぞれが勝手に実践しているだけである」の一文で済ませるべきでしょうか?後は法律上の制約とか、裸に対する一般的な不快感など、むしろMaris stellaさんの文章から発展させていたほうがよかったのではないでしょうか?
そもそも、Maris stellaさんの文章に違和感を感じられて、ヌーディストの視点からの記事を書かれようとされたのならば、せめてそのヌーディスト間の「行き違い」の根底にある認識の差に配慮すべきだと思います。暴言を承知で記すならば、これではまるで、一方的に喧嘩を売っているようなものと思えてなりませんが。
日本においてUVA氏、おやんず氏という「ヌーディズム」を語る上で無視することができないキーパーソンがいる一方、社会的に認知された組織としては一元化されていない、というような現状においては、いずれかの主張に近い記述を入れるなら、もう一方の主張に沿った見方も加える、それ以外に「日本における現状」について「ヌーディストの視点からの記事」を「中立的に」書く方法はないと思います。その状況を黙殺するかのような姿勢には疑問を感じざるをえません。--ひで。 2006年3月3日 (金) 03:25 (UTC)[返信]

UVAさんがこのところインターネット上に姿を現していないこと、一方おやんずさんは熱心にインターネット活動を続けられておられるために、インターネット上では後者の印象が強く出てしまうかもしれませんが、実際のヌーディズム活動という点では両者を同じように扱うのは中立的観点からはずれていると思うのです。

「複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門化(ママ)や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。」というWikipedia:中立的な観点の記事を読んでみて下さい。

もちろんその後に、「しかし、これは少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありません。」と続いていることも忘れてはなりませんが。

また見方を変えてみると、UVAさんという方は「誰にでも認められるべき人権のひとつ」であるヌーディズムの実践の機会を多くの人に提供している、ということも言えるのではないでしょうか? また彼が主催するCLUB NAKE'Sでは私有地にクラブハウスを持って活動しているので、これはヌーディズムの合法化の一つと言えるのではないでしょうか? 

インターネット上のみでの言動の強さにとらわれると、問題の本質を見誤ってしまうかも知れません。--Nudité d'Europe 2006年3月3日 (金) 08:46 (UTC)[返信]

正確な統計があるわけでもないのに「少数派」と断言することはできないと思います。そもそも公に活動されている方が日本では極々限られたものなのですから、言わばどちらも「少数派」です。現状では、ネットで意見を発することも、私有地で会員を募って実践されることも、どちらもれっきとした「普及活動」とみなすべきでしょう。そして、そうやって活動されている方々はみな、「ヌーディズム」の普及が進んでいない日本においては「専門家」なのだと思います。
この場合は、そういった「ヌーディズム」の「専門家」ばかりでなく、「法律」の「専門家」や「人権問題」の「専門家」、「性」の「専門家」、あるいは「多数派」である「ヌーディズムを拒絶する一般的な感覚の方々」のご意見も伺った上で判断すべきだと思います。特に「性」の視点と「裸を拒絶する感覚」の視点が、日本においては「より広く普及している観点」なのですから。一連の議論における「問題の本質」は、むしろそういった観点の欠落にあると思いますが。「本質」について自信を持たれているようにお見受けしますが、本質を見誤られているのは、もしかしたらNudité d'Europeさんご自身かもしれない、という視点も踏まえられたうえでご発言くださいますようお願いいたします。--ひで。 2006年3月3日 (金) 10:15 (UTC)[返信]

「問題の本質を見誤ってしまう」というのはひでさんについて言ったのではありませんよ。それはすでにこのウィキペディアで起こってしまったことなのです。つまりこのノートでも、おやんずさんが登場して自分が本流だと言いまくったために、あたかも日本のヌーディズム運動において重要な活動をしているかのような印象が広まってしまいました。でも私が知っている限り、おやんずさんがこれまでホームページで持論を述べる以外に、何か具体的な権利活動、合法化活動をしているということを聞いたことがありません(ただしヌーディズム・ナチュリスムに限っての話です。その他の、例えば不当解雇に対する法廷闘争などは別です)。まあでも確かにみんな少数派と言えばそうかも知れませんね。

しかし、>「多数派」である「ヌーディズムを拒絶する一般的な感覚の方々」のご意見も伺った上で判断すべきだと思います。特に「性」の視点と「裸を拒絶する感覚」の視点が、日本においては「より広く普及している観点」なのですから。>と言う意見には反対ですね。ここは「ヌーディズム」というページであって、「ヌーディズムをどう思うか」というページではないのですから。例えば「ピアノ」というページに、ピアノは隣近所には騒音でしかなく迷惑で、人には「ピアノの音を聞かない権利がある」というようなことが書かれてあったらどうでしょうか? 場違いですよね? 「ヌーディズム」も同じなんですけどね。--Nudité d'Europe 2006年3月3日 (金) 13:32 (UTC)[返信]

おやんず氏はサイトにアップしていた裸体画像を削除させられたことなどについて、「表現の自由」のために訴訟を起こしていますが、これも「具体的」ではないとおっしゃるわけですね。つまりNudité d'Europeさんから見れば「実践」を伴わないものは全て「具体的な活動」ではない、ということなのだと思います。しかし、それは「ヌーディズム」に対する一面的な見方でしかないのではないでしょうか?あなたがそういったあなたの考えを振りかざしておやんず氏を煽らなければ、おやんず氏もここで騒ぐことはなかったと思いますが。
ピアノの騒音を迷惑と感じる人の多寡は存じ上げませんが、少なくともヌーディズムに懐疑的な考えが圧倒的に多いことは考慮すべきでしょう?同列に論ずることではないと思いますが。--ひで。 2006年3月5日 (日) 02:08 (UTC)[返信]

ヌーディズムは「表現」ではありません。例えば温泉に裸で入ることを「表現」と言う人がありますか? ヌーディズムは温泉に入るのと同様、裸になってくつろぐことです。インターネットで裸の写真を発表することはヌーディズム活動そのものではありません。ヌーディズムの「宣伝活動」とは言えるでしょうけど。おやんずさんが訴訟を起こしているのは宣伝活動が妨げられたからであって、ヌーディズムそのものを妨げられたからではありません。でも宣伝活動なら私だってしていることですし、特別取り上げるほどのことではないでしょう。

「正確な統計があるわけでもないのに」ヌーディズムに懐疑的な考えが圧倒的に多い、なんて言ってはいけませんよ(笑)。ヌーディズムそのものがほとんど日本人に知られていないのに(私だってヨーロッパに来るまで知らなかった)、ヌーディストがごく少数である以上に、ヌーディズムに懐疑的な人なんてもっと少数なんじゃないですか? ひでさんは「反ヌーディズム」のホームページでも見たことがあるんですか? それに比べて隣のピアノの音を迷惑と思う人の数は「圧倒的に多い」と思いますが。--Nudité d'Europe 2006年3月5日 (日) 07:36 (UTC)[返信]

たとえ「表現」と「ヌーディズム」とが直接結びつくものではないとしても、私は「ヌーディズムそのものがほとんど日本人に知られていない」現状において、あれだけ「ヌーディズム」に対して情熱を見せて「宣伝活動」している方を他に知りません。恐らく「ヌーディズム」に関心を持たれている方々のほとんどがそう思われていると思います。(その主張自体には賛否は分かれるとは思いますが。)その点だけを考慮しても「日本における現状」として「特別取り上げるほどのこと」だと思いますが。(もちろん、その取り上げ方については、議論していく必要があるとは思っています。この記事がいち勢力の「宣伝」になるのは問題ですから。)
それから、過去の議論や編集でMiyaさんやMaris stellaさんが示されていたような「ヌーディズムに対する懐疑的な考え」は、やはり無視してはいけないと思います。(それにしてもNudité d'Europeさんの「反ヌーディズム」という表現には苦笑しています。そんな具体的勢力を想定せずとも、「ヌーディズム」をよく知らず、「ヌーディズム」を健全なレジャーと認識しない多くの人が「ヌーディズム」に接したときどう感じるか、よく考えてください。潜在的にはピアノの騒音よりはるかに嫌悪感を示す人が多いと思いますが。)どうも、Nudité d'Europeさんのお考えが「臭い物に蓋」という発想になっているような気がしてなりません。現実を客観的に捉えるならば、「日本における現状」を記述する場合、懐疑的な論調を中心に据えざるをえないのではないでしょうか?--ひで。 2006年3月6日 (月) 00:39 (UTC)[返信]

「情熱」と言われましても、、、(;;^_^) そのような言葉からはひでさんがおやんずさんの信奉者であるという印象しか伝わって来ませんが。私がここでおやんずさんからどれほどの罵詈雑言を浴びせられたか考えるだけで、その「情熱」がどのようなものかは明らかでしょう。

それからすでに地理関係で多くの執筆編集をされて来たウィキペディアンであるひでさんに申し上げる必要はないと思うのですが、百科事典は現在までの事実を書き記すところです。「潜在的」なことに付いて書くところではありません(競馬の予想をした記事は削除されます)。和歌山県でヌーディストビーチが反対に会って実現しなかったことは過去の事実ですから書くことができます。そして将来ヌーディズムに対する明確な反対意見が世論としてまとまって出て来た時には当然それは書かれるべきでしょう。しかし現在のところそのようなまとまった世論はないので書くことはできないのです。同様に「違法」というのもそのような法律、判例がない限り断定することはできません。何べんも言いますが、大麻などと比べてみて下さい。大麻には対しては禁止する法律や反対する世論やそれに関するホームページなどもちゃんとあります。--Nudité d'Europe 2006年3月6日 (月) 08:59 (UTC)(訂正)2006年3月6日 (月) 21:19 (UTC)[返信]

その「情熱」を、向けなくてもいい所に向けさせたのは、他ならぬNudité d'Europeさんご自身だと思います。おやんず氏の言動には、私は同意できない部分も多く、それはおやんず氏にも、Nudité d'Europeさんにも何度も申し上げているはずですが。それでも擁護に近い発言をしているのは、あくまで騒動を鎮静化させることが目的に過ぎません。今回Nudité d'Europeさんの問題提起に反論しているのも、今後において無用な争いをWikipediaという場で繰り広げたくないという思いからです。抹消線追加--ひで。 2006年3月7日 (火) 00:47 (UTC)[返信]
客観的に見て、おやんず氏が「ヌーディズム」に対し問題意識を持ち、その考えに基づいて「宣伝活動」を展開していたり、それを妨げるプロバイダの措置に対し法的に対抗しようとしている「事実」は、十分「日本における現状」のひとつとして、「こういう人もいる」と、どういった形であれ取り上げざるをえないものだと思いますが。それを(恐らく意識的に)無視しようとするかのようなNudité d'Europeさんの姿勢は、繰り返しになりますが「臭い物に蓋」であり「一方的に喧嘩を売っている」ように私には感じられます。抹消線追加--ひで。 2006年3月7日 (火) 00:47 (UTC)[返信]
「違法」についても、法律や判例がない限り断定ができないことは当然ですが、多くの方が「違法ではないか」と感じているなら、それを無視することはできない、と言っているに過ぎません。百科事典だからといって「違法とされる可能性がある」「法を犯す虞がある」といったニュアンスの記事を排除することは、「日本における現状」から目をそらし、「ヌーディズム」にとって都合がいいことだけを記述しようとしているととられかねません。それを危惧しているだけです。
いきなり編集をせずに、ノートにおいて問題提起をされているところから、「他者の声に耳を傾ける」というご意思がおありだと認識していましたが、結局これまでと同様に私の反論の核心部分以外への「揚げ足を取る」ような反論や、「おやんずさんの信奉者」といった穿った見方を持ち出してまで、ご自分のお考えを正当化なさるだけなのであれば、これ以上の私との対話はリソースの無駄遣いでしかありません。Wikipediaにあまり迷惑をかけないよう、「投票」や「コメント依頼」などの手段を取られてはいかがでしょうか?--ひで。 2006年3月6日 (月) 10:16 (UTC)抹消線追加--ひで。 2006年3月7日 (火) 00:47 (UTC)[返信]

この件についての議論自粛の提案[編集]

失礼いたします。Toki-hoです。少々、議論に熱がはいりすぎているように感じます。記事をよくするための議論をすることはよいことですが、過去の経緯(このノートでの以前の経緯や このノートがはじまる以前のあれこれなど)をもちだして議論すると、記事をよくするという目的が、知らず知らずのうちに、ほかのほうに、それていくようにも思います。《記事の編集》にことよせてご自身のご意見や感情を述べておられるようにも、うけとられてしまうからです(こううけとるのは私だけではないと存じます)。ですので、主執筆者のみなさまは、すこしの間(数ヶ月)編集と議論を自主的に休まれ、記事がどうなってゆくかを見守られることを提案いたします。さしでたことを申しますが、お気を悪くなさらないでください。Toki-ho 2006年3月6日 (月) 14:51 (UTC)[返信]

長くなりすぎていたので節を分けさせていただきました。Toki-hoさん、こんにちは。ご指摘の件、最初の問題提起に反論していなければ、ここまでリソースを消費することはなかったわけで、私自身の反省として、Nudité d'Europeさんの主張を放っておけばよかったのかもしれない、と思い始めていたところでした。そこまでの問題ではないと思いつつ、真剣に「コメント依頼」までも視野に入れておりました。袖を引いていただき感謝しています。
そもそも「ひで。」として反論すれば、当然Nudité d'Europeさんから、過去のいきさつをも含めた反論が出ることは予想されたわけで、リソースを無駄に消費してきた結果は、どう言い訳しようと私の判断ミスに起因する部分も大きいわけです。ご提案については、状況の変化(他の編集者による「荒らし」的な編集など)がない限り、受け入れたいと思います。--ひで。 2006年3月7日 (火) 00:47 (UTC)[返信]
Toki-hoさま。申し訳ないですが、どうしても必要を感じ、本文の編集をさせていただきました。日本のヌーディストを「合法化を目指す者」とそうでない者とに分けることが現実から乖離していると思われますので。「信奉者」に付いては確かに言い過ぎだったと思いますので修正致しました。
ひでさんにですが、「違法とされる可能性がある」「法を犯す虞がある」ことを否定したことはありません。「違法である」と断定することができないと言っているだけです。--Nudité d'Europe 2006年3月7日 (火) 00:54 (UTC)[返信]
ひでさま、リバートされるということは議論を続けるということなのでしょうか? 上の文章からはもう議論をしないというように読めるのですが?--Nudité d'Europe 2006年3月7日 (火) 01:16 (UTC)[返信]
Nudité d'Europeさん、申し訳ありませんが「現実から乖離」という判断はNudité d'Europeさん「ご自身のご意見や感情」に影響されていると思いましたので、差し戻しをさせていただきました。その部分についてこれまで議論が続き、また、こうして編集自粛提案がToki-hoさんよりなされている状況を踏まえれば、今すぐに自らの手で編集すべきことではなかったのではないでしょうか?もし本当に「現実から乖離」しているならば、Nudité d'Europeさん以外の誰かが、Nudité d'Europeさんと同じように編集なさるでしょう。ここはToki-hoさんのご提案どおり、しばらくの間はそれを見守りましょう。なお、「議論をしない」ことが、イコール「Nudité d'Europeさんのお考えのままに編集なさること」とは結びつかないと思いますが、間違っていたらご指摘くださいませ。
それから「違法」に関するお話ですが、私に対して「違法である」と断言することができない、と仰られましても・・・。今回の議論において、そのような主張は一切しておりません。恐らく他の方の意見を聞くべき、という私の主張について、目先を変えるためにそういった話題を持ち出されたのだと認識しておりますが、いたずらに議論の幅を広げるだけだったように感じています。議論の拡散は、誘導に真面目に乗ってしまった私の責任でもありますが。
ご不満はおありでしょうが、ここはToki-hoさんという第三者のご忠告を真摯に受け止められ、お互いに「荒らし」への対応など以外の、文意を変えるような編集活動は、しばらく自粛しましょう。私からも謹んでご提案させていただきます。--ひで。 2006年3月7日 (火) 01:29 (UTC)[返信]
ひでさん。私としては2006年2月25日 (土) 11:25に本文の大きな改訂をし、その後も一人でいろいろと細かい作業を続けていましたが、意外にも誰からも何の反応もない(それまでずっと議論が続いていたにも関わらず)ので、このまま続けていいのかどうか疑問を持ち、2006年3月2日 (木) 09:19 にここで本文に関しての問題提起をしたわけです。ですから私の編集に問題が無いのでしたら、そのまま続けさせていただきたいし、問題があると思われるのでしたら、ここで議論をしていただきたい。私の編集をリバートして、しかも議論はやめましょうというのでは困ってしまいます。
言うまでもないですが、ここはヌーディズムのホームページではないので、希望や願望など、事実でないことを書くわけには行きません。現在の日本において、公認のヌーディストビーチを開設しようとするなどのヌーディズムの「合法化」の動きはありません(もし私の知らないところでそのような運動が存在するのならもちろん訂正致します)。それをあたかもそのような動きがあり、しかもそのような動きが特に合法化を目指していないヌーディストたちと同じほどの重要性を持っているかのように書くわけには行かないのです。それは「宣伝」ではないでしょうか? そりゃあヌーディストなら誰だって日本に公認のヌーディストビーチがあればいいと思うのは同じです。そういう意味では誰だって「ヌーディズムの合法化を目指している」と言えるでしょう。しかし現実にはそのような動きは無いのですから、それがあるかのように書くわけにはいかないのですよ。--Nudité d'Europe 2006年3月7日 (火) 09:26 (UTC)[返信]
Pohさんによるリバートがありました。これ以上リバートがあるとまた編集保護されるおそれがあると思い、不本意なんですが「日本における現状」に観点テンプレートを貼らせていただきました。--Nudité d'Europe 2006年3月7日 (火) 10:40 (UTC)(加筆)2006年3月7日 (火) 10:47 (UTC)[返信]
UVA氏のサイトの掲示板に書かれたおやんず氏(ここでは「小野田 英(おのだ たけし)」と名乗られていますが)の発言をご覧ください。少なくともこの時期には、おやんず氏が「オープンな」すなわち場所が公開されたリゾート計画を立てていたことが分かります。今は見ることができませんが、おやんず氏の掲示板にも「資本家の方に相談に行った」旨の発言があったと記憶しています。何らかの事情でストップしてしまったようですが、場所が公開される、ということは、それまでおやんず氏がHPへの画像掲載について一つ一つ所管の警察署に確認を取ったことと同様に、順調に計画が進行していれば「合法的に」開設許可を申請したでしょう。そこまで至らなくとも、その準備段階としての具体的な動きはあったわけですから「希望や願望」「現実にはそのような動きは無い」と一方的に決め付けるべきではありませんし、その考えに基づいて編集を行うべきでもありませんよね?ここはヌーディズムのホームページではなく百科事典なのですから、Nudité d'Europeさんの持論を披露するのみではなく、客観的な記述をお願いしたいだけなのです。(3rrに抵触してしまいそうなので、これ以上のリバートは行いませんが、今見るとPohさんが編集なさっています。内容を見る限り、違法・合法の議論は、私とよりむしろPohさんとなさった方がよろしいかと思います。)
で、結局このように話があちこちに飛んでしまうわけです。何を提示しても、それに対し正面から向き合おうとなさらないわけですから、結局堂々巡りの議論になり、リソースの無駄を生み出してしまいます。私はそれを懸念し、Toki-hoさんの仲裁を受け入れ、議論を中断してみてはどうか、と、議論の一方の当事者として提案しているに過ぎません。繰り返しになりますが、Nudité d'Europeさんがおっしゃるように、私がリバートした版が「現実とは違う」のであれば、Nudité d'Europeさんでなくとも、必ずどなたかがNudité d'Europeさんの主張に近い編集をなさるでしょう。それを待たずに、議論の当事者が、仲裁されている議論のまさに核心の部分を編集なさったことに、道義的な疑問を感じているのです。--ひで。 2006年3月7日 (火) 10:33 (UTC)[返信]
約1名、ダラダラと取るに足らない持論を披露し続けている人がいて、議論に加わるのはリソースの無駄遣いにしかならないと判断し、 2006年2月25日 (土) 11:25の編集により恣意的に削除された部分の補填のみ行いました。今更こちらに書くまでもない内容です。今日のリバートは荒しへの対応です。--Poh 2006年3月7日 (火) 11:10 (UTC)[返信]
Toki-hoです。記事の正直な感想を申します。「日本における現状」の章は、POVを意識されての善意の編集により、文が肯定されたあとに、「ところが現実には」「ただし、多数派といえども」などの反転があり、わかりにくいです。しかし、「現時点の日本のヌーディズム」は、まさに、このようにわかりにくい状況そのものではないかとも感じます。ですので、「観点」テンプレートも含めこのままにされて、いままでかかわってきた主要なメンバー(ひで。さん、Pohさん、Nudité d'Europeさん、おやんずさん、miyaさん、Maris stellaさん、、、、私も^^?)のみなさまは、あきらかなイタズラ、および、リンクに関するこのノートでの協定違反の場合をのぞき、このままの状態(Pohさんの編集にNudité d'Europeさんが、「観点」をはられた状態)でおいておかれてはいかがでしょうか。現在の議論の主要メンバー(ひで。さん、Pohさん、Nudité d'Europeさん)間 では、ご自身の考えを正当としたいという欲求および、その欲求をおさえなければPOVになってしまうというご自身の内部での葛藤がはたらいて(ここでの議論そがそのような感情を生んでしまったということもあるかもしれません)膠着してしまうと、私自身は感じています。『コーカサスの白墨の輪』のたとえもございます。いちど記事から時間と距離をおいてみられてはいかがでしょうか。それとひとこと申し添えますが、このところ静観されているおやんずさんの態度は、立派だと私は感じております。以上、たびたび、口をはさみまして申し訳ございません。Toki-ho 2006年3月7日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
Toki-hoさん。提案するだけして、2ヶ月ほど静観するというのはどうかと思いますよ。私からも提案させて下さい。「日本における現状」を白紙にし、1年間執筆停止にするというのはどうでしょう? 「事実のみ書く」というウィキペディアの基本方針が守られないのではどうしようもありません。それでも相変わらず守られないならばさらに1年、それでもダメならさらにもう1年と執筆停止にするのも仕方ないでしょう。--Nudité d'Europe 2006年3月7日 (火) 20:38 (UTC)[返信]
それからもう一つ提案です。項目「ヌーディズム」がどうあるべきか参考にするために英語版Nudismの翻訳をみんなで共同でやりませんか? すでにフランス語版Naturisme試訳は私が始めていますが、時間と私のフランス語力の不足により(後者の方がより深刻ですが (;;^_^) )なかなか進みません。もちろんあくまで参考にするためです。英語版やフランス語版が理想的というわけではありません。1年間「日本における現状」をあきらめて、みんなで英語版翻訳に専念するというのもいいんじゃないでしょうか? おやんずさんなど英語が得意ですから力になると思いますよ。あ、ところでおやんずさんは「静観されている」のではなくて、個人的な事情でとてもここに参加できるような状況ではないのです。詳しくはおやんずさんのブログを見て下さい。--Nudité d'Europe 2006年3月7日 (火) 20:47 (UTC)[返信]
「事実のみ書く」というウィキペディアの基本方針はもちろんその通りです。ただし、今回の件については、現段階ではNudité d'Europeさんが「事実」と思われていることに対し、私は別の「事実」もあると提示してきたわけですから、私が「事実」と捉えている事象の正誤を述べるならともかく「守られないのでは・・・」というご発言は「誹謗」と受け止められます。誰に向けられたものかは存じませんが、少なくとも私は傷つきました。どうか慎重なご発言をお願いいたします。
白紙化の提案は確かこの議論が始まった頃にさせていただいたと存じておりますので、ここまで議論を引き伸ばされたNudité d'Europeさんからご提案があるとは思いもしませんでしたが、もちろん他の方のご意見を伺う必要はあるわけですが、基本的に私の立場からは異存はありません。ただ「執筆停止」については、そこまでガチガチにせずとも、Toki-hoさんが挙げられた「主要なメンバー」内で「自粛」すればよいことだと存じます。どなたか善意の編集者が現れ、適切な執筆をなさることまでをも妨げる権限はありませんから。明らかな「荒らし」への対応にも影響しかねませんし。
英語版の翻訳については、Toki-hoさんにご指摘いただいたように、このメンバーが関わっての作業自体が膠着を引き起こす可能性が高いと考えていますので、私は遠慮させていただきます。(英語力がない、という根本的な理由も大きいのですが。)
Toki-hoさんの意を汲み、私もこの発言をもって静観に転じさせていただきます。礼を失した発言も多々あったかと存じますが、どうかお許しくださいませ。「ヌーディズム」の記事が充実したものとなるよう、願って止みません。--ひで。 2006年3月8日 (水) 00:55 (UTC)[返信]
Take Off Yourへの小野田さんの投稿(この投稿は2004年のものと思われますが)を見たときは私もびっくりしたものですが、その後は結局何事も起こりませんでした。問題はこのことを『「誰にでも認められるべき人権のひとつ」として合法化を目指し活動しているヌーディストもいる。』(ひでさんの記述による)と百科事典に書き記すほどのことかということなんです。またそれを『その一方で「手軽に楽しめる快適なレジャー」としての側面を重視し、合法化にはこだわることなく海岸などの公有地において活動している者も多い。』と、その他のヌーディストたちの活動と対照させるほどの価値があるかということなんです。私にはこれは小野田さんの「宣伝」としか思えないんですよ。小野田さんが何かやろうとしていることは「事実」かもしれませんが、それはその「実際の大きさ」で扱われないと「事実」にはなりません。「誇大広告」になってしまいます。もう一度 2006年3月3日 (金) 08:46 の私の投稿を読んでみていただけますか?
白紙化の提案がすでにあったというのは本当ですか? 私は全く気がつきませんでしたが。また「白紙化」という言い方が誤解を招いたかも知れませんが、私の言いたいのは、中立的な観点が守られない限り、「日本における現状」という項目自体を立てないということなんです。「日本における現状」は項目「ヌーディズム」の一部であり、そこだけがヌーディストの「掲示板」になってはいけないのです。またよく言われることですが、ウィキペディア日本語版は「日本語版」であって「日本版」ではないのです。ここは「ヌーディズム」(あるいは「ナチュリズム」)についていろいろな言語で一般向けに概説した、ウィキペディアの項目の一部分なのです。そのことを認識するためにも英語版の翻訳が役に立つと思っているわけです。もちろん日本の読者を考慮して日本に付いての記事を書くことは正当ですが、そこだけが他の部分と離れて、事実でないことを書き立てる場所になってはいけません。それならむしろ無い方がましです。--Nudité d'Europe 2006年3月8日 (水) 08:42 (UTC)[返信]
2006年3月3日 (金) 03:25 (UTC) のコメントをご覧ください。--ひで。 2006年3月8日 (水) 08:59 (UTC)[返信]
要約欄に書き込み損ねたのですが、正確性テンプレートを貼るとともに、いくつかの疑問のある語句を削除しました。ただし削除せずに残した部分を認めたということではありません。第三段落目の「、、、している団体が多数派である」であるというのも、その前に「多数派」についての説明が何も無いので変ですし。第四段落目の「ヌーディズム推進派」と「支持者の多い国内最大の推進派」との関係は? 「ヌーディズム推進派」が「活動が性愛的な要素を含まないこと」を主張しているのに、「支持者の多い国内最大の推進派」が「露骨に男性を避け女性のみを勧誘したりしている」というのも違和感があります。--Nudité d'Europe 2006年3月10日 (金) 08:56 (UTC)[返信]

>ただし削除せずに残した部分を認めたということではありません。

Nudité d'Europe氏は編集者の一人に過ぎず、彼が認めるか否かには何の権威もないのはおろか価値すら全くない屁にも劣る程度の事です。--Poh 2006年3月10日 (金) 10:17 (UTC)[返信]

確かに「認めた」という表現は誤解を招きますよね。単に、削除していない部分に付いて「納得しているわけではない」ということを言いたかっただけです。--Nudité d'Europe 2006年3月10日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

全面的に改定しました[編集]

日本における現状」を全面的に改定しました。理由は、これまでの版が、日本に(公共のヌーディズムの活動場所を設けようとするような)公共的なヌーディズム運動が存在するかのような書き方がなされていたことや、ヌーディズムを禁ずる法律や判例がないのに「違法」であるかのような書き方がなされて来たからです。そのように事実に基づかない基盤に立って記事を書き進めても、立派な記事に発展する可能性はありません。皆がヌーディズムに対して様々な希望や疑念を持っているのは分かるのですが、あくまで事実のみを書くようにして下さい。これはもちろん私自身に対しても言っているのです。--Nudité d'Europe 2006年3月12日 (日) 20:56 (UTC)[返信]

全面的にリバートしました[編集]

議論中の状況からいって、上記の改定は独断的過ぎます。またUVA氏たちの活動および普及形態は、法律の条文からいって違法であることは紛れもない事実です。--Poh 2006年3月13日 (月) 01:16 (UTC)[返信]

ええと、このままいくとまた編集保護が必要になりそうですね。
「違法」という言葉について、素人が中途半端に使うのは危険だと認識しています。ウィキペディアは「合法」「違法」の判断を下す場ではありません。たとえPohさんが法律の専門家であっても、同じです。ウィキペディアは「orginal research」を書かないようにというのを基本方針のひとつに掲げています。ですから「違法」という判決が出ていない以上、「違法」と断定することは不適切だと考えます。
とはいえ「合法」とは程遠い状態であるのは確かですし、ヌーディスト以外の一般人にとって、公共地で全裸日光浴されるのは大人数であろうと一人であろうと、困惑やパニックをもたらすものであるのはまちがいありません。
PohさんとNudité d'Europeさんと、もしくはヌーディストと一般人、両方の視点を併記できるような編集を考えてみますので、おふたりとも一時停止し、これ以上のリバートはご自制願います。--miya 2006年3月13日 (月) 02:53 (UTC)[返信]

コメントアウト部分について[編集]

以下の部分をコメントアウトしました。理由を併記します。

  • >ヌーディストが他のヌーディストの本名など個人情報を無断公開したり、裁判に訴えるという事態も発生しており、
    • 百科事典にここまで詳細に書く必要があるのか疑問なので一旦コメントアウトしました。
  • >ところが現実にはレジャーとしての側面のみを重視し、現状は違法で犯罪であることにもかかわらず海岸などの公有地において活動している団体およびその支持者が多数派である。
  • >多数派の実践形態が関係する法律の条文からも違法活動であるため、
  • >支持者の多い国内最大の推進派が、違法の現状のまま犯罪者を増やすという方法を取っている上、露骨に男性を避け女性のみを勧誘したり、またモデルに年齢制限を設け若い女性のみを扱ったアダルト性高いビデオを販売しているため、
    • 上の部分は主観の混じる「主張」であるため、一旦コメントアウトしました。「女性のみを勧誘」も「ビデオ」の「年齢制限」も反対者の立場からの一方的な記述であり、両論併記を原則とするウィキペディアにはなじみません。また前にも書きましたが、判決があるわけではない段階で「違法」「犯罪者」と断定することは避けるべきだと考えます。ウィキペディアは演説会場でも告発サイトでもありません。

これらの記述を復活させるべきかどうか、Pohさん・Nudité d'Europeさん・私以外の皆さんのコメントをお願いします。--miya 2006年3月13日 (月) 07:05 (UTC)[返信]

(コメント)「日本における現状」としては、「実践可能な場所が極めて限られ(公共の場では実践不可)かつ実践する者もごく少数という状況」「解釈の違いに起因する絶えることのないヌーディスト間のトラブル」「『ヌーディズム』への一般的な認識とヌーディストのそれとの乖離」について簡潔な説明と、その帰結として「日本ではこれまで大規模で連帯的な普及活動に至ることがなかった」という大まかな文脈の流れがあれば、私はそれで十分だと思います。miyaさん、お疲れさまでした。--ひで。 2006年3月13日 (月) 07:59 (UTC)[返信]
Miya様、大変ご苦労様です。一番上の「>ヌーディストが他のヌーディストの本名など個人情報を無断公開したり、裁判に訴えるという事態も発生しており」に関して言いますと、これを書いたのは私で[5]、私自身ここまで書く必要があるかどうか疑問を感じたので「全面的改定」[6]において割愛しました。従って(コメントアウトではなく)削除して下さって結構です。ただウィキペディアの「本文」において、一旦書かれた文章は誰の所有物でもありませんから、Miyaさんがこの文章に関心を持たれ、皆にその存否を問う必要があると感じられたのであれば、その限りではありません。--Nudité d'Europe 2006年3月13日 (月) 23:49 (UTC)(打ち消し)2006年3月14日 (火) 18:41 (UTC)[返信]
まず、Maris stellaさんの編集にあったように「(全裸になる事を条件とする)ヌーディズムを公共の場でじっせんすれば、動機のいかんに関わらず日本では「公然猥褻」であり犯罪となる」のであり、公共の場で全裸になる事はヌーディズムであるかないかという動機にかかわらず「違法」であり「公然猥褻」であり「犯罪」です。そして有罪になったという判例は腐るほどあります。ですから「判決があるわけではない段階で・・・・」というのは全く違うと思われます。この中で「違法」という言葉だけがウィキペディアで使えないのであれば別の表現に置き換えればよいでしょう。また『「女性のみを勧誘」も「ビデオ」の「年齢制限」』はNAKE'Sの入会制限とNAKE'Sが資金源としているWAW VIDEOで当人たちが述べていることで、反対派からのコメントであろうが賛成派からのものであろうが「広島と長崎に原爆が投下された」などと同様の事実です。両論併記のためにあえて反対意見を書く必要はないと思います。強いて言えばその事実をアダルト性と結びつけられるかどうかです。賛成派が擁護になるようなことを書きたければ書けばいいだけですし書かないのは当人達の自由です。多数派/少数派がPOVだという指摘もありましたが、現実におやんず氏だけが合法化を含むヌーディストの権利獲得の必要性を主張し、UVA氏とNAKE'Sそしてその信奉者達は違法の現状下で実践しそれを普及しているのですから、数的に全く間違いではないです。--Poh 2006年3月17日 (金) 08:46 (UTC)[返信]
議論の発端は「ヌーデイズムを秘法とする法律はない」云々の意見からですが、そもそもヌーディズムの事を違法(もしくはその疑い)とする記述などは一切なく、あくまでも「全裸でいることが認められていない公有地で全裸にないことが違法である」と記述しているのであります。したがって
>「違法」という判決が出ていない以上、「違法」と断定することは不適切だと考えます。
という管理者であられるmiyaさんのお言葉からいけば、数多くの判例ある「公有地で全裸になる行為」を「違法」であると記述する事はウィキペディア的には全く持って、一切、何一つ問題はないといえることになります。--Poh 2006年3月20日 (月) 00:54 (UTC)[返信]

そろそろまとめたほうが良いかと思われます。「全裸でいることが法律で許可されていない場所」で全裸になる事は即ち「違法行為」であり、そのことにPOVが入る余地はありません。それで有罪となったケースも数多くあり、それが違法であることは日本生まれの日本育ちの日本人なら知的障害者などの特殊な場合を除き十分に理解できる事です。それを承知でヌーディズムを実践かつ普及している者がいるということです。

確認させていただきたいのは、ひで。さんの言われた「実践可能な場所が極めて限られ(公共の場では実践不可)かつ実践する者もごく少数という状況」に付け加える簡潔な説明がどのようなものなのかということです。「」の中だけですと実践不可ということであり、これだけですと一般読者には不可だから実践していないと受け取られます。しかし現実にはおやんず氏のように不可能を可能にするために合法化に向けて活動しておられる方もいれば、UVA氏のように法律上は不可能でも法を犯して実践し更にはそれを他人に勧め普及させようとしている者もいるのが事実です。ウィキペディアは事実を書くところですから、「」の中だけでもしこの事実を書かないのであれば事実を隠蔽し歪曲して書いている事になります。事実を歪曲させることが必要になる理由というものが全く見当たりません。--Poh 2006年3月24日 (金) 11:50 (UTC)[返信]

欧米のヌーディズム運動とのつながり[編集]

Pohさんによるリバート[7]からわずか5時間半ばかりでまとめられた[8]のでいろいろ混乱があるのは仕方ないと思いますが、「日本ではヌーディズム運動が統一した運動として進展していないが、その理由としては、地理的、言語的な理由により、欧米のヌーディズム運動とのつながりが薄く、欧米でヌーディズムが普及していることへの文化的、社会的背景への理解が不足していることが挙げられる。」という文章も私が書いた[9]後、主観的に過ぎると思って「全面的改定」[10]において削った文章です。たぶんMiyaさんが十分に調べる余裕が無くて掲載されたと思いますので、上の文章とともに削除させていただきました。--Nudité d'Europe 2006年3月14日 (火) 18:41 (UTC)[返信]

お二人の版両方の記述を全て取り入れた上で、ウィキペディアの基本方針に照らして問題であると考えた部分をコメントアウトし、日本に住む一般人およびPTA関係者としての観察を補いました。
上でご指摘の部分については、なぜ削られたのか履歴を見ただけではわからず、また「日本のヌーディズムはそういうのもなのか・・・」とあっさり納得してしまった結果です。これが「主観的」かどうかに関しては私には判断がつきません。
再掲をご希望の方がいらっしゃいましたらここでお話し合いをお願いします。--miya 2006年3月15日 (水) 02:54 (UTC)[返信]

一般の見方について[編集]

Miyaさんがいろいろ御骨折り下さっているのは分かるのですが、「ヌーディズムは日本人全体から見ればごく少数による活動であり」というのは事実と言って間違いないでしょうが、「大多数の日本人には、ヌーディズムを実践している人が日本にもいることさえ知られていない。そのため当人がヌーディスト活動のつもりであっても露出狂とみなされる可能性が高い。また、無人島など人里はなれた場所ならともかく、身近な公共地でヌーディズムを実践されるとなると受け入れがたいと考える人がほとんどである。」となると、まあそうかも知れないなと思わないこともないですが、何らのデータがある訳ではなく、主観的な意見と言わざるを得ないでしょう。もう一度言いますが、事実のみを書く、言い換えれば「すでに存在する事実のみ書く」ようにお願い致します。日本におけるヌーディズム活動が実際に社会問題になっているなら当然書かれるべきでしょうが、ここで問題になっているからと言って、自分の主観的な意見を発表するのは控えて下さい。--Nudité d'Europe 2006年3月14日 (火) 11:11 (UTC)[返信]

失礼しました。
>日本でヌーディズムが広く理解を得ているとは言いがたい。そのため公共地でヌーディスト活動を実践すると、不審者や露出狂とみなされる可能性がある。また、ヌーディズムとわかっても身近な公共地での実践は受け入れがたいと考える人がいることは、和歌山のヌーディストビーチ開設計画が頓挫したことからもうかがえる。
に変えてみましたが、主観を修正するのは難しいですね。もっと良い表現があったらご提示いただければ幸いです。ただし「不審者や露出狂」と書いたのは誇張ではありません。日本では見知らぬ大人が小学生に話しかけてきただけでも「不審者ではないか」とPTAの連絡網で連絡が回ったります。ましてや全裸の男性が目撃されれば地域はパニックに陥りかねません。ただしそこまで警戒しない地域もあるかもしれないので「みなされる可能性がある」に改めました。いかがでしょうか。--miya 2006年3月14日 (火) 12:34 (UTC)[返信]

>ましてや全裸の男性が目撃されれば地域はパニックに陥りかねません。

--Nudité d'Europe 2006年3月22日 (水) 10:22 (UTC)あの (;;^_^) 、、、Miyaさんが一体どのような場面を想像なさっているのか分かりませんが、「、、されれば」というところを見ると、そういう事例が実際に今まで頻発し、社会問題となっているということではありませんよね。それになぜ「男性」だけが取り上げられるのかもよくわかりませんし。また小見出しの「一般の見方」というのも気になります。まるでヌーディストが「一般(人)」ではないかのようですし。もし、例えば「キリスト教」という項目に「一般の見方」という見出しがあって、「キリスト教は日本人全体から見ればごく少数による信仰であり、 日本でキリスト教が広く理解を得ているとは言いがたい。そのため公共地でキリスト教活動を実践すると、不審者や狂信者とみなされる可能性がある。」なんて書かれてあったらどうでしょう? 「両論併記」というのは実際に社会に存在する、異なる立場の見解を記述することであって、ここで執筆しているウィキペディアンの意見を並べ立てることではないでしょう?--Nudité d'Europe 2006年3月15日 (水) 11:28 (UTC)(一部修正)2006年3月17日 (金) 08:30 (UTC)[返信]

フェアであることと、好意的な立場という文章もお読み下さい。--Nudité d'Europe 2006年3月16日 (木) 17:57 (UTC)[返信]

「可能性がある」というのは最大限に好意的な加筆なのですよ。男性だけがとおっしゃるので言いますが、女性なら正気を疑われ、大人数なら「怪しい集団」と思われるでしょう。集団に対してはPohさんのような感想を持つ人がほかにもいるかもしれません。とはいえ、それらはあくまで仮想であり「事実」ではないので、本文には書きません。現実にどういう反応があったかは、日本で実践されている方にうかがいたいものです。ただしその方が自宅近くで実践されたのでなければ、地域の反応は知りえないだろうと思います。--miya 2006年3月17日 (金) 11:30 (UTC)[返信]

「一般」の対義語は「特殊」であり[11]、「一般の見方」という見出し自身がすでに、ヌーディズムは特殊であるという価値判断を示しており、ウィキペディアにはふさわしくないでしょう。もう一度言いますが、たとえば「キリスト教」に「一般の見方」という見出しがあったらどうでしょう? (何なら私が付けてみましょうか?)

また「合法化を求める動き」についてですが、小野田英(たけし)さんが何かしようとしたことは事実のようですし、他にもそのような人が存在するかも知れませんが、まとまった社会運動となっている訳ではないので、見出しにするほどのことはないと思います。これは元々は、『「誰にでも認められるべき人権のひとつ」として合法化を目指し活動しているヌーディストもいる。、、、前者の例はNaturism Home Pageに見られ、、、』[12]という文章だったのであり、私にはこれは宣伝のように思われましたので、少しずつ修正して来ましたが、「全面的改訂」[13]において完全に削除したのです。

またその次の文章も元々は、『日本での「ヌーディズムの合法化」も、このような限定された場所等におけるヌーディズムの実践を、「公然猥褻」などの適用外とするよう、法解釈を変更するか、法の改定を目指すものを言う』というものであり[14]、私が『ヌーディズムの合法化とは、普通このような限定された場所における、、、』[15] というように改変して来たりしましたが、元々の文章において、そもそも日本でそのようなことが言われている訳でなく、執筆者の断定に過ぎなかったものであったため、「全面的改定」において削除したのです。--Nudité d'Europe 2006年3月18日 (土) 09:03 (UTC)[返信]

また、「日本における現状」の冒頭にある「日本にもヌーディズムを提唱し実践する、個人やいくつかの団体がある。」という文のおおもとは、私(83.114.57.176)がこの項目の前身である「ナチュリスム」を作った時最初に書いた、「日本にも少ないながらもナチュリスムを実践する団体がある。」という文ですが、「ヌーディストビーチ開設の動き」にある「私的に仲間を集めて活動したり、私的なクラブが設立されたりしているが、」という文と内容が重複するので削除したのです。

以上のような考えで、できる限り簡潔にまとめたものが 「2006年3月12日 (日) 18:42 の全面的改定」だったわけです。Miyaさんが、「ヌーディズム」の執筆編集者同士の争いを解決なさろうとして、いろいろ御骨折り下さっているのは分かるのですが、私が「ヌーディズム」を加筆編集する際は、このように最古の版からすべての履歴を踏まえた上で行なっているということをご理解下さい。ですから私自身が削除した私の文章が復活させられるというような編集は困るのです。またもう一度言いますが、「両論併記」とは社会に実際に存在する、立場の異なる意見を記述することであって、ここで執筆編集しているウィキペディアンの(必ずしも正確とは言えない)記述を並べることではありません。我々はいくら事典編纂のアマチュアとは言え、読む人への責任はあるのですから、確かでないこと、あいまいなことを書くわけには行かないのです。--Nudité d'Europe 2006年3月19日 (日) 09:34 (UTC)(修正)2006年3月19日 (日) 19:47 (UTC)[返信]

「ヌーディズムは特殊であるという価値判断」とおっしゃいますが、ヌーディズムは日本において「極端に少数派」であり、その意味において十分に「特殊」です。正確を期して「ヌーディスト以外の人々の見方」「そのため公共地で全裸になれば、ヌーディストであるとは理解されずに不審者や露出狂とみなされる可能性がある。」に訂正しました。
(※)ただしこれを、そこそこ信仰者が存在する「キリスト教」になぞらえることは、誤解をまねきます。キリスト教の項によれば「日本の総人口の約1%弱」と人数もはるかに多いし、太平洋戦争中ならともかく現在のキリスト者の宗教活動に日本の法令や社会規範と相容れない部分はさしあたっては見えません。それゆえ「公共地でキリスト教活動を実践すると、不審者や狂信者とみなされる可能性がある」と書くことはできないでしょう。
「合法化を求める動き」については、そのような動きが「ない」なら「ない」と書くことも百科事典としては意味があると思いますが、これについては他の方たちのご意見をお待ちしたいと思います。
また以下の部分ですが、「私自身が削除した私の文章が復活させられるというような編集は困る」とおっしゃられても困ります。
  • 私的な場所か、公共の海岸や森林でも人目に付かないところで実践している
  • 私的に仲間を集めて活動したり、私的なクラブが設立されたりしているが、
まったく同じではありませんし、この程度の重複、冗長さは許容範囲内だと私は思います。が、これについても他の方たちのご意見をお待ちしたいと思います。--miya 2006年3月19日 (日) 23:46 (UTC)[返信]

私は皮肉を言うのはあまり好きではないのですが、見出しを「Miyaの見方」にしてみてはいかがでしょう? そうすれば何が問題なのかよく分かると思います。「困ります」については引用されている文が私の引用した文と異なっています。

こう言うのは申し訳ないとは思うのですが、よく分からない項目に付いては記述を控えられた方がいいのではないでしょうか? 私だって明らかな誤字などは訂正したりしますが、自分が全く門外漢の項目に何か書き加えようなどということはしません。いくらアマチュアによるアマチュアのための事典(これは私の勝手な定義ですが)とは言え、やはり読む人への責任というものがあるからです。Miyaさんがヌーディズムにどのような考えを持とうともちろん自由ですが、自分の意見はウィキペディア外のWebサイトで述べられてはいかがでしょう? 例えば私のブログや掲示板に書かれても構いませんよ。--Nudité d'Europe 2006年3月20日 (月) 01:07 (UTC)[返信]

Nudité d'Europeさん、例えあなたが編集にあたり「最古の版からすべての履歴を踏まえた上で行なっている」としても、それが「私自身が削除した私の文章が復活させられるというような編集は困る」という論拠にはなりえませんよ。その結論に至るには、この記事においてNudité d'Europeさんの現時点の判断こそが絶対である、もしくはNudité d'Europeさんが現時点で判断していることが他の編集者によって覆されてはならない、という前提が必要になってしまいますから。miyaさんの編集を上記のような理由を用いて否定しようとなさるのは、Nudité d'Europeさんご自身のこの記事に対する愛着によるものなのかもしれませんが、それは誰にも理解を得られない身勝手な主張だと感じます。
「確かでないこと、あいまいなこと」というのは、現在の日本国内におけるヌーディズム実践の全てが当てはまるように思います。大多数の人間から見れば、どの愛好者もネットの中で賛同者を募っていることは分かるものの、実態があるのかどうかすら「確か」でなく「あいまい」だと思います。したがって、ある特定の活動についてのみ「あいまい」と判断するべきではなく、日本におけるヌーディズム活動全体も「あいまい」と判断せざるをえないと思います。しかしながら、miyaさんの問題提起にも関係してくることですが、日本国内におけるヌーディズム全般が「あいまい」ながら「ない」と断言できるものでもないわけです。その中でのそれぞれの主張、行動についても、大多数から見れば、単にその極少数の実践者の中でさらに主張が分かれている、その多寡の問題に過ぎないでしょう。そういった点をあえて無視して、日本国内のヌーディズム実践の一形態に過ぎない記述のみをなさるべきではありません。--ひで。 2006年3月20日 (月) 01:00 (UTC)[返信]

ひでさん、もう夜も遅いので簡単に書きますが、「2006年3月12日 (日) 18:42 の全面的改定」がなぜあんなに簡単になったかと言うと、確かでないこと、あいまいなことを読者に提供する訳には行かないからです。決してあれで十分などとは思ったわけではありません。あそこから発展させて行こうと思っているだけです。少し大胆に削ってしまいましたが、それまでの文章が、いろんな人の文章がごちゃごちゃに混ざりあっていて収拾がつかなくなっていたので、統一した観点からの記述にまとめる必要があったからです。削除した文章の内容をすべて否定した訳ではないのです。ともかく、正確性の欠ける記述がいくらあっても事典としては役に立ちません。そのような記述は、あるよりも無い方がいいのだということを確認しましょう。--Nudité d'Europe 2006年3月20日 (月) 01:31 (UTC)[返信]

私はあるよりも無いほうがいいというニュアンスを逆説的に言ったつもりなのですが…「確認しましょう」とは誰に対してのコメントでしょうか???Nudité d'Europeさんの「あいまいなことを削った」という主張はもう何度も聞いており、それを認識した上で「削られていない部分もあいまいなのでは?」と問題提起しているのです。削除した文章の内容どうこうというのは、過去の経緯に由来する反論でしょうか?収拾がつかなくなりますので、議論の幅をやみくもに広げないようお願い致します。
上記コメントを見ても、Nudité d'Europeさんはご自分のお考えについては「正確」であるとお思いのようですが、日本における現状を全体的に見ればヌーディズムの実践を「正確」に記述することなどできません。「確かでないこと、あいまいなことを読者に提供する訳には行かない」ならば、「2006年3月12日 (日) 18:42 の全面的改定」自体あるよりも無い方がいいと思います。
なお、miyaさんを排除するかのようなコメントは明らかな対話拒否だと思います。「周囲の意見に聞く耳を持たない編集者が、記事を恣意的に支配している」かのような印象も持たれかねませんので、ご自分と異なる考えに対しても、よく分からないなら書くなというような乱暴な主張は控えられたほうがよろしいと思います。--ひで。 2006年3月20日 (月) 02:46 (UTC)[返信]
ウィキペディアは複数の編集者によって編集されるものですから、自分で削除した意見であっても別の編集者が必要性を感じたり、また結果的に同じような意見を記述する事には問題はないといえます。それを困るという事自体Nudité d'Europe氏が意見を私的なものと考えている、すなわちウィキペディアを自己主張・演説の場と考え私的に利用している事の表れのように感じられます。またNudité d'Europe氏は短期間に意見を書いたり削除したりしていますが、第三者的に見て全く思慮に欠け、いい加減無責任な立場で、思いつきで書いているとしか思えません。ウィキペディアを私的に利用しているという事もあるのかもしれませんが、このようなNudité d'Europe氏の行為はリソースの無駄遣いであり迷惑行為以外の何ものでもありません。--Poh 2006年3月20日 (月) 01:20 (UTC)[返信]
議論内容について意見を続けます「一般」の使い方ですが「会員と一般」などのように特定の人たちを除いた残りの人たちを指すば場合に普通に使われている用語ですから、ヌーディズムの項目でヌーディスト以外を一般と呼ぶのは問題はないでしょう。一般的立場から見て、法律で禁止されている場所で想定外に強制的に裸を見せられた場合、裸に対しどのような違憲的立場の人であっても大多数の人は少なからぬ動揺はあるでしょう。その意味でmiyaさんが書かれた事は修正の前後を問わず正しい事だと思います。ついでにmiyaさんが別のところで言われてた、目撃されたのが単独男性か集団かの違いですが子供に理由を聞かれた場合、単独男性ならば単なる変態として「あの人頭がおかしいのよ」で済むでしょうが、これが集団だったら「何かしている」にしてもそれが何なのか説明に困るのではないでしょうか?ましてNAKE'Sの場合は単なる裸だけではなくこちらの写真のように性器を異性の身体に接触させてたりもしているのです。PTA関係者の立場としてどうなのかお聞きしたいくらいです。
合法化を求める動きについては、日本のヌーディストの間ではUVA氏が中心となり違法行為のまま実践しかつ普及活動をおこなっているのが現状です。ただその中で極少数ではあるが、おやんず氏などが合法化の必要性を提唱し一部ではあるが法廷闘争などを通し活動しているということで、ある意味日本のヌーディズムが面目躍如されているということになるのでしょうか。おやんず氏の宣伝だと言う意見がありますが、人間として当然の活動をしているだけであり、UVA氏を筆頭に他が犯罪的行為を行っているから際立って見えるだけです。また合法化の活動が微々たるものだから記述しなくて良いというNudité d'Europe氏の意見からいえば、記述すべきは多数派である、違法行為を実践し普及しているUVA氏たちの活動だという事になります。--Poh 2006年3月20日 (月) 02:10 (UTC)[返信]

ひでさん、なるほど「2006年3月12日 (日) 18:42 の全面的改定」をそういわれて読んでみると、「日本には自治体公認のヌーディストビーチなど、公共のヌーディズム実践の場所はまだ無い」以外はおっしゃるように「確かでないこと、あいまいなこと」のような気がして来ますから不思議ですね。ひでさんは2006年3月3日 (金) 03:25に『ホームページを開き、自らの主張を掲げ、賛同を呼びかけることが具体的な活動ではないと仰るなら、「日本における現状」の項目そのものが不要ではないか』とおっしゃっていますし、私も2006年3月8日 (水) 08:42 に『中立的な観点が守られない限り、「日本における現状」という項目自体を立てない』と言いましたし、読む人にとって書く人の都合などどうでもいいことですから、やはりいっそのこと当分(少なくとも一年間)「日本における現状」という項目を立てないことで同意の方向に持って行くのがいいかも知れませんね。と言うか、「2006年3月12日 (日) 18:42 の全面的改定」自体、その記事の量からして、「日本における現状」の削除みたいなものですし。大体この項目(の前身である「日本における課題」)を立てたのはひでさんなんですから、ひでさんの責任は大きいでしょう。--Nudité d'Europe 2006年3月20日 (月) 08:46 (UTC)(打ち消し)2006年3月20日 (月) 18:53 (UTC)[返信]

なぜここで私の「責任は大きい」という私への批判とも取れるコメントが出てくるのでしょうか?誰もが編集できるWikipediaなのですから、私の編集がなくなることも、書き加えられることも、誰の「責任」にもならないと思いますが。仮に、私が私の編集に固執しているのなら、そういった批判も当を得ていると思いますが、そうではないのですから、無責任な「責任」論はおやめくださいますよう、お願いいたします。
同意についても、私以外の方の意見をよく確認してください。特に現在の版の編集をなさったmiyaさんや、上に問題提起をされているPohさんの意見を確認せずに同意には至らないと思います。--ひで。 2006年3月20日 (月) 10:20 (UTC)[返信]

ひでさん。そうですね、批判のつもりではなかったのですが、誤解を招く表現でしたので取り消します。ただ、Miyaさんに、「よく分からない項目に付いては記述を控えられた方がいいのではないでしょうか?」と言うことがどうして「対話拒否」になるのかはよく分かりません。

Miyaさんへ。ヌーディズムに反対する意見があるのは何も日本に限ったことではないでしょう。むしろヌーディズムが活発に行なわれている国の方が反対意見も多いかも知れません。ですからそれについてはご自身でよくお調べになり、記事全体の中にうまく取り込まれるようにしてみてはいかがでしょう。「日本における現状」の「ヌーディスト以外の人々の見方」はそのうち削除させていただきます。--Nudité d'Europe 2006年3月20日 (月) 18:53 (UTC)[返信]

(追記)「一般の見方」あるいは「ヌーディスト以外の人々の見方」という項目を立てるとしたら、それと共に「ヌーディストの見方」という項目が必要じゃないでしょうか? そうでないと「両論併記」にはなりませんよね。しかし私はそんな見出しはどちらも必要ないと思いますけど。第一そんな例はウィキペディアの他の項目には無いようです。「Wikipedia 一般の見方」で  google 検索してみたら、「ヌーディズム」がトップでヒットしました。そんなものです。--Nudité d'Europe 2006年3月21日 (火) 21:03 (UTC)(修正)2006年3月21日 (火) 21:27 (UTC)[返信]


>ヌーディズムに反対する意見があるのは何も日本に限ったことではないでしょう。
>むしろヌーディズムが活発に行なわれている国の方が反対意見も多いかも知れません。
であるならば海外の反対意見を調べて併記すればよいでしょう。この節を削除する理由にはなりませんね。
>ですからそれについてはご自身でよくお調べになり、記事全体の中にうまく取り込まれるようにしてみてはいかがでしょう。
編集にが重なる事により文章が回りくどくなった事は何度もあるので、小見出しとして分けておいたほうが後々何かと良いのではないかと思います。
あとタイトルですが「一般の見方について」で充分に通じる事ですし、そのほうが自然だと思います。一人の編集者の不理解ためにわざわざ変える必要はなかったのではないかと思います。--Poh 2006年3月21日 (火) 12:05 (UTC)[返信]


Nudité d'Europeさん、
>Miyaさんに、「よく分からない項目に付いては記述を控えられた方がいいのではないでしょうか?」と言うことがどうして「対話拒否」になるのかはよく分かりません。
とのことですが、miyaさんはNudité d'EuropeさんとPohさんの間で編集合戦にならないよう、第三者的な立場から仲裁のための叩き台を提示したわけです。それに対しNudité d'Europeさんが、内容に対する反論だけならまだしも、miyaさんの行為の根本から否定し、miyaさんをこの場から排除しようとするかのような発言をなさるのが問題だと思っています。仮にmiyaさんは「よく分からない」のだとしても、「よく分からない」なりに問題提起をし、編集に関わられているわけですから、それに対し一方的に排除しようとすること自体、十分「対話拒否」だと思います。
内容に対する反論に留められるのであれば、私は何も言いません。これまでどおり「静観」いたします。が、miyaさんのご好意を全否定し、それを排除なさるような発言をされ、かつご自身のその発言の重みを自覚なさらず、miyaさんに対する非礼を詫びようともなさらない、そんなNudité d'Europeさんの姿勢を見ていると、とても「静観」できませんでしたので、ここ数日の間、登場させていただきました。ご理解いただけず、残念ですが、これ以上申し上げることもありません。今はただ、今回の一連の議論について、「第三者」の方のご意見を伺いたいところです。--ひで。 2006年3月22日 (水) 03:52 (UTC)[返信]

 名前でははじめまして、Greenishpurplrです。  今回の議論を拝読させていただきますと、ひで。さんのご意見もごもっともなところがございますが、それでしたらなぜOyanz氏にも同様なご注意をなされなかったのでしょうか。  ひで。さんは、本来そういったことができるような物事を冷静に判断できる人だと思っておりますので、ここの議論に入る以前にあった、別の掲示板での議論を無意識のうちに引っ張ってきているのかな、  と、見ております。  Nudité d'Europeさんが今まで行ってきた編集方法については、やや独善的に陥る傾向もなきにしもあらずかな、とは思いますが、記事内容としてはおおよそこれがふさわしいかとは思っております。  一方で、miyaさんの考え方もそれなりに理解できます。ただ、記事内容については、やや細かく書きすぎたかな、と思っております。ただ考え方については一番納得できます。  ほかにも申し上げたいことがございますが、ここで失礼させていただきます。--Greenishpurplr 2006年3月22日 (水) 05:50 (UTC)[返信]


Greenishpurplrさん、はじめまして。貴重なご意見ありがとうございます。過去のOyanz氏関連についてのご指摘ですが、確かにその段階では冷静さを欠いた状態でいたことは間違いありません。他所での議論の影響があったことも否定いたしません。しかしながら、現在はToki-hoさんのご提案を受け冷静に「静観」をしようと努力している最中であり、これまでの経緯に影響されないよう注意しながら、気になった点のみ、客観的に指摘しているつもりです。したがって、無意識のうちに未だに過去の議論の影響を受けているとご指摘を受けるなら、仮に過去の経緯に由来する多少の色眼鏡(失礼な表現で申し訳ありませんが…)があったとしても、基本的にそれは私の努力がまだまだ足りないということの証左ですので、今しばらく「静観」を続けたいと思います。
記事内容としてはNudité d'Europeさんの編集を妥当とされ、一方で考え方としてはmiyaさんのものに共感なさっているご様子ですね。議論関係者以外の方のご意見を伺えてよかったです。--ひで。 2006年3月22日 (水) 07:16 (UTC)[返信]

ひでさん。ウィキペディアは百科事典であって、インターネット掲示板ではないのです。よく分からないことや主観的な意見は書いてはいけないのですよ。我々は百科事典編纂のアマチュアとは言え、読む人への責任、あるいは社会的責任はあるのです。きのうWikipedia:中立的な観点を読んでいたら、「中立的な観点」と「立証可能性」と「独自の研究を含めない」は「ウィキペディアの記事における方針の三つ」と書いてありました。「中立的な観点」以外はまだ日本語訳が出ていないのが残念ですが、「立証可能性」の英語版を読んでいたら、ウィキペディアの記事はすべて誰もが確認することのできる信頼できる出版物を典拠としなければならない、というようなことが書いてありました。これを厳格に適用したらウィキペディアのほとんどの記事が不合格になるんじゃないでしょうか? 

私は何度も、Miyaさんがいろいろ御骨折り下さっている、と書いて来ました。しかしそのこととウィキペディアの執筆とは別のことです。それから私は、よく分からないことを書いてはいけない、と言ったのであり、よく調べて理解していることは書いていい、と言っているのですよ。それがどうして「miyaさんの行為の根本から否定し、miyaさんをこの場から排除しようとする」ことになるのでしょうか? まさか「この場」というのはこの「ノート」のことではないでしょうね。私はもちろん「本文」のことだけを言っているのです。--Nudité d'Europe 2006年3月22日 (水) 10:22 (UTC)(修正)2006年3月22日 (水) 10:26 (UTC)[返信]


第三者に委ねませんか?[編集]

長くなりすぎているので節を分けます。 互いに相手の主張を「よく分からないことや主観的な意見」と思っている者同士の、水掛け論的な議論の「仲裁」のための、とりあえずの中間案なのですから、当事者のどちらから見ても「よく分からないことや主観的な意見」が多少なりとも含まれているように見えるのは当然です。ただし、それが本当に「よく分からないことや主観的な意見」なのかは、当事者以外の方の検証に委ねなければ分からないでしょう。当事者本人が「これは正しい、主観的な意見などではない」といくら叫んでも、それだけではそれが真実かどうかの証明にはなりえませんし、逆に相手の主張部分を「これは主観的な意見だから事実と異なる」と言っても、立場上説得力はありませんからね。
だからこそのToki-hoさんの「静観」のご提案だったのですし、だからこそ、今の段階でmiyaさんの編集(=「仲裁」)を「分からないなら書くな」とでも言うかのような姿勢で批判することに対し、私は抵抗を感じたのです(これについてはまだご理解いただけていないようですが・・・)。編集の内容そのものについては、私は「静観」中ですし、上記のように何を述べても説得力に欠けるはずですので、何も申し上げることはありません。第三者の声に内容の判断を委ねたいと思います。今の、miyaさんが骨格を作られた「折衷案」的な記事の内容がおかしいなら、必ず議論当事者以外の誰かの指摘が入り、正しい方向に軌道修正してくれるでしょう。元々の編集内容がおかしい場合、必ず誰かがそれを修正していく―そして実際に、Nudité d'Europeさんは私の編集を大幅に修正なさった―わけです。それがWikipediaという「インターネット百科事典」の特徴であり、利点なのですから。--ひで。 2006年3月22日 (水) 11:20 (UTC)※上記文中において、他の方により恐らく誤って追加された箇所を元に戻しました。--ひで。 2006年3月23日 (木) 00:20 (UTC)[返信]

※申し訳ない、それは私です。--Nudité d'Europe 2006年3月23日 (木) 08:20 (UTC)[返信]

こんなのでいかがでしょう?[編集]

小見出しを廃止し、少し整理してみました[16]。--Nudité d'Europe 2006年3月22日 (水) 16:20 (UTC)(改訂)2006年3月22日 (水) 22:32 (UTC)[返信]

2006年3月13日 (月) 07:59 (UTC)にmiyaさんへのコメントとして書いていますが、なぜ日本では大規模で連帯的な普及活動(公的リゾート開設運動も含む)に至ることがなかったか(あるいは頓挫してきたのか)を簡潔に説明するような文脈であれば基本的には異論はありません。それに比べれば「枝葉」的な瑣末な部分ですが、小見出しの廃止などについてはmiyaさんやPohさんのご意見も確認すべきでしょうね。とにもかくにも、今後この記事がどのように変遷していくのかを見守りたいと思います。--ひで。 2006年3月23日 (木) 01:16 (UTC)[返信]

小見出しを廃したのは「日本における現状」の肥大化を防ぐためです。何より記事全体の充実を計らなければなりません。ヌーディズムの歴史」も「ヌーディズムの現状」もまだまだ貧弱です。しかし残念ながら私には知識はないし、文献もほとんど持っていません。フランス語版 Naturisme の 試訳もなかなかはかどらない。記事全体とのバランスを考えると、現在の「日本における現状」でも多過ぎると私は感じています。(2006年3月12日 (日) 18:42 の全面的改定は少な過ぎますが、無駄に多いよりはスリムな方がいいと思っています。)

例えば、ひでさんの文章『ヌーディズムに反対する意見の根幹にあるのは、公共の場などで「裸でいること」そのものに対する反対であり、「裸でいること」を必要条件とするヌーディズム推進派とは根本的に相容れない。ヌーディズム推進派はこれに対し、活動が性愛的な要素を含まないこと、「裸でいること」による健康面における様々な効果、「裸でいること」に対する羞恥心や嫌悪感は後天的なものであることなどを主張しているが、反対意見に対し説得力のある反論が行えているとは言い難い。』(初出はこちら)は何も日本に限った話ではないでしょうし、なぜ人は(一部の民族を除いて)服を着るようになったか、また暑くて服が必要でないような状況でも、服を着る事を是とするようになったかなど、文明論、文化論の中にうまく組み込めたらいいと思っています(将来の話ですが)。--Nudité d'Europe 2006年3月23日 (木) 09:21 (UTC)[返信]

小見出しについて賛成意見も出ている中での廃止は、一方的で他の編集者を無視した独断的行動なので直前のものに戻しました。
また、小見出し廃止後の編集について
>ヌーディズムをヌードレクリエーション(略してヌーレク)と言うこともある。
ヌードレクリエーションはヌーディズムの同義語ではなく、また同じ意味として使われている事実もないということと、また編集で付け加えられた「実践」については、レクリエーション以外にも、生活そのものであったり、普及活動や研究なども含まれるのでリバート後は修正せずとりあえずそのままにしています。この文章自体が間違いであるので削除することも考えましたが、「ヌードレクリエーション(略してヌーレク)」という言葉の説明はあっても良いと思うのでそのまま残しました。--Poh 2006年3月23日 (木) 11:01 (UTC)[返信]

私としては「こんなのでいかがでしょう?」の文章の量ぐらいでは小見出しは不必要と考えますが、小見出しが必要という意見もあるようなので、より中立的と思われるものを付けて、「こんなのでいかがでしょう?」に戻しました。--Nudité d'Europe 2006年3月24日 (金) 10:34 (UTC)[返信]

ヌーディズムの項目内で日本のことばかりが偏って増えるのは、本当は好ましいことではないので、簡素化には反対しません。ついでに言えば、「無論、現在の欧米においても、・・・」「ヌーディズムに反対する意見の根幹にあるのは・・・」の段落は、日本に限ったことではなさそうなので、日本のセクションから切り分けて上に上げたほうが良いのではないかと思います。また欧米ではどこの国でも同じような状況なのでしょうか?もし可能なら、#フランスの現状、#イギリスの現状 あるいは#北欧の現状 #南欧の現状、#アメリカの現状・・・のように、国または地域ごとに加筆していただければよいかと思います。--miya 2006年3月29日 (水) 09:26 (UTC)[返信]

Miya様、それはいいやり方かも知れませんね。ただ「現状」では現状に限られてしまうので(当たり前)、「フランスのヌーディズム」「アメリカ合衆国のヌーディズム」あるいは「ヨーロッパのヌーディズム」「北米のヌーディズム」とした方がいいとは思います。残念ながら私の知識、経験はあまりに乏しいので、もっとそれらの豊富な人の参加が望まれます。同じく日本も「日本のヌーディズム」に変えた方がいいでしょう。--Nudité d'Europe 2006年4月2日 (日) 12:45 (UTC)[返信]

「違法な実践活動」[編集]

「違法」に関しての議論も落ち着いたようなので違法な実践活動についての記述を書き加えました。「日本における現状」野中でも実践において最大なのは、UVA氏を中心とした違法ヌードレクの推進であり、「日本における現状」において他は削れても、これだけは記述する必要のある重要なものです。--Poh 2006年3月30日 (木) 08:53 (UTC) 「日本における現状」に貼ってあったテンプレートを外しました。これが貼られたのは「違法」に関しての編集者間での解釈の相違が原因であり、結論が出て、かつ検証可能な事実としてUVA氏を中心とした違法な実践活動の記述がなされた現在では、テンプレートの必要性がなくなったからです。--Poh 2006年3月30日 (木) 09:01 (UTC)[返信]

Pohさんの3月30-31日の加筆のうち「違法な実践活動」をめぐる以下の部分
> 全裸でいることを法律で認められていない場所で全裸になる事は違法行為であり、公然猥褻として犯罪として扱われる可能性はきわめて高く、検挙され有罪となった例は数多くある。
について、本当にそういうことがあったとは寡聞にして存じませんでした。実際に「ヌーディストが検挙され有罪となった例」を具体的にご教示ください。プライバシー保護のため個人名は出せませんが、年月日・場所・人数・状況と「有罪判決」を下した判例(できればリンク)をお願いします。--miya 2006年4月1日 (土) 09:20 (UTC)[返信]
「ヌーディストが検挙され有罪となった例」ということですがヌーディストが有罪となった例は知りません。その前の文章に「ヌーディストが」という文は入っていません。あくまでも「『全裸でいることを法律で認められていない場所で全裸になる事は違法行為』であり(それにより)『検挙され有罪となった例』」は数多くある」という事です。この文章に関してウィキペディア上何か問題があるのでしょうか?このような日本人なら知的障害者などの特殊な例を除き誰でも知っている違法行為をUVA氏は、被害者を泣き寝入りさせる方法等を提示し啓蒙と位置づけ他人に勧めてきたということです。--Poh 2006年4月1日 (土) 13:42 (UTC)[返信]
ご無沙汰してます。おやんずこと小野田です。日本で裸になったことだけで逮捕された例を事実としてここに書き出さなければならないようないちゃもんを出す人が数人いるようですが、こんなニュースはスポーツ新聞を毎日見ていれば年間に数件は取り上げられているものですよ。新聞記事を見ることはしていないでただ「教えて」とばかり甘えるのはいちゃもん連中のわがままだと思います。一例だけ手元にあるので書きますが、2005年7月15日付け日刊スポーツ社会面に「全裸男コンビニ 靴はいただけの36歳運転手 買うのはコーヒーゼリー一個」という見出しで岩手県久慈署が「コンビニエンスストアで全裸で買い物をした」として同県軽米町のトラック運転手を逮捕した、との記事があります。この運転手、別に誰かに怪我をさせようとか、店舗の物品を破壊しようととか盗もうとしたわけではありません。ただ単に買い物をしてその姿が全裸だっただけです。なのに逮捕されるのです。このような事例はあまた報道されていますが、どうしてもいちゃもんつけずにはいられないのですか?--おやんず 2006年4月2日 (日) 00:46 (UTC)[返信]
おやんずさん、お久しぶりです。復帰おめでとうございます。元気になられた様でよかったです。この件についてmiyaさんはコメットアウト以降のノートと本文を読み違いされているように思われます。また解釈について書くべきことは何点かあるのですが、miyaさんのレスを待ってからにします。--Poh 2006年4月2日 (日) 08:20 (UTC)[返信]
とりあえずmiyaさんに一言書いておきますが、日本では万人が法の下において平等ですから、一般人がやって違法な行為は、ヌーディストがやっても違法です。以上。--Poh 2006年4月3日 (月) 22:02 (UTC)[返信]
了解しました。UVAさんたちもおやんずさんも上の36歳運転手さんも、公共地で全裸になればひとしく違法行為というわけですね。私のようなそそっかしい人間が読み違えないように、但し書きを入れて論旨を明確にしておきました。--miya 2006年4月3日 (月) 22:49 (UTC)[返信]
意図的に何か特定の表現を否定しようとするから読み間違えているのではないですか?「これまで検挙された人間の中にヌーディストがいなかった」ということまで踏み込んだ報道もされていない(1999年6月の時点での過去65年間分の報道図書索引目録を私が確認した限り掲載が無い)だけでしょう。--おやんず 2006年4月4日 (火) 13:20 (UTC)[返信]

「合法化について」と「違法な実践活動」にサイト名を加筆しました。外部リンクについて議論中なのでサイト名のみでリンクは貼っていません。合法化について活動がほとんどみられないのに名を挙げるのは宣伝であるという批判もかつてあったので、文章を少し変えてあります。それでも不服であれば、名前を挙げるのは国内最大規模の活動を行っている違法行為実践団体のほうだけにすればよいと思います。 また、誤解されるといけないのであらかじめ断っておきますが、違法/合法については事実の記載のみで、一方は良いが一方が悪いなどというPOVに基づく記述は一切入れてありません。どちらも当事者の主張に基づくものであり、合法化を求める人はそれが善であると考えているからであり、違法行為の推進もおそらくそれが善だと思ってやっていることだと思われるからです。当事者の方の考えは尊重したいと思っております。--Poh 2006年4月10日 (月) 11:30 (UTC)[返信]

ウィキペディアは何でないか[編集]

「独自の研究」「個人の主張」に当たると考えられる以下の部分をコメントアウトします。ウィキペディアは演説会場ではありません。「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありません」を再読願います。「独自の調査結果の発表の場ではありません」し「事実の暴露や報道を行う場ではありません」。--miya 2006年4月8日 (土) 15:46 (UTC)[返信]

・・・く、検挙され有罪となった例は数多くある。海外での人権活動としてのヌーディズムの情報も税関の壁に厚く阻まれてきた事実があるため、この権力側からの圧力を前に公然と実践する日本人ヌーディストはなかなか現れず、現在のところ実践までして検挙までされたとのマスコミ報道はされていない。もちろん、「報道されていない」ことは事実であってもそれをもって「公然と実践して検挙された人が本当にいない」との結論をするのは論理的に無理がある。実際に検挙されてもマスコミが取り上げてこなかった可能性があるからである。ヌーディスト達は人目の少ない海岸や森林を選んで実践してはいるが、それはに一般人に見られ難いという面もあるだけでなく、もし見られて通報されても当局が来るまでに逃げられるといって他人に勧めているサイトもある。
合法化が「他人の裸を見たくない」という一般人の権利との調和を図るものであるのに対し、違法な場所でのヌーディズムの実践は他人の権利を蹂躙する行為であるともいえる。公有地で実践している者の中には、10回のうち8~9回は一般人と遭遇していると述べている者もいて、これは確信的に一般人のいる場所で全裸になっているということである。逮捕されなかったのは相手が通報しなかったからではあるが、それには警察が来るまでに逃げられると通報を諦めざるを得ない場所で行っていた事も関係している。

あなたの気に入らない他人の結果報告を感情論で削除しようとするのは暴挙でしょう。あなたは図書館で過去記事をしっかり検索した上で事実を記述しようとしていますか?「事実の暴露や報道を行うものでない」というのは、名誉毀損罪成立を防ぐためにあるのであって、ウィキが感情論の好き嫌いを戦わせる場にするためのものではありません。「独自の研究」とは、「独自のデータを独自の方法で導き出したもので第三者による再現性の保障がない研究」を指すのであって、私が図書館で調べて記載した内容はあなたやその他の人がその同じ事実を再確認できる公共データに他なりません。公共データに書かれた事実を感情論で否定するわがままが横行するとまたしても感情論のぶつけ合いとしての編集合戦が発生する危険があります。誰もが検証可能な事実なのですから、疑いたかったらあなたも同じデータを図書館で検索して記事を取り寄せて確認してはいかがですか?--おやんず 2006年4月9日 (日) 05:34 (UTC)[返信]

miyaさんが書かれていることはウィキぺディアの方針なのでしょうが、個々の記述の解釈においてそれには多大なPOVが入り得るものだということです。今回の論点はその顕著な例だと思われます。コメントアウトされた部分について考察してみますと
>・・・く、検挙され有罪となった例は数多くある。
(大人になったら)裸で外に出たらお巡りさんに捕まることぐらい幼稚園の子供でも知っている事です。こんなものは常識の範疇で報道のネタにさえならないでしょう。
>公有地で実践している者の中には10回のうち8~9回は一般人と遭遇していると述べている者もいて・・・
これは当人が自分のサイトで述べていることであり、何年間も公表されているものです。これを「事実の暴露」とはいい難いと思います。(しかもこの経験をもとにUVA氏は違法行為実践のための団体を作りその会員募集と、違法行為の普及活動をサイトで行っているものです)この事実から「確信的に一般人のいる場所で全裸になっている」が導き出されています。もし他のコメントが導き出されるのであればそれも併記すればよいだけの事です。また裸体と法律_5.1 人里離れた場所を選ぶことの内容から「逮捕されなかったのは相手が通報しなかったからではあるが、それには警察が来るまでに逃げられると通報を諦めざるを得ない場所で行っていた事も関係している」が導かれます。またそのサイトには、他人の来ない海岸なんてありませんとも述べています。これもUVA氏の確信犯的公然猥褻の裏づけになるでしょう。
いずれにしろ当人の記述とそれから自然に導かれるもので「独自の研究」「個人の主張」「事実の暴露」「報道」とするには相当な無理があると思います。
正直申し上げて、miyaさんの今回に至るまでの言動と行為から、意図的に何か特定の表現を否定しようとする意図、はっきりいえばUVA氏による違法行為の普及活動の指摘を拒んでいるように思えてなりません。UVA氏が違法行為を普及推進していることは事実であり、違法行為そのものは容認するがその記述は拒否するという立場は完全にUVA氏寄りの考え方であり、ウィキぺディア管理者がされたことであっても、その行為は「ウィキぺディア的中立観点」から遠くかけ離れたものだとしか思えません。--Poh 2006年4月9日 (日) 10:57 (UTC)[返信]

事実ではなく検証可能性 (Verifiability, not truth)[編集]

少しヌーディズムからは離れますが、上の方にも書きましたが(2006年3月22日 (水) 10:22)、ウィキペディアの3つの内容ガイドライン (content-guiding) の一つは検証可能性 (Verifiability) です。(他の2つは、「中立的な観点」と、「独自の研究を含めない 」(No original research) です。)ここにはやや反語的に、「ウィキペディアの内容の出発点は事実ではなく検証可能性である」と書かれています。執筆者が事実として書く事よりも、他の人が信頼できる出版物によりそれが事実であるかどうか検証できる事の方が大事だという事です。そんなこと言われると、ウィキペディアの記事の多くが失格になってしまうような気がしますが、ウィキペディアが百科事典として成り立って行くためにはぜひ必要な方針なのでしょう。早く日本語版ができる事を望みます。--Nudité d'Europe 2006年3月29日 (水) 20:17 (UTC)[返信]

>国内スポット公開の問題から始まって、
>NAKE'S会員のGypsyでの醜態に触れてからは①プロジェクトNとの関わり、②NAKE'Sの単独男性差別、③NAKE'S内部での女性年齢差別という順序で書いています。
>最近は「ナチュリストの権利獲得と非合法ヌードレク」という論点から書き始めたところです。
これはNudite d'Europe氏の管理する掲示板に書いた事ですが、これらの中から私が保護解除後のテーマとして「ナチュリストの権利獲得と非合法ヌードレク」を選んだのは、POVが入りにくくかつ検証が容易に可能だという事です。この話題には今まで随分とPOVから規制や異論は出てきましたが、実際検証してみれば当初の曖昧なまま規制されていたり私が自主規制をかけていた時より更に進めた内容の記述が可能だという事が判明しました。結局反対者のPOVは誤解や(編集者を限定すれば)無知が原因だったという事です。UVA氏のCLUB NAK'Sが若い女性だけを求めるということは彼のサイトから検証できますが、かつて日本に存在した屋内ヌーディストバーGpsy8でのNAKE'S会員の醜態については、証人も少なく協力が得られるとは限らないので記述は避けていました。ただ当時を知る者の中にはかつてのおやんず氏の掲示板に当事者でなければ知りえない情報を書いた方もいました。そしてこのノートにおいても同じことを書いた者がいるので、せっかくの好意を無駄にすることのないようにコメントしておきます。2006年3月28日 (火) 09:32の編集(差分)を見ると「ニシうざい・・・」と記述した者がいます。ニシというのはヌーディズム/ログに書いたNAKE'S会員の醜態のなかでも最も酷いものであるカップル会員の女性をナンパ勧誘した時のカップルの男のHNです。まあ私がその人物かどうかはこちらでは全く関係ないことですが、このように知っている人はいるということです。
 話はそれましたが、次はまた新たな話題としてUVA氏NAKE'Sと「児童ポルノ(法)との関係性」について書いていきます。これは判例も少なく、公然猥褻よりも慎重にやらなければならない問題なので準備期間はかかりましたが、ようやくコメントできる段階になったのではないかと思います。--Poh 2006年4月10日 (月) 11:10 (UTC)[返信]

保護解除以来、[編集]

日本でヌーディズムがほとんど知られていないために、どうしても露出行為などのような、理解しやすい(?)行為をもってヌーディズムをとらえているような記述が多いと思います。本文の概要に書いてあるように、「ヌーディズムは、衣服の拘束からの解放感や、全身が直接日光や水や空気に触れることを楽しむもので、他人に裸を見せたり見られたりすることを楽しむ露出行為とは区別される」ものであることを理解した上での記述をお願い致します。--Nudité d'Europe 2006年4月14日 (金) 05:15 (UTC)[返信]

だれに対して言ってるのかは知りませんが、これはまたPOV丸出しの意見ですね。フランスではどうだか知りませんが、日本の法律上では露出だろうがヌーディズムだろうが禁止されている場所で裸になれば公然猥褻とみなされます。ウィキペディアのヌーディズムの概要に何が書いてあろうと法律では動機の如何は関係ありません。それに異議を唱えるからこそおやんず氏はヌーディストの権利獲得のために合法化のために権利獲得に動いているのです。またUVA氏やその妻の夏海あおい氏は、自分のサイトで現状に不満は述べてますが、いくら愚痴や文句を言ったところで法律上特例措置が取られるわけではなく違法は違法です。意見自体意味不明なところもありますが、相変わらず低レベルだと思います。--Poh 2006年4月14日 (金) 07:55 (UTC)[返信]

>フランスではどうだか知りませんが、>いい質問です。フランスの刑法222-32によると、公衆の面前での「性的露出行為」は、1年間の禁錮と1万5千ユーロ(約210万円)の罰金だそうです。まあ、これがそのまま適用されることはあまりないと思いますし、「性的露出行為」が何を指すかもよく分かりませんが、フランスのナチュリストの間では問題になっている法律のようです。もちろんこれはフランスのことであり、ドイツやスペインなどと比べてかなり厳しいようですが、他のヨーロッパ諸国については私はよく知りません。--Nudité d'Europe 2006年4月14日 (金) 09:12 (UTC)[返信]

だから刑の内容のことではなくて、同じ事してもナチュリスト(ヌーディスト)か一般かで適用がちがうのか?ってことですよ。--Poh 2006年4月14日 (金) 09:46 (UTC)[返信]

もちろん違う訳はないでしょう。

それと前々からPohさんが言っておられることについてですが、ヌーディストビーチなどで男女が抱き合っていることはたまにあるもので、そんなに取り立てて言うほどのことでもないのです。公園の芝生などでカップルが抱き合っていることがあるのと同じことです。もちろん人前での性行為は厳禁ですが、ただ単に抱き合っているのは性行為というほどのことでもなく、ヌーディズムにおいても何らとがめられることはありません(昔は違ったかも知れませんが)。本文の最初にあるように、「ヌーディズムは、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと」です。--Nudité d'Europe 2006年4月14日 (金) 11:01 (UTC)(追記)2006年4月14日 (金) 16:50 (UTC)[返信]

分割の提案[編集]

私の力不足で、ウィキペディアの方針についてPohさんと合意点をなかなか見出せないでいます。中立的な観点や立証可能性については、いつまでたっても平行線だとひとまずあきらめて、それでは「ウィキペディア日本版ではなく日本語版だ」というのにはご同意いただけるでしょうか? 項目本文の中で日本の事情が1/3近くと内容のバランスを崩すほど増えていますので、日本の状況を日本のヌーディズムに分割してはどうかと思います。--miya 2006年4月14日 (金) 08:53 (UTC)[返信]

「ウィキペディア日本版ではなく日本語版だ」ということには同意いたしますが、それと日本の事情が全体に占める割合との相関関係、および割合の適正性についてはPOVの問題もあるので一概には決められないことだと思います。ただ、それとは別に日本のヌーディズムを独立させるのであればそれでよいと思います。--Poh 2006年4月14日 (金) 09:20 (UTC)[返信]