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タウル・マタン・ルアク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タウル・マタン・ルアク
Taur Matan Ruak


任期 2018年6月22日 2023年7月1日
大統領 フランシスコ・グテレス
ジョゼ・ラモス=ホルタ

任期 2012年5月20日 2017年5月20日
首相 シャナナ・グスマン(2007年 - 2015年)
ルイ・マリア・デ・アラウジョ英語版(2015年 - 2017年)

出生 (1956-10-10) 1956年10月10日(69歳)
ポルトガル領ティモール バウカウ県バギア郡英語版バギアドイツ語版
政党 無所属→)
人民解放党英語版
受賞 エンリケ航海王子勲章大綬
配偶者 イザベル・ダ・コスタ・フェレイラ英語版[1](2023年死別)
署名

タウル・マタン・ルアク(Taur Matan Ruak、1956年10月10日 - )は東ティモールの政治家、軍人。同国首相、国軍司令官、大統領を歴任した[2]。本名はジョゼ・マリア・デ・ヴァスコンセロス (José Maria de Vasconcelos)[1]だが、ゲリラで使用していた「鋭い両眼」を意味する通称「タウル・マタン・ルアク」で知られている[3]

経歴

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1956年10月10日バウカウ県バギア郡英語版バギアドイツ語版近郊で生まれた[2]

1975年12月からインドネシアが東ティモールに侵攻すると、彼は東ティモール独立革命戦線(フレティリン)の軍事組織ファリンティル英語版に加わり戦った[2]。1979年3月にはヴィケケ県でインドネシア国軍の捕虜となったが、23日後に脱出した[1][注釈 1]

1992年シャナナ・グスマンの逮捕後に参謀長に就任した[1]2000年8月、シャナナ・グスマンの後任としてファリンティル最高司令官に就任した[1]。2001年1月にファリンティルが国軍に移行すると彼はそのまま移行政権の下で最高司令官を務め、2002年5月に東ティモールが独立を回復すると国軍の最高司令官に就任した[1]

2011年9月1日、ルアクは最高司令官の地位を退いた[4]。彼は記者団の前で「軍でもう36年間も勤めたので、民間人の生活に戻りたい」と語り、翌年の大統領選については来年出馬するかどうか公表すると述べるにとどまった[4]

2012年大統領選に出馬して当選、5月に大統領に就任した[1]。 独立後2代目の大統領にあたる現職のジョゼ・ラモス=ホルタ候補も出馬していたが、彼は2007年の選挙とは異なり初代大統領シャナナ・グスマン率いる東ティモール再建国民会議 (CNRT) の支持を失っており[5]、2012年の選挙ではルアク候補がCNRTの全面支持を受けてフレティリン党首のフランシスコ・グテレス(ル・オロ)候補に大差をつけて勝利することになった[6]

2017年3月20日大統領選英語版の投票が行われたが、現職のルアクはこれに出馬せず[7]彼が設立した新党・人民解放党英語版(PLP)は民主党アントニオ・ダ・コンセイソンドイツ語版候補を支持した[3]。現職大統領が出馬しなかったことについて、ルアクは7月の選挙で首相候補として出馬するだろうと予測された[7][3]

同年7月22日に行われた国民議会選挙英語版では、フレティリンとCNRTが約30パーセントの票を獲得したが僅差でフレティリンが得票率1位となり、ルアク率いるPLPは得票率約10パーセントだった[8]。9月にはマリ・アルカティリを首班とする政権が発足したが混乱が続き、2018年6月20日にグテレス大統領より次期首相に任命された。6月22日に就任[9]。2020年予算案を通過させることができなかったため2020年2月25日に辞任を表明[10]。その後は新政権樹立まで首相にとどまることとなり、同年4月8日にCOVID-19流行への対応を理由に辞意を撤回した[11]

2001年に結婚した妻のイザベル・ダ・コスタ・フェレイラ英語版は法学者兼政治家として躍動していたが、2023年6月18日に癌のため、他界した[12]

評価

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1999年ポルトガル議会より人権賞を受賞した[1]

脚注

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注釈

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  1. 東ティモール国防・治安省の公開するプロフィールによれば、ルアクは当時インドネシアによる殲滅作戦の生存者を探す任務を命じられていたが、裏切りを受けて3月31日にインドネシア軍に包囲され捕まったのだという。当時昏睡状態にあった司令官は殺害されたが、ルアクは脱出して山中のファリンティル部隊に合流したとされている[2]

出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 (PDF) タウル・マタン・ルアク. 日本国外務省 2017年11月25日閲覧。.
  2. 1 2 3 4 BIOGRAPHY OF COMANDER F-FDTL”. 東ティモール国防・治安省. 2008年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月24日閲覧。
  3. 1 2 3 Marcelino Pereira (2017年3月20日). “Former resistance fighters vie for presidency in East Timor”. ロイター. 2017年11月25日閲覧.
  4. 1 2 “E Timor army chief resigns ahead of polls”. ABCニュース (オーストラリア). 2011年9月22日. 2017年11月25日閲覧.
  5. “Polls close in East Timor presidential election”. ABCニュース (オーストラリア). 2012年3月17日. 2017年11月25日閲覧.
  6. “東ティモール大統領にルアク前軍司令官”. 日本経済新聞. 2012年4月17日. 2017年11月26日閲覧.
  7. 1 2 Raimundos Oki (2017年3月20日). “Timor Leste votes for president in test for young nation”. ジャカルタ・ポスト. 2017年11月25日閲覧.
  8. Felicity James (2017年7月23日). “Timor-Leste election: 'Disenfranchised youth' party wins first seats in parliament”. ABCニュース (オーストラリア). 2017年11月26日閲覧.
  9. “East Timor to swear in former independence fighter as prime minister”. Daily Times. 2018年6月21日. 2018年6月21日閲覧.
  10. “East Timor PM Taur Matan Ruak resigns as coalition collapses”. Al Jazeera English. アルジャジーラ. 2020年2月25日. 2020年2月25日閲覧.
  11. “East Timor PM withdraws resignation to tackle coronavirus”. CNA. 2020年4月8日. 2020年4月8日閲覧.
  12. Morreu Isabel da Costa Ferreira, mulher do primeiro-ministro timorense, ex-candidata presidencial

関連項目

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