コンテンツにスキップ

ニュルンベルク-ヴュルツブルク線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニュルンベルク-ヴュルツブルク線
基本情報
ドイツの旗 ドイツ
起点 ニュルンベルク
終点 ヴュルツブルク
路線番号 805、811、891.1、900
開業 1854年
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 102.2 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 交流15,000V 16.7Hz
最高速度 200 km/h
テンプレートを表示

ニュルンベルク-ヴュルツブルク線 (ニュルンベルク-ヴュルツブルクせん、ドイツ語: Bahnstrecke Nuremberg–Würzburg)とは、ドイツ連邦共和国バイエルン州ニュルンベルクニュルンベルク中央駅から同ヴュルツブルクヴュルツブルク中央駅に至る全長102.2kmのドイツ鉄道の路線である。

沿線概況

[編集]
停車場・施設・接続路線
STR
NC線NS線 (S1) 、NR線 (S2、S3) 、NIM高速線
S+BHF
0.0 ニュルンベルク中央駅 (312 m)
LSTR
ニュルンベルク - バンベルク線を参考
S+BHF
7.6
0.0
フュアト(バイエルン)中央駅 (297 m)
hKRZWae
レドニッツ川 (七アーチ橋)
ABZgr
ニュルンベルク - バンベルク線 (S1)
ABZgl
ランガウ線
HST
2.5 フュアト・ウンターフュアベルク
eABZg+r
アトツエンホフ方面
BST
2.6 フュアト・ウンターフュアベルク分岐点
ABZgr
フュアト港方面
hKRZWae
3.6 マイン=ドナウ運河
SBRÜCKE
8番国道
hKRZWae
ファーンバッハ高架橋
BHF
5.6 フュアト・ブルクファールンバッハ (314 m)
eHST
8.4 ベアンバッハ
BHF
9.5 ジーゲルスドルフ (306 m)
ABZgl
ツェングルント線
hKRZWae
ツェン川
HST
13.4 プシェンドロフ (329 m)
eHST
14,5 キルヒフェムバッハ
BHF
18.7 ハーゲンビュヒアッハ (389 m)
STRo
21.8 8番国道
hKRZWae
中部アウラッハ川(530 m高架橋)
BHF
23.8 エムスキルヒェン (361 m)
HST
31.6 ノイシュタット(アイシュ)中駅
eABZg+r
旧アウシュ谷線
BHF
33.3 ノイシュタット(アイシュ) S6終着駅 (304 m)
ABZgl
N-S線
STRo
470番国道
hKRZWae
34.4 アイシュ川
STR+GRZq
34.8 LZB始点
DST
41.1 ランゲンフェルト(ミッテルフランケン) (1992年までは旅客駅)
BHF
48.0 マルクト=ビバート S6終着駅 (310 m)
eÜST
53.1 ヘルミツハイム渡り線
eHST
56.3 ヘルミツハイム 〜1982
DST
59.7 マルクト=アイナースハイム (1982年までは旅客駅) (288 m)
BHF
62.1 イプホフェン (267 m)
STR+GRZq
62.7 LZB終点
DST
66.2 マインベアンハイム (1982年までは旅客駅)
eHST
69.1 ジッカースハウゼン (〜1982)
hKRZWae
マイン川
eABZg+l
キッツィンゲン港方面 (2007年まで解体)
BHF
71.6 キッツィンゲン (205.2 m)
STRo
国道8号
eABZgr
旧キッツィンゲン–シュヴァインフルト線 (2014年廃止)
HST
75.3 ブッフブルン=マインシュトクハイム
SKRZ-Au
アウトバーン3号
SBRÜCKE
国道22号
eABZg+r
旧デッテルバッハ–デッテルバッハ市内線 (1968年解体)
BHF
80.5 デッテルバッハ駅 (285 m)
SKRZ-Au
アウトバーン7号
ABZg+r
ヴュルツブルク–バンベルク線
BHF
86.6 ロッテンドルフ (245 m)
STRo
国道8号
eHST
92.3 ヴュルツブルク・ハイムガルテン (1981年廃止)
SBRÜCKE
国道19号
ABZg+l
TW線フランケン線
SBRÜCKE
国道8号
BHF
94.6 ヴュルツブルク中央駅 (181 m)
ABZgr
ハノーファー-ヴュルツブルク高速線
STR
マイン=シュペッサルト線
七アーチ橋の上で走行するICE列車

ニュルンベルク中央駅とヴュルツブルク中央駅の間に高速列車はこの路線で毎時2本ずつ運行されており、貨物輸送の部門にも重要な意味がある。ニュルンベルク - フュルト区間はニュルンベルク - バンベルク線との共有区間であり、具体的な概況はニュルンベルク - バンベルク線で参考される。列車はフュルト中央駅を出発すると、すぐレドニツ川上の七アーチ橋 (Siebenbogenbrücke) を通過する。バンベルク方面とカドルツ方面の線路がこの路線から別れて、この路線はマイン・ドナウ運河を横切りジーゲルスドルフに至る。ノイシュタット駅でシュタイナッハ方面の支線 (Nebenbahn) がこの路線から別れ、1993年までアイシュ谷線が分岐した。

列車はアイシュ川の橋を渡って、高速運行区間に進入する。1999年5月からノイシュタット (アイシュ) - イプホーフェン区間は連続列車制御装置の設置で、最高速度は200 km/hまで上がっている。列車はイプホーフェン駅とマイン川の橋梁を通過し、キッツィンゲン駅に至る。シュヴァインフルト方面の貨物線はキッツィンゲンから2014年まで分岐した。以後この路線は二つのアウトバーンの下を横切り、ルートヴィヒ西部鉄道の一部のヴュルツブルク - バンベルク線と合流して、ロテンドルフ駅に至る。フランケン線との接続直後、この路線は終着駅のヴュルツブルク中央駅に至る。

歴史

[編集]

バイエルン王立鉄道

[編集]

フュルト - ロッテンドルフ間86kmはルートヴィヒ南北鉄道ドイツ語版のニュルンベルク中央駅とルートヴィヒ西部鉄道ドイツ語版のヴュルツブルク中央駅を結ぶ短絡線として建設されたのが始まりである。1854年7月1日にロッテンドルフ - ヴュルツブルク間8.0kmが、ニュルンベルク - フュルト間7.7kmは1862年10月1日に開業した。フュルト - ロッテンドルフ間は1865年6月19日に完成した。同時にロッテンドルフ - ヴュルツブルク間8kmが複線化された。

1886年7月1日にヴュルツブルク砲兵隊駅(旧ハイムガルテン駅)- ロッテンドルフ駅間に重大な列車衝突事故が発生して、同月13日まで18人が死亡した[1]。事故原因はシュトゥットガルト発列車が分岐器の誤作動のため間違った線路で走行したのであった[2]。1889年12月8日にバイエルン王国議会はフュルト - ロッテンドルフ間の複線工事を承認した[3]。1891年にその区間は2番目の線路で改修された。

ドイツ国営鉄道

[編集]

1928年6月10日にミュンヘン発D47夜行列車がジーゲルスドルフ駅の西側で、S3/6型機関車の脱線のため、転覆した。この事故で24人が死亡して128人が負傷を負った[4]。1939年にアウラッハ鉄道橋は改築されて、既存のレンズ形状構造(Fischbauchträger)は上部の鉄骨構造に置き換えられた。1945年、第二次世界大戦の末期にマイン川鉄道橋およびアウラッハ鉄道橋が爆破されて、同年10月頃に列車通行が可能となった[5]

ドイツ連邦鉄道

[編集]

1952年8月8日にノイシュタット駅に電柱がはじめに建てられたことで電化工事が開始されて、1954年10月2日に完了した[5]。1960年代に自動車道A3の建設用荷役場がデッテルバッハ駅で設置されて、主に砂利・砂・砕石の石材、アスファルト、起重機燃料などが運搬された。建設工事は完了したのちに、荷役施設は撤去された[6]。1962年に列車無線通信施設(Zugbahnfunk)がはじめに導入された[5]。また踏切は1960年代に高架橋や地下道に置き換えられた[7]

ドイツ連邦交通計画1973により、115項目の工事が計画されて、主要内容はロッテンドルフ - ヴュルツブルク間の三番目線路設置、両渡り線の停車場区内設置、自動閉塞装置の密集および最適化であった[8]。工事は1980年に開始されて[9]、1985年7月にロッテンドルフ - ヴュルツブルク間の三線複線は完工した[10]。残余工事は1980年代末に完了して、総費用は約1億8400万マルクであった[8]

1981年にニュルンベルクSバーンの第二次段階が企画されたときに、フュルト - ジーゲルドルフ間の改修はSバーン列車向けに計画されたものの[44]、緩行線設置は長い間に実行されていなかった。

ドイツ連邦交通計画1985により、この路線は改修区間ABS 8/2と指定されて、1985年当時約2億7200万マルクの予算が算定された。最高速度向上はニュルンベルク - ノイシュタット間で160 km/hに、ノイシュタット - イプホーフェン間で200 km/hに、イプホーフェン - ヴュルツブルク間で140 km/hに企てられた。プロジェクト計画案に関する契約は1988年11月18日に締結されて[8]、1992年4月に高速化の起工式が行われてた[11]。速度向上のために曲率半径の増加により線形が改善されてカントが160 mmまで高まった。

ドイツ鉄道

[編集]

1999年5月にノイシュタット - イプホーフェン間の最高速度は200km/hに引き上げられて、その目的で連続列車制御装置が備えられた。高速区間の改修費用は約1億6000万マルクであった。列車通行量の増大のために連続列車制御装置を拡張する計画案は実行されていなかった[7]

アウラッハ川の橋梁は第二次世界大戦の終戦後に復旧されたものの、盛り土が不安定で繰り返して改修されねばならなかった。新しい鉄道橋の建設は2014年5月に始まり、2016年11月に完了した[12]。橋梁は長さ528 m、高さ40 m、鉄骨コンクリート構造で、既存橋梁より北側へ建設された[13]。列車の最高走行速度は110 km/hから140 km/hに向上して、車体傾斜車両の場合、160 km/hとなった[14]

運行形態

[編集]

広域輸送

[編集]

ミュンヘン - ハンブルク間にICE25系統が2時間おきに、ミュンヘンからルール方面に41系統が1時間おきに、フランクフルト - ウィーン間に91系統が2時間おきに運行されている[15]ICマインツ - ヴュルツブルク - ニュルンベルク - パッサウ間に31系統が運行されている[16]

地域輸送

[編集]

ニュルンベルク - デテルバッハ間はニュルンベルク広域運輸連合 (Verkehrsverbund Großraum Nürnberg, VGN) の管轄下にあり[17]、マルクト・ビバート - ヴュルツブルク間はマイン=フランケン運輸連合(Vehrkehrsverbund Main-franken, VVM)の区域に属する[18]

  • 快速 (R1) : ヴュルツブルク - ロテンドルフ - デテルバッハ - キッツィンゲン - マルクト・ビバルト - ノイシュタット (アイシュ) - ジーゲルスドルフ - フュルト - ニュルンベルク。60分間隔。使用車両はコラディア・コンチネンタルのドイツ鉄道440形電車。
  • 普通 (R12) : フュルト - ジーゲルスドルフ - ヴィルヘルムスドルフ - マルクト・エアルバッハ。60分間隔。使用車両はコラディアLINTのドイツ鉄道648形気動車。
  • 普通: (シュルヒテルン - )ヨッサ - ゲミュンデン (マイン) - ヴュルツブルク - ロテンドルフ - シュヴァインフルト - バンベルク。60分間隔。使用車両は快速 (R1) と同じ。
  • 普通: ヴュルツブルク - ロテンドルフ - デテルバッハ - キッツィンゲン。通勤時間帯のみ。
  • Sバーン (S6) : ニュルンベルク - フュルト - ジーゲルスドルフ - ハーゲンビュヒアッハ - エムスキルヒェン - ノイシュタット中駅 - ノイシュタット(- マルクト・ビバルト)。60分間隔。使用車両はDB425形電車

参考文献

[編集]
  • Carsten Lorenzen: Die Ausbaustrecke Würzburg–Nürnberg. In: Die Bundesbahn. Band65, Nr.10, 1989, S.831–836.
  • Rolf Syrigos, Horst Wendler: Vorbei die schreckliche Zeit. In: EisenbahnGeschichte 70 (2015), S. 4–16. (150 Jahre Bahnstrecke Fürth–Rottendorf)

脚注

[編集]
  1. ^ “Eisenbahnunfälle” (ドイツ語). Teltower Kreisblatt (No. 80): p. 3. (1886年7月13日). https://zefys.staatsbibliothek-berlin.de/kalender/auswahl/date/1886-07-13/25128437/?no_cache=1 
  2. ^ Bernhard Püschel (1977) (ドイツ語). Historische Eisenbahn-Katastrophen. Eine Unfallchronik von 1840 bis 1926. Freiburg: Eisenbahn-Kurier. p. 56. ISBN 3-88255-838-5 
  3. ^ Hans Joachim Ritzau (1979) (ドイツ語). Eisenbahn-Katastrophen in Deutschland. Splitter Deutscher Geschichte. Band 1. Landsberg-Pürgen: Verlag Zeit und Eisenbahn. p. 22 
  4. ^ Sabine Rempe (2008年6月13日). “Tragödie mit ungeklärter Ursache” (ドイツ語). nordbayern.de. https://www.nordbayern.de/region/fuerth/tragodie-mit-ungeklarter-ursache-1.955628 
  5. ^ a b c Syrigos, Ralf; Wendler, Horst (2015). “Vorbei die schrecklichste Zeit” (ドイツ語). Eisenbahn Geschichte Band 13 (No. 70 (5/6)): pp. 4~16. 
  6. ^ Robert Mrugalla (2020). “Die DB und der Autobahnbau” (ドイツ語). eisenbahn-magazin (Nr. 3): p. 51. 
  7. ^ a b Lorenzen, Carsten; Lindenberger, Bernhard (1999). “Ausbaustrecke Würzburg–Iphofen–Nürnberg” (ドイツ語). Eisenbahntechinische Rundschau (Nr. 48): pp. 821 ff.. 
  8. ^ a b c Lorenzen, Carsten (1989). “Die Ausbaustrecke Würzburg–Nürnberg” (ドイツ語). Die Bundesbahn Band 65 (Nr. 10): pp. 831~836. 
  9. ^ Deutsche Bundesbahn, Bundesbahndirektion Nürnberg, ed. (1984). Ausbaustrecke Würzburg–Nürnberg–Treuchtlingen: Dreigleisiger Ausbau des Streckenabschnitts Würzburg–Rottendorf (Report) (ドイツ語). pp. 1~14.
  10. ^ Gunther Ellwanger (1987). Knut Reimers et. al.. ed (ドイツ語). Neubaustrecken und Schnellverkehr der Deutschen Bundesbahn. Chronologie. Wege in die Zukunft. Neubau- und Ausbaustrecken der DB. Hestra Verlag. pp. 245~250. ISBN 3-7771-0200-8 
  11. ^ “Die Bahn informiert : Neubau- und Ausbaustrecken, Intercity-Experimental, Hochgeschwindigkeitsverkehr” (ドイツ語). Deutsche Bundesbahn (Heft 3): pp. 16~17. (1992). 
  12. ^ “Neue Aurachtalbrücke in Betrieb” (ドイツ語). Eisenbahn-Revue International (Nr. 1): p. 6. (2017). ISSN 1421-2811. 
  13. ^ DB Mobility Logistics AG (Hrsg.): Baubeginn der neuen Aurachtalbrücke Pressinformation vom 27. Mai 2014(ドイツ語)
  14. ^ Wolfgang Wittig (2014). DB ProjektBau GmbH. ed (ドイツ語). Eine semi-integrale Brücke über das Aurachtal. Infrastruckturprojekte 2014: Bauen bei der Deutschen Bahn. Hamburg: DVV Media Group / Eurailpress. pp. 86~89. ISBN 978-3-87154-505-4 
  15. ^ ICE運行路線図 2017年度版
  16. ^ EC/IC運行路線図 2017年版
  17. ^ VGNの鉄道路線図 VGNの資料
  18. ^ VVMの鉄道及びバス路線 VVMの資料

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]