ノート:もののけ姫/過去ログ1

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『もののけ姫』の公開日は1997年7月12日であり、7月26日ではありません。--以上の署名のないコメントは、219.196.8.204会話/Whois)さんが 2006年7月28日 (金) 15:05 (UTC) に投稿したものです。

『もののけ姫』がアカデミー賞にノミネートされたという記述は事実ではありません。 外国語映画賞のノミネート候補として日本から出品されただけです。また、故・徳間社長は、ノミネート発表前に、宮崎監督が次回作の構想を練っていると明かしており、アカデミー賞の動向と、監督引退の撤回とは無関係です。--60.36.73.56 2006年7月30日 (日) 17:45 (UTC)

 叶によれば、「宮崎の言う、応仁の乱時使われた石火矢は不明」。三国志演義で、いわゆるを指して「石火矢」といっている(日本ではクロスボウは不評だけれども、使われなかったわけでない)ので、あと監督は「ボストニアという架空の国(『宮崎駿の雑想ノート』)をでっち上げたら、読者がだまされた」とか仰る人なので、いわゆる国崩じゃない可能性がある。「宮崎設定によれば」とか注釈つけるか、出典調べるかするべきだと思うがどうか。--220.254.1.125 2011年11月19日 (土) 04:55 (UTC)

アシタカのモデルについて

アシタカの名前の由来ですが「長脛彦」だと言うのは本当でしょうか? 津軽にはアシタカと言う名前の俘囚が実在していましたのですが・・・。--以上の署名のないコメントは、210.139.73.112会話/Whois)さんが 2006年11月19日 (日) 14:43 (UTC) に投稿したものです。

アヂシキタカヒコネでしょう。「ヂキネ」を引くとアシタカの本名、アシタカヒコになります。出雲の民話が元なのに、なんかこの本文の冒頭、ナウシカならなるほどとうなずくかも知れませんが、結構怪しいですね。コメントアウトしました。アヂシキタカヒコネは出雲の民話(ダイダラボッチの体を切り落としてしまうと言う話し)の神様が祀られている神社の神話に登場する神様です。--Hakujitumu 2009年3月14日 (土) 13:12 (UTC)
エボシのモデルが、「宮崎の山小屋があるところ」の地名と悪路王伝説に出る「立烏帽子」からなので、上記の両方、という可能性も否定できないが、出典がない。

谷川健一の『白鳥伝説』(集英社版27頁 小学館は上巻の最初のほう)によると、『宇曽利百話』によれば、「慶長19(1614)年、下北の易国間(いこくま)に、アシタカという酋長がいて津軽のエミシを統率していた」という。資料が谷川の本なのは、「悪路王(エボシのモデルaの旦那)」「日本の基層は稲作でなくて鍛冶教 のいいわけにアヂシキタカヒコ伝承がある」「宗教家としての鍛冶屋が、東北へ落延びて先住民や他の負け出組と仲良くコミュニティを作る」「日本の基層は稲作以前に鍛冶屋教があった」と、もののけ姫テイストばりばりなため。

なお、大正年間に出た『山の人生』(柳田国男大先生)には、「東北の人の伝承に出る 赤い異人」が収録されている。柳田はこれを根拠に「日本の先住民は赤かったらしい」として、日本多民族説を主張したが、大東亜戦争前に、南方熊楠に突っ込みをかまされまくり、「本州に先住民がいた!」説はどっかいったが、

太平洋戦争の大建前は「日本は多民族国家なので、アジアを征服してよい経営ができる」であった(小熊英二)

イメージボード集か絵本か

本文冒頭に、

1980年、1993年に宮崎駿がアニメ企画案のイメージボードとして出版した絵本。内容は『美女と野獣』と同じ異類婚姻譚にはじまる冒険であった。

とありますが、矛盾しています。イメージボードとして出版したのならばそれは絵本でなくイメージボード集です。逆に絵本を出版したのならばイメージボードとしてではなくイメージボードを基にしてです。「~イメージボードを基に出版した絵本」か「~イメージボード集」のどちらかに直すべきですが、どちらに直したらよいか実物を見ていない私には判断できません。

どちらに直しましょうか?

モノノハズミ 2007年8月6日 (月) 21:26 (UTC)--(誤字訂正)モノノハズミ 2007年8月7日 (火) 12:45 (UTC)

ありがとうございます。--モノノハズミ 2010年3月17日 (水) 23:14 (UTC)

「登場人物のイメージモデル」について

探し物をしていてたまたまこの記事にたどり着いたんですが、ちょっと疑問に思った記述があったんで{{正確性S}}を貼らせてもらいました。

具体的に挙げますと、

意宇の民話、八束水臣津野命が足を切られ…
八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)は『出雲国風土記』に登場する神なんですが、『出雲国風土記』にこんな話は載ってません。意宇地方(現在の松江市、東出雲町、安来市辺り)に伝わっている民話だというのなら具体的な出典を教えていただきたいものです。
揖屋神社(意宇六社)を舞台とした神話に登場するアヂシキタカヒコネ
アヂシキタカヒコネは『古事記』や『出雲国風土記』に登場する神なんですが、彼の登場する神話は神社とは何の関係もないし、祭神としても祀られていません。
島根県一帯に伝えられている犬神
犬神を見て、この部分も疑問に思ったんですが、何かしらの伝承が残ってるかもしれないので、これについても出典を教えていただければ幸いです。

以上です。--松山の暗黒騎士・暗黒な方| 2009年3月22日 (日) 17:23 (UTC)

もうちょっとインターネットを探してから貼り付けてくれると良いのだけど・・ 意宇の民話は、八雲町の民話。出雲国風土記より新しく、戦国時代の話し。2パターン有って、インターネットで探すと八雲町のホームページには仁王、別のホームページには八束水臣津野命で出ています。本来は天狗山の名前の由来なので後者が元。アドレスは忘れたのですが、足駄山小屋で検索すると出てくると思いますよ。揖屋神社は僕のミス。訂正しました。弟の方が祀られている神社ですね。犬神の出典は、犬神で聞いた方が良いでしょう。 単純に、犬神の話を使っただけと聞いています。--Hakujitumu 2009年3月27日 (金) 15:19 (UTC)

意宇の民話が載っているサイトを確認しました[1]。俺としては出所さえわかればよいので、この件はこれで解決とします。ご協力ありがとうございました。--松山の暗黒騎士・暗黒な方| 2009年3月27日 (金) 17:00 (UTC)
僕が見たページとは違いますね。一つはこれ→[2]。最後に「ヤツカミズオミツヌノミコトは二人の乗った雲に紅白の紐を結び、そろもそろと天狗山へと引いていった。」と出てきます。もう一つは、Biglobeのページ。会社のページだったのですが、何故か見あたりませんね。畑違いで消したのかな?こちらが結構詳しく書いてあります。八雲町のページはこれ→[3]。--Hakujitumu 2009年3月28日 (土) 01:42 (UTC)
無くなったと思ったページ。有りました。[4]事務局日記の「(647)うんちく 【180】 五穀豊穣 その98 」の所に詳しく載っています。--Hakujitumu 2009年3月28日 (土) 02:31 (UTC)
書庫移動したときに編集されていますね。今は仁王様に合わせているみたいです。書庫が大きいので探すと出てくるかも知れません。--Hakujitumu 2009年3月28日 (土) 03:03 (UTC)
お手間をかけさせてしまい申し訳ありません。提示されたサイトを確認しました。--松山の暗黒騎士・暗黒な方| 2009年3月28日 (土) 11:33 (UTC)

ヤックル

えー、メインに書けない(百姓と農耕文化は除外されてるし)のでここに書きます。『『もののけ姫』はこうして生まれた。』で紹介されている佐々木高明によると、北海道~東北の、ナラ林文化圏(縄文文化のなんとか)は、主に冬作物を(雑草ももったいないので食べる)作る、はずになる所ださうで、家畜を使ふ、といふ特徴がある麦作文化圏(地中海農耕文化 といふ)の候補、だったらしいです。

 ヤックルが土着の生き物である場合、エミシの人が家畜化まではできる、している(編集の人でまともな人に変な編集と検証未確認記事書いてえらい怒られるよな人なのでパンフレット読んでないのよ)、といふのは大変興味深いです。叶精作の某によると、「麦」がヤックルの飼料になってるらしいですが、雑穀のような夏作物は照葉樹林文化圏の産物(後ヒイ様が持ってるひょうたんもそれなの)で、中尾佐助の言う「消費する力ではなく、生きて生産する力(『栽培植物と農耕の起源』)」としての、夏作物とイモ生産文化(「家畜は輸入するもの」文化なのでヤックル家畜化は想定外)がプレ穀物生産文化をぷちっと潰したというのが伺えるらしいです。後は宮崎御大に関する罵詈雑言が出さうなのでやめます。--大正七年三月十日 2011年9月28日 (水) 03:45 (UTC)

ヤックルと言へば、『もののけ姫』では固有名詞であるが、シュナの旅では、種名で登場(叶によると「どっちかは不明」)する。また、「アカシシにうち跨がり石の鏃を使う勇壮なるエミシの一族あり」と、「いにしえの書」で語られるので叶の言うような「噂(口承伝承)」ではない。

アカシシを赤獅子と表記するのも叶のみで、叶の参照する広辞苑には、アオシシ カモシシというニホンカモシカの異称が収録されている。ていうか叶が「シシ」を肉、や食肉の獣(イノシシカノシシ)の呼称であると知っているか不明。ヒイ様もナゴの守指して「かのシシ」と言っている。

宮崎が「ファン」という諸星大二郎のマンガ『孔子暗黒伝』(集英社)には、「鹿神(シシガミ)」という、「中国人には麒麟に見え、日本人は恐れる」奇形の動物が登場し、「あいつらがシシを呼び出した!」という台詞もある。叶は指摘してない。

 アサノ公方のようなまともな政権に保護されてぬくぬくする一族(市の皆さんみたいな)と、そういう暴力機構(マルクス先生によると、おつきあいとどつきあいは一緒)から開放され、のたれ死んでも「なんだか気味が悪いよ」と差別されても、自らの法、掟に従って生きる各暴力機構が、普通の国家体制を相対化しうるまで存在し、「禄を逐ふ」といふ共通の目的に対しある程度の各暴力機構が各能力を出し合って協同する、メタ・アナーキーな世界観は、プロレタリアっぽい共同体に自ら入るアナーキーなおにーさん という落ちをつけても宮崎自身をずたずたにしかねないが、お客さんとしては気持ちがいい。「その各暴力機構を渡り歩ける言い訳」になる天朝様はいいけど実際そういう「外人」と渡り合うジコ坊は大変で、宮崎によると「分裂しているが、気にしていない」人らしい。祝く(ほく)には呪う と祝福するの意がある。 --220.254.1.125 2011年11月19日 (土) 04:55 (UTC)

まず、獅子は漢語でライオンですね。一方、日本語のシシは(肉になる)獣や肉のことで、肉の訓読みはシシです。シシカがシカ、カモシシ(カ)がカモシカ、イノシシがイノシシ(そのまんま)です。ウシシとヒツウシは略。中国語と大和言葉をごっちゃにされてもなあ、という感じです。まだ、アイヌ語で鹿はユク、クルはコロボックルのクルで一種の敬称、の方が良いかと思います。叶氏、せっかく縄文系と弥生系の顔立ちまで書いているのに。--仕事中の 2011年12月18日 (日) 09:27 (UTC)

名称 

エボシ 長野県諏訪郡の地名と、「立烏帽子(悪路王の奥さんで、旦那裏切って善い者に成敗してもらう)」から。(『折り返し点。』岩波書店 72頁)金屋子神は関係なし。同頁によると、倭寇である中国人の頭目を自分で切り倒して来たらしい。
乙事 長野県諏訪郡 信濃境の辺(『「もののけ姫」はこうして生まれた。』VHS 第3章 記録を超えた日) 
甲六 甲六川(同じ)
ジコ坊 長野県諏訪郡の辺に生えるキノコ(資料のナレーションでは、「おいしいキノコ」)

 長野県諏訪郡富士見の辺は、「宮崎の山小屋がある」「宮崎が敬愛する藤森栄一の田舎の近所」である上に、「甲斐の国だった頃、領主が遠くにいたので、一応民主的に村人だけで自治をやっていた」(百姓の持てる国!)(『折り返し点。』302頁)らしい。 ワラツトは、絵コンテ『もののけ姫』87頁(徳間書店)で「納豆つとの様な」と書かれ、『「もののけ姫」を読み解く』相関図でも叶の文章でも「ワラツト」とあるので、パンフレット、フィルムコミックのは誤記らしい。勿論ふつうは藁苞は「ワラヅト」と発音するが、宮崎が「偉業異類の格好として区別するためにわざと」か「ただ単に間違えてるだけで普通の雨具の設定」かまでは不明--220.254.1.122 2011年11月19日 (土) 02:17 (UTC)

分類について

本作のように声優を使わないアニメーション作品をその年に公開されたアニメ1本と数えるのはどうかと思われます。皆さんもお察しと存じますが昨年の夏頃に放送されたネプリーグの2時間スペシャルにおいて日本映画の興行収入のランキングについてのクイズがありました。その時、このもののけ姫のようにジブリ作品もその中に入っていました。他が皆邦画なのになぜアニメーションが、なぜジブリがと思った方も多いと思われます。それは本作に本職の声優が使われていなかったから加えられたと思われます。もし違うとすれば他のアニメも加えてもいいはずです。いくら興行収入が多くとも邦画のランキングでアニメーションが邦画1本と数えられているのはジブリもとい声優以外のタレントが声当てをするアニメ全般がアニメ1本としてではなく一般的に邦画1本として世間は見ていらっしゃると思います。つまりメディアや業界では芸人や俳優が声当てをするアニメを邦画としてしか見ていないのは火を見るよりも明らかでしょう。だからこそジブリだけでなく声優を使わないアニメ全般をこのようにその年のカテゴリの、そのアニメのカテゴリから除籍するのが望ましいとわたくしは思います。どうかその部分をご理解していただきますようお願い申し上げます。--27.132.13.213 2012年1月20日 (金) 12:33 (UTC)

分類について意見

上の内容について、もののけ姫をはじめとする、ジブリ作品の数々は何と言おうと、アニメーション映画のはずです。もちろん日本で製作されたのですから、邦画になるのは当たり前です。本職の声優を使っているかどうかなど、何の意味があるのでしょうか。テレビ番組のランキングを根拠にあげていることも気になります。興行収入のランキングを調べていただければわかると思いますが、上位に上がるアニメーション映画はジブリ作品ばかりです。一般的にも、ジブリ作品は、日本で製作されたアニメーション映画として認識されているはずです。邦画として扱うことは間違いありませんが、アニメのカテゴリから削除することは妥当とは思いません。皆様は、どう思われるでしょうか。

記事内容に問題を感じる

今ちょっと概要文を追加したりして全体を整えましたが、現在「解題」「舞台設定」となっている節を中心として、この記事は『「もののけ姫」はこうして生まれた。』などをまとめた製作ドキュメンタリーみたいなものになってしまっていると思われます。「登場人物」の最初の文章や「舞台設定」の各解説なども、事典的な解説というよりも作品を既知であることを前提とした作品分析になってしまっており、未見の者にはおそらく何がなんだかわからないと思われます。スタイルマニュアルに関連付けて言えば文脈を作ることができていません。モチーフに関する重要な情報なども含まれていると思いますが、記述に関して大幅な見直しが必要ではないでしょうか。あと「「生きる」というメッセージ」という節に長文の引用がありますが、地の文に対して従の関係になっておらず引用の要件を満たしていません。--頭痛会話2012年4月2日 (月) 03:45 (UTC)

  • たまたま頭痛さんと編集競合ぎみになりましたが、私も元記事になんだか奇妙な違和感を感じていました。おそらく外部文献を参照して加筆された方が、あまり百科事典的な統一性を考えずむりやり加筆された結果だと思うのですが、作品そのものの紹介箇所と、その作品に対する評論記事が不用意に混在しているから奇妙な記事になってしまっていたのだと判断しています。ちょっと切り分けが悩ましいですね。--大和屋敷会話2012年4月2日 (月) 05:03 (UTC)
    • 参照自体は細かく付いているので、元の文献を読めばたぶん有用な部分のみ抜き出して書き直すことはできると思うんですが、ちょっと私自身ではいまのところ取り掛かる気になれません。どちらにしてもこれらの部分は最初から書き直すほうが早そうです。この作品の場合は主題の解説なんかは是非あってほしいところなのですが。--頭痛会話2012年4月2日 (月) 11:58 (UTC)

あらすじが不十分かどうか

テンプレが塗布されていましたが、登場人物や舞台設定の解説箇所を読めば荒筋はほぼ網羅されていますので無用と考え除去しました。「あらすじ」をwikipedia上でどのように記述してゆくかという表現上の体裁の問題にすぎず、あらすじという単一項目にことさらこだわる必要はないだろうと判断しました。--大和屋敷会話2012年7月8日 (日) 10:09 (UTC)

「登場人物や舞台設定の解説箇所を読めば荒筋はほぼ網羅されていますので無用」という考えはWikipedia:あらすじの書き方#登場人物節との関係のガイドラインに全く反しています。--Kokusui会話2013年10月25日 (金) 07:57 (UTC)

考察本の内容を出典とするのはどうか

--126.49.249.236 2013年3月5日 (火) 07:43 (UTC)中心的な製作者である宮崎駿氏が存命である段階で、宮崎駿氏が関与する書籍、コメント等以外による説明は不要ではないか?

一般に「考察本」と言われる書籍群の多くは、「◯◯研究会」などと称して文責をぼかし、「こういう説があるのではないか」と好き勝手な素人意見を述べるに留まるものばかりで、要はそれを裏付ける公式側制作側のコメントや見解がない場合が殆どです。乱暴に言って「おたくの妄想」の域を出るものでなく、予測・推測等が大きな特筆性を生むとは思えません。もしあるとすれば、より専門的な識者・論者による指摘をもって充てるのがより誠実な態度ではないかな、と考えます。--Geso会話2013年3月5日 (火) 07:58 (UTC)
賛成です。「単一の出典」や「精度」にも抵触すると思います。--仕事中の会話2013年9月8日 (日) 07:37 (UTC)

編集除去内容について

羽木さんにより出典つきの記述を含む大幅除去がありました(この6編集)。一部出典の無いものもありますが、大半は出典つきの記述であったため、いったん差し戻しさせていただきました。編集除去の意図についてご説明いただきたいと思います。--Kubou会話2014年7月7日 (月) 00:41 (UTC)

議論なしでの大幅な編集除去、大変失礼いたしました。意図としては、上記の「記事内容に問題を感じる」にもあるように、現在の解説では事典というよりも作品分析になってしまっているように感じたからです。たとえばヤックルの項の獅子舞、ヒイ様の項の卑弥呼などの記述は物語には直接関係がなく、登場人物の紹介としてはふさわしくないように思います。そして、エボシが倭寇の妻であったという記述は、出典のパンフレットにおいて宮崎監督が「そういう話を考えたりしました。」と結んでおり、単にキャラクターをつくるにあたってのイメージであるため、記事内で断定するのはいささか強引ではないでしょうか。出典つきの記述であったのにもかかわらず、私の考えのみで編集除去をした点に関しては重ねてお詫び申し上げます。--羽木会話2014年7月7日 (月) 08:20 (UTC)
ご回答ありがとうございます。羽木さんのお考えについて了解いたしました。確かに上記であげられた3点については冗長と思われる記述かと思いますので、除去もありかと思います。他の除去部分を含めて私の意見を書かせていただきます。
  • アシタカ:少し叙述的な記載が多いように思われるため、ある程度除去は必要と考えます(特に後半部分)。
  • カヤ:人物像を語る部分としてあっても問題は無いように思います。
  • サン:全体に人物増を語る部分としてあっても問題は無いように思います。
  • モロの君:人間を嫌っているあたりからの文章は残したいですが、現時点で出典がないため微妙でしょうか(映像としての表現はありますが)。
  • エボシ御前:シシ神狩りに行くあたりから心を入れ替えてのあたりは残したいですが、こちらも出典記載はないですね。
  • ヤックル・ナゴの守・ヒイ様・ゴンザ・ジゴ坊・唐傘連:除去部分は叙述的もしくは冗長なな記載のため除去に賛成です。
合意が取れるようでしたら私の方で文章を練りたいと思いますがいかがでしょうか?--Kubou会話2014年7月7日 (月) 11:23 (UTC)
大部分で合意します。Kubouさんのご意見をふまえながら読み直しました。サンやカヤについての意見が後出しになってしまい申し訳ありません。
アシタカ:賛成です。
カヤ:確かにアシタカの実の妹と誤解されることも多いですし、あの記述はむしろ必要かもしれませんね。
   全体的にもさほど違和感はなく、実は除去にも悩みましたが、そうするとカヤの項が他に比べて長くなってしまい、よって削りました。
サン:「山犬が一番美しい~」はある場面の説明のようなものですし、その部分を詳細に記述するなら彼女の生い立ちも足すべきかと思います。
   (そうは言いながらも書き足さずに除去してしまいましたが)
モロの君:改めて読み直した結果、Kubouさんの考えに同意します。
エボシ御前:今までの行いを悔いたのか?という部分が引っ掛かりましたが、それはもう解釈の問題ですね。すみません。賛成です。
正直なところ、パンフレットのシンプルな人物紹介に近づくようにと、もとの文章を取捨選択せずに大きく削っていたところがありました。個人的な考えや解釈が行き過ぎていました。--羽木会話2014年7月7日 (月) 15:35 (UTC)

(インデント戻します)利用者:Kubou/sandboxに修正版を置きました。除去賛成の部分について一部他の方たちの記述追加もあったたため、羽木さんの編集時のままではない部分もありますが、一度内容確認いただきたいと思います。

サンの最後の行は不要か、とも思いますが、あってもよいかと思い残しました。--Kubou会話2014年7月10日 (木) 12:32 (UTC)

議論相手の羽木さんの編集がとまっておりますが、今回整理させていただいた内容について、本日より1週間後をめどに反映させていただきたいと思います。内容に異議等あるかたはコメントお願いします。--Kubou会話2014年7月13日 (日) 03:52 (UTC)
すみません。遅ればせながら、確認いたしました。そちらの内容でよろしくお願いします。--羽木会話2014年7月20日 (日) 07:13 (UTC)
ご回答ありがとうございます。先ほど反映させていただきました。これでいったんクローズとさせていただきます。--Kubou会話2014年7月20日 (日) 15:09 (UTC)