スマトラ島沖地震 (2000年)
| スマトラ島沖地震(2000年) | |
|---|---|
| 本震 | |
| 発生日 | 2000年6月4日 |
| 発生時刻 |
16時28分26秒(UTC) 23時28分26秒(現地時間) 5日 1時28分26秒(JST) |
| 震央 |
南方沖 南緯3度43分12秒 東経102度4分48秒(南緯3度43分 東経102度05分 / 南緯3.72度 東経102.08度) |
| 震源の深さ | 33 km |
| 規模 | モーメントマグニチュード(Mw)7.9 |
| 地震の種類 | プレート内地震 |
| 余震 | |
| 回数 | 730回以上 |
| 最大余震 | 同日23時39分(現地時間)M6.5 |
| 被害 | |
| 死傷者数 | 死者:103人 負傷者:2174人 |
| 被害地域 | インドネシア スマトラ島周辺 |
|
出典: 特に注記がない場合はUSGSによる。 | |
| プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 | |
スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、インドネシア、スマトラ島南方沖で現地時間の2000年6月4日23時28分に発生したモーメントマグニチュード (Mw) 7.9の地震[1][2][3][4]。アメリカ地質調査所(USGS)によると、死者103人、重軽傷者は2174人に上っている。730回を超える余震が発生している。
2000年代のスマトラ島沖地震の中では最初のもので、最も南に位置していた[2]。この後、この地域では2004年スマトラ島沖地震、2005年スマトラ島沖地震、2007年スマトラ島沖地震、2009年スマトラ島沖地震などが続いている[5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15]。
背景
[編集]インドネシアは地震多発地帯として知られていた[16][17]。2000年のスマトラ島沖地震と、この後に起こった2004年のスマトラ島沖地震はこの地域で進行する時代の地震活動の始まりを告げたとも言われている。この付近では1797年、1833年、1861年にも大地震が発生している[18]。上記の地震群は、オーストラリアプレートとスンダプレートの境界で起きたとみられているが、今回の地震は2009年のスマトラ島沖地震のように、沈み込んだオーストラリアプレート内の内部で発生したと考えられている。この地震では、津波の被害が発生しなかった[2][3]。
被害・死傷者
[編集]本震の11分後の余震はM6.5で、最大余震と見られている[4]。少なくとも103人が死亡し、2174人が重軽傷を負った[19]。インドネシア政府によると死者は120名以上に上っている。インドネシア赤十字社は重傷者が788人、軽症者が1709人だと報告した。政府は被災者の数は急速に増えたと報告している。
ブンクル州では多大な損害と地すべりが起こり、エンガノ島も軽度な被害を受けた[20]。もっとも被害の大きい村では、数百の建物が全壊したと報告された。しかし、ジュネーヴの国際赤十字赤新月社連盟のピーター・ウォーカーは死因のもっとも大きな理由は地震ではなく、その後の不衛生に起因する病気によるものだとしている。「実際地震の被害はそれほど大きくなかった。家や木の倒壊、破壊はそれほど多くなかった。しかし、彼は風土病であるマラリア、伝染病がはびこるのを見た。また、死亡数と罹患率は容認出来ないほどの量であった。これは地震でなく、人災である」[21]。
その後・影響
[編集]救援では倒壊した電信柱に阻まれ、物資の補給が滞った。影響のあった地域で主な問題となったのは水の補給と地震によって電線が切れていたことで途絶えていた電気の供給であった[23]。法王であったヨハネ・パウロ2世は地震で被災した家族に「心からの悔やみ」を表明した。また、この地震に対し迅速な国際的対応を求め、犠牲者に対して祈りをささげると表明した[24]。台湾の救援隊が被災者のもとに送られ、救護努力を担うために最初に到着した国となった。アメリカはすぐに博愛的救助組織に25,000アメリカドルを寄付し、日本は140,000アメリカドルの補助金を提供した上で国際緊急援助隊を派遣した[25][26]。オーストラリアは143,000ドルと二人の緊急救済審査官のチームを提供した[25]。
脚注
[編集]- ^ Magnitude 7.9 SOUTHERN SUMATERA, INDONESIA USGS
- ^ a b c 「インドネシア地震:スマトラ島で少なくとも25人が死亡」『毎日新聞』毎日新聞社、2000年6月5日。オリジナルの2001年3月6日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ a b 『朝日新聞』2000年6月5日 夕刊 1社会19頁「インドネシアでM7.9の地震、死者44人」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 『読売新聞』2000年6月5日 全国版 東京夕刊 夕一面1頁「スマトラ沖でM7.3の地震 死者40人、数百人が不明/インドネシア」(読売新聞東京本社)
- ^ 「スマトラ島沖でM8.9 死者6600人、不明の邦人も」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年12月27日。オリジナルの2004年12月29日時点におけるアーカイブ。2025年4月4日閲覧。
- ^ 「大津波、8700人超死亡 スマトラ島沖でM8.9」『東京新聞』中日新聞東京本社、2004年12月27日。オリジナルの2005年1月11日時点におけるアーカイブ。2025年4月4日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖地震の死者・行方不明、18万人超す」『読売新聞』読売新聞社、2005年1月14日。オリジナルの2005年1月14日時点におけるアーカイブ。2025年4月4日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖でM8.7地震、死者千~2千人情報」『読売新聞』読売新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月30日時点におけるアーカイブ。2025年4月4日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖でまた大地震、2千人死亡か M8.7」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月31日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖でM8.7 『死者1000-2000人』」『東京新聞』中日新聞東京本社、2005年3月29日。オリジナルの2005年3月30日時点におけるアーカイブ。2025年4月4日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2007年9月13日 朝刊 1総合1頁「スマトラ沖でM8.2の地震」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2007年9月14日 朝刊 1外報7頁「余震避け「テント病棟」死者11人、6000棟損壊 スマトラ地震」(朝日新聞東京本社)
- ^ 「スマトラ島沖でM7・6の地震、数千人不明か」『読売新聞』読売新聞社、2009年10月1日。オリジナルの2009年10月2日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ沖地震、死者数千人の可能性」『読売新聞』読売新聞社、2009年10月1日。オリジナルの2009年10月2日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 「スマトラ島、今度はM6.8の地震」『朝日新聞』朝日新聞社、2009年10月1日。オリジナルの2009年10月1日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1992年12月16日 夕刊 科学9頁「横綱級の「ヌルヌル地震」か 死者・不明2000人超すインドネシア」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2005年1月9日 朝刊 東特集B 7頁「ゆがんだ海、断層千キロ 検証「スマトラ沖大地震・インド洋津波」」(朝日新聞東京本社)
- ^ USGS Poster of the Northern Sumatra Earthquake of 28 March 2005 - Magnitude 8.7
- ^ 『読売新聞』2000年6月7日 全国版 東京朝刊 外A 7頁「インドネシア・スマトラ地震 死者103人に」(読売新聞東京本社)
- ^ 「地震:犠牲者増え58人に インドネシア・スマトラ島沖」『毎日新聞』毎日新聞社、2000年6月5日。オリジナルの2001年6月28日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。
- ^ Tim Radford (2000年7月6日). “Just an everyday disaster”. The Guardian 2009年6月4日閲覧。
- ^ “Photo Essay 6/8/2000 - Earthquake in Indonesia”. Time Magazine. (2000年6月8日). オリジナルの2000年8月15日時点におけるアーカイブ。 2008年7月29日閲覧。
- ^ “Indonesia appeals for help following Sumatran earthquake”. RTÉ News. (2000年6月5日)
{{cite news}}:|publisher=では太字とイタリック体は使えません。 (説明)⚠ - ^ “Pope Comforts Indonesian Quake Victims”. Catholic World News. (2000年6月6日)
{{cite news}}:|access-date=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明)⚠ - ^ a b Catherine Sung (2000年6月8日). “Rescue team on the way”. Taipei Times 2009年6月4日閲覧。
{{cite news}}:|publisher=では太字とイタリック体は使えません。 (説明)⚠ - ^ 「スマトラ大地震:日本の援助隊被災地に到着 医療チーム19人」『毎日新聞』毎日新聞社、2000年6月8日。オリジナルの2001年12月18日時点におけるアーカイブ。2025年4月27日閲覧。