スガバラ

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スガバラ
モンゴル帝国皇后・元朝皇后
YuanEmpressAlbumWifeOfShidebalaII.jpg

別称 漢字表記:速哥八剌
荘静懿聖皇后
死去 泰定4年(1327年)6月
配偶者 シデバラ(英宗)
氏族 イキレス部族
父親 アシク
母親 昌国公主イリク・カヤ
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スガバラモンゴル語: Sügebala, ? - 1327年)は、イキレス部出身の女性で、モンゴル帝国第9代皇帝ゲゲーン・カアン(英宗シデバラ)の妃の一人。『元史』などの漢文史料では速哥八剌(sùgēbālà)皇后と記される。

概要[編集]

『元史』によると、スガバラはオルジェイトゥ・カアン(成宗テムル)の娘の昌国公主イリク・カヤとイキレス部当主アシクとの間に生まれた[1]。アシクの遠祖はチンギス・カンに仕えた建国の功臣ブトゥ・キュレゲンで、ブトゥの家系は代々チンギス・カン家と姻戚関係を結んできた一族であった[2]

シデバラがゲゲーン・カアン(英宗)として即位した翌年の1321年(至治元年)、スガバラは皇后とされた。しかし、シデバラはテムデルの一党を弾圧する過程で多くの不満分子を生み、結果として1323年南坡の変で暗殺されてしまい、スガバラも皇后の地位を失った。シデバラの後に即位したイェスン・テムルの治世の1327年(泰定4年)6月にスガバラは亡くなり、荘静懿聖皇后と諡された[3]

なお、ゲゲーン・カアンを南坡の変で暗殺したテクシには「妹が君主(英宗ゲゲーン・カアン)の妃となった」という記録があるため、テクシとスガバラが兄弟ではないかとする説もある[4]

脚注[編集]

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  1. ^ 『元史』巻106表1后妃表,「速哥八剌皇后、亦乞列思氏昌国公主益里海涯女也。至治元年冊為皇后、泰定四年崩、諡曰荘静懿聖皇后」
  2. ^ 『元史』巻109表4諸公主表,「昌国大長公主益里海涯、成宗女、適忽隣子昌王阿失。継室以昌国大長公主買的、憲宗孫女也」
  3. ^ 『元史』巻114列伝1后妃伝一,「英宗荘静懿聖皇后、名速哥八剌、亦乞列思氏、昌国公主益里海涯女也。至治元年、冊為皇后。泰定四年六月崩、諡曰荘静懿聖皇后」
  4. ^ 屠寄蒙兀児史記』巻122列伝104鉄失伝

参考文献[編集]

  • 杉山正明「大元ウルスの三大王国 : カイシャンの奪権とその前後(上)」『京都大学文学部研究紀要』34号、1995年